2019/04/12

スーダン🇸🇩に赴任して1年が経ちました / It's been 1 year in Sudan

私が去年2018年4月13日にスーダンに赴任してから、ちょうど一年が経ちました。

去年スーダンに着いた時も、今日2019年4月12日と同じくらいに暑くって、毎日40度を超える灼熱の陽気の中、毎日汗だくで事務所に向かっていたことを思い出します。

振り返ると、UNHCRハルツーム事務所で過ごしたJPO1年目は結構あっという間に過ぎていきました。ハルツームでの生活は意外と過ごしやすく、娯楽はあまりないし、一年のうち半年以上は35度以上暑い日々が続くけど、でもいろんな国から集まる愉快な同僚たちや、日本人駐在者たちとの交流があるおかげで、わりと楽しく過ごせています。

仕事も、幸い良い上司や同僚に恵まれて、特に大きな問題なくやることができています。

さて、すでにほとんどの人が知っているとは思いますが、昨日4月11日にスーダンではクーデターが起こり、30年近く独裁政権を続けていたバシール大統領が退陣することになりました。去年12月19日から、元々はパンや物価の高騰で不満が溜まった国民がデモを始めましたが、そのうちバシール大統領の退陣を求める政治的デモに変わりました。その後、4ヶ月間に渡ってデモはあちこちで続いていたのですが、2019年4月6日以降は特にデモの規模はこれまでの最大級となり、4月11日に国民側に共感した軍がバシール大統領を拘束し、退陣に至ったのです(デモの発端からクーデターに至るまでの詳細は、こちらの記事をご覧ください)。

しかし、11日午後に軍の首脳・防衛大臣(※1)が発表したのは、軍の暫定評議会による2年間の統治であり、市民が求めていた市民を含んだ民主的な評議会とは異なるもので、これでは全く政権は変わっていないと、市民は不満を抱えたままです。11日から適用される1ヶ月間の夜間外出禁止令(22時〜4時)(※2)を無視してでも、市民は軍本部の前で座り込みを夜間も続けているようです。
(※1【12日夜更新】:このブログ記事を投稿した約2時間後、現地時間22時頃に、この軍の首脳がTV放送で、辞任を発表しました。うちから5kmほど離れたところにあるデモが続けられている軍本部前の方向からはその瞬間に大きな歓声が上がり、その後クラクションを鳴らしたり喜びの声が街には響いています←完全に外出禁止令をみんな無視、笑)
(※2【13日夜更新】:13日には上記の12日の首脳辞任に伴い、夜間外出禁止令も解除になりました。)

私の自宅からUNHCRハルツーム事務所までは徒歩で7分程ですが、その途中の道にも今日には多数の銃やロケット弾のようなものをトラックに積んで待機している軍人がたくさんいて、かなり異様な雰囲気を醸し出しています。とりあえず私は国連やUNHCRから全体メールに随時流れる安全連絡メールを確認して指示にしたがっているので、特に危ない目にあったりすることはないですが、今後どうなるかわからないので不安は続きます。

昨日11日から24時間封鎖されていた空港は今日12日には再開し、一部の国の大使館の駐在員や政府関係の職員は国外退避を始めたところもあるそうです(現時点では、国連では国外退避の指示は出ていません)。

ちなみに、4月8日夕方頃からクーデターが起こる11日朝まではソーシャルメディアも全然使えなくなり、自分の居場所が特定できるIPアドレスを隠すためのアプリのVPNもほとんど機能しない状態に陥ってました。そのために、FacebookやWhat'sApp、LINEなどで連絡を取り合っていた友人や同僚とはスムーズに連絡が取れなくなりました。クーデターが起こったであろうと思われる11日朝から再びソーシャルメディアも使えるようになりましたが、状況によってはまた今後完全にブロックされる場合もあるかもしれません。その場合は、またソーシャルメディアを使った連絡が難しくなるかもしれないので、ここでお伝えしておきます。

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ちなみに、4月12日は私が今から20年前(1999年)に、イギリスに長期留学をし始めた日でもあります。出発する日、しぶしぶ私を見送る父が玄関で、「留学するからには、1番を目指せ」と活を入れたことを今でも覚えています。まあやること全てで一番になることはできませんが、その頃は父も私本人も、まさかその20年後には私が国連で、そしてスーダンで働いていていて、おまけにその国でのクーデターに出くわすとは想像もしていなかったですね(笑)。今では私が国連で働くことに誇りを持ってくれているようです。まあ確かに1999年から2009年までのイギリス留学経験がなかったら、おそらく今の私はいないでしょうね。ということで、イギリス留学を始め、その後もずっと私のやりたいことをさせてくれる両親に感謝です。