2020/10/25

サミラのお引っ越し / Samira moves house

以前ブログにも書きましたが、私はスーダンで仕事をしていた2018年に、事務所に住みついて出産までしてしまった雌猫を家に迎え入れることにしました。事務所のセキュリティの人に、「この猫は事務所の猫?名前は?」と聞くと、「うーん、サミラだ」と言っていたので、そのままサミラという名前をつけました。後から知ったことですが、サミラというのはスーダンでは日本で犬にポチと名前をつけるように、猫につける典型的な名前だそうで、猫のサミラという歌があるくらいだそうです(笑)。


そんなサミラですが、私が2020年5月でスーダンでの仕事を終えたあとは、スーダンで同僚の家に一時的に預かってもらい、私が現在の任地コンゴ民のブニアにて落ち着き現地の様子や猫の輸出入の手続きがわかるまではずっとスーダンで預かってもらっていました。そして、現地の様子やスーダンからコンゴ民への輸入手段が分かった頃、R&R休暇のタイミングと合わせてスーダンへ行ってサミラをブニアまで連れてくることに成功しました!

往路のブニア〜ゴマ、ゴマ〜アディス経由〜ハルツームはスムーズで、特に問題なく無事にスーダンに入国することができました。ちなみに、ブニアからきた人間からすると、エチオピア航空の機内食も、ハルツームでの品物やレストランの豊富さに感動するほどでした(笑)。ハルツームでは一応自主隔離をしなければいけないとのこともあって、事務所には行かず、特定の人のみと会ったり、サミラの輸出手続きを進めたり、あとは仕事をする程度でしたが、短い間だったけど久しぶりに友人・同僚とあったり、思わぬところで再びサルサ踊ったり卓球することもできて、リフレッシュすることができました。

復路経路としては、ハルツーム(スーダン)〜アディスアベバ(経由)〜ゴマ(コンゴ民)はエチオピア航空(待ち時間を入れると合計12時間)、そしてゴマ〜ブニアはUNHAS(国連人道支援サービスの飛行機)が動物の輸送の許可をくれなかったために民間機のCongo Airways(飛行時間1時間)を利用。今回これだけの長距離の移動はサミラも初めてだったためにかなり心配で、行きのエコノミークラスがかなり混んでたことも鑑みて、思い切ってハルツーム〜ゴマまでは人生初めてビジネスクラスにアップグレードしました。

飛行機に乗っている間は割と大人しくしていたものの、空港内で歩いて移動する時などは私がケージを背負って歩くために揺れるのがいやなのか、キューン、キューンと鳴いていてかわいそうでした・・・。乗り継ぎの時に一緒にトイレに入って用足しさせようとしても、自分がどこにいるかわからないために不安でトイレの中をキョロキョロして用足しはせずに、12時間ずっとトイレを我慢していました。

ゴマの空港ではあっけないほど輸入するのは簡単で、空港内の税関(らしき)デスクで「猫を持っているんですけど」と猫を見せても、「いいよ、出ていい」と荷物受け取りカウンターの方を指す。指示に従い、荷物受け取りカウンター(カオス)のところに出たら結構すぐに自分のスーツが出てきたのでピックアップし、もうこのまま空港から出れる状態に。でも、何も申告せずに出るのはまずいんでないかと思い、近くにいる空港係員に、「猫を輸入するんですけどどうしたらいいですか?」と聞いたら、やっと担当(らしき)係員が出てきて、狂犬病注射の記録と動物健康証明書・輸入許可証をチラッと確認して、30ドル払って、おしまい(笑)。あっけなさすぎる。。。

途中、週末を過ごしたゴマでは、ペットもOKな湖の真横にあるホテル(ロッジ)に泊まって、普段ブニア(そしてハルツームでも!)では食べれないような美味しいリゾットやワインを飲んで、ちょっとしたリゾート気分を味わうことができました。マッサージも受けることができ、ゴマ最高!って感じでした(笑)。
(※ちなみに、ゴマがある北キブ州(そして私が住むブニアがあるイツリ州も)は、州内で武装勢力が複数活動するために、外務省渡航安全情報ウェブサイトでは危険度4(渡航禁止地域)になっています。でも、ゴマとブニアの町中は現時点では比較的安全です。)

Lac Kivu Lodgeホテルのレストランからの眺め。
見えるのはキブ湖。ゴマのすぐ東はルワンダ。

ホテルの隣にあるお洒落なレストラン・カフェ・バー、Chalet

ホテルのレストランで食べた、
エビのリゾットと白ワイン、美味しかった!

意外なことにコンゴ民産チョコレートも美味しい!

ここのホテルはインテリアも素敵

サミラもここのホテルにご満足の様子

余談だけど、コンゴ民(少なくともブニアやゴマ)では日本の中古車が多く走っており、
町中で結構日本語が書かれた車をみる。
ゴマで見たのは、「高野ふとん店」の車。
住所と電話番号までが残っているので、ここの店電話したらまだ繋がるのかな?笑。
「お宅の車、コンゴ民でまだ使われていますよ」
って言ったらどれだけびっくりするんだろう、笑。

ゴマ〜ブニアに戻る時は、民間機のCongo Airwaysを使ったのだけど、猫の輸送のために追加料金30ドルを払って、無事にサミラを機内に持ち込むことができました。ゴマ〜ブニア間は1時間と飛行時間は短いので、あっという間にブニアに着いたのですが、荷物を受け取るにもカオスで、空港から出るまでに時間がかかりました。無事に家に着き、あと荷物を下ろすだけという時に、どうやらサミラは緊張がマックスに達していたのか、事務所の車の中(ケージの中)でおしっこをしてしまいましたが(汗)、無事にブニアの家に到達することができました!
このケージに入ってお利口さんにしてました。えらい。

家に着いてからも1〜2日は落ち着かなかったけど、一週間近く経ってからはだいぶ慣れてきた様子です。
同僚の家にいた時はずっと屋内にいたので、
ちょっとふくよかになったサミラ

蚊帳に絡まって出れなくなっている・・笑

無事に到着してよかったね〜。よくできました⭐️


2020/08/16

ブニアでの暮らし / Life in Bunia

私の新しい任地、コンゴ民東部にある町ブニアでの生活も、あと数日で1ヶ月が経ちます。

最初は頻繁な停電や家のベッドの大量のダニ問題などもあって若干苦労しましたが、先週末には新しい家に引越し、やっと落ち着いた生活ができそうな気がしてきました。停電はブニア全体のことなので、引っ越しても停電の頻度は変わりませんが、最近じゃむしろ家で数時間連続で電気があれば珍しいと思ってくるようになりました(苦笑)。

新居の建物の屋上に行くと、ブニア郊外まで見渡せる


ただ、仕事はすごく忙しく、ただでさえ忙しい時期なのに、いきなり首都のカントリーオフィスやDRC東部を管轄するサブオフィスから全く予告なしに、「至急!●●に関する報告書、明日までに提出求む!」、「今日の17時までにXXを至急提出するように!」(そしてそのメールが送信された時間見ると、同日14時(怒!)みたいなメールが立て続けにきたりして、その度に上司と相談して、大急ぎでうちの事務所のインプットを書き上げ、依頼主の同僚に提出するといったことがここ2週間で何度もありました。。。


そんなバタバタな中、ここ1週間でブニア近郊にある国内避難民(IDP)の居住地区三箇所に急遽視察に行くことができました。ブニアがあるイツリ州は、以前から民族間の争いによる暴力が続き、また反政府武装勢力とコンゴ民政府軍の間での暴力などもあり、国内避難民(IDP)が県内だけで170万人程います。暴力が続くイツリ州北部から主に逃れてきた避難民たちは、ブニア周辺やその他の村の土地に自ら藁や土を使って畳4畳ほどもない小さな丸い小屋を作り、そこで1家族平均5人が暮らしています(少ないところは2人、多いところは8人ほど)。


私が今回訪問した3箇所では、一つ目は約4000人が、二つ目は約13000人、そして三つ目は約3000人が住んでいるとのことでした。特に二つ目のところはブニア中心地からもそこまで離れておらず、家と家の間がかなり密集していて、子どもたちは泥だらけの中靴も履かず走り回り、生活環境は最悪でした。ここにいる人たちは既に2年間ほどそこで住んでいると同僚が言っていました。三つ目のところは、2019年秋ごろに移動してきた避難民が住んでおり、まだ藁と土壁の家を作る前の段階で、UNHCRのロゴが入った、よく難民キャンプで見るビニールシートでできた簡易的な緊急シェルターの家が区画通りに並んでいました。

1箇所目の居住地区。中央の建物は、避難民コミュニティの管理所。
2箇所目と3箇所目のところはあまりにも環境が酷かったのと、
夕暮れ時で薄暗くなっていたので写真は撮れませんでした。


COVID-19の予防対策の一環で、コミュニティに簡易手洗い用バケツと石鹸を配布


同僚たちは、みんな難民キャンプの方がよっぽど居住環境がいいと口を揃えていうくらい、ブニア周辺のIDPの居住地というのは酷いものでした。


スーダンのハルツーム事務所で勤務していた時は、過去のブログにも書いた通り現場に行く機会が少なく、難民や国内避難民の人たちがどういった環境で生活をしているかがなかなか想像しにくかったのですが、「百聞は一見に如かず」という通り、やはり自分の目で現場の様子を見るのはとても大事だと思いました。

自分の職務の性質上、プロジェクトの予算管理や進捗状況の報告など、事務作業だけで追われていっぱいいっぱいになってしまいがちなのですが、現場の視点も持ちながら職務に取り組まないといけませんね。


ちょっと暗い話になってしまったので、最後はちょっとだけ明るい(?)話を。

新居に引越して1週間しか経ってないのですが、どうやら近所にいる野良猫がうちが気になったのか、気づかないうちに2度もドアから家の中に入ってきてました(笑)。わりと人を恐れていない子だったので、撫で撫でして持ち上げてみたら、どうやら授乳中のお母さんなのか、おっぱいが大きくなっていました(体はわりと小さいし細いのでまだ若い猫?)。食べ物が欲しくてうちに入ってきたのかと思われます。


どこにいっても猫には寄ってこられるようで、癒されます❤️。職場以外ではまだ誰とも友達になれてないので、この子とまずは仲良くなろうかな(笑)。ハルツームで同僚の家で今もお留守番している我が子サミラも早く連れてきたいところです🐈。

2020/07/30

ブニア(コンゴ民主共和国)に着任しました! / Reassignment to Bunia (DR Congo)

前回のブログ投稿では、スーダンでの任務を終えて日本に帰国したことをお伝えしましたが、今回は着任したばかりの国、コンゴ民主共和国での最初の1週間の生活をお伝えしようと思います。

ということで、今更ですが、実は今年6月からコンゴ民主共和国の北東部にあるブニアという町にあるUNHCRの事務所の仕事に着任しました。新型コロナルイスの影響で、6月には物理的に着任することができなかったので、6月1日からテレワークで遠隔でスーダンと日本から仕事させてもらってました。7月に入ってやっとコンゴ民への渡航ができそうな目処が立ってきたので、やっと7月22日にブニアに到着することができました。
コンゴ民はアフリカのほぼど真ん中にあって、
アフリカ大陸の中ではアルジェリアに続いて第二番目に国土が広い。


ブニアへの道のりはとっても長く、7月20日夜に日本を出発し、エチオピアのアディスアベバに21日早朝に到着し、その後すぐに国連人道支援サービス(UNHAS)の飛行機でコンゴ民東部の主要都市ゴマへ行き、ゴマで一泊した翌朝22日に、ゴマ〜ブニアの国内線(UNHAS)で1時間の乗り継いだところにあるので、時差のことを鑑みて計算しても、実家(東京)からブニアまでは計3日近くかかったことになります。
ブニアはウガンダとの国境から40kmくらいのところにある

ゴマでブニアに向かうUNHASの飛行機にチェックインする時、事前に申請がないと荷物制限の25kg以上は乗せられないと言われ、そんなこと何も事前に知らせれてなかったので、仕方なく至急必要な荷物25kgのみを優先し、他の荷物(約50kg分)はあとから貨物で送ってもらうことになりました(っていうかそういうことなら事務所から事前に教えて欲しかった)。翌々日には次の便があるからと聞いていたので、まあ二日程度なら我慢できるかと思っていたけど、結局翌々日の便では既に搭乗者の荷物のみでいっぱいで貨物に乗せらえなかったらしく、結局スーツケースが手元に入ったのは、ブニア到着後ほぼ1週間後でした(苦笑)。

今回着任したポストに応募した時は、前回のブログでもちょこっと触れた通りダメもとで応募して、実はあまり受かって欲しくないなって思っていたポストでした(苦笑)。なぜから、他にも受けていたポストよりも大変な環境そうだったし、治安・セキュリティ面などでも諸々不安だったからです。受けた時点で、内部応募者が何人既に応募しているかシステム上で見れるのですが、応募締め切り1時間前の時点で既に20人応募者がいたので、どうせ私なんか合格しないだろうと思っていました。

このポストは、2019年後半からコンゴ民東部で発生している多数の国内避難民(IDP)への支援を緊急で行うために迅速に人材を派遣する、UNHCRのFast Trackと呼ばれる制度の元で募集されたポストで、早く人を採用・派遣したいために、普段の採用試験よりも簡易的です。なので、普通は面接や場合によっては筆記試験などがあるのに、今回はなんと面接も全くなく突然合格発表がきて、そのメールがきた時にあまりにもビビったのと不安で、しばらくの間体がずっと震えていたのを覚えています。Fast Trackは合格者決定後原則2週間以内に着任しないといけないというルールもあって、飼っている猫のことはどうしようとか色々考えてしまい、その日の晩も不安でろくに眠れなかったのですが、既にコンゴ民にいる知り合いが3人いることがわかって、その人たちに情報収集のために連絡したところ、意外とブニアはコンゴ民のスタンダードでは悪くないということで(笑)、少しは安心したのでした・・・。

しかしコロナの影響で、着任は合格発表後2週間どころか数ヶ月後になり、その間に少しは心や引越しなどの準備をすることができたのはちょっと救いでした。


さて、ブニアに到着してちょうど1週間経つので、現地の様子も少しお伝えしようと思います。

ブニアはWikipediaによると36万人ほどの人口だそうですが、町の中心地の商業施設は限られていて、国道27号線に沿ってお店が0.5km程並んでいる程度で、裏道にも露天や店は並んでいるけど、売っている物はかなり限られてます。道も舗装されいてるのは、国道のみで、UNHCR事務所がある道も舗装されていません。
ブニア事務所はこちら→

事務所入り口

ブニアの町並み
普段はかなりたくさんバイクが走ってる
(タクシーとして)


週末には1人で町の中を歩いて家に必要な物を買い出しに行ったりできます。町の人はフレンドリーで、Bonjourと声をかけてくる人、アジア系女性を珍しがってジロジロ見てくる人や、「シノワ(仏語で中国人という意味)」と言ってくる人もよくいますが、まあそれはこれまでにもよくあったことなのでスルーしてます。コロナの影響でアジア人=ウイルス持っている、と勘違いされるのではないかという不安もありますが、今のところ何か嫌な思いをする扱いは受けていません。

町の規模から言って、協力隊時代に2年間住んでいたモロッコ南東部のグルミマに似ているなーと思いながら、町を散策してます。余談ですが、今日町を歩いてたら、明日の羊の犠牲祭に備えて包丁を探すモロッコ人の平和維持軍の人たちに会いました。久しぶりに懐かしいダリジャ(アラビア語モロッコ方言)が聞こえてきたので、思わずダリジャで話しかけたらびっくりしてました。今住んでるところの隣人もモロッコ人だし、どこにいってもモロッコとは縁があります、笑。

2020年6月までいたスーダンでは、街中でお酒を売っていることは絶対になかったし飲酒も禁止されていたので、町中の小さなお店でも簡単にビールやその他アルコールが手に入ることが新鮮です!笑
コンゴ民のビール
あまり苦味がなくて飲みやすい!
ビールの瓶を返しに店に戻ったら、
店にいた警察に、
「俺にもビール買ってくれ、買うお金がないんだ」
と言われたので、
「あなたの仕事は市民を守ることでしょう。
お酒で酔っ払っていたらその仕事は務まらないでしょう」
と言い返した。

ブニアでは、ハルツームと同じあるいはそれ以上によく停電があり、今住んでいる家には、どの部屋にもスイッチが二つあります。一つは普通の電気スイッチ、そしてもう一つは前者(電流)が停電した時に太陽光で蓄電しておいた電気を使うスイッチです。ただ、太陽光で蓄電した電気の方は普通の電気程明るなくて(電球が悪いのか?)、今も停電中なのですごく薄暗い部屋でブログ書いてます。日本から持ってきた、PCにUSBで繋げるポケットライトを持ってきていたのが大活躍です!

ちなみに昨日の晩から電流があるうちにと思って、電流コンセントのところにアダプターを介してPC、携帯、ポケットwifiをチャージしていたのですが、今朝突然電流が走るかのようにピカッと光って、すごい焦げ臭いにおいがしてきました。急いでコンセントからアダプターを外したんですが、まだ日本から持ってきて1週間しか使ってなかった新品のマルチソケットアダプター(USB4つとC-typeのケーブルが挿せて、違うコンセントの形でも使えるやつ)が早速壊れてしまいました(涙・・・)。スーダンでも、以前同じやつ使ってたら雨の日にコンセントから水が出てきて壊れたんだよな。。。日本じゃ絶対にありえないことが起こるのがアフリカ。。。。
住んでる家がある集合住宅。
一見良さそうに見えるけど、結構不便なこと多し。


電気がこれだけ不安定なので、もちろん洗濯機なんか使えないし、冷蔵庫の中の物も長持ちしないので、色々不便です。スーダンでは家の掃除だけお手伝いさんにやってもらってたけど、ここでは家の掃除以外にも、調理と洗濯(手洗い)も毎日やってもらわないと自分の手では到底できないです。その他家電(レンジとか電気ポットとか)も普通に使えないので、お湯や食べ物を温めるとかも全部鍋を使ってガスコンロで火にかけるといった具合です。

あと一点気づいたのが、こちらの(洗濯用)石鹸はなぜか青い!お手伝いさんが買ってきた固形石鹸(最初は棒かと思った、笑)は真っ青だし(この石鹸、意外とシミ抜きに効果的!)、パウダーの洗濯用石鹸も中を開けてみたら真っ青だった・・・!白い服が全部青くなるんじゃないかと不安だったけど、どうやら大丈夫みたいです。。。

夜は停電になると道路も真っ暗になるので、事務所での残業はせずに日が出ているうちに歩いて帰るか、事務所の運転手に家まで送ってもらってます。車の免許があればもう少し自由に動けるようになるので、機会があれば免許取ろうか検討中です。

気候は一年中通して15~30度程度で、現在は毎日23度〜25度程度。かなり暑い季節(40〜45度)が半年以上続くハルツームよりは大分過ごしやすいですが、時々あのカラッと晴れたハルツームの陽気が恋しくなります。

とりあえず1週間はこんな感じでした。任期が終わる来年5月末までこんな感じでやっていけるのか若干不安ですが(笑)、まあ無理はせずにボチボチやっていこうと思います。


2020/06/13

スーダン🇸🇩での任務を終えました / Finished my assignment in Sudan 🇸🇩

半年ぶりのブログ更新ですが、5月31日でUNHCRスーダン事務所での任務を終えて、6月8日にはスーダンを出国しました。

2018年4月にJPOとしてUNHCRスーダンの首都ハルツーム事務所に着任して、あっという間に2年間が経ちました。最初一年はわりと順調に始まり、職場での上司や同僚にも恵まれて、楽しい思い出がほとんどなんですが、2年目になる頃からスーダンの情勢が不安定となり、2018年12月末に始まったパンの価格高騰から始まった反政府の大規模デモ、そして翌年19年4月の元バシール大統領の退陣とその後に発足した暫定政府、そして同年6月にはハルツームでも100人以上が犠牲になったとされる市民に対する治安の悪化(銃撃や棒で殴るなどの暴力や怪我をしたデモ参加者の治療を行う医療従事者に対する暴力やレイプなど。うちの近くでも銃声が何度か聞こえた)に伴った突然の国外退避(これに関しては過去のブログ投稿にも書いているので詳細はそちらを参照)などがありました。隣国エチオピアに1ヶ月退避して、やっとハルツームに帰れたのは7月。帰った後くらいから部署内の人事の変化などから新しい役割も与えられて、特に2019年10月から2020年3月頃までは、仕事以外あまり何やってたか記憶にないくらいに忙しかったですね(笑)。

実は2019年11月にハルツーム事務所のスタッフアソシエーション(スタッフ組合みたいな感じ?)の役員選挙に出馬するように同僚からノミネートを受け、まあ役員の一員くらいならいっか、と軽い思いで返事したら、なんと選挙で最大多数の投票を受けて、会長になってしまいました(笑)。まあボチボチやればいっか、と思っていたら、その直後に難民高等弁務官補佐などVIPのスーダン訪問や、2020年3月には難民高等弁務官のスーダン訪問などがあり、全スタッフを代表してスタッフの声(人事や福利厚生に関して伝えたいこと)を述べるなどの大役(?)がまわってきて、かなり大変な時期もありました。

そんな中で、スーダン(というか99%程度はハルツームにしかいなかった)での2年間では、学びが多く、UNHCRスタッフとして初めて働いたところだったので、やり方とかも最初は全くわかりませんでしたが、同僚や上司のおかげで色々と経験させてもらいました。本当はダルフールや白ナイル州、コルドファン州など、自分が担当していた地域にもっと出張行きたかったんですが、残念ながら2年間で一度しか地方への出張いけず、これに関しては悔しかったですね(本当はその他ダルフールと白ナイル州への出張機会があったのだが、ちょうど移動許可証の更新時期で、革命直後の政府機関は半分機能していなくて、更新が間に合わなかったので、同僚のみ出張に行った、という。。。涙)。ということで、ほとんど現場の仕事を味わていなかったので、唯一現場っぽい仕事に参加させてもらったのは、ハルツーム郊外にあるOpen Areaと呼ばれる南スーダン難民が自主的に集まって住み込んでいる地域で行われた物資配布のみでした。1日だけだったけど、直接難民の方々に物資を配布したり、難民登録の作業を手伝わせてもらえて、普段のデスクワークだけではわからなかったことを、現場の状況を見ることによって初めてより理解することができたので、やっぱり現場に行って自分の目で現場の状況を確認したり、難民の方々と接するのは大事だなと思いました。
物資をトラックから下ろす人たちに指示を出す
UNHCR物資担当のスタッフ

2019年後半からは、JPOの任期が残すところあと半年ということもあってその後にUNHCRに残るために正規職員のポストに応募を始めたんですが、その数ヶ月間は何にも音沙汰なく、(仕方なく)ダメ元で2020年1月にとあるUNHCRの緊急支援のポストに応募したら、なんと2月には合格結果通知がきて(!)、ショックを受けたのでした(詳細はこのあとの投稿に書きます)。

なのでJPOの2年目が終わる4月には新しいポストに着任できるように準備進めてたんですが、新型コロナの影響でスーダンは3月中旬から国境封鎖、そして自宅からのテレワークが始まり、新しいポストに着任するのも難しくなり、とりあえず着任できるようになるまで一時的に2ヶ月間UNHCRスーダン事務所で短期雇用スタッフとして延長することになったのでした。

このテレワークの間、私が2018年11月に養子に迎えた愛猫サミラ(元々事務所にいた野良猫)とは更に仲良くなり、朝起きると私の髪の毛の中で寝ているなど、面白い写真やエピソードがたくさん増えました(笑)。
おすましサミラ

イナバウアー並に沿って寝ている

テレワーク中、よく邪魔しにきた

サミラの好きな寝る格好
よくお腹丸出しで寝てる

こちらもお腹丸出し、笑


でも正規職員のポストが決まっているのにいつまでもハルツーム事務所で短期雇用で仕事を続けるわけにもいかないので、6月1日からテレワークで新しい事務所の仕事を始め、新しい上司の合意を得て、ハルツームからでなく日本からテレワークをさせてもらうことになったので、無事にスーダンを出発して日本に一時帰国することになりました。
スーダン国内移動でもよく使われている
WFPの人道支援サービスの飛行機(UNHAS)。
これに乗って国内出張行くことに若干憧れていたけど、
結局それは今回は最後まで叶わず。
まさか出国する時に乗ることになるとは。。。

ハルツームらしい色と風景。砂っぽい。笑。ちなみに、この日の午後、ハブーブ(砂嵐)だったらしい。

2年間いたところをいざ去るとなると、寂しい・・・。
奥に見えるのは雄大なナイル川

コロナの影響で、お世話になったスタッフなどにもちゃんと挨拶できずに離任するのは残念でしたが、スーダン人やその他同僚などの暖かいサポートがあったからこそ、スーダンでの任期を無事に終えられたのだと思います。

ナイル川の水を飲んだ者はナイルへまた戻る、というような言い伝えがあるそうで、実際にスーダンにいた外国人の多くがスーダンへそのあとも戻ってきているので、私もナイルの水は飲んだかわからないけど、また戻れることを祈っています!

شكرا السودان

2020/01/18

マダガスカルへ行ってきました!/ Trip to Madagascar

少し遅くなりましたが、2020年明けましておめでとうございます!

通常はいつも年末年始は日本に一時帰国するのですが、今回は2019年9月に一時帰国したこともあって、年末年始は友人と一緒にマダガスカルへ旅行することにしました。

マダガスカルは以前から行ってみたいと思っていたので、今回旅行に誘ってくれたMさんに感謝。そして彼女のお友達がマダガスカルで協力隊員をやっていることもあって、現地のことに精通する彼女が旅程の全てに同行してくれて、とても助かりました。

ずっと見てみたかったバオバブの木や、野生のキツネザルを見たり、それから予想外だった美味しいマダガスカルのご飯など、色々感動させてもらいました。言葉で言ってもあまり伝わらないので、写真で一気にアップします。

今回行ったのは、首都のアンタナナリボ、アンチラベ(隊員が活動する町の一つ、首都から車で3〜4時間程)とムルンダバ(西海岸のバオバブで有名な町)の三箇所のみでしたが(何しろ国が広い!)、10日間で十分楽しませてもらいました。今回は全く行けなかった海がとても綺麗な地域なども次に機会があれば行きたいところです。





明け方のバオバブ街道
「愛し合うバオバブ」
(二つの幹が絡まり合っているところから名付けられたそう)































浅瀬で取れたカニを運ぶ人たち(砂にタイヤがはまってなかなか進まず一苦労。。。)


ココナッツ売りのおじさんが担いでたココナッツ。
その場で割って中のジュースを飲める。

お米が主食のせいか、稲作をたくさんしていて、風景が日本と少し似ている部分があった


スーダンから来たうちら(私とMさん)が大喜びした、
マダガスカルの長崎ちゃんぽん(と、私たちは勝手に呼んでいた)の
"Tamatave"。
ワンタンやパクチー、豚肉などが入ってて、美味しかったので、
元旦の一食目からこれ食べてた(笑)。