2015/12/08

モロッコへの帰省② トドラ渓谷〜グルミマ / Return to Morocco (Part 2) Gorges du Todra to Goulmima

前回の投稿「モロッコへの帰省① 日本〜イミルシル」の続編です。

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真っ青な空の下、アトラス山脈の秘境イミルシルを後にし、アトラス山脈を少し内陸方面に下ったところにあるトドラ渓谷に向かう。
イミルシル〜トドラ渓谷(ティネリール)までの地図。
こちらもかなりの山道。所要時間は大体2時間。




地図で見るとなんとなくわかるかもしれないけど、私が思うに、ベニメラル〜イミルシルよりも、イミルシル〜トドラ渓谷までの道のりの方が、景色は壮大(ただ、私がベニ〜イミルシルを通った日はあいにくの曇りだったので、晴れだったら持った印象はもっと違ったかも・・・)。

ファルゴ(乗り合いバス)がイミルシルを出ると、しばらくは左右に緑の綺麗な樹々や畑(この時期は紅葉もあって黄色やオレンジ色の木も)があったり、地層がはっきりとわかるようなこの地域の典型的な岩山が広がったりと、かなり壮大な景色が広がる。



時には川で洗濯をする女性の姿も

ファルゴの右側に座っておけばよかったと後悔・・・。
この写真では分かりにくいけど、この右側にはすごい深い渓谷が見えて綺麗だった。 

時々見えるベルベル人の土壁の家々がいかにもこの地域らしい























道中、一体この人はどこから現れたんだろうと思うくらいに、周りに家々が全くないところで人が乗車してきたり、ここで降りてこの人は一体どこへ向かうんだろう・・・と思うくらいに何にも周りにないところで下車する人がいたり、風景以外にもこの地域の人の生活の営みを見ているのも面白い。

そんなことを考えながら、途中にある小さなベルベルの村、 Ait Hani(アイト・ハニ)やTamtatouche(タムタトゥーシュ)を通って、長年をかけてつくられたであろうトドラ渓谷と思われる険しい岩壁の間の谷を通り、無事に渓谷入り口付近にあるこの日の目的地へ到着。

この日の目的地とは、日本人女性の典子さんがこの地で経営する宿のこと。典子さんには、私が協力隊で活動していた頃から、支援先アソシエーションの手工芸品を宿にて販売させてもらっていて、私が本帰国した後もアソシエーションの女性たちの商品が売れているのか気になっていたこともあって、今回立ち寄らせてもらうことにした。

久しぶりに典子さんと再会して、いろんな話で盛り上がった後には、その晩宿に泊まっていた日本人バックパッカーの二人も一緒に、典子さんの作った日本食の夕飯をいただいた。

そして、翌日も相変わらずとっても綺麗な晴天!

典子さんの宿の朝ごはん。いつもここのベルベルオムレツは美味しい!

実は、この日はグルミマから、私の元活動先のアソシエーションの女性たちが、以前納品した商品の会計と、新しい商品の納品のために、宿に来ることになっていた。

ちょうどお昼前くらいに、「今ティネリール(トドラ渓谷の麓にある街)に着いたから、あと30分くらいで宿に着く」という連絡が入り、女性たちとの再会にドキドキしながら待つ・・・。

その30分後、女性たちが乗っていると思われるタクシーが宿の近くに到着して、女性たちが降りてくる姿が見えた。彼女たちと挨拶をする頃には、私もいろんな想いがこみ上げてきて、思わず涙が溢れてしまった。

「アイシャ(私のアラビア語名)、元気だった・・・!?」
「あなたの家族はみんな元気??」

5か月しか経っていないけど、彼女たちも私と再会できたのが嬉しかったのか、涙ぐみながら強くハグしてくれた。

このあたりまでは、まあわりとノスタルジックな感じなんだけど、ここら辺から、いよいよ(?)若干業務っぽいことを始めないといけない・・・。なんといっても、女性たちに宿まで来てもらったのは、私がいなくてもちゃんと典子さんと女性たちの間で商品の納品や会計ができるか見ないといけないからだ。私がいた頃はアラビア語と日本語の通訳を交えてできたけど、私がいないと女性たちはフランス語できないし、典子さんもアラビア語はそんなに得意ではないので、コミュニケーションが結構大変なのだ。

女性たちが持ってきた商品のラインアップを見てみると、なんかいくつか私がいた頃にはなかった新商品や新色のものができていたりして、それはそれで新鮮だった。
会計に取り組む女性たち。
なんかまた隊員時代に戻ったみたい・・・。

相変わらず会計をアラビア語や日本語を交えながらやるのは結構大変で、これは私も結局任期満了までに、極力言葉の壁をなくして簡単にできる会計処理の方法を残すことができなかったのは残念なんだけど(考えて実践してみたものの、あまりうまくいかなかったた気がする)、あとは申し訳ないけど女性たちと典子さんとの間で頑張ってもらうしかない・・・(⇦すみません・・・)。

そして無事に納品のやり取りが終わって、いよいよ女性たちとともに、任地グルミマへ!

トドラからグルミマへは、グラタク(乗り合いタクシー)と民営バスを使って約2時間半。


途中、何度も通ったことのあるカスバ街道の懐かしい風景が目に入ってきて、いよいよグルミマに着くんだなーという実感が湧いてくる。
「カスバ街道」と言われる、ワルザザード〜エルラシディアを結ぶ道には、ベルベル人が造った土壁のカスバ(要塞)やクサル(要塞化された村)がたくさん並ぶ。

オレンジに見える山の麓に、グルミマがある

グルミマに着くと、私がいた頃と全く変わっていない街の様子が広がっていた。そして、アソシエーションのメンバーがなんと数人迎えに来てくれていた!(⇦それともたまたま通りがかっただけか・・・?笑)みんなと感動の再会をして、全然変わっていない様子に何か一安心・・・。

だが、こっからが大変・・・。
グルミマには計4日間いる予定で、極力活動先であった2つの集落の間で滞在する日数が不平等にならないように泊まる集落やお家を事前に頭の中で描いていた。
1日目は、私が隊員時代に住んでいた家のすぐ近くに仕立屋の店を構え、当時からとてもお世話になったアフメドじいさんの家族の家に泊めてもらう予定だった。だけど、活動先集落の女性たちからしたら、自分たちの家がある集落に真っ先に私が行かないのはけしからんこと!!

「どうして私たちの家に泊まらないの!?」
「(アフメドじいさんに)今からでも断って、私たちのところへ来なさい!!」
「よく聞いて。何が何でもうちに来なさい。」
といった感じで、みんな自己主張ばっかりしてくる(⇦いつもそう・・・)

そのやりとりだけでも本当に疲れてしまうんだけど、荷物の関係もあって、1日目はどうしてもグルミマ郊外の集落ではなくて、グルミマ中心地に泊まりたかったのだ。だから、「今日は既にアフメドじいさんの家族のところに泊まるって言ってあるから!」と言い張って、女性たちがブーブー言うのを振り払って、じいさんの家に泊まることにした(笑)

じいさんには奥さんと娘さんがいて、娘さんのファティムザハラは私の隊員時代にも本当に良くしてくれた素敵な女性。この前会計の勉強を終えて、現在首都ラバトで就活中らしく、残念ながらこの時はグルミマにいなかったけど、電話で話したら元気そうだった。

相変わらずじいさんの家では、奥さんが涙ぐんで私を迎えてくれて、いつも通り食べきれないほどの串刺しの肉やパンを出してくれて、ハムドゥリッラー!お腹いっぱいです。

翌日は、隊員時代に学校保健や環境教育などの啓発活動をしていた地元の小学校に挨拶に行ってみた。この学校はトイレが汚かったこともあって、正しくトイレを使う方法とか、手洗いの仕方とか、歯磨きの仕方とかを学校の先生と一緒に一クラスずつ回ってやったのに、私がいなくなると案の定、トイレはまた汚くなっていた・・・。でも、嬉しかったのは、私よりももっと前に同県内で活動していた隊員が作った手洗いの仕方の資料をまだとっておいてあり、生徒にもちゃんと配っていたことだった。


グルミマ滞在中には、集落にある別の小学校にも行って、活動中にお世話になった先生にも挨拶をしてきた。そのうちの一人は、私の同僚が作った歯の模型を元に、自分のクラスで生徒に教えるための歯の模型を真似して自分で作ってしまったという真面目でやる気のある先生。彼のクラスにはまだ歯の模型が置いてあったので、せっかくだから一緒に写真を撮らせてもらうことにした。先生、継続して子どもたちに指導してね〜。
アッディ先生と彼が作った歯の模型。彼は写真家でもあり、
グルミマの様々な風景をネットで配信していたりもする。

グルミマでの滞在中の出来事を1日ごとに辿っていくと大変なので、4日間に他にやったことをここではまとめて書いてみる。


【活動先アソシエーション訪問】
グルミマに行ったら私にとって欠かせないのは、元活動先である2つのアソシエーションを訪問すること!今回、私がグルミマに戻りたかった理由の一つは、私が帰国してもきちんと現地の人たちだけでも活動を続けているかどうか見ることだった。私はこの要請でこの村で活動した最初かつ最後のJICAボランティアとなってしまったから(現在同地域はボランティア派遣が一時中止となっている)、2年3ヶ月間で行った活動がどれだけ自立支援につながったのか、評価したかった。

まず、Association El Wifak。私が活動していた2つのアソシエーションの中でも、こちらの方が規模は大きく活動年数も地域の中ではおそらく一番長いくらい。女性たちもやる気は強くって(同時に自己主張も強い、苦笑)、私が本帰国する前には「自分たちの会社を作るわ!」と意気込んでいた手工芸グループがある。

一緒に活動していた女性たちと再会した時には、またもやみんなして涙ぐんでハグをしあって、嬉しがった。そして、私の帰国後に作ってきた商品を見せてもらったら、結構いろんな新商品ができてて、びっくり!どうやら彼女たちは私が教えたポーチの作り方や、これまでになかった色合いを取り入れて、自分たちのオリジナル商品まで作り始めているようで、本当に嬉しかったなー。
ポーチとクッションカバー
クッションカバーなど
新商品のバッグと、ベルベル刺繍のティーポットカバー
タハルート(ベルベルマント)にも新色が増えていた
ボシャルウィット(リサイクルラグ)の制作には、
グループの女性以外にも別の女性が加わっているようで、
輪が広がっていって素晴らしい!
色合いが可愛いボシャルウィット

これらの商品は、以前このブログにも書いたことのあるフェアトレードサイト、Anouでも販売中なので、欲しい!という人は是非Anouから注文してみてください!日本への発送もできるし、例えば同じデザインだけど大きさは変えたい!とか色を変えたい!という要望もオンラインで可能です!


そして、もう一つの活動先であったAssociation Najah。こちらのアソシエーションは、前者のアソシエーションよりも新しく設立されたまだ若い団体なので、まだ若干よちよち歩きな部分もあるんだけど、会長のアジズという愉快なおっさんを中心に、集落の発展に向けてメンバーが頑張っている。こちらのアソシエーションでも、メンバーや集落の子ども、学校の先生も、喜んで私を迎え入れてくれた。
アソシエーションの入り口
中はこんな感じ。

まだ組織自体が新しいということもあるし、資材的にももう一つのアソシエーションよりは足りないものもあったりしてか、商品のラインアップは私がいた頃よりもそこまで変わってなかったけど、ボシャルウィットなどのラグを作る織り機が新しく導入されていたり、ラグのデザインには新しいものが増えていたりと、少しずつ活動は前進しているみたい。
商品の一部
この女性はいっつも刺繍が正確で綺麗にできる。
彼女の刺繍は私のお気に入りでもあった。
最近作ったボシャルウィット。
色合いが可愛い!
新しいデザインのラグ。
形がちょっといびつだけど、アイディアとしては面白い!
ラグを織る女性。
 ちなみに、いっつもこの集落でお世話になり、ボシャルウィットの商品化のキッカケを作ってくれたベルベル人のお母さんもラグ作りを続けていて、ちょうど去年の今頃に商品化した頃よりもいろんなラグのデザインが増えていた。商品化し始めた頃は一体ラグが売れるのかわからなかったけど、今となってはアソシエーションの人気商品の一つになっていることを考えると、感慨深い・・・。
お母さんの織り機。
これが上の織り機で作っていたラグ完成品。
ラグ中央にあるのは、ベルベル文字の「Z」。
両手と両足をくくられた人が解放されて、
手足を上下に広げた姿をこの文字が表すとも言われているので、
この文字はベルベル人にとっての「自由・解放」を表すと聞いた。

そして、Association Najahの商品も、Anouで買えます!


どちらのアソシエーションに関しても、やっぱり私が活動していた頃よりも売上や販売ペースは落ちていたけど、少しずつでも自分たちだけできちんと手工芸活動を続け、収入につなげることができていたのを確認できたのは嬉しかった。


【村の生活】
アソシエーションでの活動視察以外の時間には、活動していた集落で久しぶりにゆっくりと村の生活を楽しんだり、お世話になった村の人に会いに行ったりしていた。

この地域は毎年10月下旬頃から11月上旬頃までに、ナツメヤシの収穫の時期を迎えるために、村ではあちこちでナツメヤシに登って実を落とす人や、それをかき集めて干す人の姿を見かけた。
ナツメヤシの木
ナツメヤシの実
実をとる作業
箱詰めされたナツメヤシ

モロッコ南東部はナツメヤシの産地で、このあたりのは美味しい!と他の地域で活動するモロッコ隊員も言うくらいなので、これから訪問する隊員にお土産で買って行こうと思っていたところ、なんと村の人からプレゼントで約3キロくらいのナツメヤシをもらってしまった。。。(⇦とってもありがたいけど、このあと、スーツケースがとんでもなく重くなった。)

ちょうどグルミマ滞在の2日目は金曜日だったので、元同僚が待望のクスクスを作ってくれた!(モロッコでは、イスラム教徒にとって聖なる日である金曜日には、みんなでお祈りに行ってそのあとにクスクスを食べると言う習慣がある。)
モロッコのいろんなところでクスクス食べたけど、村で女性が作ってくれるクスクスは一番美味しくって、おそらくモロッコの食事の中で私がいちばん好きな食べ物であると言っても過言ではない。
こうやって、大きなお皿に出されたクスクスを囲んで食べる
この時期はザクロの食べ頃!甘くって美味しい!
日本で買うと高いけど、村ではほぼ取り放題。

そして食事に関して言うと、なんといっても面白かったのは、食事の時やお茶の時間は、元同僚の女性たちが、私の行くところにみんなで遊牧民のように一緒について回ること、笑。どういうことかというと、私が4日間の滞在中に宿泊する家は限られているので、自分の家に泊まってもらえない元同僚の女性たちは、「じゃあ朝ごはんはうちね!」、「じゃあ昼ごはんはうちに!」という具合に、みんなの家に私が均等に回れるように食事を用意することを立候補してくるのだ。そして、食事担当じゃないそれ以外の女性たちは、みんなで一緒にご飯たべれるように、ご飯担当の家の女性に私とともに遊びに来るのだ。だから、どこの家に行っても女性が数人集まってきて、その度に女性同士の世間話で大盛り上がり!

でもみんなの会話はベルベル語で、私はその会話にはついていけないので(もちろんそれは私の隊員時代もそうだった)、その間はテレビを眺めたり、習い途中であったフェズ刺繍(以下)を刺繍の得意な女性から学んだりしていた。
フェズ刺繍とは、表と裏が全く一緒のモロッコの刺繍。
任期中に少し教わったけど、基礎的なものしかできなかった。
今回はずっとやってみたかった花柄の模様も教わって、
やっと一人でもできるようになった!
(一部間違えて縫ってしまった部分もあるので、あしからず)

実は、気の強いベルベル人女性たちばっかり集まるともう大変・・・。みんな大きな声で話すし、自己主張が強し、口調も激しい。私がベルベル語がほとんどわからないこともあって、私にはみんなと一緒にいるのは楽しかったけど、四六時中一緒にいるのは、若干疲れてしまった・・・(苦笑)。

でも、集落での生活ってあまりにも東京の生活とかけ離れていて、改めてこの地へ来てみると、本当に私はここで2年3ヶ月活動していたのかと思ってしまったりもする。みんな素朴で優しくって、私のような外国人でも快く受け入れてくれる。そして自然も豊かで、村の人は自然と共存した暮らしを営んでいる。時には、こうやって東京みたいな忙しい雰囲気から離れて暮らすのもいいなーと感じる。
これはグルミマ中心地にあるこの町で一番大きな商店。
この店に頼ってよく2年3ヶ月も過ごしたな、と振り返って思う、笑。
私の通勤路①
私の通勤路②
通勤路③
集落にある同僚の女性の家にて。
村の家には必ずパンを焼くかまどがあって、
毎日ここで自家製のパンを作る。
ロバの上からの眺め
このロバの上にある白いシートは、実は小麦粉の袋。
こうやってモノはリサイクルする。
実は私もこのシートを使ったリサイクルバッグを持っている。 
村の生活でロバは欠かせない。日本でも時々ロバに会いたくなる。

他にも、同任地で活動するピースコー(協力隊の米国版)ボランティアに会ったり、農作業を手伝わせてもらったりして、あっという間にグルミマ滞在の時間は過ぎてったのでした。

実は、元同僚である女性の一人の家に泊まって、翌朝一緒に畑に行って農作業を手伝っている時に、ふと会話の流れで彼女から突然こう言われた。

「アソシエーションでアイシャ(私のアラビア語名)から教えてもらったこと(手工芸)は、私たちが今は先生となって、他の女性や女の子たちに教えているのよ。そして、(私たちに子どもができたら)私たちの子どもにも教えていくわ。だから、あなたが私たちに教えてくれたことは、どんどん広がっていくのよ。」

なんだかすごく嬉しくなってジーンとした。私は「ありがとう」と言っては、照れ隠しに農作業を続けた。


私がグルミマを去る直前には、集落からわざわざ数人の女性たちが自転車で町の中心地まで見送りに来てくれた。お別れの時はまた若干涙目になりながら、「ご家族によろしくね。またいらっしゃい。」と言ってくれた。

またいつか近いうちにグルミマに戻ってくることを願って、私は次の目的地フェズに向かったのでした。

続きは、「モロッコへの帰省③」にて!


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