2013/02/20

JICA二本松訓練所生活⑤ 〜OV Day&被災者支援ボランティア〜

先日、協力隊の任期を終えて最近帰国したOVたちと任国事情や職種別の活動内容などを共有してもらう「OV Day」がありました。現在訓練を受けている候補生たちの任国で協力隊活動の経験がある元隊員たちが代表して、二本松訓練所までわざわざ来て下さいました。

私の任国であるモロッコからも数ヶ月前に帰国したばかりの先輩隊員が来て下さり、現地の様子や具体的な活動内容を色々紹介して下さいました。話を聞いていると、あと1ヶ月ちょっとで自分もこの国に行くんだ・・・という実感が湧いてきました。また、私の職種である村落開発普及員の先輩も数名来ており、派遣国は異なるものの、先輩方がどんな活動をして、どんなことに直面したのか具体的にお話を聞けて、やっと自分の活動がイメージできるようになってきました。

OV Dayを終えて週末ボランティアに参加するために、土曜日の夕方二本松駅まで向かうバスに乗車しました。そこにはちょうどOV Dayを終えた先輩隊員たちと平成24年度4次隊の候補生たちが乗り合わせていました。もう日も暮れて暗い夜道の中、雪の積もる狭い道で対向車とすれ違おうと徐行運転したバスに、いきなり「ゴトン!」という音がした。と同時に、バスが少し左前方に傾いた。ん?なんだ?もしかして何かにはまったか、ぶつかった・・・?

運転手がバスから降りて車輪を確認してみると、どうやら左前方の車輪が道の側溝に落ちてはまってしまった様子。ハンドルを切ってどうにか側溝からバスの車体を上げようとするが、20人程乗っているバスはなかなか動こうとはしない。そこで、さすがは先輩協力隊員たち!途上国から帰ってきたばっかりの人たちなので、別にバスの車輪が側溝にはまろうと対したことはない。むしろ楽しんでいるくらいの余裕っぷりで、「じゃあみんなで降りて車体押そう!」とか言っている。とりあえず私たちが乗車していると重くて動かないのは間違いないので、全員バスから降りる。確かにみごとに車輪が側溝に落ちていて、人の手ではいくらなんでもなかなか持ち上がらないくらいにはまっている。先輩隊員たちに負けずに、これから派遣予定の候補生たちも、懐中電灯で車輪を照らしたり、どこからか側溝の蓋と木版を見つけてきては、それを台(スロープ)代わりにしてバスの車輪をそこに乗せようとしてみる。
15分程真っ暗で寒い路上でバス救出作戦を講じた結果、なんとバスの車輪が木版と側溝の蓋の上にうまく乗って、脱出成功!その瞬間はみんな拍手喝采!バスに再び乗車した後も、運転手さんは車内のマイクを使って「皆さんありがとうございました、皆さんがいなかったら立ち往生していたところです」、なんてお礼をしてくれるほど!さすが協力隊員たち!こんな状況でもみんな状況を前向きにとらえ楽しみながら対策を考えるっていうところがやっぱりすごい!先輩隊員と候補生たちが、よりたくましく見えた瞬間でした☆


翌日の日曜日は、ハートネットふくしまというNPOのボランティア活動に参加してきました。今回の支援場所は郡山市内にある仮設住宅。お昼の時間に居住者の方々におこわを提供するため、その準備と配布のお手伝いをしながら、居住者の方々とお話してその場を盛り上げるような役割でした。この仮設住宅には約500人程の方が住んでおり、多くは福島県富岡町から避難してきた方だそう。高齢者が多く、自分の住み慣れたコミュにテューからは離れ、初めて会う人たちと隣り合わせで住む方も少なくないそうです。

朝、他の協力隊員2人と一緒に仮設住宅に到着すると、既におこわの下ごしらえが始まっていて、仮設住宅に住む元気なお母さんがNPOのスタッフに作り方を指示しながら作業していました。ハートネットふくしまの方から、今日は仮設住宅の方とたくさんお話しして皆さんに元気になってもらうことが大事なので、ただの作業にならないように、積極的に皆さんとお話しして下さいとアドバイスを頂いていた。そもそも、私がモロッコに派遣される職種は村落開発普及員、いわゆるコミュニティー開発なので、住民の方々とお話するということは私の職種上もとても重要なこと。

次々とおこわ作りの作業を手伝いに集会場に集まる住民のお母さんやお父さんたちと会話をしてみました。みんなとても元気で、笑い声や元気に話す声が耐えない様子でした。集会所の壁にはふるさとである富岡町の歌や桜並木の写真が飾ってあり、1人の隊員がipadを持っていたのでGoogle Mapを使って富岡町の地図を探すと、「うちはここにある」とか「●●さんの家はここ」とかふるさとの話で盛り上がっていました。しかし、そこには震災後2年が過ぎても、自分たちが住み慣れたふるさとに帰ることができない被災地の状況が存在していました。
ボランティア活動は午後には終了となったので、一緒に活動に参加した隊員と郡山にて少し羽を伸ばしてから二本松に帰りました。途中、2年程前に一緒にピースボートに乗船した友達が二本松まで遊びに来ていたので、岳温泉にてお茶をして、懐かしい話に花が咲きました。彼は、二本松市に避難している浪江町の人たちにインタビューをして被災状況を記録するプロジェクトに携わっているそうで、そのために二本松に数日間来ていたようです。

あともうすぐで東日本大震災から2年。この2年間、自分は被災地支援に携わったり協力隊を受験したり色々とあったけど、被災した人たちにとってはどのような2年間であったのだろうか。未だに故郷に帰ることができない人たちに出会って、改めて私たちは彼らのために何ができるのだろうかと考える。来週は、訓練所の手配によって南相馬市を視察するデイトリップがあるので参加しようと思っている。私は今までに津波の被害を受けた被災地しか見てきたことがないが、放射能の被害に悩む被災地を見て何を考えるのだろうか。そして、自分にできることは何なのか再び考えてみようと思う。

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