2013/10/18

羊の犠牲祭 / The Feast of the Sacrifice (Eid ul-Adha)

昨日と今日は、モロッコでは「イード・アル=アドハー」と呼ばれるイスラム教で定められた宗教的な祝日でした。

イスラム教聖典のコーランに出てくる預言者イブラヒームが、神(アッラー)への信仰心を表すために自らの息子のイスマイールを神への生贄として捧げようとした時、神はその信仰心を称えて、代わりに羊を捧げるようにイブラヒームに告げたということから、「羊の犠牲祭」とも言われるようです。このことにちなんで、イスラム教徒たちは毎年犠牲祭になると、羊などの動物の命を神に捧げ、動物はその後食肉として家族に分け与えるという伝統があるようです。
(※犠牲祭に関する更なる解説に興味のある方は、以下のサイトもご覧下さい。)
http://www12.ocn.ne.jp/~tunisia/giseisai.htm
http://www.isuramu.com/questions/Q8.htm

犠牲祭の数週間前から、市場では犠牲祭用の雄羊たちが売られ始め、グルミマでもトラックの荷台や手押し車に羊を乗せた人や、商店の前に立つ店の看板などに足を繋がれて留守番中(?)の羊の姿を見たりしました。羊以外にも、牛やヤギなども犠牲にする場合もあるそうです。大きな都市では、なんとらくだが売っていたところもあったようです!
家の窓から見えた羊さんの姿。
連日、この看板に足を紐で結ばれた羊が耐えなかった・・・。
(なぜよりによってこの看板・・・?)
グルミマで普段は野菜が売られている市場も、
犠牲祭の前は、羊やらヤギやらが売られていた

グルミマでは、自分の家で牛や羊などの家畜を飼っている家も多いですが、飼っていない家庭は、このような羊の市場に行って羊を調達します。そして、犠牲祭当日になるまで、家の裏庭やらテラスなどに羊を繋いで、餌をやってキープするようです。私が、日頃は家畜を飼っていないモロッコ人家庭を訪問した時も、やはり犠牲祭の前には羊が裏庭で飼われていました。

今年ラマダン(断食)を25日間遂行した私に対して、モロッコ人のおじいちゃんは、「AICHA、君はラマダンもやったんだから、羊も買いなさい。」としつこく言っていましたが、どうしても羊を殺すという行為には私にはすごく抵抗があり、さすがに買いたいとは思いませんでした・・・。

そして、犠牲祭の当日。
この日の朝は、まずはモロッコ国王がはじめに祈りをささげて羊を捌き、その後に国民が一斉に羊を捌くと聞いていたので、その一連の儀式は一体何時頃始まるのかと思い、なんだかソワソワして何度も目が覚めてしまいました。

この日は前々から同僚の女性の1人に「犠牲祭の日の朝は、うちにいらっしゃい」と呼ばれていたので、彼女の家に行くために朝家を出る準備をしていました。ただ、私は動物が捌かれる瞬間を見たくなかったので、できるだけ捌く儀式が終わってから家を出ようと思っていました。

家で支度をしていると、近所の住宅街から、もうすぐ捌かれるんだろうと思われる羊の声がメエメエと聞こえている・・・。「そうか、まだ捌かれていないんだ・・・。でも、もすぐなんだろうな・・・。」と、なんだか憂鬱な気分になりました。

そのうち、さっきまで鳴いていた羊の声がだんだん聞こえなくなってきたので、嫌な予感がしたら、やはり案の定・・・。私のアパートの向かいの家の角の路上で、どうやら羊が捌かれたようでした・・・。羊の姿は角度的に見えないのだけど、大人の男性が何人かたまっていて、道を通る人も「何か」を見ながら通り過ぎて行く・・・。よーく見ると、道に血と思われる赤い液体が流れていて、一気に外に出たくない気分が倍増・・・。いよいよ、犠牲祭が始まった、と思う瞬間でした。

でもいつまでたっても家で閉じこもっているわけにはいかないので、恐る恐る家から出て、お呼ばれしていた女性の家庭に自転車で向かいました。途中、まだ捌いていない生きている羊がいる家があったりして、どうやら羊を捌くタイミングも家庭によって多少違うようだということがわかりました。

もう少しで女性の家に着くというところでは、集落の中ではわりと裕福な家庭があり、その家の脇には、既に捌かれた羊が二頭逆さまになって、紐で吊るされていました・・・。男性たちが数人かかりで、羊の革を剥ぐところでした。あたりには、血が流れていたりして、血を見るのが苦手な私にとっては、「もう勘弁してくれ〜」という感じでしたが、一応これもモロッコ(イスラム)文化を理解するためだ、と思い、その様子を少しだけ見学して写真に撮りました。
男性たちが、羊の皮を剥ぐ作業をしていた。


そんなことをしていたら、グルミマの反対側にある村で以前グルミマで手工芸隊員として活動していた元隊員から電話が入ったので、羊の犠牲の儀式の真横で自転車を止めて会話をしていました。そうしたら、なんともう一頭まだ捌かれていない羊が同じ家から連れ出される姿が見えました。「ああ・・・、この羊くんももうすぐ捌かれてしまうんだ・・・」と思いながら、電話で会話を続けていたら、なんと私の真後ろで羊を捌いているじゃないですかーー(ぎゃー!!)!!!その様子は極力見たくなかったけど、ちょっとだけ後ろを振り返って見たら、地面に押さえつけられた羊が両足をバタバタさせながら苦しんでいるところでした・・・。おそらく、動脈を切られた後の最後の命乞いだったのだと思います。電話での会話が終わった頃に羊を見たら、もう命が絶たれた後だったようで、ちょうど男性の1人が羊の頭部を体から切り離すところでした・・・。

そんな様子を目にして、ちょっと精神的なショックが大きかったのですが、目的地である女性の家に無事辿り着きました。彼女の家ではもともと羊を何頭か飼っていたので、そのうちの一頭を捌いたようでした。私が着いた頃には、羊の頭を焼いて、その後に水で綺麗に洗う作業に取り組んでいるところでした。

そして、その横にあったのは、羊を解体して体の中から取り出した臓器諸々・・・。それらも綺麗に水で洗って、焼いて食べれるようにするようです。

羊の犠牲祭は、日本で言うお正月のように、家族や親戚と一緒に過ごす時間です。祝日の間は親戚や友人を訪れて挨拶をし、お祝いする行事であるので、私もできるだけ日頃からお世話になっている同僚たちを訪れようと思って、女性の家のすぐ向かいに住むカウンターパートのアリの家に行きました。

そうしたら、ちょうど彼の家では羊を捌いたばかりだったようで、まだ毛皮がついた状態で逆さまに吊るされた羊を男性たちが囲み、毛皮を剥ぐところでした。カウンターパートのアリは、皮が肉からはがれやすくなるように、羊の体に口をつけて、風船に空気を吹き込むようにして、「フー、フー」と空気を送っていました。

ちょっとグロテスクだけど、なるほど、こうやって羊を解体していくんだなと納得しながら、その様子を伺っていました。
どうやら羊の命を絶った後は、
はしごに吊るして肉を捌くのが主流なよう

そして、私が赴任した当初からお世話になっている、友人で同僚で、カウンターパートの1人であるリタの家にも挨拶に行きました。彼女の家で家族と少し話していたら昼食の時間になり、本当は一件目に訪れた女性の家で昼食を食べる約束をしていたのに、「いいからここで食べて行きなさい!」という押しに負け、リタの家で昼食を頂くことに。この時は羊の肉ではなくて、確か牛肉のタジンだったと思います。

結局、約束していた女性の家に戻った頃には、彼女の家の食事はほとんど終わっていたのですが、元々約束していたのにそこで昼食を食べれなかったちょっとした罪悪感もあったので、ちょっとだけ肉を出してもらい、頂きました。お腹いっぱいって言っているのに、「じゃあこれ持って帰りなさい」と言われ、パンの中にBBQのように焼かれた肉がたくさん詰められたお持ち帰り用の食事まで持たされてしまいました・・・。モロッコ人のホスピタリティーには毎回頭が下がると同時に、時々困るくらいに食事をたくさん頂きます(笑)。

そして、午後は活動先の団体の手工芸グループで働いている女性たち(計7人)で、まだ犠牲祭中に訪問していない女性の家を全部挨拶して廻ろうと思い、一軒一軒寄ることに。家自体はそれぞれそこまで離れていないので移動時間は短いのだけど、一軒一軒寄る度に、アタイ(お茶、モロッコのお茶は甘い)とガトー(ビスケットやクッキーなど)が出てくるから、毎回これらを頂いて、雑談して、を繰り返しているうちに午後の時間があっという間に過ぎていきました。しまいには、大家さんにも道で偶然会って、「うちにも来なさい」と呼ばれたので、彼の家にも顔を出すことに。

他にも村で寄りたい家がいくつかあったけれども、手工芸隊員だった元隊員にも会いたかったので、村から一旦グルミマ中心地に戻り、元隊員の方が遊びに来ている別の村にも行って、活動のことやグルミマでの生活のことなどを色々話すことができました。

この日最後に訪問した家庭では、キッチンに解体した羊の死体が逆さまになって吊るしてあってビックリ・・・。そして、調理台には羊の臓器や乾燥した脂肪などが乗っかったお皿がありました。ビックリしたのは、羊の体の中にある脂肪までも使うということ。なんと、肉を焼く時にこの脂肪を肉に巻き付けて、油として使って良く焼けるようにするんですね。
羊さん、無惨な姿に・・・。
左の白いのが、乾燥した脂肪のかたまり
脂肪を肉に巻いて、焼きます

そしてさらにビックリしたのは、羊の睾丸までも食べるということ!この家庭では、お昼に既に睾丸の1つを食べたようで、夕食にもう1つを食べるために調理していたところでした。私はあまりにもいろんな家庭でお菓子やら何やら食べ過ぎてお腹いっぱいだったので、睾丸はどんな味か試しませんでしたが、彼女曰くとても美味しいそうです。
これが羊の睾丸だそう・・・。タジンにして食べたりもするんだって。

あと、羊の腸(?)も串刺しになっておいてあり、これはちょうど犠牲祭から1ヶ月後にある、アショーラ祭りというまた別のお祭りの時まで乾燥させてとっておくそうです。アショーラ祭りに関してはその時にまた詳しく書きます。


このようにして、羊の皮と骨以外は全部無駄なく食べるんですね。ちなみに、毛皮は食しませんが、裏返しにしてしばらく乾燥させて、絨毯として使ったり、毛を紡いで毛糸にしたりと、これもきちんと使うんですね。

結局、数えてみると犠牲祭の祝日の1日目に訪問した家庭の数は、なんと13軒でした!
温かく迎え入れてくれたモロッコ人の皆さんに感謝・・・。


そして、祝日の2日目。
朝は家でゆっくりし、お昼ご飯は以前から何度も食事に招待してくれたこともあるモロッコ人の家庭に行くことにしました。アポなしで行ったけれども、なんともない顔して「ようこそ!」といった感じで迎えてくれました。昼食は、ケフタ(ひき肉)と角肉のブロシェット(BBQのような串焼き)でした。

その後は、昨日行けなかった日頃からお世話になっているモロッコ人家庭を引き続き訪問し、再び行く家庭ごとに甘いお茶とお菓子が出てくるから、それを食べては次の家に行って・・・、という感じで、結局今日は5軒廻りました。

そして締めくくりは、日頃からお世話になっていて、昨日の夜訪問した際に「明日の夕食を食べに来なさい」と呼ばれていたアフメッドじいさんの家に行きました。相変わらずモロッコ人家庭では夕食が出るのは遅い(23時半頃とかは、わりと普通)ので、22時半頃に行ったら食事の準備中でした。アフメッドの奥さんに挨拶しにキッチンに行ったら、なんと羊の頭が調理台の上にど〜んと置いてあってちょっとビックリ・・・。どうやら、毛を焼いて、そして骨を割って、そして脳みそを食べるようです・・・。アフメッドの娘さん曰く、これもとても美味しいとか・・・。

夕食は、羊のもも肉や肝臓(多分)の串焼きや、もも肉の入ったスープでした。私は個人的に肝臓があまり好きじゃなかったのと、本当にお腹いっぱい過ぎてもう食べれなかったので、少量しか食べませんでした。

結局アフメッドの家で夕食が終わったのが深夜1時頃(相変わらず遅い・・・)。

犠牲祭の休暇は公式にはこれで終わりですが、翌日が金曜日で、もともとイスラム教にとって金曜日は聖なる日なので、この日もお休みにしちゃおうというモロッコの会社や機関も多いようです(笑)。

そして、ラマダン後と同じく、連休ということもあるせいか、プチ結婚式ラッシュの時期でもあるようです。近所では2軒結婚式があるようで、夜遅くまで音楽が流れています。


今回、初めてイスラム圏で迎えた犠牲祭ですが、羊を生きたまま捌き、解体し、全てをを食す・・・という文化には、やはり慣れていない私にとっては結構衝撃的でした。

日本では消費者が、食肉がどのように捌かれて、スーパーや肉屋で売られて、食卓に届くかまでのプロセスを知る機会があまりない気がしますが、モロッコでは自分の家の目の前に鶏肉屋があって、毎朝生きた鶏が運び込まれる姿を目にしたりすることが多かったりすします。そうすると、今まであまり考えてこなかった、動物たちが食肉としてどのようにして命を奪われているかというのを目の当たりにするようになり、少し肉を食べることにためらいを感じるようになりました。

でも、一度頂いた羊の命は大切にされ、ほぼ全ての羊の体が食されたり、毛皮や毛糸として使われたりして、一頭の羊がフルに活用されることは素晴らしいなと思いました。

まだまだこの羊の犠牲祭のちょっとした衝撃には慣れることはできない部分もありますが、今までほどんと知らなかったイスラム文化の一面を垣間みることができたと思います。

そして、イスラム文化の考え方を理解しようとすると同時に、動物の命の大切さというのも自分なりに考えていきたいなと思いました。

※犠牲祭の様子の詳細は、以下のサイトにも分かりやすく書いてあります。興味ある方は参考までにどうぞ。
http://www.mayoikata.com/M_BUNKA/life/04_gisei.html

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