2013/09/29

初めての商品販売会@Rabat / First sale of products at Rabat

モロッコに赴任して6ヶ月経った9月末、グルミマで今まで活動してきた女性団体のメンバーと一緒に開発してきた手工芸の商品を、初めて他の隊員やJICA関係者に販売する機会がありました。

私が今回派遣されている要請は新規。つまり、活動内容を引き継がせてもらう前任者がいません。私が派遣されている団体で村落開発普及員が活動するのは初めてなので、実に全て一から始めることになるのです。ニーズ調査や、新商品開発、販路開拓、などなどを、今までに手探りでやってきました。

そんな中、3ヶ月程前から活動先の女性たちと一緒に、主にグルミマに伝わる伝統的なベルベル刺繍を用いた手工芸品を開発してきました。商品は、巾着袋、ティーポットカバー、ベルベル刺繍のマント(「タハルート」)、など。まだ品数や種類はあまりないけど、女性たちと一生懸命作り上げてきた作品たちです。








首都ラバトのJICA事務所では、隊員たちの報告会や送別会が毎3ヶ月ごとに開かれます。それに合わせて首都へ上がる時に、手工芸品開発や販売に携わっている村落隊員たちは、自分が活動する団体の商品を持っていっては販売会を行い、売上全額を活動団体へ持って帰ります。

もちろん、JICAボランティアのみを対象に販売会を行っているだけでは、ボランティアが去った後には、継続的に商品を販売できる場所がなくなってしまうので、他の販路を探す必要が当然あります。あくまでも、JICAボランティアや関係者への販売会は、販路の1つでしかないと思ってます。

しかし、最初に説明した通り、3ヶ月前に商品開発を始めたばかりのこともあって、今はこの流れに勢いをつけるためにも、JICAボランティアや関係者対象の販売会に頼っても仕方ないと思っています。もちろん、いずれは別の販路を開拓して、女性たちが持続的に商品を販売できる販路が必要です。


こういった背景を踏まえて、初めて行うJICAボランティア&関係者対象の販売会は、ちょっとドキドキでした・・・。
「売れるかな?」
「この商品は皆どう思うかな・・・?」
などなど、いろんな考えが頭をよぎりましたが、実際に販売会が始まったら、
なんだかあっという間でした。

結果から言うと、私が今回ラバトに持っていた商品のうち、
なんと約75%の商品が売れました!
買って下さったのは、仲間の隊員たちが中心でしたが、
中にはボランティア調整員や同伴家族の方もいらっしいました。

まだ商品開発段階というのもあって、商品の品質がイマイチの部分もあったのですが、
そんなことも理解した上で、商品を手にとり、買って下さった方々に本当に感謝です。

そして、なんと商品の追加注文も数件いただきました!

ルンルン気分で売上を持って帰り、グルミマの女性たちのお金を渡したときは、
すごく喜ぶ女性もいたし、わりと薄い反応の人もいたけど、
その日、家に帰る間際に、女性たちに「ありがとう」と言われました。

「どうして?仕事をしたのはあなたたちでしょう。私に感謝する必要はないよ。」
って答えたけれども、本当は女性たちから感謝されて嬉しかったです。

まだスタートしたばかりで、女性たちに還元できる程の売上は、
全体的には上がっていないのだけれども、
今後、働いた分だけ女性たちにお金が行き渡るようになるのが楽しみです。
少しでも彼女たちの現金収入が増えるように。
そして、彼女たちの生活が今よりももっと良くなり、
商品を自分で作って、いずれは自分たちで売って、
それが彼女たちの自信につながって、
そしてコミュニティーにもその動きが波及して、
コミュニティー全体の生活がもっと良くなるように・・・。

そこまで達成するには、私の任期が満了するまでにはできないかもしれないけど、
自分ができる限りのことはやってみようと思います。

ひとまず、今回の販売会で商品に対する反応を見ることができて良かったです。
頂いたコメントやアドバイスなどを参考にして、今後女性たちとより良い商品を作って行きたいと思います。

2013/09/27

モロッコ赴任6ヶ月目に考えること / My thoughts 6 months after being posted to Morocco

モロッコに赴任して、早くも6ヶ月が経った。

モロッコに青年海外協力隊員として到着したのが、2013年3月26日。

ちょうど、その6ヶ月後の9月26日の早朝は、JICA事務所にて行われる先輩隊員たちの報告会と送別会に参加するために、夜行バスで首都ラバトに向かっていた。バスの中では、モロッコ赴任後6ヶ月経った自分の今までの活動を振り返って色々考えてみた。

今までに、モロッコでは周りの人たちや活動の環境にもわりと恵まれ、特にすごく苦労することもなく、活動を進めることができてきている。

それは、JICA事務所や、仲間の隊員たち、そしてカウンターパートや任地の人々など、多くの人々に支えられてきたおかげ。

この前終えたJICAとカウンターパートとの三者協議では、今までの活動を振り返り、今後残りの任期の活動計画を話し合った。残り1年半でどんな活動を展開すべきか、なんとなく先の展望が見えて来た。

でも同時に、「こんな感じで私の活動はいいんだろうか?」と自分の活動ややり方に疑問を持つこともある。もちろん、ボランティア募集の時点で、調整員が任地にて調べたニーズを元に、要請(活動内容)が既にある程度は決まっているし、赴任してからニーズが変わっていることもあるので、カウンターパートやJICAとも相談しながら、活動目標や活動内容を改めて確認して決めるのだけれど、その後どうやって何を行うかは、ボランティア次第の部分も多かったりする。

私は、自分の活動の方針として、「現地のニーズに合った活動を、現地の人と一緒にすること」を信念の1つとして持っている(つもりだ)。そして、私のようなボランティアがいなくなっても、いずれはコミュニティーの人たちが自立して発展し続けられるような活動をすることを、常に念頭に考えて活動をしているつもりだ。

でも、時々それが見えなくなったり、自分だけ突っ走ってしまったときもあるのかもしれない。そういう時こそ、改めて客観的に自分の活動を振り返ってみる必要があるのだな、と再確認。

私の任地は、モロッコの公用語であるアラビア語と、行政や商業で広く使われいてるフランス語よりも、ベルベル語が日常会話で使われる。モロッコ隊員は、派遣前に訓練所でフランス語を2ヶ月間学び、モロッコでは首都ラバトで3週間アラビア語を学んでから、任地に派遣される(2013年9月時点)。でも、私の任地はベルベル語が主だから、アラビア語とフランス語に加えて、ベルベル語を学ぶことが必要となってくる。

任地には、アラビア語もフランス語も話せる人もいるので、ベルベル語習得は必須ではない。でも、任地の人はベルベル語を話すと喜んでくれるし、年配の人はベルベル語しか理解できない人もいる。私の活動する女性団体でも、女性同士はいつもベルベル語で会話している。

本来、村落開発普及員は、派遣された村落のコミュニティーの人々の生活を向上させることが大目標なわけだから、コミュニティーの人々の日常会話や、調査などを通して、彼ら・彼女らがどんな問題を抱えているか、どんな生活側面をもっと良くしたいかなどを理解することが大事とされる。

でも、そんな彼ら・彼女らの日常会話はベルベル語なので、それさえも私は理解できないのだ。(多分、その会話がたとえ全てアラビア語であったとしても、全部は理解できないだろうけど・・・。)

ベルベル語はまだ挨拶とランダムな単語しか理解できず、アラビア語も日常会話程度しかまだ理解できない私に対しても、任地の人々は常に優しい。

逆に、そんな私にでも優しくしてくれると、なんだか申し訳ない気分になる。だって、彼ら・彼女らのニーズを理解して、それに合った活動をやろうとしているのに、言語的な壁が邪魔して、もしかしたら本当に必要とされている活動ができていないのかもしれないのに。そう考えると、なんだか悲しく、悔しくなって、涙が出て来た。

今までは、ぶっちゃけアラビア語とベルベル語を習得する努力をあまりしてこなかった。だけど、赴任後6ヶ月経った今、これじゃいけないんだって思った。

もっと努力しなくては。
もっと言語を勉強しなくては。
そして、もっと任地の人たちのことを理解しなくては。
そして、もっと任地の人たちに貢献できるような活動をしていかなくては。

これまでに、任地で私を支えてくれた人々に感謝です。
そして、これからもっと努力していきたいと思います。



2013/09/25

ベルベル刺繍、タハルート / Berber-embroidery "Taharout"

過去のブログ記事にも書いていますが、私は現在青年海外協力隊員の村落開発普及員として、モロッコのグルミマという小さな町の郊外にあるベルベル人集落にて活動しています。活動の詳細は前回のブログ記事を見てほしいのですが、その中でも最近一番力を入れているのが、手工芸品や地元特産品の開発と販路の拡大を通した、女性たちの現金収入向上プロジェクトです。

私が活動している地域は、先住民のベルベル人が多く住んでおり、現地の人たちが話す言語も公用語のアラビア語ではなくて、ベルベル語です(※ベルベル語も名目ではモロッコの公用語として近年認められましたが、話せる人はモロッコの人口の少数です)

後からモロッコにやってきたアラブ人と、元々住んでいたベルベル人では、手工芸品にも違いが表れています。私の任地の例を挙げると、ここグルミマでは「タハルート」と呼ばれる、黒地の2mx1.5mくらいの大きさの生地に色とりどりの糸で刺繍をした伝統的なマントを女性たちはまとっています。外出する時は、頭から体を覆うようにまとう人もいれば、体全体や上半身のみまとう人もいます(時々、ロバの体に草木を乗せて運ぶために風呂敷のような使い方がされていたり、ドアを開けたままだと家の中が見えてしまうので隠すためのカーテンとして使われているも見たことがあるくらい、他にも用途が色々あるタハルートなようですが・・・笑)。
タハルートを身にまとた女性@グルミマ市内
私がグルミマで買ったタハルート。
通常サイズはダブルベッドを覆うくらい大きい。


興味深いのは、このタハルートは同じベルベル人コミュニティーでも、モロッコ国内では私が知る限り、グルミマや隣町のティンジダッド、そして近郊のエルフードやティネリール周辺地域のみで使われているという点です。マラケシュ近郊やアトラス山脈の標高の高いところにあるベルベル人コミュニティーに行った時は、女性たちはまた別の布をまとったりしていて、タハルートは目にしませんでした。

私は、まず商品開発をするにあたって、このタハルートに着目しました。これはモロッコ国内でもこの地域にしかないものだし、おまけに、全部手縫いのためにタハルートに刺繍された柄や色の配列も作る女性によって違うので、本当に1つ1つがオリジナル作品なのです。この辺の地域の女性は、結婚する時に嫁入り道具としてタハルートの作り方を知っておかなくてはならない、といったような話も聞いたことがあります。

私が活動している女性団体で、今このタハルートを活用した新商品を開発しているわけですが、開発するにあたって、まずは私もこのタハルートの作り方を知っておかなければと思い、女性たちにこのタハルートの作り方を教えてもらいました。
まだ練習段階の頃の私のタハルート(手前)

そして、自分でタハルートを作れるようになった段階で、タハルートを応用した商品の試作品を自ら作って、女性たちに見せました。それがこちら↓


これ、何だか分かりますか?

・・・正解は、タハルートを身にまとった女性のティーポットカバーとタハルート柄のティーポットコースターです。モロッコ人はこのようなポットでミントティーをたくさん飲むために、このような商品があれば、1)実用的、2)グルミマのベルベル文化のオリジナル性をアピールできる、と思ったのです。

これを見た女性たちは、「いいわね!」と言ってくれて、彼女たちと一緒にこの商品を作り、販売していくことになりました。まだ実は質に関しては改善すべき点がたくさんありますが、とりあえず今では女性たち自身でこの商品をほぼ全部作れるようになりました。

これ以外にも、タハルート模様の巾着袋を自ら作り、これも女性たちに見せて意見を求めました。女性たちもこれを気に入ってくれて、これも一緒に作って行くことなりました。その商品はこちら↓

これらの商品は、今後他の隊員や近郊の観光地でも販売できないか検討中です。

そして、自らもタハルートを1つ完成させてみようと思い、3ヶ月程前からゆっくりと製作し始めたタハルートがやっと完成しました! 

・・・・・じゃん!



タハルートは伝統的に黒地と決まっていて、この地域の女性たちは黒地以外のタハルートを身にまとうのは少し抵抗があるようですが、外国人観光客やもしかしたら他の地域からこの地域を訪れるモロッコ人も、黒以外の生地だったらもう少し手に取りやすくなるのではないかと思います。

例えば、これをベッドカバーやインテリアとして使う時には、おそらく黒地よりも色物の方が良く栄えるのではないかと思います。あと、大きさも通常のタハルートの半分サイズで、ショールとして使えるくらいの大きさです。

ただ、もちろん伝統的な黒地のタハルートも尊重したいので、黒と同時に他の色も今後作って行けたらいいなと思っています。

実は、このタハルートを自ら学び、まるごと1枚製作したことには、結果的に以下のようなメリットがあったと考えます。

● 伝統的なベルベル刺繍を外国人が学ぼうとする 
→ ベルベル人自身も自分たちの伝統手工芸の良さを再確認できる
● 手工芸品を開発する立場上、一応自分も手工芸が出来ることを見てもらう
→ まわりの人(特に一緒に手工芸品開発をしている女性たち)からの信頼度が上がる
● 「学ぼうとしている」という姿勢を見せる
→ 一方的にトップダウンで女性たちに「これを作れ、あれを作れ」というのではなくて、謙虚に学ばせてもらっている、一緒に作っているという姿勢を見せることによって、女性たちの自信にもつなげる
● 女性たちに作り方を教えてもらう 
→ 女性たちと交流する時間が増えて、友好関係や信頼関係ができる
● 黒とは異なる色のタハルートを作ってみる 
→ 黒地以外のタハルートの魅力を実際に自分の目で見てもらい、女性たちに「今後作ってみたい」と思ってもらう
● ボランティア自身がタハルート作りを体験する
→ 制作者の立場からものごとを見ることができる。タハルート一枚にどれだけの作業が発生しているか理解することができる
● ボランティアが新しい手工芸手法を身につける 
→ 自らのスキルアップにつながり、今後商品開発を続けるにあたって、このスキルを活用することができる

実際に、出来上がったタハルートを見た現地の人たち(女性も男性も)は、まだまだ私の刺繍が荒かったりするにも関わらず、高く評価してくれました。「君はもうベルベル人だね」という人もいました(笑)。

今後も商品開発にあたっては、試行錯誤を繰り返しながら続けていく必要があります。特に、品質管理や会計管理に関してはまだまだ出来ていない部分がたくさんあります。そして、せっかく物を作っても売る場所がなくては元も子もないので、販路の拡大も必要です。

まずは今月末にラバトに行って、初めて隊員に向けた販売会を行う予定です。隊員たちに商品を見てもらい、反応を伺ってから、また改めて今後の商品開発や販路拡大の作戦を練っていかないといけないと思います。

2013/09/23

三者協議と活動計画 / Three-party talk and action plans

最近のブログ記事はモロッコ国内旅行に関することが続いていましたが、今回は活動に関することを書きます。

モロッコに赴任して早くももう半年が経ちました。

JICAボランティアは、定期的に自らの今までの活動や今後の活動計画を明記した活動報告書を、任期中に5回提出しなくてはいけません。第1号は赴任3ヶ月後、第2号は赴任6ヶ月後、第3号は赴任1年後、第4号は赴任1年半後、そして最終号は帰国前の提出。赴任6ヶ月後を迎える私は、このタイミングで第2号の報告書を提出しなくてはいけません。

JICAボランティアは、日本のODA(政府開発援助)予算で派遣されているため、納税者である日本の国民に活動報告書を開示する必要があります。この報告書はJICA研究所の図書館にて閲覧することができます(2013年9月22日現在、詳細はこちら)。

さて、この第2号報告書には、今まで6ヶ月間活動してきたことを元に、今後の活動計画を明確に記載しなくてはなりません。活動計画は、自分だけで決めるのではなく、配属先の省庁や、JICAのボランティア調整員、そして活動先のカウンターパートと一緒に協議した上で決めます。そして、第2号報告書には、報告書に加えて「活動計画表」という、今後1年半の間、いつ頃どんな活動をするかチャート式で記入する表も添付しなくてはいけません。
私の活動計画表。仏語が間違っている部分も
あると思うんで、あまりズームしないで下さい(笑)。

この活動計画表は、1)JICA、2)配属先担当者およびカウンタパート(配属先と別にいる場合)、3)隊員、の三者で行われる協議で使われるため、モロッコの場合は公用語のアラビア語、あるいはフランス語で書かなくてはいけません。

私の場合は最初に日本語版を作成してから、フランス語に訳しました。でも何しろフランス語でこういった書類を作るのは初めてなので、辞書やネットで必要な単語を探しながら必死での準備・・・。協議の1週間前に、内容チェックのためにモロッコ事務所にフランス語版を事前に提出する必要がありました。

そして、この活動計画表を元に、9月19日に三者協議が行われました。
参加者は、JICAボランティア調整員2名、配属先(教育省)担当者代理、2つの活動先団体の代表者計3名、そして私。

事前に作成したフランス語の活動計画書を元に、ひたすらフランス語でJICAと教育省担当者、そして活動先団体の代表者たちに、今後の活動を説明・・・。こんなフランス語で理解してもらえてるんだろうか・・・?といった部分もありましたが、フランス語が理解できない私の活動先代表者のために、JICAスタッフが仏語>アラビア語で通訳してくれたりして、無事終了・・・。多分1時間近くかかりました。

私の今後の活動計画は大きく分けると以下。
1)手工芸品や地元特産品などの商品販売を通した現金収入向上
(現状把握、手芸グループの組織化、商品開発と製作、質の改善、販路拡大など)
2)識字教育や健康・生活向上のための啓発活動
(英会話レッスン、保健や環境教育、健康改善のためのアクティビティなど)
3)地域間の格差を軽減する
(集落間のアソシエーション連携を通した、脆弱なアソシエーションの組織運営強化など)

ちなみに、今までは1つのアソシエーション(女性団体)でしか活動していませんでしたが、集落のもっと奥にあるまだアソシエーション歴の短い女性団体でも活動を展開していくことになりました。あと、学校にて手洗いやトイレの使い方などの学校保健指導を行ったりするために、今後はアソシエーションだけでなく集落の主に小学校にも巡回することになりそうです。

あと、ラマダン中に行っていた英会話レッスンをまた再開してほしいというニーズが生徒たちからあったので、これもまた近日中に始めたいと思ってます。

ところで、私の三者協議の前には、帰国を直前に控えた先輩隊員の最終報告がありました。フランス語での報告がほとんどのなか、パワポはフランス語で準備し、実際に説明するのはアラビア語!という強者の先輩隊員もいてビックリしました。私もあと1年半後には2つの言語を使いこなせるようになりたい・・・と思いながらも、今までの努力だけじゃ足りないということを改めて自覚し、もっとアラビア語の勉強に取り組まないと、アラビア語が話せるようになるのは夢で終わってしまうと思いました。
任期中に読めるようになりたいアラビア語文字・・・。

赴任してから6ヶ月経つ今、活動計画表を作りながら、今後の活動はこれでいいんだろうかと少し思いながらも、徐々に徐々に現地のニーズに合わせて、モロッコ人とともに、この地域の発展を後押しするような活動を展開できたらなと思います。
任地グルミマの郊外。
いつもと違った道を通って活動先に行ってみたら、
こんな素敵な風景が広がっていた!
<おまけ>
収穫の時期を迎えたツマル(ナツメヤシ)を
大量に背負ったロバくん。

2013/09/22

イミルシルの婚約祭り / The Festival of Imilcil

今週末は、イミルシルの婚約祭りに行ってきました!

イミルシルというのは、アトラス山脈標高約2200mにある小さなベルベル人の村。この村では、異なる一族の男女が恋に落ちたが、親に結婚を反対され、絶望のあまりに泣き死んで湖ができたという伝説があります(※この伝説には他にも、湖に身を投げたなどの言い伝えもありますが、ここに書いているのはモロッコ人から聞いた話と、ネットで調べた伝説を書きます)。その後、異なる一族の男女同士でも結婚できるように、この地域に「縁結びのムッセム」というお祭りがイスラム暦の9月に毎年開かれるようになったそう。

このお祭りは、毎年直前にならないといつ開かれるか情報が入らなくて、私も前から行きたいと思っていたので、ずっとモロッコ人の知り合いを通して情報収集をしてました。うわさによると、今年は9月20〜22日の3日間だとか。

そんな中、先月結婚式に私も参加させてもらった新婚カップルのお隣さんが、「今週末イミルシルのお祭りに行くけど、一緒に行く?」と声を掛けてくれ、JICAボランティア7人とピースコーボランティア1人も一緒に行かせてもらうことに。

参加させてもらったのは、イミルシルのお祭りに日帰りで行く企画ツアー。大型観光バスは約40人のモロッコ人と私たち外国人ボランティア8人でいっぱい!招待してくれた新婚カップルの2人が医療関係者のために、2人の同僚(?)と思われる医療関係者やその他教育関係者などのモロッコ人がほとんどでした。

ツアーはエルラシディア(私の任地から60km離れたところにあるわりと大きな町)を出発して、Richというアトラス山脈の入り口の町を経由して、どんどん山道を進んで行く。途中、すごい渓谷のようなところをずーっと通っていって、モロッコの雄大な自然に改めて感激・・・。


なぜか道中に、休憩も兼ねてバスを止めては集合写真を撮ったり、みんなで円になって自己紹介をしたりして(笑)、いつイミルシルに着くんだ〜?って感じでしたが、これもモロッコ風の旅の楽しみ方なのかな?良い経験になりました。
なぜか円になって自己紹介タイム〜(笑)
これも縁結びの一部!?

旅の楽しみ方と言えば、バスの中でもモロッコ人はノリノリ!バスの中に楽器を持って来て演奏したり、お祝いの歌を歌ったりして、大盛り上がり!


さてさて、エルラシディアを朝7時半頃に出発して、途中休憩を2度とって、イミルシルのお祭り会場に着いたのは正午過ぎ。会場にはテントがたくさんあって、一見は週末にある青空市場(スーク)みたいな感じ。いろんな食べ物や衣服、ベルベル絨毯とかアクセサリーなども売られてました。




会場の奥に進んで行くと野外ステージがあって、ここで縁結びのお祭りが見れるのかな?と期待していたのですが、どうやら今日のイベントはもう終わってしまっていたようで、特にお祭りらしいことは残念ながら見れませんでした・・・。

でも、出店の間を歩いていると、白いウェディング用のブランケットを羽織った女性たちがいたり、この地域で女性たちが身にまとう紺色のブランケットを羽織った女性たちがいて、この地域独特の文化を目にすることができました。同じベルベル人でも、私の任地グルミマでは、ベルベル人女性たちはタハルートというまた全く異なる布をまとっているので、地域によってまとう生地が異なるって、興味深いですね。
紺色のブランケットをまとった女性たち
白地のウェディングブランケットをまとった女性たち

イミルシルは周囲をアトラス山脈に囲まれた秘境の村。周りを見渡すと、広い青空の下に険しい山々が見えて、本当に綺麗!景色だけでも十分に楽しめます。


一緒に来ていた隊員たちとピースコーの子と一緒に、モロッコ人ばっかりがいる屋台のようなお店でタジンを食べたり、出店で買い物をしたりした後は、お祭りの会場を出発して、伝説にある男女が泣いてできたといわれる湖に行くことに。

湖は2つあって、1つは花婿の湖(Isli)、そしてもう1つは花嫁の湖(Tislit)。2人の湖はイミルシルの街中から少し離れた所にあって、今回は花嫁の湖にのみ行ってきました。

なんかゴツゴツとした岩山が多いアトラス山脈の山の中の秘境に、こんな綺麗な湖があるとは不思議な感じ。なんとも神秘的なところ。前にここに来たことがある隊員は、前回来た時は湖がもっとエメラルドグリーンだったと言っていました。う〜ん、今回はそこまでエメラルドグリーンじゃなかったので、また別の機会に来てエメラルドグリーンなところを見てみたい・・・。

そして、帰りはまたもや長い山道を通ってエルラシディアへ。途中、夕暮れのアトラス山脈の村々や山肌が見えて、これはまた綺麗でした。

そして、無事グルミマ行きのバスに乗って任地へ戻りました。家に着いたのは夜12時近く。さすがにちょっと疲れましたが、今回も再びモロッコの魅力に魅せられるような旅でした。来年も行ってみたいくらいにイミルシルが好きになりました!次は是非縁結びの様子が見たいところです。

2013/09/15

国内旅行③ 〜大西洋の風が吹く街、エッサウイラ〜 / Trip to Essaouira

国内旅行の最終回は、エッサウイラ編。

マラケシュでの滞在後は、同期隊員と共にマラケシュから西へ3時間向かったところに位置する小さな港町、エッサウイラへ。

エッサウイラは18世紀半ば以降はモロッコ各地から文人や芸術家が集まる街だったようで、それがなっとくできるような、ヨーロッパ風だけどモロッコらしさも残る可愛らしい港町。大西洋沿いにあるために、海の冷たい潮風が吹き、マラケシュの暑さが信じられないくらいの涼しさでした。
エッサウイラの旧市街
街中の様子

モロッコの砂漠地方にあるような砂色の建物と違って、大西洋側にあるこの街は、海の景色に合わせるかのように白や青の建物が多いのが印象的。同じモロッコ国内でもここまで雰囲気が違うとは・・・。

任地グルミマは内陸地なのでシーフードはほぼ一切手に入ることはないけど、ここエッサウイラならば美味しいシーフードが安く手に入るとのことなので、早速ランチはモロッコ人で賑わっていたシーフード料理屋に入って、たらふくシーフードを食べました!


お腹いっぱいになった後は、魚市場などがある港へ散策へ。この頃、同期隊員の子は活動の都合で彼女の任地に帰らなくてはならなかったので、ここからはずっと1人。



そして、海の絶壁沿いの突き出した城塞のスカラにも足を伸ばしてみました。16世紀初めにポルトガル人が支配した時に要塞を築き、ヨーロッパ風の塔がそびえ、大砲が並び、中世のヨーロッパを思い出させるような雰囲気でした。



この街は寄木細工で有名なため、寄木細工のお店を見て回ったり、街の雰囲気を味わうために旧市街を散策したりしました。エッサウイラはマラケシュよりも小さいし、客引きもマラケシュよりは少し控えめなので、1人でもわりと廻りやすく、このコンパクトでお洒落な街を堪能することができました。
カラフルな帽子たちと帽子屋のおじさん 
猫と犬のコラボ☆
こんなステッカーも。
エッサウイラは風が強いからサーフィンもできるらしい。
ジェラバ(ワンピースのようなフード付きの
モロッコ人が良く着る服)姿でサーフィン、
そしてその後ろにラクダってのが面白い・・・
こんなところにたこ焼きが!
世界を旅し、たこ焼きを通して各地の人と
交流する日本人男性が教えてくれたらしい
お洒落なお店が多いエッサウイラ

そしてエッサウイラで一泊した後は、エッサウイラ〜マラケシュ、マラケシュ〜グルミマの経路で、任地グルミマまで戻ってきました。

マラケシュからグルミマへ戻る時にはアトラス山脈越えがあったのですが、その山道がまた綺麗なこと!残念ながら通路側の席だったので良い写真は撮ることができませんでしたが、マラケシュ側の緑が残る山の斜面から、カスバ街道のある茶色の荒々しい砂の荒野に風景が変わってくると、もう任地グルミマのあるモロッコ南東部の風景だなと感じました。同じ国内でもここまで風景が違うモロッコって本当に面白い!
こういう風景を見ると、やっとアトラスのこっち側に来たって感じ

国内旅行のおかげで久しぶりにリフレッシュすることができたし、モロッコの異なる側面も見ることができて、大満足!もっとモロッコのことが知ってみたいと思いました。

最後に、一緒に旅をしてくれた同期隊員のKちゃんと、ドイツからわざわざモロッコまで来てくれたSちゃん、ありがとう!2人が一緒だったおかげで楽しい旅をすることができました!☆

国内旅行② 〜世界遺産の古都、マラケシュ〜 / Trip to an ancient heritage city Marrakech

先週の投稿では国内旅行でカサブランカへ行ったことを書きましたが、今回はその後に訪れた世界遺産の古都、マラケシュについて書きたいと思います。

マラケシュはカサブランカからバスあるいは電車で3時間程で行ける距離。カサブランカで合流した元ピースボートの乗客だった友人と一緒にバスでマラケシュへ。そして、マラケシュでは、同期隊員が合流!彼女とは3ヶ月ぶりの再会でした!

予約していたホステルにチェックインした後は、世界遺産のメディナ(旧市街)の中にあるスークの迷路を散策。さすがマラケシュ!モロッコ国内から色んな可愛い雑貨などが集まっているために、3人とも買い物で大盛り上がり!早速3人でお揃いのスカーフを買ってしまいました(笑)。

スークの中は細い道がたくさんで迷路みたい。迷子になってしまいそうですが、友達たちと気に入った店に入って欲しいものがあればアラビア語で商人たちと値段交渉したりしているうちに、あっという間に時間は過ぎてしまい、迷子になっている時間もないくらいです。
スークの様子

でもさすがマラケシュ、任地では絶対に買えないような可愛いモロッコ雑貨がたっぷり詰められていて、今回の訪問ではかなりたくさんの買い物をしてしまいました・・・。
色とりどりのバブーシュ(羊革のスリッパ)
お店の中を見ているだけでも楽しい。宝石箱みたいな彩。
スークの中にたくさんあるランプ屋さん。
スークの近くの広場
今日はもうすぐ店じまい
マラケシュの旧市街の街並は、雰囲気も素敵

実は、私はマラケシュには4年前に一度来たことがあります。それは、4年前に「ピースボート地球一周の船旅」に初めて通訳ボランティアで乗船した時に、カサブランカに船が寄港し、1泊2日でマラケシュを訪れるツアーに通訳で同行した時のこと。その時はモロッコのことは知りませんでしたが、その時の訪問がとても楽しくて、モロッコの奥深い文化や自然の豊さなどに惹かれこの国が大好きになり、船がカサブランカ港を出港する時には、どんどん遠くなって行くモロッコの岸壁を見つめながら、「いつか絶対にまたモロッコに戻ってくる!」と思っていたのを今でも覚えています。

そして偶然にも、船旅中にルームメートだった通訳ボランティアの1人が、実は過去に協力隊員(私と同じ職種の村落開発普及員)としてボリビアに派遣されていたこともあり、彼女に色々と話を聞いているうちに、いつか「私も協力隊にも絶対に応募する」、そしてできれば「モロッコに行きたい」と思い始めたのもこの頃でした。
4年前に全く同じ場所から見たマラケシュの「ジャマ・エル・フナ広場」。
あの時は、まさか4年後に協力隊員として
再びモロッコに戻ってこれるとは思ってもいなかった。
そんなことを思い出しながら、4年越しの想いでやっとここまで来れたと思うと何だか感慨深くなってしまいました。その分、しっかりと2年間で自分ができることをやらなくてはなと引き締まる思いでした。


そして、マラケシュでの滞在の最終日には、マラケシュの近郊にあるベルベル人村より日本へモロッコ雑貨を輸出している「サハラへの道」というフェアトレードのお店の工房を訪問させていただきました。

「サハラヘの道は、2008年に設立したマグリブ地方のハンドメイド作品をご紹介しているお店です。現在では、2013年に現地で立ち上げのお手伝いをした、NGO「未来へ」のメンバーが切磋琢磨して生み出した素敵な作品を日本をはじめ、海外の皆さまにご覧いただいています。

2008年にこちらのお仕事を始めたとき、現地の実情を目の当たりにしたとき、無知ながらも、生産価格、現地の労働賃金、中間業者の利益、販売価格の間に、大きな格差があるように感じました。その「格差」の原因をつきとめ、少しでも改善できる方向へ促進するために、フェアトレードについて文献を読み進め、その理念に従い、活動を進めています」
「サハラへの道」ウェブサイトより一部抜粋)

「サハラへの道」の店長は、部谷由佳さんという日本人女性です。彼女が考える「フェア(平等な・公正な)トレード(取引)」に基づいた会社の運営方法や、商品の生産者たちとの働き方について共感できる部分が多く、そして現在私が協力隊活動の一部として女性団体と一緒に手工芸品開発をするにあたって色々と学ばせて頂ける部分も多いのではと思い、今回同社の工房を訪問させて頂くことになりました(部谷さんが考えるフェアトレードに関しての記事はこちら)。

マラケシュ中心地の喧噪を抜けて、工房のある郊外の村に行ってみると、そこはオリーブの木やフルーツの木が生えて、鶏やヤギ、羊などの動物がいる、静かなベルベル人の村でした。村の素朴な雰囲気は任地グルミマともなんとなく似ていて、少し任地が懐かしくなりました。


店長の部谷さんは現在モロッコ国外の大学院に在学中なので、残念ながらこの時はお会いすることができませんでしたが、彼女と一緒に会社を運営するモロッコ人の方に村や工房を案内して頂きました。

最近では、この村の人たちと一緒にNGOを立ち上げたようで、訪問した時はメンバーの女性たちが作ったベルベルバスケットリサイクルラグなどをを見せて頂きました。
製作中のリサイクルラグ、「ボ・シャルウィット」
端切れや古着を細かく切り裂いて結んでいく

普通ならば、商品を買う時は既に出来上がったものを手にしますが、このようにどのようにして商品1つ1つが作られているのか、その生産過程を知った上で商品を手にするのでは、また少し商品の見方が変わってきますね。

最近は安い輸入品が普及したり、大量生産された安い物が市場に出回っていますが、このように1つ1つ丁寧に手で作られた製品は、それだけ質も良いものですし、1つ1つのものにそれぞれの物語があって、また趣があると思います。

また、「サハラへの道」のようにフェアトレードの仕組みの元で作られたものならば、きちんと仕事と物に見合った金額が生産者に支払われるように取り組んでいるのですから、生産者たちの生活向上の支援にもつながります。

私の協力隊活動の要請の1つも、「手工芸品や特産品の開発や販路拡大を通した女性たちの現金収入向上」を支援することなので、今後どのように女性たちと商品を開発し、値段設定をして、商品を販売していくか考える良い機会となりました。

工房のある村には随分と長居させていただき、結局マラケシュに戻った頃にはもう日が暮れていました。私たちを長い間歓迎してくださった村の方々に感謝です。

そして、3日間のマラケシュ滞在はあっという間に過ぎ、次は大西洋沿いの街、エッサウイラに。エッサウイラでの滞在に関する記事はまた次回!