2013/07/25

ラマダン折り返し地点! Halfway through Ramadan!

7月10日にスタートし、30日間続くラマダン(イスラム教徒が日の出〜日没まで飲食を絶つイスラム暦の月)ですが、今日で15日目、つまり折り返し地点に来ました!

これまでに、毎日日中は屋外気温が42〜45度、日中室内温度は35〜37度くらいまで上がるくらい、グルミマでは過酷な夏が続いてますが、一応そんな中で、私も現地のイスラム教徒たちに混じって、ラマダンを続けてます!
私の部屋の温度計。
午後6時過ぎだというのに、室内温度は38.7度!

ラマダン中は活動も1日1時間半〜3時間と普段よりも少ないために、日中飲食を絶つのはしんどいのですが、なんとかこの気候の中継続できてます!体調も今のところ崩してません!健康に育ててくれた親に感謝ですね!

しかし、やはり夏のラマダンはキツいです。日中食事ができないのはまだいいとしても、水を飲めないのは本当にしんどいです・・・。現在活動先で週に3回英語を教えているのですが、授業ではしゃべる機会が多いために終わった後は喉カラカラ・・・。

ラマダン開始から今までの15日間、14の異なるモロッコ人家庭にてルフトールを頂きました(ちなみにこれは私1人の人脈じゃなくって、近くに住むピースコー(青年海外協力隊の米国版)のボランティアの人脈もあってできています)。こうやって、現地の人と一緒に断食して、一緒に日没時のアザーン(お祈りへ来いよ〜の呼びかけの声)を聞き、一緒にルフトールを迎える、というのはモロッコ人と気持ちを共にして交流したり、彼らの文化や生活習慣を理解する良い機会になります。

ただ、フランス語も英語も通じなく、アラビア語とベルベル語しか通じない家庭にお世話になる時は、会話についていけなくて、質問されても何言っているかわからなかったりするので、ちょっと疲れたりもします・・・。
今まで頂いたルフトールはこんな感じで外で食べることが多かった。
日没後は外の方が涼しいし、天気が良いと月が見えて、
月明かりに照らされて食事ができるのはなんだか素敵!
こんな大自然に囲まれながら屋外で頂いたルフトールも。

ルフトールはいつも食事が食べられる時間(つまり日没時)の30分程前にお宅に行っているので、準備の段階から見ることはあまりなかったのですが、2回程活動先のベルベル人集落にて準備の段階から見学させてもらうことがありました。

女性たちは午前中に家事や農業などの仕事を終えて、お昼のお祈りを済ませたあとは一旦お昼寝をします。何しろ午後は暑くって、お腹空くし、喉の乾きもMAXになるから、寝た方が一番楽なのです。そして、午後4時頃に起きてルフトールの準備をし始めます。

ルフトールには必ずと言っていい程パンが出てきますが、田舎の家庭ではこのパンを小麦粉を使って練るところから始めます。そして庭にある石窯で、枯れたヤシの木の葉っぱを燃やしてパンを焼きます。


あと、色んな家庭に行って気づいたのは、羊を飼っている家庭が多いこと!羊に加えてヤギとかウサギを飼っている家庭もありました。


ちなみに今日お世話になった家庭では、アラブ音楽で代表的な「ウード」という弦楽器と「ダラブッカ」という打楽器が置いてあり、息子さん2人が見事な楽器のコラボレーションを見せてくれました!ベリーダンスを通してアラブ音楽が好きになったので、ベリーダンスの音楽でもよく使われるウードとダラブッカの楽器のコラボレーションが聞けて良かったです!


私もちょっと楽器に触らせてもらいましたが、なかなか難しい!やっぱり上手に弾けるようになるまでは何事にも時間がかかりますね。


では、残すところあと15日のラマダンですが、引き続き頑張って最後まで断食を達成したいと思います!

2013/07/19

織物 / Textile

連日暑い日が続いてるグルミマです。
昨日の夜の室内温度はなんと37度。。。汗が止まりません。

引き続きラマダン中なので、毎日日の出から日没までは飲食を絶っています。
多少お腹が空くくらいなら我慢できますが、内陸乾燥地帯のグルミマで、
水を飲むこともできないのは正直辛いです。
まあ無理のない程度に頑張ってます。

そんな中、週末にピースコーボランティアのホストマザーが織物を作っていることを聞きつけ、製作の様子を見学させてもらうことができました。

場所は、グルミマ中心地から少し離れたところにある、一見閑静な新興住宅街。

私のイメージでは、「織物を製作している=田舎の集落の家の片隅」みたいな勝手な偏見があったので、こんな住宅街のどこで織物を作っているんだろう・・・?って思っちゃいました。

作業していたのはまさにこの住宅街の一軒のお家の中でした。
でも、玄関を入るとなんだか動物の匂いが・・・。
何かと思ったら、まず玄関を入ってすぐ左側の部屋に羊の毛が大量に・・・!

奥に進むと1階は普通に家族が住むためのスペース(リビングやキッチンなど)がありました。

2階に進むと、今度は階段のあたりから少しずつ土やら草やらが見えてきました・・・。
2階はどうやら作業スペースに使っているようで、動物に与えるような草などの餌らしきものが一室に大量に置いてあったり、刈った羊の毛が置いてあったりしました。

その奥に、やっと織物を作る部屋を発見!ピースコーボランティアのホストマザーと、このお家の住人であるAICHAという女性が、共同で織物の作業を行ってました!

作っていたのは、ジェラバというモロッコ人が日常生活で着るワンピースのような衣服の生地。一本一本の糸が本当に細いので、大きな生地を織るにはすごく時間のかかる作業!

私たちは3時間くらい滞在して、その間に写真の2人の女性たちはずっと作業してましたが、多分進んだのは3cmくらい・・・。本当に気が遠くなる作業だ〜・・・。

女性たちはこの他にも、ラグやブランケットを作ったりしているようで、色々完成した作品を見せてくれました。


そして、この家の屋上に案内してもらうことに。
3階にある屋上へ行くための階段には、何やら干し草がたくさん並べられている・・・。

屋上へたどり着くと、「メエ〜〜〜」という鳴き声と共に、羊の群れが!!
なんと、この家の屋上で羊を飼っていたのです!



これらの羊は、毛を刈って毛を紡いで毛糸を作り、織物の糸として使ったりするそうですが、その他大人の羊は食用としてスーク(市場)で売られたり、ライードというイスラム教の羊の犠牲祭で使われたりするそうです・・・。

この家を去った後には、あまりにも暑かったので、グルミマ某所にある個人宅のプールにて泳がせてもらいました!(まさかグルミマで泳ぐ機会があるとは思ってもいませんでしたが!)

何しろ汗が止まらない程暑かったので、冷たいプールに入れて快適でした〜☆


2013/07/16

ラマダン経過報告① / Update on Ramadan (1)

ラマダンが開始してから今日で6日目です。

今のところ、毎日日没から日の出まで飲食を絶つことに成功してます!

ラマダン中は通常、日没と同時にモスクからアザーン(お祈りに来いよ〜の呼びかけの声)が聞こえてきて、それと同時に家族で日没後初の食事をします。この食事をモロッコでは、「ルフトール」または「フトール」と呼びます。ちなみに現在モロッコの日没時間は大体夜7時35分です。

通常ルフトールは家族皆で食卓を囲んで食べるので、これを1人で食べるのはちょっと寂しいことです。日本人にとってはお正月のおせち料理を1人で食べるような寂しさと同じなのかもしれません。

そうしたら、ラマダン初日はグルミマに住むピースコー(青年海外協力隊の米国版)のボランティアが、彼らのホストファミリーのところに招待してくれて、モロッコ人家庭にてこのルフトールを食べることができました。

そんな調子で、実はラマダンが始まってから今日まで、このルフトールを毎日異なるモロッコ人家庭で頂いてます!ピースコーのボランティの知り合いのところに行ったり、私の知り合いのモロッコ人のところに行ったりして、おかげで現在これまでに6つの家庭にてルフトールを頂きました!このままいけば、ラマダン30日間全部モロッコ人家庭にてルフトールを迎えることができるか?!
典型的なルフトール:牛乳、ジュース、ナツメヤシ、パン(ホブス)、
ゆで卵、シュバキア(甘いお菓子の一種)、ハリラ(トマトスープ)など


グルミマは夏場毎日40度近くまで気温が上がり、内陸乾燥地帯なので、湿度もほとんどありません。そんな中で飲食を絶つのは正直辛いです。活動中も何度も水を飲みたくなることがあります。

でも、断食をしたあとにモロッコ人と一緒に迎えるルフトールは何ともいえないのです!達成感があるというか、水や食べ物のありがたさを改めて感じることができるというか・・・。それに、毎回ルフトールをモロッコ人家庭で頂くのは良い関係作りにもなるから、ずっとアラビア語で会話をするのはちょっとしんどいけど、これも良い経験だと思ってやってます。

「やっと食べれるように/飲めるようになった!」と思って毎回ルフトールを食べるのですが、胃が小さくなったようであまり食べ物・飲み物が胃に入りません。最近じゃ、ろくに食べてないのにすぐにお腹いっぱいになっちゃいます。

ルフトールの後は、夜9時のお祈りまでまったりして、現地の人たちは夜9時のお祈りでモスクに行きます。

ラマダン初日は、近くのモスクに行って様子を伺ってみました。そうしたら、いつもよりも人がたくさん集まって来て、モスクには人が入りきらず(それとも暑さ対策のために中には人をいれなかったのか?)、モスクの外の広場に人が溢れていました。
グルミマ中心地のモスクのお祈りの様子

お祈りの後、大体夜10時頃から再び商店がオープンします。そしてその頃には町の中心地の公園には、大人も子どももたくさん集まって来て、屋台も出たりして、ちょっとお祭りみたいな感じになります。

そして、真夜中くらいに商店は店じまいし、みんな一旦家に寝に帰るようです。または夜中起きている家庭もあるようです。そして、大体早朝3時半頃には日の出前の最後の食事をして、お祈りをして、その後に寝ます。再び起きるのは人にもよりますが、みんな大体午前中〜午後早い時間まで働いて、午後〜夕方はお昼寝をしているようです。

普段、私は日の出前の最後の食事は家で1人でひっそりと食べているのですが(主に野菜、ご飯、ジュースなど)、今朝は目覚ましをセットするのを忘れてしまい、起きたらもう早朝5時くらいでした・・・。「しまったー、やってしまったー!!!」と思って、水を一杯飲んで(←多分ムスリムからしたら、これは日の出後の時間帯だから、本当はアウト)、それでまた寝ました。でもそのせいで私は前夜に食べたルフトール以降、今日のルフトールまで飲食をしなかったことになるので(早朝の水一杯以外は・・・)、いつも以上にやたらと喉が乾きました。。。

今日は普段活動しに行っているグルミマ郊外の集落にて、ルフトールを頂きました〜。家に帰って来たら、同じアパートに最近引っ越して来た若い新婚夫婦の奥さんが、「今日AICHA(私のアラビア語名)を招待しようと思ってドアをノックしたのにいなかったわ。今度うちにルフトール食べにいらっしゃい〜」って言ってくれました。

こんな感じで、これからもホスピタリティーいっぱいのモロッコ人に毎日ルフトールを頂くことになりそうです〜☆ シュクラン!

2013/07/11

トドラ渓谷再び! / Todra Gorges once more!

1ヶ月程前に、活動先の女性団体の女性たちが作る手芸品の販路開拓のために、先輩隊員とトドラ渓谷という場所に行きました。(前回行ったときの記事はこちら。)

今回は女性団体にて識字教育を受けて来た女性たちが、18ヶ月のコースを終了したお祝い(?)も兼ねて、女性たちと一緒にトドラ渓谷に行く機会がありました。

役員も含めて約60人くらいの人たちが参加したので、普段学校がある時に運営している、村と学校を巡回しているスクールバス2台を貸し切って行きました。

朝6時半に集合して出発と聞いていたので、普段以上に早起きしたのですが、どうせバスの中で眠れるからいいや〜と楽観的な考えでいました。

・・・でも、それは甘かった・・・。

なぜなら、スクールバスは私が乗ろうとした時点で、もう席がいっぱい・・・。それどころか、座席の間にある通路に、児童用の小さめの木の椅子が敷き詰められてあり、そこに狭そうに座っている女性たちの姿がありました(おまけに結構年配だったりする)。結局、私は同僚で私とほぼ同い年の女の子と1つの座席をシェアすることになり、キツキツの状態で渓谷へ出発。


っていうか、こんなに満席(というか満席を越えている!)状態なのに、よく私も招待してくれたなあと思ったけど、さすが、ピンチの状態でも臨機応変に対応するモロッコ人たち!前方座席には、本来なら2人用の座席のところに男性役員が3人でキツそうに座ってました。さすがに、行きは1つの座席を2人でシェアしていたために全然眠れませんでした。

グルミマを出発して、1時間くらいしてトドラ渓谷の近くの町のティネリールに到着。ここからトドラ渓谷はさらに山道を奥に14km程進んだところにあります。

途中、川で洗濯をする女性たちの姿が見えました。グルミマでもよく灌漑用の用水路で洗濯をしている女性の姿を見ます。


どんどん山道を上がって行くと、ティネリールの茶褐色の町並みやベルベル人が建てたカスバ(城塞)が見えて来て、いかにもモロッコ南部内陸部らしい風景が印象的でした。


渓谷に着いてからは、まず渓谷入り口の手前にある川の横にて、ピクニックのように屋外にて朝食の準備開始。スクールバスに積んでいたパンやらジャムやら、そしてお茶まで色々出て来て、空腹が満たされました。
お茶のお湯を湧かすためのガスコンロ、
そしてお茶のカップまで持ってきていた!

渓流に足を入れると冷たくって気持ちいい!ちなみにここの渓流はとても水がきれいで、飲んでも全然問題ありません。グルミマの水道水よりも全然美味しいです。


朝食の後は自由時間って感じで、同僚のモロッコ人と一緒にに渓谷の入り口付近までぶらぶらと歩いて、渓谷の涼しい風を感じ、まったりとしました。途中、こんな人の姿まで見ました・・・。↓
ぱっと見、ちょっと怖い・・・。
でも涼しんでいるだけのようだった・・・。




その後は、また川に入って涼しんだり、同僚と会話をしたりしてました。識字教育の先生がやたらと長くイスラム教に関してフランス語で語っていたので、ちょっと疲れちゃいましが、これも現地の女性たちとの関係作りの1つの方法なので、頑張って聞いてました。

お昼は、女性団体から持ち出して来たコンロやバーベキュー用の肉を焼く台(なんて言うんだっけ?)を使って、串刺しの肉を女性たちが手際よく作ってくれました〜。


そして、食後にお茶を飲みながらゆっくりしていたら、雲行きがどんどん怪しくなり、ぽつぽつと雨が降り出した・・・。全然モロッコ人の同僚らは気にせずにおしゃべりを続けている・・・。でもさすがに結構大粒の雨が降り出してきて、ピクニックの道具を片付けて撤収することに。皆がバスに乗り込む頃には土砂降りの雨が降って来て、みんなびしょ濡れになりました。まるで日本の梅雨のような雨の振り方はモロッコでは初めて経験しました。

再び人でぎゅうぎゅうになったスクールバス2台は、ティネリールの町を経由してグルミマへ戻るために出発。だけど、途中ティネリールに戻るための一本道でバスが途中ストップした。どうしたのかなと思って車の窓から外をのぞくと・・・

あ、あれ・・・?なんと一本道を横切るかたちで土砂降りの雨が川となって、道路を封鎖しているではないですか・・・!

来た時は天気がよかったから、何も問題なく通行できたこの道も、雨が降ると雨水が川と化してしまうのね・・・。


ちょっと報道写真家になった気分で急いで車を降りて写真を撮り始めました。周りにいた観光客や現地の人たちも、開き直って川となった道をバックに写真を撮ったりビデオを撮ったりして、撮影会みたいになってました(笑)。

この道はトドラ渓谷からティネリール方面に戻る唯一の道なので、この水が引かないと戻れません。でも、しばらく待っていたら徐々に水が引いてきたので、勇気あるどこかのミニバスの運転手が、まだ多少水が流れいている川を車で横断しました。

無事に横断できたので、次々と他の車も様子をみながら通行し始め、結局うちの団体のスクールバスも、この川を横断することに・・・。


ゆっくりと前の車の様子を見ながら車を進め、無事に川の横断に成功!車内は拍手喝采になるかと思ったら、以外とみんな落ち着いていて、私と他数名の女性だけが拍手していた・・・(笑)。っていうか、勇気あるドライバーさん、30人程の命を預かりながら運転するのはプレッシャーだったでしょうね・・・。安全運転してくれた彼に感謝・・・。

ティネリールの町に下りる途中に、町を一望できる展望台みたいなところがあり、そこで一旦写真ストップ。雨が降った後は町の茶褐色の景色が少し普段とは違って、これはまた綺麗でした。

らくだくんも笑顔☆

そして無事にティネリールの町に着いたと思ったら、今度は同じ川が下流のティネリールの町中でも道路をふさいでいて、またもや渋滞・・・。でも、ここは水が既に浅かったから、わりと簡単に通行できました。

でも、ロバを連れた人やバイクの運転手はさすがにもう少し水が引くまでは渡れなかったようで、道で待っていました。


ティネリール〜グルミマ間は、ぎゅうぎゅう詰めで狭かったけど、バスの通路に置かれた児童用の小さな椅子に座りながら爆睡・・・。途中、隣に座っていた同僚が、通過する町の説明をしてくれたりしたけど、そんなのも半分聞こえない状態で寝てました・・・。

結局グルミマに到着したのは夜の9時近かったのかな。

疲れたけど、良い1日を過ごさせてもらいました☆

※ちなみにこれはラマダン開始の前々日の出来事だったので、日中飲食したりしても平気でした。

2013/07/10

ラマダン開始! / Ramadan started!

今日から、私が住むモロッコではラマダンが始まりました。

ラマダン(ラマダーンとも言う)は、イスラム暦の第9にあたる月のことを指し、この月の間(30日間)は、日の出から日没まで飲食を断つ習慣があります。

イスラム暦は西暦とは異なるために、毎年ラマダンの時期は11日ごとに早まるそうです。今年は、「7月10日頃から始まる」と言われていたけど、結局最終的にいつラマダンが始まるかは、新月の確認をしてから正式にニュースなどで発表されるらしいので、実際には当初発表していた日から1日開始日がずれることもあるそうです。

私もいつラマダンが始まるんだとソワソワしてました・・・。だって、飲食ができなくなるのだから、その前にたらふく飲食しておかないと・・・と思って(笑)。

結局、ラマダン開始日はモロッコでは7月8日の夜にニュースで発表され、7月10日の朝3時半から始まるとのことでした。ちなみに、ラマダン中はモロッコでのサマータイムが一時的に中断され、再び冬時間に戻ります。

モロッコ内陸乾燥地帯に位置するグルミマは、この時期は毎日40度近くまで気温が上がり、湿度もほとんどない程乾燥してます。そんな中、現地のムスリム(イスラム教徒)はどうやって飲食(特に水飲むこと!)を絶つことができるんだ!って本当に思っちゃいます。

ラマダン前に、モロッコ人の友達に「ラマダンで飲食できないのは大変でしょう?」と聞くと、ほとんどの人が、「そんなことないよ。とても美しい(あるいはきれいな)ことなんだよ。」って答えます。本当にこの気候の中、飲食を絶つことが「きれい」と言えるのか?!熱中症とか脱す症状にはならないの???「美しい」とか「きれい」そんな風にラマダンのことを思えるモロッコ人が本当に凄いなと思いました。

でもムスリムの人たちにとっては、ラマダンの月はただ単に飲食を絶つだけではく、この月には他の人に普段以上に親切にしたり、貧しくて食べ物にありつけない人たちに思いを馳せたり、食べ物のありがたさを感じたりする期間でもあるようです。そして日没後には家族と一緒に食事をし、家族のぬくもりを感じたりするので、そういう意味で、「美しい」とか「きれい」とモロッコ人は言っているのかもしれません。

非ムスリムの私たち日本人にとっては、なかなか理解し難い行いかもしれません。
でも、たまたまyoutubeで見つけた映像は、とても分かりやすくラマダンのコンセプトを伝えているなと思ったので、是非ご覧ください。↓


そして、こちらは上のビデオよりもラマダンのコンセプトは分かりにくいかもしれないけど、綺麗なメロディーと映像がオススメなビデオです。↓


私は日頃から現地の人たちと密に活動をしていて、活動時間も彼女たちの生活パターンに合わせて動かしています。普段は活動は午後開始で日没前に終了でしたが、ラマダン中は、皆日没後〜日の出前の時間に食事をするために、日の出後は寝ていることが多いです。なので、私の活動もラマダン中は朝の10時頃から数時間だよ、と今一緒に働いている女性たちに言われました。

私は非ムスリムだから、ラマダンは強制ではないです。だけど、現地の人たちと密に活動している以上、もちろん彼ら彼女たちの前ではラマダン中に飲食はしない方がいいでしょう。でも、この際だから一緒にこのラマダンの「美しさ」を味わうために、実はラマダンをやってみることにしました。

ということで、今朝は日の出の前(大体4時頃)に食事をしました。
とは言っても、何を食べたらいいのかよくわからないから、とりあえず水分を多く含んで栄養的にもよさそうな以下のメニューにしてみました。

●人参とキュウリとトマトのスティック&味噌マヨソースのディップ
●白いご飯と海苔
●生オレンジ&キウイジュース
●水

・・・って日本食じゃん・・・、って感じですね(笑)。

食べた後は少しPCで作業して寝て、お昼頃に起きました。

今夜日没後は、初のラマダン中の「朝食」(つまり通常の時間だと夕食)を食べます。
同じ町に住むピースコーボランティアがホストファミリー宅で食事をするそうで、一緒に行こうと招待してくれました。

今まだ日の出から一切水と食事を口にしてません。
食事はまだいいとしても、水を取らないのは私にとって結構キツいです。

今日はラマダン初日で、みんなこの昼と夜の逆転生活に慣れるためか、活動はお休みですが、明日からは10時頃から自転車に乗って集落の活動先まで行きます。今日は比較的曇りで暑さも控えめだからいいけど、カンカン照りの日は、実際に飲食を絶つことができるかわかりません。

脱水症状や熱中症で倒れてしまっては元も子もないので、無理のない程度に頑張ろうと思います!

また、今後の状況も随時更新していきます〜!

Happy Ramadan!

2013/07/09

サマーキャンプ② 〜カルチャーショック編〜 / Summer Camp (2) - Culture Shocks

現在室内で36度を記録しているグルミマです。

数日前に投稿した記事では、「サマーキャンプ① 〜総集編〜」ということで、キャンプで感じたことなどを全体的に書きましたが、今回は「サマーキャンプ② 〜カルチャーショック〜編」と題して、サマーキャンプで感じたカルチャーショックに焦点を当てて話したいと思います。

今までモロッコに来て、実はそこまで大きなカルチャーショックというのは、深夜の夕食以外くらいだけで、あまりなかったのですが、今回のキャンプでは、普段の活動では見られなかったモロッコの生活習慣や文化を垣間みて、結構なカルチャーショックを受けました。

それでは、私がキャンプにて受けた4大カルチャーショックをお送りします!
【注】これは私がキャンプで体験したことであって、もしかしたらモロッコ全土には当てはまらない部分もあるかもしれないので、あくまでも一個人の経験したカルチャーショックということを念頭に読んでください。

モロッコ4大カルチャーショック@サマーキャンプ 2013
①国歌をやたらと歌う
②やたらに歌って踊る
③聖典「コーラン」の朗読
④修了式はお遊戯会?


①国歌をやたらと歌う
モロッコ人はよく自国の国歌を歌う。キャンプでは毎日、①朝一、②午前中のプログラムが終わるとき、③一日のプログラムが終わるとき、と1日になんと3回も歌っていた

モロッコ国歌は、私が思うに異国情緒漂う短調で堂々としたダイナミックな曲。
この際、是非聞いてみましょう↓



今回このキャンプはピースコーボランティア数人がモロッコ人と協力して行ったために、モロッコ国歌に加えて米国の国歌も歌うことに。ピースコーボランティアたちが堂々と歌っていた。

そして日本のJICAボランティア(=私)もキャンプを手伝っていたために、まさかの日本国歌までも歌うことに・・・!おまけにマイクを渡されて、1人で・・・。

一応歌ったけど、「君が代」に関しては政治的・歴史的にセンシティブな背景もあるし、そもそも国歌をマイクを持って歌うのはカラオケとは違うんだから、さすがにマイクを通して大声で歌うのは勘弁させてもらった。

前述のように、キャンプ中は毎日1日3回国歌斉唱の時間があったから、結局「君が代」も1日に3回も歌う羽目に・・・。こんなに短い間に「君が代」を歌ったのは人生で初めてな気がする。。。

そもそも日本ではモロッコ程に国歌を歌わないし、国歌の持つ歴史的・政治的背景は、日本とモロッコじゃ違うから、モロッコ人にとって自国の国歌を歌うことは普通であっても、日本人の私にとって、こうった場面で日本の国歌を歌うことはなんだか凄く違和感を感じた。


②やたらに歌って踊る
歌は国歌斉唱だけにとどまらない!キャンプ中は歌の時間の方が実際のワークショップの時間を上回るくらいに、空き時間があればひたすらみんなで合唱をしていた!

今回キャンプの参加対象になったのは、グルミマ周辺の集落に住む15歳位〜20代前半の女の子たち約40人。だけど、小学生のキャンプのノリかと思うくらいに時間があればず〜っとマイクを話さずに歌っている!歌のジャンルは私はよく分からないけど、みんな一緒に大声で歌っていたから、日本で言う「かえるの歌」とか「上を向いて歩こう」とか「幸せなら手を叩こう」とかのように、誰もが知っている曲だと思われる。こういった曲を、空いた時間があればエンドレスに歌っていた。
こちらは踊り付きの歌の様子。
こんな感じで永遠と歌と踊りのオンパレードは続く・・・


ちなみにキャンプの1日目はこの歌のオンパレードがあまりにも凄かったために、本来ならば1〜2時間もあれば十分終わるアクティビティも、結局全て終わらせるのに4時間かかったという、このみんなの合唱好きの凄まじさ・・・。カラオケ好きなのは日本人だけじゃなかったのね。。。(ピースボートで言えば、まさにベトナムの青年との大交流コースみたいな感じ!)

キャンプ最終日の前夜に関係者が呼ばれてお茶をしに行った家でも、みんなシラフなのにも関わらず、日本だったらここは宴会会場かと思うくらいに、みんなでまたもや大合唱・・・。
お茶の間でも大合唱!


③聖典「コーラン」の朗読
そんな合唱好きのモロッコ人たちも、イスラム教の聖典「コーラン」の朗読の際は、あっという間に静まり返る。

金曜日はイスラム教徒にとって聖なる日。キャンプ中に一度迎えた金曜日も、プログラムの合間に大合唱していたのにも関わらず、参加者の女の子1人がコーランを鞄から取り出し朗読し始めたら、みんな一気に静まり返って朗読を聞き始めた。

このコーランの朗読の声は本当に綺麗。多くの人がコーランを暗記しているようで、時々朗読者がつっかえたりすると、横から指摘の声が上がったりすることもある。
朗読した女の子が持っていたポケットサイズの聖典「コーラン」。
この文字を読めるのも凄いと思うけど、これをほぼ全部暗記しているのも凄い。


日本だったら、例えば宴会中とかキャンプ中にいきなり宗教的な行いが始めたりしたら、ビックリするだろうけど、モロッコではこういった場面でコーランを朗読することも普通みたい。

今週からラマダン(断食)が始まればもっと実感するんだろうけど、イスラム教がモロッコ人の生活習慣や生き方を大きく左右しているんだなーと思った。


④修了式はお遊戯会?
キャンプ最終日は、全日程に参加した女性たちに修了証書を渡す、いわゆる「修了式」あるいは「閉会式」が行われるということで、午後4時に会場へ向かった。

でも、人はあまり集まっておらず、会場の設営はかろうじて終わっているような状態。修了証書も今から書くっていってモロッコ人とピースコーボランティアがパソコンに向かっていた。う〜ん、なんてゆる〜い状況。。。日本であれば修了証書は会の事前に用意して、会で授与するのに間に合わせるのが当たり前だけど、ここはモロッコ。多分こういったやり方が当たり前になっているのでしょうね。

結局、人が徐々に集まり始めたのが午後5時頃。集まってくる人たちは、参加者のみならず、参加もしていなかった地域住民(主に子ども、女性たち)もたくさんいた。椅子がたりなくなるくらいに人が集まり会場がパンパンになったので、椅子をどんどん足していく。多分最終的には、100人近くの人が会場に集まった!(多分そのうちの半分以下がキャンプ参加者。)

1週間のキャンプだったわりには(おまけに半分は歌で終わった・・・、一応終わらせるべきプログラムは全部やったけど)、結構しっかりと証書授与のための表彰台(ステージ)が用意されているんだなーと思ったら、このステージはその後分かったのは様々なパフォーマンス披露のために使われることが分かった・・・。
100席くらいある会場に設置された表彰台・・・
と思いきや、パフォーマンスステージだった
会が始まると、最初はやはり今回のキャンプに協力してくれた関係者に感謝の挨拶が団体の代表からあったりして、いちいちピースコーボランティア1人1人の名前を読み上げたり、私の名前も読み上げてくれては、会場が拍手に包まれた。あ、あとももちろん会の冒頭には、みんなのお気に入りの国歌斉唱もありましたよ!モロッコ、米国、日本の順番で・・・!

そこまではまあ普通だったんだけど、その後はキャンプ参加者がメインで、次々と歌やら演劇やら踊りやらと色んなパフォーマンスが繰り広げられる。・・・あれ?これってキャンプと一体どう関係あるんですか・・・・?って感じで、隣に座っていたピースコーボランティアに、「こういうことってモロッコではよくあるの?」って聞いたら、「うん、キャンプの後はいつもこんな感じ」と言っていた。
演劇の一部。一体いつ準備していたんだ・・・。
歌のお兄さんたち。この2人、女の子たちを歌で盛り上げるのがとっても
上手だったけど、おかげでキャンプの半分は歌で終わったよ〜・・・。

パフォーマンスの中には、今回キャンプで学んだことが演劇となって披露されたりしていたから、キャンプと全く関係ないわけではなかったようだが、キャンプ参加者じゃなくても地域住民がこの「修了式」に来ていた理由も、後から納得。。。

結局、午後6時くらいから始まったパフォーマンスは夜9時半頃まで続き、やっとお開き。っていうか、結局修了証書の授与もなかった(苦笑)。


こんな感じで、日本では絶対にあり得ないようなことがたくさんあり、私としてはイライラしたり、理解し難いところもたくさんありましたが、最終的には参加した女の子たちが、HIV/AIDSのことを学んだり、国や地域を越えた交流を楽しんだり、英語や異文化を学んだりして、何か得るものがあったら、それはそれでいいんじゃないかなと思いました。


2013/07/07

サマーキャンプ① 〜総集編〜 / Summer Camp (1) - Summary

今週は、JICAボランティアの米国版であるピースコー(Peace Corps、平和部隊)のボランティアと私の活動先団体が中心となって、HIVS/AIDSに関するサマーキャンプを行いました。

サマーキャンプと言っても、どっかに団体で出かけて行ってテントで宿泊するキャンプではなくって、一週間など一定の期間を使って何かを集団で学んだりする、いわゆる夏休み集中コースみたいなことをここでは指します。

今回参加の対象(任意)となったのは、グルミマ周辺に住む15歳〜20代前半の女の子たちでした。

キャンプのプログラムの内容は大体こんな感じ。
【午前中】
サッカーボールなどを使ったゲームを通したHIV/AIDSに関するワークショップ
【午後】
長いお昼休み(日差しが強く暑いから、みんなこの時間に家帰って昼寝)
【夕方〜夜】
課外授業(英語授業1時間、その他スポーツなど1時間)
※5日間の授業&修了式=計5日半
オアシスのど真ん中でワークショップ
ワークショップのファシリテーターを務めてくれたモロッコ人のムスタファ。
彼は普段は女性に識字教育をしている先生。なんとカンフーもできる!

私はそのお手伝いとして、プログラムの課外授業の時間に英語を教えたり、折り紙を教えたりする機会がありました。

まず午前8時から普段活動している集落に自転車で行くことは初めてだったので、結構別の時間帯では見られないような光景が見えて面白かったです。畑で草を刈る女性、収穫したものをロバの背中に大量に乗っけてあるいている女性たち・・・、そして普通なら繋がれているはずのロバが野放しになって道路の脇で道草している姿まで・・・(笑)。
朝の光景① 田舎の家庭にはパンを家で焼く石窯があり、
そこから煙がもくもくと上がっていた
朝の光景② なぜかロバが野放しになっていた・・

キャンプ初日は、企画協力団体などの代表のスピーチなどがあって、次から次へともうどこの団体の誰何だか分からなくなるくらいに色んな人が開会の挨拶をしてました。その日当日に、「AICHA(私のアラビア語名)、君もJICAボランティア代表として一言挨拶をしてくれ」と言われ、急遽挨拶をすることに・・・。もっと早く言ってくれたら原稿作ったのに・・・。しょうがないから、つたないフランス語とダリジャ(モロッコ方言アラビア語)がごちゃ混ぜになりながらも簡単な短い挨拶をして、フランス語部分はカウンターパートに訳してもらいました。

ここ2ヶ月間の生活では、午後の数時間しか活動していなかったので、あまりストレスを感じることなく暮らしてたけど、今週は、朝8時出勤→昼休みに一旦帰宅→夕方〜夜まで出勤、というように、朝から活動する、そして自宅〜集落を炎天下の中2往復する、など、今までに慣れていなかった生活をしたせいか、やたらに疲れました。。。

それに、ほぼ一日中ダリジャ(モロッコ方言アラビア語)でモロッコ人とコミュニケーションをとらなくてはいけないという状況も今までにあまりなかったし、対象人数も今までは少人数だったのに対し、今週はモロッコ人が周りに50人程いて、一日中ダリジャでコミュニケーションをとらなくてはならないというのも相当ストレスになった気がします。

課外授業の時間帯は、いつも私が商品開発を一緒にしている女性たちが活動しに集まってくる時間でもあったので、キャンプをやりながら女性たちと一緒に商品開発を進めるというのも結構大変でした。

でも、このキャンプのためにモロッコ各地から集まったピースコーのボランティアが10人近くいて、一緒に活動できたのも楽しかったです。何人かは早速、私が女性たちと開発している商品を買ってくれたり助言してくれたりしたので、女性たちも自分たちの作品に自信が持てたんじゃないかと思います。
ピースコーボランティアと一緒に
モロッコ人家庭でクスクスをいただきました〜☆

キャンプでどれだけ女性たちがHIV/AIDSのことを学ぶことができたかははっきりわからないけど、みんな楽しんで帰っていった様子だったので、実施してよかったなと思います。

ただ、キャンプは計6日間しかなかったけど、この1週間でモロッコに来て今までで一番強いカルチャーショックを感じさせる週でした。その詳細は、次回の記事でたっぷりと書こうと思います!