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2023/11/30

ダナキル(エチオピア)に行ってきました!/My trip to Danakil (Ethiopia)

前回ジブチに関する旅録をかなり詳細に渡ってブログに投稿しましたが、実はジブチに渡航する前に、ジブチに行く際の経由地であるエチオピアにも4日ほど立ち寄っていました。実は2019年に当時私が勤務していたスーダンで情勢が悪化して緊急退避が必要となり、その際にエチオピアに1ヶ月滞在していたことがあります。滞在していた1ヶ月の間、基本は首都のアディスアベバに滞在して仕事をリモートでしていましたが、週末を利用して世界遺産の岩窟教会があるラリベラを旅行したこともありました。当時、退避中だったこともあり、あまり大々的に国内旅行はできなかったのですが、いつかエチオピア東部にあるダナキル盆地という、火山活動からなる硫黄やその他成分の影響で真っ黄色や緑の大地が広がり地熱が出ているところに行ってみたいと思っていました(結局、退避中には日程的にも無理で行けませんでした)。

エチオピアやダナキルに関しては、ジブチと比べるとまだもう少し情報があるし、旅行に来る方も多いと思うので(もちろん、ヨーロッパとかに比べるともっと少ないだろうけど)、ジブチの旅録ほどは今回ここに詳しく書きません。とにかく景色がすごく綺麗だったので写真中心にダナキル編旅録をここに記録しますが、結構体力的にもタフな旅だったので(笑)、心の準備がある程度ある方でないと(特にこれまでにアフリカ経験なく日本から直接来る方にとっては)体力的にも辛い旅になる可能性もあるかもしれません。そのためにも旅路や泊まったところに関して、今後ダナキルツアーに興味ある方に参考になるように記録を残したいと思います。

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エチオピアは観光ビザがオンライン(E-VISA)あるいはアライバルで取得可能(2023年11月時点)。空港で並んだりするのが嫌だったので、オンラインで申請(ちなみに、偽のウェブサイトがいくつかある。正規のエチオピア政府のVISA申請のウェブサイトであることを確認しましょう)。基本手続きに関しては他の国のE-VISA申請と変わり無いので、ここでは端折ります。

今回私はダナキルに行くためだけにエチオピアに立ち寄っているので、滞在期間は移動日を含めて5日間(うち丸3日間が観光のための日程)。ダナキル以外にも見どころがエチオピアはたくさんあるので、他のところも観光することを検討している方はもちろんもっと日程が必要。ただ、現在情勢が不安定な地域もあるので、その都度現地の情勢や治安は外務省の渡航情報などを確認する必要がある。

エチオピア在住の友人が現地で信頼できるツアー会社と連絡してツアー詳細や安全性などを確認してくれて、支払いは現地通貨ですることとなった(私はPayPalでドルで支払おうとしたがうまくいかなくて、結局現地駐在中の友人にドルで銀行口座に振り込み、現地通貨でツアー会社に支払うという手続きとなった)。ちなみに、一緒の日程でツアーに参加したオランダ人旅行客は、ツアーが終了してからガイドさん経由でドル払いをしていたので、事前に国外から払うのが難しい場合は、現地でも柔軟に対応してくれるという印象を受けた。

ツアー出発地は、エチオピア東部のSemeraという地方都市。そこまで行くための移動(エチオピア航空の国内線)の手配は各自が行い、私は同社のShebaMiles(マイル)が十分に溜まっていたために、その一部のマイルを使って航空券を手配(なので、空港税などを除けばタダだった)。ツアー開始日の早朝の便に間に合うように、前日夜にウガンダからアディスに到着した私は空港のすぐ近くのホテルに泊まり、翌朝空港にまたすぐに出れるように、ホテルの無料シャトルバスを手配していた。指定されたシャトル出発時間に間に合うように、朝ごはんをめっちゃ急いで食べたにも関わらず、他の客も一緒にシャトルを利用するということで、彼らが来るのを待って約30分・・・。飛行機の時間が迫ってるんですけど・・・、とホテルの人に催促し、やっとシャトルが空港に向けて出発して、大急ぎでチェックインデスクに駆け込む。

朝早い便なのに結構国内線のチェックインデスク(全てのエチオピア航空の国内線のチェックインを対応している模様)が混んでいて、「私の便はもうすぐ出発するから!」と言って列に並ぶ人を飛ばして駆け込むエチオピア人・・・。周りの人も急ぐ他の便の客に同情してか、時間が迫っている旅行客を優先していた。「私の飛行機も時間が迫っているんですけど・・・・!」と思いながらも、辺りを見回してもエチオピア人ばっかりで、空港のスタッフに「私の飛行機の時間ももうすぐなんですけど」と言ったら、ここで並びなさい、的な感じのことを言われ、列も意外と早く動いていたので、ヒヤヒヤしながらも列に並び続け、なんとか無事にチェックイン終了!

Semera行きの飛行機は、見渡す限り大多数がエチオピア人だったが、15人ほどはおそらく外国人観光客。移動時間は1時間ちょい。アディスを出発すると、大都市を超えて、緑の大自然が広がるが、30分ほどするとそれが徐々に乾燥した茶色の大地に変わっていく。Semeraに着く20分ほど前から上空から見ても明らかにわかるような荒野が広がる。着陸直前には、地上に現地の遊牧民が作ったと見られる簡易的なドーム型の鎌倉のような形をした住居がいくつかみえ、今年3月から6月までに出張先で行った、ケニア北西部のTurkana地方の人たちの住居とそっくりだと思った。飛行機を降りると、どうやら同じ飛行機にVIPが乗っていたのか、滑走路から飛行場の建物に入るところに現地の民族衣装をまとった男性と女性が数名左右両側に並び、ダンスと歌を披露していた。もちろん私たちのために披露しているわけではないのはわかっているが、ラッキーと思いながら写真やビデオを撮って、パフォーマンスを思い出に残す。



チェックイン荷物を受け取って空港から出ると、ツアー会社の運転手兼ガイドさんが待っていて、外国人旅行客が次々に駐車場に並んでいた四駆車に分かれて乗っていく。私たちの車を担当する運転手・ガイドさんと、同じツアーに参加するもう一人の単身観光客(オランダ人女性、おそらく50代くらいで、旦那さんが来るはずだったが仕事の都合で来れなくて一人で来たという地質学者)と合流し、いざ出発!

ツアーの日程としては、1日目は陸路でひたすら北上し、エリトリア国境付近にあるエチオピア北東部にあるダナキルに向かう。道はきちんと舗装されていて、ウガンダのボコボコで穴だらけの道よりもかなり快適。渓谷などを通って綺麗な景色を眺めながら、途中塩湖が見えたのでそこで写真ストップをし、小さな町(名前忘れた・・・)でランチ休憩。その後、渓谷の景色が徐々に噴火したマグマが固まったような黒い表面の地形に変わっていき、この地域で過去に火山が噴火したことが明らかにわかるような景色が広がる。あまりにもすごいので一旦車を止めて写真ストップ。
















そして、夕方日没の1時間ほど前に、地図上ではカルム湖(地元名はアッサル湖らしいがジブチのアッサル湖とはまた違う)と呼ばれる塩湖があるところに到着。まるでボリビアのウユニ塩湖みたいに辺りは真っ白で、一部水が塩湖の表面に溜まっている。運転手兼ガイドさんが、車の上に乗っていいよというので、私たちは自分たちが乗ってきた四駆の天井部分に登って、より高いところから数センチの水がはった塩湖をゆっくりと走る!本当に辺りの景色は素晴らしくって、感動!夕日が落ちるまでは写真撮影とのことだったので、かなりインスタ映えしそうな風景を目の前に、色んな写真を撮る。ガイドさんが気を利かせてなんとエチオピアのビールを差し出してくれて、最高の景色の中ビールを飲みながら、夕日が塩湖の遠くに見える山の頂に落ちるまで待つ・・・。あまりの景色の綺麗さと、やっとここまで来れたことに大満足で、思わず「生きてて良かった~~・・・。」と一言が自然に出るほど(笑)・・・。


















夕日が沈むと、近くにある岩山が少し並ぶところにある塩湖の下に流れる地下水で泳げるところがあり、そこに連れて行ってもらったけど、もう陽が暮れてきていたので、足湯のように足だけつけて少しゆっくり。その日泊まるところに行く途中に、塩湖で塩を採掘する労働者たちのところに立ち寄って、彼らの作業を少しだけ見学。ボリビアのポトシの鉱山で、コカ(コカインの元)の葉っぱをほっぺたいっぱいに入れて噛んで、疲労や食欲を感じにくくなるった状態で8時間以上鉱石を採掘する労働者と同じように、地球の反対側のエチオピアの塩湖でも、同じようにKhatと呼ばれる麻薬のような効果がある葉っぱを噛みながら塩採掘の労働者が塩湖の塩を削っている。日中は暑すぎるために、作業は夕暮れから始まり、日の出と共に終了するようだった。いずれにしても、かなり過酷な作業であるのは間違いなく、おまけに貰える給料も金額は覚えていないが、かなり少額なようだ。

塩の労働者を見学した後にやっと塩湖の近くにある村に辿り着く。今日泊まるのはここだという。とは言っても、別にホテルがあるわけでもなく、地元遊牧民であるアファール族のかなり簡易的な住まいがある程度。どうやら寝るのは外に並べられた木製のベッド(プラス車に積んでいた厚さが10cmほどのマットレス)のようだ。トイレもなくて、大自然の中用を足す感じだ。モロッコの砂漠ツアーに行った時には、一応砂漠のど真ん中にあるが現地式のテントが用意されていて、風や砂を凌げたのだが、今回本当に外で寝るのは初めてかも・・・。まあ暑いところだし、別に外でも寒くはないだろうと思って半袖で寝ようとしたものの、その日は風がかなり強く吹いていて、半袖では寒くなってきた・・・。途中、上着やショールを巻いたのだけど、それでも若干肌寒い・・・。木製のオンボロのベッドから空を見上げるとかなり星や天の川も見えて素敵だったのだけど、風と、実は長時間の移動のためにトイレを我慢していたせいで膀胱炎っぽくなり、全然眠れない羽目に・・・。結局、その日の晩はほとんど眠れずに朝を迎えたのだった・・・。
我々の寝床。せめてテントのような風よけがあるところかと思ったけど、まさかの野宿だった(笑)




















朝は日の出の後に朝食を済ませて、いよいよダナキルツアーの一番の見どころと言ってもいいほどの、Dallolと呼ばれる黄色や緑の地形が広がる大地が広がるところに向けて出発。途中、塩湖の広がる広大な景色を眺めながら、車で30分ほど移動すると、Dallolに到着。塩湖の延長線上に位置して、少し丘のように盛り上がったところにあり、車を止めて、ごつごつと火山岩がある丘を登ると、少しずつ岩肌が硫黄などの成分の影響を受けて、黄色や緑色になっているのが見える。辺りは地下からの地熱と強い太陽の日差しを受けて、上からと下からでダブルで暑い。 世界で一番暑い場所と言われるこの場所。一応12月頃がこの辺りは気温が年内では一番低く訪れやすい時期と言われているのだが、それでもかなり暑い・・・。どんどん岩肌の色がこの世のものとは思えないほどに色んな色に変わってきて、水が張ったところでは地下から出てくる熱湯をぐつぐつと言いながら吹き出している。規模は全く違うが、少し箱根の大涌谷を思いおこさせるような景色だ。旅行客は少し前のグループと時差があったせいか、私たちのみで、この広いカラフルな景色を独り占め(笑)。もっと観光客が来ていてもおかしくないのだが、近年のティグレイ地域の紛争があったせいか、治安を懸念してあまりまだ観光客が戻ってきていないのだろうか。。。






























写真撮影にたっぷりと時間を使わせてもらって、そしてこの奇妙な地形を後にすると、車に戻って、今度はそこから5キロも離れていないところまで、ゆっくりと車を進めていくと、遠くから見るとギリシャ文明の神殿が並ぶかのような風景が広がる。そこまで辿り着くまでには塩湖の湖面に水が張った場所を進むのだが、その景色がまたとても神秘的・・・。まるで海を車で進んでいるかのように、水面に太陽光がキラキラ光る中、ギリシャ神殿に向かっていくような感じ・・・。あたりには水の侵食でおそらく切り離されたのであろう岩の一角などが並んで、なんとも不思議な光景だ。車を降りて、少しグランドキャニオンやディズニーランドのビッグサンダーマウンテンの風景を思い起こさせるような風景を堪能して、また車で水の張った塩湖を進んでいく。途中、塩湖のボッコボコな道を30分ほど通過し、あまりにも車が上下左右に動くもんで、私が頭を天井にぶつけるほど動いたが、途中でむしろ揺れがシミュレーションのアトラクションみたいで面白くなってきて、笑うしかなかった(笑)。






















この上を車で30分ほど走った


ここの水は含まれる成分のせいか、触ると肌がぬるっとした

















そして塩湖とDallolを後にして、今後は次の見どころの活火山のErta Aleに向かう。途中、ずっと広大なマグマの固まった真っ黒な大地などを横目にして、夕方頃にErta Aleの麓に到着。今夜宿泊する予定のキャンプ場に一旦荷物を下ろして、日没前にErta Ale山のカルデラの淵まで登り、カルデラを上から一望する。2週間前に噴火したばかりらしく、その直後はこのカルデラに赤いマグマが広がっていたという。カルデラの淵から急な斜面を降りてカルデラ内に足を踏み入れると、真っ黒で光沢を持ったマグマの固まった大地が広がる。この頃にはもう陽が落ちる頃で辺りは薄暗くなり、二つの尖った岩からはなんと火を吹き出してこの火山が活動している姿を目の当たりにすることができた。おまけに、私たちが歩いたカルデラの一部はまだ熱く煙が出ているところもあり、もし今噴火したら・・・とか、私たちの足元の地下にはマグマが流れているんだろうか・・とか考えると少しゾッとする。でもこんな風景は日本では滅多に見れない(というかそもそも立ち入り禁止になっているだろう)と思って、この生きた大地の姿を写真とビデオに収める。
カルデラの中から覗いた風景。辺りは2週間前に噴火した時に流れたと思われるマグマが固まったもの






カルデラから出る頃にはもう辺りは真っ暗で、持ってきたヘッドライトで足元を照らしながら、カルデラの淵まで急斜面を登り、キャンプ場へ戻る。ツアー会社の先遣隊が作ってくれていた夜ご飯をいただき、そして寝る準備をして、前夜よりはしっかりとした寝床(このキャンプ上では少なくとも岩で作られたTukulと呼ばれる地元のシェルターがあった)で風を凌ぐことができたので、前夜よりは落ち着いて寝ることができた。
二日目のシェルター。1日目は野晒しだったけど、二日目はまだ風を凌げたのは救い。
















翌朝、朝ごはんをいただいて、2日前にSemera空港から来た道を戻り、途中別の塩湖を見学し、そして夕方のSemera発アディス行きのフライトに間に合うための時間にはSemeraに無事到着。そして無事にアディスへ国内線で戻ったのは日が暮れた後。途中飛行機で夕日が沈む時間帯だったために、夕焼けが空から綺麗に見えたのが印象的だった。こうして無事に三日間のダナキルツアーは終わったのだった。


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以上、ダナキルツアーはこんな感じで結構ハードでした。ハードだけど、景色はもの凄く綺麗で感動的なので、現地の人たちの生活も垣間見ながら、三日間ならばまあ我慢できるかなという人には是非おすすめです。いうまでもなくシャワーもないような場所なので、ツアーから帰ってきたらしっかりとシャワーを浴びてリフレッシュすることをオススメします(笑)。私はこのツアーの翌日にジブチに行きましたが、午後の便を取っておいて正解でした(午前の便ではゆっくりツアーの疲れを取れないだろうと思ったため)。ただ、再度書きますが、エチオピアの国としては地域によって不安定なところもあるので、訪問する際はその都度治安や政治的な状況を事前に確認してから、本当に行くかどうか検討することが大事です。

2019/07/05

エチオピアへの国外退避🇪🇹 / Evacuation to Ethiopia

前回4月にブログを更新した時は、ちょうどスーダンの元大統領のオマール・バシールが退陣した頃でしたが、その後も国内では軍の暫定政府に反対し、民主主義に基づいた文民による国の統治を求めてデモが続いていました。4月下旬頃には、市民が首都ハルツームにある軍本部の前で座り込みを始め、ラマダン(断食の月)だというのにも関わらず、炎天下の中座り込みを続ける人は多数に増え、座り込みの人たちに水や薬までを手渡すボランティア、お茶屋さんを開く女性たち、グラフィティを壁に描くアーティストたちや音楽隊の演奏などで、まるでお祭りのような雰囲気に変わっていました。しかし、ラマダンが終わる1日前である6月3日の早朝、座り込みをする人たちを強制排除するために、政府の軍が座り込みをする人たちに発砲し多数が亡くなったり、負傷しました

その日は早朝から事務所から全スタッフにメールが来ており、「軍による発砲があったためにスタッフは外出を控え、自宅で勤務するように」という指示がありました。昼間には、家のベランダから、遠くから真っ黒な黒煙が見えたり(軍の暫定政府に反対するためにタイヤを燃やしている)して、物騒な雰囲気になってきました。その日の夜から実は私はウガンダに休暇に行く予定でしたが、昼になる頃にはスーダンの空港や港が閉鎖されたなどの情報が入ってきていました。午後3時くらいからは、政府によってインターネットが遮断され、何も情報が入ってこなくなりました。同日、スーダンにおける国連機関内の緊急会議が開かれ、オペレーションを継続するために最低限必要なスタッフ以外を除いて、インターナショナルスタッフを全て国外退避させる決定が下されました。しかし、ネットが遮断されたために、事務所から全スタッフに送られていた退避決定のメールを私は読むことができず、国外退避を知らされたのは翌日4日でした。

3日の晩、自分が搭乗予定だったフライトが飛んでいるかもわからず、ダメもと空港へ向かってみたのですが、やっぱりフライトは欠航。空港会社に、「あなたの便は24時間後の便に延期となった」と言われたので、仕方なく自宅へ真夜中戻ってきました(実はこの日は皆、軍による更なる襲撃を恐れたり、道が封鎖されていたこともあって、道にもほとんど人も車もおらず、空港へ行くのも自宅へ帰るのも大変だった)。

4日の日中にやっと事務所の総務スタッフから連絡があり、国外退避の対象になるために、退避のための荷物を準備するようにと告げられました。私はその日の晩に延期になった前日のフライトに乗って出国し、元々休暇を取る予定だったウガンダで数日過ごし、その後退避先であるエチオピアの首都アディスアベバに合流すると伝えました。シリアなどから国外退避を数回経験したことがあるとある同僚は、「私は過去にシリアから退避した時に、一時的退避だと思って荷物を持って出国したけど、後になって戻れなくなったから、退避の荷物以外に置いていく荷物も出来るだけ箱やスーツケースにまとめて一つの場所に置いておくことをおすすめする」と言われ、急遽ウガンダに休暇で持っていく以外の、アパートにあるほぼ全部の荷物もまとめることに。急に、もしかするとスーダンにもうすぐには戻ってこれないのかもしれないと思うと、自分の住み慣れたアパートの荷物をまとめるのはとても切ない気持ちになりました。

ちなみにこの日は日中には私の自宅のすぐ近くでも銃を発砲する音が聞こえ、生まれて初めて銃声を聞いて床に伏せました。

結局、その日4日の晩のフライトも欠航になったことが判明し、翌日5日の午後の便に振り替えることになりました。何人ものタクシー運転手に電話し、やっとこさ空港に連れて行ってくれるタクシー運転手を見つけ、無事に5日の午後にウガンダへ出国することができました。ウガンダに着いたのは日を超えて6日の深夜。ウガンダに住む友人が手配してくれたタクシー運転手が空港まで迎えに来てくれており、無事に運転手と合流し、友人の家まで向かう深夜の道で、まだ若干興奮気味に運転手にスーダンの状況ややっとのこさ出国してきたことを伝えたのを今でもよく覚えています。そして深夜3時近くにやっと首都カンパラにある友人宅へ到着。その時にどれだけホッとしたことか。。。。(遅くまで仮眠しながら私の到着を待っていてくれたK夫妻には本当に感謝です)。

本当は友人たちとウガンダでラフティングに行くことを予定していたのですが、上記の通り、元々乗る予定だったフライトは欠航になったので、もちろんラフティングは行けず(涙)、その代わり1日だけ休暇を延長し、首都カンパラで4日間過ごしました。滞在期間は短かったけど、ウガンダ人の友人や、カンパラで働く日本人友人などと会うことができました。でも頭の中は、置いてきた家の愛猫のことや、休暇の後に退避中の同僚と合流する予定のエチオピアへ行くための手続きなどで頭がいっぱいで、正直100%楽しむことができませんでした。でも、そんな中美味しい手料理を作ってくれたり、カンパラの素敵なお店などを案内してくれたK夫妻、そして1日中カンパラ散策に付き合ってくれたウガンダ人の友人のおかげで、充実した滞在を過ごすことができました。



カンパラ・セントラル・モスクのタワーから見た眺め

幾何学模様がとても綺麗












































そして、カンパラでの滞在もあっという間に過ぎ、退避した同僚がいるエチオピアの首都アディスアベバへ。同僚が滞在するホテルに到着した頃は、数日前に既にチャーター便でスーダンからアディスへ退避した同僚は既に殆どが自国へ一時帰国しており、残っていたのは4人くらいしかいませんでした(スーダンから指定先のアディスまでは退避手続きの対象となるが、その後退避が解除になるまでの期間は、自国へ戻って遠隔で仕事をするか、アディスに残るか選ぶことができる)。

私は当初は国外退避は2週間の予定だと事務所から聞いていたので、日本に帰るには期間が短すぎるし、どうせ近いうちにエチオピアに旅行に来たいと思っていたので、退避中にエチオピアから遠隔で勤務するのは悪くないと思い、エチオピアに残ることに決めました。

アディスにあるUNHCR事務所に翌日から他の同僚3人と出勤し、幸い空いているパソコンと机を借りることができたので、スーダンから持ってきた仕事はそこから遠隔で行なっていました。エチオピア国内だけでもかなり見所があることがわかり、週末にはラリベラという岩に掘った教会がある地域まで旅行することができました。本当はもっと国内旅行したいくらいだったけど、標高が2400mほどあるので体が標高に慣れるまで時間がかかったり、一緒に旅行した同僚3人が旅行先のラリベラで食中毒になり、アディスに戻ってからダウンしたりと(私のみ無事だった、苦笑)、思ったよりも国内旅行はできなかったけど、アディス市内の観光したりと、わりとアディス滞在も楽しむことができました。
キリストの教えを宣教する神父と、それを繰り返し唱える若者の信者たち

この日は日曜日(キリスト教の聖なる日)だったために、白い衣を羽織った人たちがたくさんお祈りに来ていた。






教会の周りにある岩穴の中には、神父たちが住んでいたとか。
一部の穴には実際にミイラ化した神父の姿があった。


コーヒーで有名なエチオピア。コーヒーを右のポットで沸かし、中央の小さなカップに入れて振る舞う。
ちなみに、左側にある籠がモロッコにある籠ととっても似ていて、
国は離れているのに同じような手工芸品があるのは興味深い。













エチオピアで見つけた籠。
モロッコでもスーダンでも似たような籠が売っている。

モロッコでも似たようなショールがたくさん売っている。
モロッコではサブラというサボテンの繊維からなる光沢のある糸を
使っているけど、エチオピアのは何でできているのだろう。。


ディナーショーで見たエチオピアの各地の民族ダンス。
いろんな衣装やダンスがあって、面白い。




しかし、私たちが滞在中になんと全国規模の高校試験でのカンニングを防止するために、政府がネットを遮断したり、アディスとアムハラ地域におけるクーデター未遂が起こって要人が殺害されたために再びネットが遮断されたりと、スーダンからやっとの思いで脱出したうちらにも関わらず、エチオピアでも不自由な生活を過ごす羽目になりました(苦笑)。おまけに、クーデター未遂が起こった翌日は、スーダン事務所から安否確認の連絡があり、「状況によってはケニアのナイロビへの退避も検討しろ」という提案まであり、もう勘弁してくれよという感じでした(最終的には情勢悪化はなかったためにナイロビへの退避の案は却下になりましたが)。

そして元々2週間のみと言われていた退避期間は1ヶ月に延長となり、合計1ヶ月間アディスに滞在することになりました。その間、偶然にも日本UNHCR協会のエチオピア出張が私の滞在と重なり、それに同行することとなっていたUNHCR駐日事務所で働く私の大学院時代の先輩となんとアディスで再会!世界は狭いものです(笑)。幸い、UNHCR協会の御一行さんがアディス市内での難民を支援する団体を視察する際に私も一部同行させていただくことができ、南スーダンやソマリア、エリトリアから逃れてきた難民の証言を一緒に聞かせて頂くことができました。普段の仕事であまり直接難民と接する機会がないので、このような機会を得られたのは不幸中の幸いでした。

そして無事に7月5日はスーダンに戻れることが決まり、自分の住む首都ハルツームに到着した時はすごく嬉しい気持ちになりました(普段はスーダンに戻ってくる時は休暇のあととかであまり嬉しい気分じゃないけど、今回は本当に故郷に戻ってきたかのようで嬉しかった!)家に置いてきた愛猫のサミラにもやっと会えてほっとしました。



今後は情勢が落ち着いて、国民が願う民主的政治や経済成長が果たせることを祈っています。