2016/10/03

グルミマへの里帰り / Return to Goulmima - Eid Al Adha 2016

モロッコの首都ラバトに赴任して、もう3ヶ月が経ってしまいました。最初の1、2か月は職場に慣れることや家の引越し、引越し後の家の改造(主に剥がれていたペンキ塗りや家の装飾品を揃えたりすること)におわれていましたが、最近になってやっと落ち着いてきました。

そんな中、9月の10日〜15日まで、協力隊時代に活動していた任地、グルミマに里帰りしてきました。ちょうど9月13日が今年の羊の犠牲祭(イスラム教徒にとっての大きな宗教的お祭り)で、このお祭りの期間は、日本の年末年始のように、多くのモロッコ人が故郷に帰省します。私も、祭日と有休を組み合わせて、グルミマに帰省したのです。

グルミマに行く前に、私の活動先アソシエーションの女性たちが、商品を納品させてもらっている、トドラ渓谷にある日本人宿のノリコさんのところへ立ち寄って、納品状況を確認させてもらったり、トドラ渓谷でお昼を食べたりゆっくりさせてもらいました。
トドラ渓谷への道
この茶色と緑の景色が懐かしかった

グルミマでは、4日間、元同僚の家に泊まらせてもらいました。いつも私がどの家に泊まるか取り合いになるので、一人の家に4日間となるのではなくて、親しい元同僚の家に、一泊ずつ泊まらせてもらいました(それでも、「なんでうちには泊まっていかないの!?」という他の元同僚もいるんですが・・・笑)。

滞在期間にできるだけお世話になった人たちみんなに挨拶にまわりたいので、友人からチャリンコを借りて主に活動先だった集落2つや、グルミマ中心地を行ったり来たりして、おそらく合計で25軒くらい訪問したのでは・・・というくらい忙しかった・・・。でも、どの人の家に行っても、みんな「アイシャ!(⇦私のアラビア語名)よく来たね!」と言って、甘いアタイ(お茶)と、犠牲祭の時に犠牲になった羊や牛の肉の串焼き、お菓子などを、食べきれないほど出して、もてなしてくれました。最後は時間切れで訪問できなかったお家もあったくらいに忙しかったんですが、改めてグルミマの人々の温かさや、田舎の質素な生活の良さを実感しました。
グルミマの集落の朝の典型的な風景。
女性たちは陽が高く上がる前に、家畜の餌となる草を刈りに行く。
隊員だった頃に通っていた通勤路。相変わらずこの景色が好き。
クサル・グルミマの屋上から見た景色。
クサル(ベルベルじんが築いた要塞化した村)を歩いていたら、
住人が家の中に招待してくれた。
活動先だった村の風景。
もうすぐナツメヤシの収穫の季節。
集落の典型的な景色。
ラバトにいるとこんな景色が本当に恋しくなる。

こちらは犠牲祭の時に犠牲になった羊の脳みそが入ったクスクス。
犠牲祭の2日目の朝食あるいは昼食として食べるのが伝統。

もちろん、活動先だったアソシエーションにも訪れました。私が隊員としてグルミマを去った2015年6月から、約1年ほど経っていたけど、女性たちはきちんと私と一緒に築き上げた手工芸活動を続けているのを確認できました。
活動先アソシエーション①
ベルベル刺繍の巾着とボシャルウィット(ラグ)
活動先アソシエーション②
ベルベル刺繍のポーチ
活動先アソシエーション②
ボシャルウィット(ラグ)

4日間グルミマに滞在して、元同僚や友人と再会して色々話をしていて強く感じたのは、やはり私は開発の現場で活動することに意義を感じるんだなあということでした。私が隊員としてグルミマを去ってから1年しかまだ経っていないから記憶が比較的新しいのかもしれないけど、一緒に働いた人たちは、私の活動のことを高く評価してくれていて、そんなフィードバックを聞くと、自分は現場の受益者と近いほどやりがいを感じるし、自分の強みを発揮できるのかなと思いました。

一方で、今の仕事は同じモロッコでの開発業界だとはいえど、現場からはかなり遠くてオフィスワークばかり。日頃、プロジェクトの企画書を書いたり、リサーチをしたり、予算の計算をしたりという仕事が多いです。接する相手も主に政府(省庁)関係者。もちろん、政府レベルでどのように開発プロジェクトが運営されて、どのように資金が集められて使われていくのかを理解することもとても大事なので、いい勉強になると思って毎日仕事に励んでますが、あまりにも私が隊員時代に勤めていたような貧しい集落の現場と国連のオフィスで働く環境にギャップがありすぎて、戸惑うことも多いです。

モロッコの現場で見たこと、感じたことを忘れずに、今後の仕事にも活かしていこうと思います。

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