2021/10/21

ウガンダからコンゴ民を知る / Finding out DR Congo from Uganda

コンゴ民での業務を終えて、ウガンダのUNHCRチャカ事務所に着任してから4ヶ月以上が経ちますが、ここ4ヶ月ほどで思ったのは、ウガンダにきてからもコンゴ民主共和国(特に東部)に関して触れることが多いということです。

まず一つ目は音楽。ウガンダの同僚が流す音楽がかなりの割合でコンゴ民の音楽であることが多く、ぶっちゃけウガンダに来てからの方が、コンゴ民の音楽を聞くことが多い気がします(笑)。ちなみに、コンゴ民の音楽は結構世界的にも有名らしく、去年同国に着任する前に、誰からから、「コンゴ民のBMW」を楽しんできなさいと言われました。思わず「何それ?車のこと?」と答えたところ、「B = Beer(ビール)、M = Music(音楽)、W = Women(女性)」だよ、と言われました。つまり、コンゴ民ではこれらが有名らしく、これらが同国流のBMWということだったのです(笑)。まあ確かにビールは自国で作ってる割と美味しいブランドがいくつもあるし、音楽はノリがよく踊りたくなるような明るい曲想で私も結構好きだし、女性に関してはまあ結構恰幅のいい元気なおばちゃんたちが印象的だけど。。。

二つ目は紛争などを含む歴史。私がいるチャカ難民居住区は、約12万6000人ほどの難民を抱え、そのうち9割近くがコンゴ民東部からやってきた難民。最近は仕事上、直接的な対話あるいはレポートなどを通して難民個人やその家族が経験した内容(なかには想像もしたくないような酷い目に遭って逃げてきた人も多数)に接することが多く、改めてコンゴ民東部において長年にわたって続く紛争の根強さや、市民が置かれる状況の厳しさを噛み締めることが多々ある。

あと、個人的に興味深いと思ったのは、コンゴ民東部の北キブ州とその州都のゴマ市にしか存在しない木製自転車のChukudu(チュクドゥ)が、チャカ難民居住区内でも多数存在すること。このチュクドゥは私が2020年にコンゴ民東部のブニアに着任する時に経由地であったゴマ市内でたくさん使われているのを初めてみて、事務所の運転手さんが「これはゴマ特有のチュクドゥだよ。」と紹介してくれたのが印象的だった。確かに、ゴマがある北キブ州では目にしたことがあるが、私の任地ブニアがあって北キブ州のお隣のイツリ州ではチュクドゥは目にしたことがない(一部、州境の地域では目にしたことがあるが)。チャカに住むコンゴ民の難民の多数は、このチュクドゥの生産地であるゴマ(あるいは北キブ州)から来ているので、国境を超えてウガンダ南西部に来てからも、自分たちが持っている知識やスキル、生活習慣をそのまま生かしているのだ。

難民が住む住居の前に駐輪してあったチュクドゥ


ちなみにこのチュクドゥ、サイズも色々あり、子どもサイズから大人サイズまであって、よく子どもも荷物を運んだり、ただ遊んだりするのに三輪車より少し大きくしたサイズのものを転がしている姿を何度も見た頃がある。とある旅行Youtuberのビデオによると、一つのチュクドゥを作るには100ドル(約11000円)ほどかかるとか。


ちなみに、チャカ難民居住区の中心地には木材を販売することろがあり、その周辺にはコンゴ民の旗が描かれた白の特別なチュクドゥがあって(普通は何も色付けがされてない木材そのままの色)、私はこのチュクドゥを見る度になぜか嬉しくなる。というか、居住区のどこでもチュクドゥを見かけると、なぜか嬉しくなる。

コンゴ民の国旗が掲げられたチュクドゥ


私がコンゴ民東部にいたのはわずか1年弱で、かなり広大な国土や長く濃い歴史や文化の一部しか垣間見てない訳だけれども、人生の一部を過ごした国としては変わりないわけだし、コンゴ人にはみんなに親切にしてもらった。もちろん、任期中に大変なことや不便なこともたくさんあったけれども、それらを忘れてしまうくらいに、なぜかコンゴ民東部地域には思い入れがある。今は物理的には同国にはいないけど、国境を挟んで反対側からコンゴ民東部から逃れてきた難民たちを受け入れることによって、コンゴ民の人たちへの支援やつながりは継続していきたいなと思う。

ちなみに、同国東部の情勢は私がいた頃から改善することもなく、引き続き国内避難民や国境を超えた難民が発生していて、チャカ難民居住区はもうキャパオーバーということで新規難民を受け入れることを2020年からストップしていたのだが、他の受入先居住区において土地の問題などがあることから、ウガンダの大統領命令の元、チャカで急遽数百人の難民を受け入れることになった。そのために、受入の準備などで先週から今週はかなりバタバタしているところ。先週到着した数家族の中には、私がいたブニア周辺地域から2週間ほど前に避難してきた難民もいて、そのうちの多数が女性や女児、そしてまだ小さな子どもや赤ちゃんたちということもあって、バスで到着したばかりの彼女たちの疲れ切った姿を夜の受入センターで目の当たりにした時は、とても悲しい気分になった。でも、受入センターに到着したばかりのバスのドアを真っ先に開けて、カタコトのスワヒリ語で「ジャンボ!(こんにちは)」、そして「チャカへようこそ!」などとフランス語で挨拶をしたら、明らかに外国人である私がいきなり現れたのが珍しかったのが、大ウケした(笑)。

上記の内容と日にちは違うが、まさに今日チャカに到着したコンゴ民の難民を受け入れるUNHCRやウガンダ政府、そしてNGOのスタッフ。
この日は400人以上の難民を受け入れた。












一人の外国人の私が大したことができるわけでもないけど、難民の人たちにとってUNHCRやそのスタッフたちが限られた命綱の一つであることを胸に留めて、これからも現場での支援を頑張っていきたいと思います。


2021/09/12

ギターを買いました / I bought a guitar

東京に8月はテレワークと休暇を兼ねて1ヶ月ほど帰国してたのですが、先週再びウガンダに戻ってきました。

日本では皆さんご存知の通り新型コロナウイルスの第五波?とかで一日の感染者数が増える一方で、東京都は緊急事態宣言真っ最中だったこともあり、残念ながら多くの友人には会えませんでしたが、日本食や日本の快適な暮らし、そしてショッピング(かなりがオンライン)を満喫し、2キロ太ってウガンダに戻りました(笑)。

ウガンダに到着したのは現地時間の土曜日午後。元々、日本からウガンダに帰るときにはカンパラでギターを買おうと決意し、あえて楽器屋さんが開いている土曜日(日曜日は閉店)に到着する便を選んだのです(まあたまたまた最安のフライトがあった日が土曜日だったということもあるけど)。

ウガンダ政府の発表によると、私が到着する日の前日の3日から到着後空港でPCR検査が全ての国からウガンダに来る入国者に対象となるはずだったのに、「導入する準備ができていない」とのことで実行開始の前日に、導入は2週間後に延期するという発表があり(笑)、こっちとしてはもうけたもんだと思い、空港ではスイスイ入国手続きも済み、あっという間に空港外に出れました。

以前から予約してたタクシー運転手さんに迎えにきてもらってたので、運転手さんに空港があるエンテベから週末を過ごす予定の首都カンパラへ向かってもらいました。ホテルに到着する少し前にちょうど行こうとしていた楽器屋さんの近くを通りそうだったので、運転手さんに店番してもらいながら、私だけタクシーから降りて、楽器屋さんへダッシュ!

この地域は楽器屋さんがいくつか固まっているのですが、その中でも一番信頼できそうだったヤマハ・ミュージックセンターというところで、YAMAHAのアコースティックギターを無事にGET!あまり迷っている時間もなかった(それに選択肢もあまりなかった)ので、私と同じタイミングでギターを買いに来ていた外国人2人が選んだものと同じやつにしました。


そして週明けの月曜日に、カンパラから任地のチャカへ4時間ほどかけて移動し、無事に任地に戻りました。

私がいない間、同僚にお世話になりながらお留守番をしてた愛猫サミラと再会できるのを楽しみにしていたのですが、実際に会ってみると、結構冷たい反応(涙)。。。どうやら1ヶ月ほど留守していたので、相当いじけているようで、前みたいに一緒に寝てくれるものの、撫でようとすると嫌がったりする時もあります・・・。悲しい。。。
相変わらずの変な寝相


ウガンダでは1ヶ月ほど前から雨季が始まったようで、チャカでは私が休暇に入る前よりも頻繁に雨が降ります。そのせいか、宿舎から見える難民居住区の丘は以前よりも緑が少し増したように見えます。気候としては、日本の秋みたいな過ごしやすい気候です。
私の部屋の前の景色



私が着任した6月初旬からちょうどウガンダ国内ではロックダウンが始まって、州を越えた移動が禁止されて、普段だったら週末はほぼみんな実家に帰ったりするウガンダ人同僚がロックダウン中はみんな宿舎にいたので、週末はパーティやBBQがあったりしたけど、ロックダウンが軽減された今では、週末は宿舎がほぼもぬけの殻となり、めちゃくちゃ静かです。残った組は、そのメンバーで一緒に呑んだりする感じのメンツでもないので、呑み仲間がおらず(仲良い呑み仲間は現在休暇中)、ちょっと寂しいので、今週末は1人でジントニックを呑みながら、ギターの練習を始めました。

ひねくれたサミラは、私がギターを弾いていると自分にかまってくれないと思ってか、私がギターを弾いてるとその前にあるテーブルに寝転がってきます(笑)。

スーダンにいた時は、任期満了して帰国した友人からギターを譲り受けて、練習しようと思いながらもほとんど練習できなかったので、今回はちゃんと練習して上手くなりたいところです。



2021/07/04

ウガンダに着任しました / Reassignment to Uganda

 前回のブログ記事にも書いた通り、6月上旬からウガンダの新しいポストに着任しました。私が着任したのは、ウガンダ南西部にあるKyaka(「チャカ」)というところにあるUNHCRフィールド事務所で、主にコンゴ民主共和国やブルンジ、ルワンダなどから来た難民・庇護申請者が約12万人ほど暮らす居住地のど真ん中に位置しています。

ウガンダは西側にコンゴ民、東側にケニア、南側にルワンダとタンザニア、北側に南スーダンに囲まれている

スタッフは大体30人程度、うち国際スタッフはケニア人2人、エチオピア人1人、タンザニア人1人、アメリカ人1人、そして日本人(私)1人で、他は皆ウガンダ人スタッフ。事務所とスタッフ寮が壁に囲まれたほぼ一つの敷地内に位置してて、自分の部屋からは徒歩で3分もあれば事務所に着くような距離。周りは豊かな自然と家畜、そしてその中に点々と見える難民の居住地くらいしかなく、晴れると景色は本当に綺麗。


スタッフ宿舎の敷地内。良く例えると、高原にあるリゾート地。
階段を下がると私の部屋がある。






ただ、本当に田舎にあって、最寄りの町からは45分〜1時間半ほど離れていて、チャカにある小さな村の市場で手に入らないものはKyegegwaあるいはMubendeまで出ないと手に入りません。現在は、コロナの件数がウガンダで急激に増えているので大統領命令で全国的に移動が禁止されて、普段は週末にカンパラやその他大きな都市まで遊びに行っては物資を買い出すことができていたのが現在はできない状態なので、週に一度、数人のスタッフが代表して、事務所が公用車を出して他のスタッフの買い物を一括して行うことになってます。


 Googleマップにも道が載っていないような田舎に位置するチャカ。
最寄りの町はKyegegwaで、スタッフは日用品の買い出しのためにKyegegwaかもう少しは離れたMubendeまで行く。ちなみにMubendeには中華系のスーパーがあり、買い出しに行く時はいつもそこに行っているそう(私は着任してから一度もチャカから出たことがない。。。)
























チャカに着任してから10日近く自主隔離期間があったので、実際に事務所で仕事を始めたのは6月中旬頃。今回の仕事は准フィールドオフィサーということもあって、まずは難民居住地区や実施中のプロジェクトなどを知らないと話が始まらないので、私の前任者や、チャカにもう数十年もいる定年退職直前でかつ歩く歴史教科書のような長老ウガンダ人スタッフと一緒にいろんなところ(居住地内の施設など)をまわることから始めてます。

週末以外は毎日この前任者と歩く歴史教科書的長老、そして同い年のエチオピア人の同僚と一緒に、仕事の後に事務所の周辺地域を1時間半くらいウォーキングに行ってます。本当に周りの景色が素晴らしくっていい気分転換になるのと、前任者のタンザニア人おばちゃん(彼女も実は定年退職直前)と長老がものすごく周りの居住地区の情報をよく知っているので、いい勉強になっています。


ウガンダ人長老(前)と同じく定年退職直前のタンザニア人のベテランおばちゃん















散歩先から見えるUNHCRの宿舎の壁(白と水色)。本当にど田舎にあるのがよくわかるでしょう(笑)


宿舎から出ると外はすぐ難民居住地区。とは言っても、難民キャンプのようにシェルターが固まってあるわけではなくて、どちらかというと土壁の家が村の中に点々とあるというイメージ。家の作りも、コンゴ民東部からきた難民が多いためにコンゴ東部と全く同じで、またコンゴ民にいるような錯覚に陥る。


時々散歩で遅くなるとお月様が見えて綺麗

 

ちなみに、チャカは1984年から存在する難民居住地なので、長年国際機関やNGOなど多数の団体が支援に入っていて、日本のNGOも実はプロジェクトを実施しています。日本人スタッフはチャカには常駐していないけど、日本の団体がウガンダの僻地に入って難民支援を行なっていることを知ると、やっぱり嬉しいですね。

多数の支援団体のボードがある

日本のNGO、ピースウィンズジャパン(PWJ)が建設した難民居住地にある小学校のトイレ。




























ちなみに、コンゴ民から一緒に引っ越してきた愛猫サミラもとても元気にやってます。前任地のブニアからはとっても長旅だったのと、途中で首都カンパラで数日ホテル暮らしだったこともあって、かなり精神的にも負担になっていたとは思うのですが、チャカに着いてから1週間ほどで慣れて、宿舎の敷地内ならば外に出しても自由に遊べるほどまでになりました。今ではほぼ全てのスタッフに存在を知られるほど、みんなに親しまれる猫となってます(笑)。

チャカも日中は結構暑くなるので、またお腹を出した体勢で寝ることが多くなった


平時はウガンダ人スタッフは毎週末ほとんど皆地元に帰るために、事務所の宿舎は閑散とするらしいですが、移動制限があるためにほぼ全員宿舎に残り、毎週末簡単なパーティーがあります。移動制限とかは不便なので早く終わって欲しいけど、他のスタッフと交流するには新米の私にはこのような機会は絶好のチャンスなので、ピンチをチャンスとして活用してます。

こんな感じでボチボチやっております。今のところ、田舎で不便な面もありますが、幸いとてもいい同僚たちに恵まれて、元気にやってます。

2021/06/20

ブニアでの任務を終えて / End of my assignment in Bunia

前回の投稿を見ると去年の10月に愛猫サミラをスーダンからコンゴ民へ連れてきた投稿が最後になって、それ以来ずっと更新していないことに気づきました・・・。

その投稿からすると、その次の投稿がブニアでの任期終了となって、え?!って感じですが、2021年5月31日を持って、UNHCRコンゴ民ブニアフィールド事務所での任務を終えて、6月1日より、隣国のウガンダのUNHCR事務所で働くことになりました。

元々ブニアのポストは、ブニアがあるイツリ州における国内避難民を迅速に支援するために緊急派遣の枠として作られたポストで、当初の契約は1年、そして予算とニーズがあれば2年目まで延長が可能というポストでした。2年目の延長も実は事務所から打診されてOKしたのですが、あまりにもその延長手続きが時間かかり、その間に延長の話が出る前から応募していた他のポスト(今回合格したウガンダのを含む)の選考審査がどんどん進んで、3月末にウガンダのポストの合格発表の通知が来てビックリしたのです(笑)。別の合格したからにはブニアの延長の話は自動的にキャンセルになるので、契約が終わる5月末をもってブニア事務所での任務を終えるということになりました。

この投稿ではブニアでの生活当初は記事を投稿していたのに、その後の生活や仕事に関してはほとんどアップしてなかったので、1年間のブニアでの勤務を通して気づいたことや感じたことをここでまとめたいと思います。


【生活面】

ブニアでは、UNHCRとか国連の寮ではなくて普通に借家に住めたので、事務所から徒歩10分ほどの街の中心地からわりと近い家に住んでた。寝室三つあって各部屋にトイレ・シャワー付きでそこそこ広かったけど、ブニアの街全体で頻繁に停電があることから、停電中によく冷蔵庫の中の食べ物が悪くなって、それを大丈夫だろうと甘くみて食べたらお腹痛くなって1週間以上体調壊したことがあった。電気ない=シャワーの水が温かくならないので、よく水シャワーを浴びることもあった。でも、他同僚2人が同じ建物に住んでて、時々仕事終わった後に家のバルコニーで一緒にお酒飲んだりする事もあって、わりと快適だった。

ブニアは人道支援関係者(国連、NGOなど)から国連平和維持軍(PKO)の人たちがたくさんいる任地だったので、そこそこ外国人も多く、中でも特にネパール軍のPKOの人たちとは仲良くなって、よく彼らのベースにお呼ばれされては、ネパール料理やお酒を振る舞ってもらった。同じアジア人ってこともあって親近感あるし、うちのお手伝いさんが作るコンゴ料理に飽きた時とかは特にネパール料理が美味しく感じた(笑)。本当に頻繁にパーティーとか食事会に呼んでくれて、他の国からの人とも会って交流する機会を提供してくれて、おそらく彼らがブニアにいなかったら、私のブニア生活は到底つまらないまま終わっていたと思う。

ただ、どこの社交場に行っても大体会うメンバーは同じなので、ちょっと飽きるという部分はあるかも。

あとはうちの近くに平和維持軍のためのバーがあって、国連関係者なら誰でも入れて、そこでは定期的にカラオケ・ナイトがあったり、ビリヤードで遊べるところがあったり、アジア風の料理が食べられたりしたので、それは本当に助かった。やっぱりアジア系の食事、食べたくなる。。。

結果、ブニアは思ったよりも生活面では悪くなかったかなと思う。ただ、これが2年間ずっと滞在しないといけないとなると、ちょっとそれは覚悟が必要かなー、、とは思う。そういう意味では、2年目の延長が最終確定する前に、ウガンダのポストに引っこ抜かれてそれはそれでよかったのかなと思う。


【仕事面】

ブニアはコンゴ民東部のイツリ州にあって、同州には2020年後半時点で約170万人の国内避難民がいると言われていた。UNHCRブニアフィールド事務所はこれら国内避難民の保護及び支援をすることが仕事で、その中でも私の業務は准プログラムオフィサーという仕事で、主に支援のために必要な予算の割振、計画、そして実施状況のモニタリングをリードすることだった。小さな事務所でスタッフは合計約13〜14人、うち国際スタッフは約6人〜7人で、コードジボワール、アルジェリア、フランス、カメルーン、チャド、ドイツ/スイス、そして日本(私)だった。


イツリ州を含むコンゴ民東部というのは、長年紛争が続き、現在でも民族間の争いや土地・資源を争った暴力(殺人、レイプ、誘拐など)が頻繁に起きている。なので、出張でフィールドに行くときは常に現地のセキュリティ状況を確認した上で出張に行く。でも出張中に、近くで武装勢力がコンゴ民軍の基地を襲い銃撃戦が起こって、近くの町で治るまでは退避し、結局状況が改善しなかったので、ブニアに引き返して出張をキャンセルせざるを得ないこともあった。

そしてインフラ整備が整っておらず、道はブニア町中でも中心地を走る目抜き通りのみが舗装されていて、その他の道は舗装されていない。なのでもちろんブニア郊外の道は全て舗装されておらず、フィールドに出張に行く時は数時間悪路を走ることになる。特に雨が降った後は泥だらけとなり、タンクローリーや物資を運ぶトラックが道でスリップ、横転し、道を塞いでしまい、その前後に車やトラックが長蛇の行列をなし、私も一度悪路に5時間立ち往生となったことがある(結局その日には目的地はもはや、中間地点にも到達できないことがわかったので、ブニアに引き返すことになった)。

雨が降ると泥だらけとなる道


悪路のために横転したガソリン輸送のタンクローリー。
転倒した時にタンクが破損してガソリンが漏れて、周辺住人が漏れたガソリンを汲みにきていた。
私たちが通過した1時間後くらいに爆発したそうで、翌日再び通ったらこんな感じで黒ゴケになってた。。。



























悪路ばっかりなためにどこに行くにも大変なので、200kmくらいの距離でも国連人道航空サービス (UNHAS)が飛行機をいろんなところへ運航していて、出張に行く時や休暇の時などに何度も利用した。小さいものは8人乗り程度の小さなプロペラ機のもある。

8人乗りのプロペラ機





ブニアから40分程度のところ(約200キロ)にあるMahagiという地域の空港の滑走路。
パイロット曰く、数ヶ月前は草が茫々だったそうで、今はこれでもだいぶ良くなったそう・・。
















このような状況の中、フィールドで仕事するのは簡単ではなかったけど、スーダンの首都ハルツームで2年間働いた時は9割以上がデスクワークで、もっと現場に近いところで仕事がしたいこともあってブニアのポストに応募したわけで、今回このポストではかなりフィールドに行く機会があったのはこの仕事での醍醐味の一つだった。プログラムの仕事だけでなく、現金支給支援のフォーカルポイントなども任されたり、小さい事務所だったために他の部署の人ともかなり密で仕事を共にできたことも自分にとってはいい勉強になった。

現金支給の様子

支援している国内避難民 (IDP)居住地の一つ














写真から分かる通り、IDPの住んでいる環境はとても厳しい。UNHCRの予算も限られているために、必要とされる支援を全て届けられるわけでもない。













今回受かったウガンダのポストは、自分がここ3年間UNHCRでやってきたプログラムマネージメントではなくてフィールドというポストになる。プログラムと被る部分もあるけど、フィールドはより現場に出て、支援がきちんと届いているか確認したり、受益者のニーズを把握してそれを支援に反映させることが職務となり、これまでやってきたプログラム業務に含まれる予算管理などからは少し離れる。元々JPOに応募した時から私がやりたかったのは実はプログラムではなくてフィールドや難民保護の仕事だったので、今回フィールドのポストが得られたのは本当にラッキーだった。合格したポストの事務所は、コンゴ民東部からウガンダへ逃れた難民・庇護申請者への支援をしているところなので、おそらく私のコンゴ民での経験が優位に働いだのではないかと思う。このブログのタイトルにもある通り、これが点と点を繋ぐということなのかな。

コンゴ民の自然は本当に豊か



離任する1週間程前の5月22日に、コンゴ民東部ゴマ市内に位置する火山が噴火し、空港が一時的に閉鎖となり、5月31日〜6月1日にゴマ経由でウガンダへ移動する予定だった私の旅程は全部崩れ、2度3度旅程を変更しては、結局ブニア〜アルは国連人道航空サービス(UNHAS)で国内移動して、コンゴ民とウガンダの国境付近にあるアル(コンゴ側)からアルア(ウガンダ側)へ陸路で入国することになった。厄介なのは、このルートの唯一の移動手段であるUNHASは通常猫の乗せることを許可してくれない。最悪、愛猫サミラはブニアにいる同僚にしばらく預ける羽目になるかと思った時期もあったけど、結局ブニア〜アル間で支援物資輸送のためにプロペラ機を運航しているキリスト教系のミッションの飛行機にサミラだけタダで乗せてもらい、アルへそれぞれ別々の飛行機でほぼ同時に移動し、アルの飛行場で合流することになった。最後まで本当に何があるかわからないのが、コンゴ民の醍醐味である(苦笑)。
ブニア〜アルは飛行機だったので、実際は17時間53分もかかってないけど、ルートは上記の通り。ちなみに地図上ではブニアからKyaka(ウガンダの任地)へアルバート湖南部から陸路で移動した方が早いように見えるが、そのあたりは武装勢力が活発に活動するする地域なので、陸路移動は難しい。























【まとめ】

こんな感じで、あっという間に過ぎたブニアでの1年間の任務でしたが、本当に色々と勉強となったし、なかなか他では(色んな意味でも)経験できないような経験をさせてもらいました。ブニアでやっていけたらほぼどこでもやっていけるような気がします(笑)。任期中はさっさとブニアを去りたい!と思う時期もたまーにありましたが、今振り返るとブニアでの経験は本当に貴重です。最初は相当ビビってたけど、このポストにつき、任務を全うした甲斐がありました。

次のウガンダのポストに関しては、また今後の投稿でもっと詳しく書いていきたいと思います!