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2023/03/19

野生のチンパンジーを見てきました!/ Chimpanzee tracking at Kibale National Park

私の任地チャカ難民居住地から2時間半ほどで行けるキバレ国立公園というところがあります。この国立公園では、野生のチンパンジーが見れるということでも知られていて、公園周辺には観光客向けの素敵なロッジもたくさんあるために、以前からずっと行きたいと思っていました。

今の任地での私の任期が今年6月末までということもあり、たまたま一緒に行きたいという同僚も見つかったので、3月中旬にやっと念願のキバレ国立公園に週末を利用していくことができました。

キバレ国立公園は左側の赤いピン。現在の任地(チャカ)はその右側の黄色い星、余談だがその前の任地(コンゴ民ブニア)は左上の黄色い星


私たちが泊まったのは、観光地としても知られるFort Portalというウガンダ西部にある町から車で30分ほどある、Isunga Lodgeと呼ばれるところ。スコットランドから移住してきた夫婦が経営するロッジで、国立公園のすぐ近くにあるので、バルコニーから公園を一望できる場所でした。ちょうど雨季がはじまった頃だったので、気候が心配でしたが、私たちが行った週末は幸い雨はほとんど降らず、ロッジからの景色は最高でした。


















別の任地から来た同僚とロッジで合流して、ロッジでは美味しい夕食を楽しんで、翌朝のチンパンジー見学が早朝7時出発ということもあって、早めに寝ました。

さて、翌朝は朝ごはんをロッジで食べてから、事前に予約していた運転手さんがロッジに迎えに来てくれて、ロッジから約20分ほど離れたチンパンジー見学の開始地点のところまで連れてってもらいました。他の国からの観光客(欧米系が多かった)と一緒に、全体向けのオリエンテーションを簡単に受けて、そして小さなグループに分けられ、各グループのごとにガイドさんがつけられました。私たちのグループは私たち二人と、偶然にも同じロッジに泊まっていたフランス在住イギリス人の中年男性一人との三人グループでした。ガイドさんはウガンダ人の女性。ゴリラ見学に去年行った時は一グループに10人ほどいたので、こちらのグループの方が少人数で動きやすいなという印象を受けました。

早速、ガイドさんを先頭にチンパンジー探し開始!ゴリラ探しの時と違って、歩くところは森の中だけど、急な勾配はほとんどない、なだらかな道でした。前日雨が降ったのか、ぬかるんだ部分があったりするものの、比較的歩きやすい道でした。散策を開始して、約30分ほどすると、ガイドさんが立ち止まって、そして森の中に高く聳え立つ木々の向こうを指さしています。指さしている方を見ると、木の枝のあたりに数頭のチンパンジーが!でも曇り天気で、チンパンジーの黒い毛並みが木の枝や葉っぱの色と同化するし、動くのも素早いので、なかなか上手く写真は撮れない。。。
木の枝に数頭のチンパンジーが


















しばらく散策を続けると、また別のところにチンパンジーの母親と子どもが今度はもう少し近い距離のところで木の枝の分かれ目の間に座りながら、グルーミングしているではないですが・・・。でもやっぱり動きが速いし距離も少しあったので、ここでもなかなかいい写真は撮れず・・・(私のカメラが10年以上前に買った機種なのと、私が使い方を完全に駆使していないのもあるけど・・・)。

そしてまた散策を続けていると、割とすぐに、今度は茂みの中に、大人のチンパンジーが座って休んでいるではないですか・・・!周りを見ると、他にも3頭が木の枝の上でお互いグルーミングをしている姿が・・・!今回は距離もかなり近いし、天気も少しよくなってきたので、ここでは割といい写真が数枚撮れました!

休憩中・・・


仲良しにグルーミング中
左のチンパンジーの顔がなかなかイカす・・・笑


仲良し3頭













このチンパンジーのグループの写真撮影に気を取られていると、他のチンパンジーも数頭やってきて、私たちのかなり近くを通ったのでビックリしました。

人間のおっさんみたい・・・。年齢的には若いらしいが・・・。




結局、チンパンジーの近くには1時間ほどいることができ、私たちもとても満足することができました!

散策を終えて、11時半くらいには国立公園の入り口のカフェでランチを食べて、午後はロッジに帰ってゆっくりすることも考えましたが、まだ時間も早いのともあって、午後は数時間でできるアクティビティの選択肢がいくつかあることを運転手さんが教えてくれたので、湿地ウォーキングツアーに行ってみることにしました。

ウォーキングツアーでは長靴を貸し出してくれて、いざ出発!午後にはかなり天気も良くなってきて、晴れ間が出るとかなり暑いくらいに感じました。ウォーキング中には、何匹か猿や珍しい鳥の姿も見えたけど、あまりにも動きが速すぎて、いい写真は撮れませんでした・・・。



とんぼは幸運をもたらしてくれるとガイドさんが言っていた。
何かいいことがあるかなあ・・・


結局、2時間ほどのウォーキングとはいえど、結構それ以上を感じさせる長さの距離で、終わる頃には結構疲れていました。

ロッジまでの帰りの車内では、朝早起きだったのもあって、短い移動距離であったものの数分間爆睡してしまいました、笑。

ロッジに帰ったら、マッサージや、ちょっと寒かったけど屋外プールでゆっくりとしながら、とても充実した時間を過ごすことができました。

私も同僚も、普段は難民居住地にある宿舎に住んでおり、食事も現地食ばっかりなので、ロッジで食べた西洋風の食事はとっても美味しく感じました。

翌日は朝はゆっくりとして、お昼頃には私と同僚はそれぞれの任地に戻る帰路に着いたのでした。

こんな感じで、キバレでの週末はあっという間に過ぎていったのでした。

任地から2時間半でここまで素敵なリゾート感を味わえるところがあるのは本当に素晴らしい!ウガンダはどこに行っても自然が豊かなで動物がたくさんいるところが私は好きです。

あと残すところ数ヶ月のウガンダ生活、引き続き楽しんでいきたいところです。

2022/12/30

野生のゴリラを見学してきました!/ Gorilla tracking in Bwindi

かなり久しぶりの投稿になりました。

ここ数ヶ月は仕事などで結構忙しくて、いつの間にかもう2022年の年末となってしまっています。。。9月下旬には、私が住む隣の県でエボラ出血熱が発生し、あっという間に私の住む県でも4件の出血熱が確定されました。私の活動するチャカ難民居住地が出血熱が最初に見つかった県から約60キロほどしか離れておらず、この県と居住地の難民の人たちもよく行き来することから、うちの居住地は「Very High Risk(非常に危険度が高い)」と国連機関内でも認定されるほどとなってしまいました。難民居住地内でもウガンダ政府とUNHCRが指揮をとり、居住地で活動するNGOなどを含むパートナーなどと協力してタスクフォースが立ち上がり、その共同議長に私が任命されることもあって、ミーティングなどの対応でバタバタしました。

また9月にはUNHCR内部である緊急支援制度の元、緊急支援対応チームのロスター登録募集があり、その募集に応募してみたところ、見事合格!ロスター登録の条件としてある緊急支援マネージメントの(Workshop on Emergency Management)研修で、ドイツに1週間行ってきました。この研修はそれだけでブログの記事が一つ書けるくらい濃い内容だったのですが、今回のブログ投稿の理由はこの研修内容について話すわけではないので、この辺で止めておきます。


年末は日本に帰るのですが、あとウガンダでの任期も残すところ6ヶ月ということもあって、ウガンダを去る前に絶対に行っておきたいと前から思っていたのが、野生のゴリラを見学できる、ブウィンディ国立公園です。この国立公園は世界遺産にも認められており、ウガンダの南西部、コンゴ民主共和国とルワンダとの国境に近い地域に位置します。

左下にあるのがBwindi国立公園の位置。ちなみに私が2020年から2021までいたコンゴ民の任地のブニアは左上の黄色い星(N27の近く)、そして現在の任地は地図中央付近にある黄色い星(Mubendeと書いてある横)。

野生のゴリラが生息するのは、アフリカではウガンダ、コンゴ民主共和国、ルワンダのみで、そのうちの半数のゴリラがウガンダ側に生息していると言われています。この三国の中で、ウガンダは治安的にも金銭的にも他の2国よりも行きやすいということから、絶対にウガンダにいる間に行った方がいい、と日本人の友人からも勧められていました。


今回は偶然にもクリスマス時期にウガンダに居残ると言っていた、別の国連機関の日本人職員の女性との予定が合い、二人で一緒に行くことになりました。

首都カンパラから車で行くと約9時間以上の道のり。出発は朝7時にしたにも関わらず、クリスマス前の帰省(日本で言うとお盆や年末時期の帰省)のせいか渋滞していて、カンパラ郊外の幹線道路にて3時間以上ノロノロ運転状態・・・。国立公園に行く途中に通過する、赤道直下(緯度0度)のちょっとした観光地で写真ストップをした頃には既に正午を回っていました。

赤の文字Uganda Equatorの横にあるピンが地図上でのその位置


















ウガンダは世界でも有数の赤道直下にある国の一つで、首都カンパラから車で3時間ほど南下したところ、ちょうどMasakaという街の少し手前くらいに、緯度0度の記念碑のようなところがあります。ここで写真ストップをしたのですが、結構面白かったのが、水の渦が回るのが南半球と北半球、そして緯度0度で異なるということを見せるデモンストレーションでした。

かなり観光客向けのぼったくりの値段(1グループ3ドルほど)でしたが、個人的にはこのデモは勉強になりました。以下のビデオにある通り、水をたらいのようなものに注ぎ、花びらを置き、北半球では右回り(時計周り)に、南半球では左回り(反時計回り)に水の渦(花びら)が回転し、緯度0度ではこれがどちらにも回転しない、ということがデモからわかるのです。


このたらい、それぞれ2メートルほどしか離れていないのですが、確かに水の渦の動きが北緯か南緯かによって変わるのです。


そしてちょうど0度だと全く回転しないというのは結構感動しました!


さて、このデモの場所を去り、途中Mbararaにてランチ休憩をとったのですが、その後はひたすら目的地まで車で進みます。途中、Rukungiriという街からオフロードになり、砂利道を3時間ほど進み、山の中のようなところも通りました。結局、国立公園付近にあるホテルに到着したのが、夜の21時半頃でした・・・。


国立公園は、地図からでも分かるとおりかなりコンゴ民主共和国との国境に近く、ホテルに向かう途中の道で、何度も国境から2キロほどしか離れていないところを通ったりもしました。いくら去年までコンゴ民東部に住んでいたとはいえど、今でも武装勢力が130以上いて、最近までも武装勢力の一部の活動が続けられている地域なので、夜の鬱蒼とした森の中を車で走るのは少し怖かったです。


無事にホテルに着いたのは夜の9時半過ぎで、到着後にすぐ夜ご飯を食べて翌朝はスタートが早いのですぐに寝ました。ちなみに、泊まったホテルはRide 4 a Womanという地元NGOが経営しているホテルで、DVや貧困に苦しむ地元の女性たちを雇用したり、彼女たちに手工芸品製作のスキル構築の訓練を提供するなど、職業訓練的な活動を行うことによって女性たちのエンパワーメントにつながるような活動をしているところです。女性たちが作った手工芸品を販売するスペースがあり、ちょっとお値段は張るけど質の高い商品を作っており、私もいくつか買ってしまいました(私がJICA協力隊時代に行っていた女性たちとの手工芸品開発・販売にとても似通っていたので、ついついテンションが上がりました!)


さて翌朝は早起きし、ゴリラ見学ツアーが始まる国立公園の入り口へ集合。私たち以外にも、多くの欧米観光客が集まっていました。出発前にゴリラ見学ツアーの注意事項や地元の女性たちによるダンスや音楽の披露があり、その後、体力や年齢などをもとに、センターの人たちが4つのグループに観光客を分けて、それぞれのグループがゴリラ1家族を追跡することになります。私たちのグループは私たちを入れて8人で、私たちと同じくらいの年齢のケニアから来たカップル以外は皆私たちよりも歳上の欧米系の夫婦でした。


午前8時頃にいよいよゴリラ追跡開始!渡された杖を持って、いざ木々が生い茂った森へ入り、緩やかな斜面を登って約3時間。ガイドさんが、先行でゴリラ一家を追跡しているアドバンスチームの人たちと無線でゴリラの位置情報を確認していたのですが、追跡するのに手こずっているようで、とりあえず森の中で30分ほど休憩。引き続き追跡を1時間ほどしたのですが、ガイドさんが私たちグループに向かって、「ずっと先行チームとゴリラの居場所を確認して追っているのだが、苦戦していて、このままだと会うことができずに帰る羽目になるかもしれない。」と言いました。

・・・・え、会えないってこともあるんですか・・・!? 500ドル(←ウガンダ駐在の外国人のゴリラ見学許可料金)も払っておいて、見れないことってあるんですか??

と思ったのですが、ガイドさんがすぐに続けます。

「でも、見れないで引き返すのは皆さんがっかりすると思うので、予定を変えて、他のグループが追跡した別の一家を追跡しようと思いますが、それでもいいですか?」

と私たちに確認してくれました。

満場一致で、私たちはそれでも構わないと答え、ルートを変えて、引き続き木々が生い茂る斜面を上ったり下ったりと更に45分ほど進むと、先行チームが待ち構えるところに合流。ガイドさんが1箇所に皆を集め、「やっと一家族を見つけることができました。これから1時間与えるので、その間に写真を撮ったり見学をしてください。そして1時間が経ったらきっちりとこの場を離れます。いいですね?それでは、これから行きます。」と私たちに伝えました。

私たちも、ついにこの時がやってきたと思い、まだ姿が見えないゴリラ家族がどこにいるのかわからずに、ガイドさんについて行きました。私たちと同じくらいの背丈の草が生い茂る茂みを掻き分けて数メートル斜面を更に進むと、なんと茂みの間、右手約10メートルほど先に真っ黒なゴリラが座って、モリモリと草を食べているではないですか!






















思わず息を呑んで、そしてみな静かにカメラのシャッターを切りました。私たちの存在を気にしないかのように、ゴリラはずっと草をむしゃむしゃと食べているだけ。。。ガイドさん曰く、これは雄のゴリラなようでした。そして、しばらくすると茂みの影から子どものゴリラがお父さんの方へ向かって歩いてきて、私たちの横を遮りました。

そして、そのお父さんの近くには、なんとお母さんと他の子どもたちもいて、お父さんゴリラがお母さんゴリラと子どもたちと一緒に食後ゆっくりする姿も見れました。

































このタイプのマウンテンゴリラは、大人に成長した雄のみがシルバーバック(銀色の背中)の毛並みになるようで、お父さんが食後昼寝をする体勢になった時に、見事に立派なシルバーバックを拝見することができました。子どもたちやお母さんは確かに全身黒の毛皮をまとっており、体もお父さんに比べると小柄でした。


そしてあっという間に制限時間の1時間は過ぎ、「では時間です。最後の写真を撮ったらこの場を去ります。」とガイドさんから言われ、私たちは名残惜しくも、茂みの中で優雅に休憩するゴリラ一家を後にしたのでした。











そして、下山する時は、登山した時はそれほど急勾配でなかった斜面だったので、そこそこ楽勝だろうと思っていたら、なんと大間違い・・・。予定とは別のゴリラ一家を追跡したためか、登山したときとは違うルートを通り、かなり急斜面で水溜りが多く滑る斜面を下ったために、足がもうガクガク・・・。杖を使ってでもかなり下りるのが大変だった部分も多く、かなり汗だくになりました。そしてやっと下山した頃にはもう午後3時半。午前8時登山開始したので、合計で7時間半トレッキングしていたことになります(うち30分ほどの休憩と、1時間のゴリラ見学含む)。久しぶりにこんなにハードな山登りをしたので、足は絶対に筋肉痛になること間違いなし!と思っていたら、足だけではなくて、杖を持っていた腕の辺りまで筋肉痛になり、結局3日間はトイレ行くことでさえも苦痛なほどの全身の筋肉痛に見舞われました・・・。

それでも、やっぱり野生のゴリラを見れたことはとっても感動しました!グループによっては、結構すぐに追跡ができて、午前中に帰ってきたグループもあったそうなので、私たちのグループは結構長時間歩いたグループになるかと思います。過去に行ったことがある友人などからは、結構大変だと言われていたのですが、やはりその通りでぬかるんだり急斜面の森を長時間歩くのは簡単ではなかったですが、それだけの長時間を歩いてまでも、野生のゴリラを至近距離で見学する価値はあると思います。


もうこのトレッキングでヘトヘトだったのですが、国立公園の周辺には、世界一背が小さいと言われるバトゥワ族(←現地語の言い方で、一般的な俗語ではピグミーと呼ばれる)のコミュニティが存在しており、このコミュニティの生活を見学できるプログラムがあるので、せっかくなのでそれに短時間参加することにしました。コンゴ民に住んでいた時にも、このような民族が同国東部に存在しており、残念ながら彼らの背の小さいことや狩猟生活などを理由に、他のコミュニティから疎外されたり馬鹿にされたりすることがあるのは知っていました。ウガンダでは、Bwindi国立公園周辺で元々狩猟生活を続けていたそうですが、国立公園においてのゴリラ見学が観光地化されて、国立公園に生息する動物を保護する観点から、このコミュニティをウガンダ政府が1991年に国立公園から公園外の周辺地域に住むように命令を下したそうで、それ以来、彼らは国立公園のすぐ近くの村に住んでいるそうです。

しかし、元々狩猟生活をしていた彼らはすぐに新しい生活スタイルに慣れるのは難しく、また他のコミュニティからの偏見などもあるために、多くの支援団体が立ち上がり、現在では彼らのコミュニティを支援するための訪問プログラムなどが出来上がっているとのことです。

このコミュニティを訪問するプログラム、現地の物価からするとかなり割高(外国人観光客向け)の値段の一人あたり40ドルでしたが、見応えはそこそこあったと思います。このコミュニティを支援する現地のNGOのスタッフが同行し、コミュニティの長老が長い槍を持ち裸足で迎えてくれて、そして村では彼の家族や他のメンバーが狩猟方法や、生活スタイルなどをデモンストレーションしてくれたり見学できるというプログラムでした。

長老が迎えてくれる

狩の仕方をデモンストレーションしているところ

現地の女性たちもダンスや音楽を披露してくれて、そして訪問者も最終的には一緒に踊ろうと招待され、そして最後はみんなで一緒に踊るという感じでした(←超観光者向け)。

女性たちが作った手工芸品を見せてくれたり、これまでに訪れた欧米系観光客がスポンサーとなり、コミュニティの子どもたちが学校へ通えるように支援してくれている様子などを見せてくれましたが、支援するのは悪いことではないけど、一度このようなスポンサー支援が終わったらどうなるんだろうと、持続可能性において疑問を持ってしまうような部分もありました。

コンゴ民東部の同コミュニティと同じように、他のコミュニティから疎外や差別を受けたりすることもあるそうで、多くの人はコミュニティ内で結婚するようなことを話していました。また、ウガンダ政府は国立公園外に彼らを追放することには成功したものの、十分な土地を与えてはおらず、狩猟生活をしていた時には自分達で動物を狩って食していたものの、現在では農業や家畜を育てるなどをして十分な生計を立てられるほどの土地はもらっていないので、長老は元々の狩猟生活の方がいいと言っていました。


ゴリラなどBwindiの森に住む動物を保護するために、狩猟生活をしていたこのコミュニティに強制退去を命じたことによって、彼らの生活がより苦しくなるとは、なんと皮肉なことか。。。彼らと話した感触だと、政府からは十分な補償を受けていないような印象を受けました。

複雑な気持ちになりながらも、せっかく訪れたので女性たちが作った手工芸品の籠を一つ買って、そして無事にホテルに戻りました。


そして翌日はまた10時間ほどかけて、カンパラへ戻ったのでした。


野生のゴリラを間近で見れるのは本当に貴重な体験でしたので、ウガンダに来る機会があり、体力的にも平気な方には是非ゴリラトラッキングをお勧めします!

2021/10/21

ウガンダからコンゴ民を知る / Finding out DR Congo from Uganda

コンゴ民での業務を終えて、ウガンダのUNHCRチャカ事務所に着任してから4ヶ月以上が経ちますが、ここ4ヶ月ほどで思ったのは、ウガンダにきてからもコンゴ民主共和国(特に東部)に関して触れることが多いということです。

まず一つ目は音楽。ウガンダの同僚が流す音楽がかなりの割合でコンゴ民の音楽であることが多く、ぶっちゃけウガンダに来てからの方が、コンゴ民の音楽を聞くことが多い気がします(笑)。ちなみに、コンゴ民の音楽は結構世界的にも有名らしく、去年同国に着任する前に、誰からから、「コンゴ民のBMW」を楽しんできなさいと言われました。思わず「何それ?車のこと?」と答えたところ、「B = Beer(ビール)、M = Music(音楽)、W = Women(女性)」だよ、と言われました。つまり、コンゴ民ではこれらが有名らしく、これらが同国流のBMWということだったのです(笑)。まあ確かにビールは自国で作ってる割と美味しいブランドがいくつもあるし、音楽はノリがよく踊りたくなるような明るい曲想で私も結構好きだし、女性に関してはまあ結構恰幅のいい元気なおばちゃんたちが印象的だけど。。。

二つ目は紛争などを含む歴史。私がいるチャカ難民居住区は、約12万6000人ほどの難民を抱え、そのうち9割近くがコンゴ民東部からやってきた難民。最近は仕事上、直接的な対話あるいはレポートなどを通して難民個人やその家族が経験した内容(なかには想像もしたくないような酷い目に遭って逃げてきた人も多数)に接することが多く、改めてコンゴ民東部において長年にわたって続く紛争の根強さや、市民が置かれる状況の厳しさを噛み締めることが多々ある。

あと、個人的に興味深いと思ったのは、コンゴ民東部の北キブ州とその州都のゴマ市にしか存在しない木製自転車のChukudu(チュクドゥ)が、チャカ難民居住区内でも多数存在すること。このチュクドゥは私が2020年にコンゴ民東部のブニアに着任する時に経由地であったゴマ市内でたくさん使われているのを初めてみて、事務所の運転手さんが「これはゴマ特有のチュクドゥだよ。」と紹介してくれたのが印象的だった。確かに、ゴマがある北キブ州では目にしたことがあるが、私の任地ブニアがあって北キブ州のお隣のイツリ州ではチュクドゥは目にしたことがない(一部、州境の地域では目にしたことがあるが)。チャカに住むコンゴ民の難民の多数は、このチュクドゥの生産地であるゴマ(あるいは北キブ州)から来ているので、国境を超えてウガンダ南西部に来てからも、自分たちが持っている知識やスキル、生活習慣をそのまま生かしているのだ。

難民が住む住居の前に駐輪してあったチュクドゥ


ちなみにこのチュクドゥ、サイズも色々あり、子どもサイズから大人サイズまであって、よく子どもも荷物を運んだり、ただ遊んだりするのに三輪車より少し大きくしたサイズのものを転がしている姿を何度も見た頃がある。とある旅行Youtuberのビデオによると、一つのチュクドゥを作るには100ドル(約11000円)ほどかかるとか。


ちなみに、チャカ難民居住区の中心地には木材を販売することろがあり、その周辺にはコンゴ民の旗が描かれた白の特別なチュクドゥがあって(普通は何も色付けがされてない木材そのままの色)、私はこのチュクドゥを見る度になぜか嬉しくなる。というか、居住区のどこでもチュクドゥを見かけると、なぜか嬉しくなる。

コンゴ民の国旗が掲げられたチュクドゥ


私がコンゴ民東部にいたのはわずか1年弱で、かなり広大な国土や長く濃い歴史や文化の一部しか垣間見てない訳だけれども、人生の一部を過ごした国としては変わりないわけだし、コンゴ人にはみんなに親切にしてもらった。もちろん、任期中に大変なことや不便なこともたくさんあったけれども、それらを忘れてしまうくらいに、なぜかコンゴ民東部地域には思い入れがある。今は物理的には同国にはいないけど、国境を挟んで反対側からコンゴ民東部から逃れてきた難民たちを受け入れることによって、コンゴ民の人たちへの支援やつながりは継続していきたいなと思う。

ちなみに、同国東部の情勢は私がいた頃から改善することもなく、引き続き国内避難民や国境を超えた難民が発生していて、チャカ難民居住区はもうキャパオーバーということで新規難民を受け入れることを2020年からストップしていたのだが、他の受入先居住区において土地の問題などがあることから、ウガンダの大統領命令の元、チャカで急遽数百人の難民を受け入れることになった。そのために、受入の準備などで先週から今週はかなりバタバタしているところ。先週到着した数家族の中には、私がいたブニア周辺地域から2週間ほど前に避難してきた難民もいて、そのうちの多数が女性や女児、そしてまだ小さな子どもや赤ちゃんたちということもあって、バスで到着したばかりの彼女たちの疲れ切った姿を夜の受入センターで目の当たりにした時は、とても悲しい気分になった。でも、受入センターに到着したばかりのバスのドアを真っ先に開けて、カタコトのスワヒリ語で「ジャンボ!(こんにちは)」、そして「チャカへようこそ!」などとフランス語で挨拶をしたら、明らかに外国人である私がいきなり現れたのが珍しかったのが、大ウケした(笑)。

上記の内容と日にちは違うが、まさに今日チャカに到着したコンゴ民の難民を受け入れるUNHCRやウガンダ政府、そしてNGOのスタッフ。
この日は400人以上の難民を受け入れた。












一人の外国人の私が大したことができるわけでもないけど、難民の人たちにとってUNHCRやそのスタッフたちが限られた命綱の一つであることを胸に留めて、これからも現場での支援を頑張っていきたいと思います。


2021/09/12

ギターを買いました / I bought a guitar

東京に8月はテレワークと休暇を兼ねて1ヶ月ほど帰国してたのですが、先週再びウガンダに戻ってきました。

日本では皆さんご存知の通り新型コロナウイルスの第五波?とかで一日の感染者数が増える一方で、東京都は緊急事態宣言真っ最中だったこともあり、残念ながら多くの友人には会えませんでしたが、日本食や日本の快適な暮らし、そしてショッピング(かなりがオンライン)を満喫し、2キロ太ってウガンダに戻りました(笑)。

ウガンダに到着したのは現地時間の土曜日午後。元々、日本からウガンダに帰るときにはカンパラでギターを買おうと決意し、あえて楽器屋さんが開いている土曜日(日曜日は閉店)に到着する便を選んだのです(まあたまたまた最安のフライトがあった日が土曜日だったということもあるけど)。

ウガンダ政府の発表によると、私が到着する日の前日の3日から到着後空港でPCR検査が全ての国からウガンダに来る入国者に対象となるはずだったのに、「導入する準備ができていない」とのことで実行開始の前日に、導入は2週間後に延期するという発表があり(笑)、こっちとしてはもうけたもんだと思い、空港ではスイスイ入国手続きも済み、あっという間に空港外に出れました。

以前から予約してたタクシー運転手さんに迎えにきてもらってたので、運転手さんに空港があるエンテベから週末を過ごす予定の首都カンパラへ向かってもらいました。ホテルに到着する少し前にちょうど行こうとしていた楽器屋さんの近くを通りそうだったので、運転手さんに店番してもらいながら、私だけタクシーから降りて、楽器屋さんへダッシュ!

この地域は楽器屋さんがいくつか固まっているのですが、その中でも一番信頼できそうだったヤマハ・ミュージックセンターというところで、YAMAHAのアコースティックギターを無事にGET!あまり迷っている時間もなかった(それに選択肢もあまりなかった)ので、私と同じタイミングでギターを買いに来ていた外国人2人が選んだものと同じやつにしました。


そして週明けの月曜日に、カンパラから任地のチャカへ4時間ほどかけて移動し、無事に任地に戻りました。

私がいない間、同僚にお世話になりながらお留守番をしてた愛猫サミラと再会できるのを楽しみにしていたのですが、実際に会ってみると、結構冷たい反応(涙)。。。どうやら1ヶ月ほど留守していたので、相当いじけているようで、前みたいに一緒に寝てくれるものの、撫でようとすると嫌がったりする時もあります・・・。悲しい。。。
相変わらずの変な寝相


ウガンダでは1ヶ月ほど前から雨季が始まったようで、チャカでは私が休暇に入る前よりも頻繁に雨が降ります。そのせいか、宿舎から見える難民居住区の丘は以前よりも緑が少し増したように見えます。気候としては、日本の秋みたいな過ごしやすい気候です。
私の部屋の前の景色



私が着任した6月初旬からちょうどウガンダ国内ではロックダウンが始まって、州を越えた移動が禁止されて、普段だったら週末はほぼみんな実家に帰ったりするウガンダ人同僚がロックダウン中はみんな宿舎にいたので、週末はパーティやBBQがあったりしたけど、ロックダウンが軽減された今では、週末は宿舎がほぼもぬけの殻となり、めちゃくちゃ静かです。残った組は、そのメンバーで一緒に呑んだりする感じのメンツでもないので、呑み仲間がおらず(仲良い呑み仲間は現在休暇中)、ちょっと寂しいので、今週末は1人でジントニックを呑みながら、ギターの練習を始めました。

ひねくれたサミラは、私がギターを弾いていると自分にかまってくれないと思ってか、私がギターを弾いてるとその前にあるテーブルに寝転がってきます(笑)。

スーダンにいた時は、任期満了して帰国した友人からギターを譲り受けて、練習しようと思いながらもほとんど練習できなかったので、今回はちゃんと練習して上手くなりたいところです。



2021/07/04

ウガンダに着任しました / Reassignment to Uganda

 前回のブログ記事にも書いた通り、6月上旬からウガンダの新しいポストに着任しました。私が着任したのは、ウガンダ南西部にあるKyaka(「チャカ」)というところにあるUNHCRフィールド事務所で、主にコンゴ民主共和国やブルンジ、ルワンダなどから来た難民・庇護申請者が約12万人ほど暮らす居住地のど真ん中に位置しています。

ウガンダは西側にコンゴ民、東側にケニア、南側にルワンダとタンザニア、北側に南スーダンに囲まれている

スタッフは大体30人程度、うち国際スタッフはケニア人2人、エチオピア人1人、タンザニア人1人、アメリカ人1人、そして日本人(私)1人で、他は皆ウガンダ人スタッフ。事務所とスタッフ寮が壁に囲まれたほぼ一つの敷地内に位置してて、自分の部屋からは徒歩で3分もあれば事務所に着くような距離。周りは豊かな自然と家畜、そしてその中に点々と見える難民の居住地くらいしかなく、晴れると景色は本当に綺麗。


スタッフ宿舎の敷地内。良く例えると、高原にあるリゾート地。
階段を下がると私の部屋がある。






ただ、本当に田舎にあって、最寄りの町からは45分〜1時間半ほど離れていて、チャカにある小さな村の市場で手に入らないものはKyegegwaあるいはMubendeまで出ないと手に入りません。現在は、コロナの件数がウガンダで急激に増えているので大統領命令で全国的に移動が禁止されて、普段は週末にカンパラやその他大きな都市まで遊びに行っては物資を買い出すことができていたのが現在はできない状態なので、週に一度、数人のスタッフが代表して、事務所が公用車を出して他のスタッフの買い物を一括して行うことになってます。


 Googleマップにも道が載っていないような田舎に位置するチャカ。
最寄りの町はKyegegwaで、スタッフは日用品の買い出しのためにKyegegwaかもう少しは離れたMubendeまで行く。ちなみにMubendeには中華系のスーパーがあり、買い出しに行く時はいつもそこに行っているそう(私は着任してから一度もチャカから出たことがない。。。)
























チャカに着任してから10日近く自主隔離期間があったので、実際に事務所で仕事を始めたのは6月中旬頃。今回の仕事は准フィールドオフィサーということもあって、まずは難民居住地区や実施中のプロジェクトなどを知らないと話が始まらないので、私の前任者や、チャカにもう数十年もいる定年退職直前でかつ歩く歴史教科書のような長老ウガンダ人スタッフと一緒にいろんなところ(居住地内の施設など)をまわることから始めてます。

週末以外は毎日この前任者と歩く歴史教科書的長老、そして同い年のエチオピア人の同僚と一緒に、仕事の後に事務所の周辺地域を1時間半くらいウォーキングに行ってます。本当に周りの景色が素晴らしくっていい気分転換になるのと、前任者のタンザニア人おばちゃん(彼女も実は定年退職直前)と長老がものすごく周りの居住地区の情報をよく知っているので、いい勉強になっています。


ウガンダ人長老(前)と同じく定年退職直前のタンザニア人のベテランおばちゃん















散歩先から見えるUNHCRの宿舎の壁(白と水色)。本当にど田舎にあるのがよくわかるでしょう(笑)


宿舎から出ると外はすぐ難民居住地区。とは言っても、難民キャンプのようにシェルターが固まってあるわけではなくて、どちらかというと土壁の家が村の中に点々とあるというイメージ。家の作りも、コンゴ民東部からきた難民が多いためにコンゴ東部と全く同じで、またコンゴ民にいるような錯覚に陥る。


時々散歩で遅くなるとお月様が見えて綺麗

 

ちなみに、チャカは1984年から存在する難民居住地なので、長年国際機関やNGOなど多数の団体が支援に入っていて、日本のNGOも実はプロジェクトを実施しています。日本人スタッフはチャカには常駐していないけど、日本の団体がウガンダの僻地に入って難民支援を行なっていることを知ると、やっぱり嬉しいですね。

多数の支援団体のボードがある

日本のNGO、ピースウィンズジャパン(PWJ)が建設した難民居住地にある小学校のトイレ。




























ちなみに、コンゴ民から一緒に引っ越してきた愛猫サミラもとても元気にやってます。前任地のブニアからはとっても長旅だったのと、途中で首都カンパラで数日ホテル暮らしだったこともあって、かなり精神的にも負担になっていたとは思うのですが、チャカに着いてから1週間ほどで慣れて、宿舎の敷地内ならば外に出しても自由に遊べるほどまでになりました。今ではほぼ全てのスタッフに存在を知られるほど、みんなに親しまれる猫となってます(笑)。

チャカも日中は結構暑くなるので、またお腹を出した体勢で寝ることが多くなった


平時はウガンダ人スタッフは毎週末ほとんど皆地元に帰るために、事務所の宿舎は閑散とするらしいですが、移動制限があるためにほぼ全員宿舎に残り、毎週末簡単なパーティーがあります。移動制限とかは不便なので早く終わって欲しいけど、他のスタッフと交流するには新米の私にはこのような機会は絶好のチャンスなので、ピンチをチャンスとして活用してます。

こんな感じでボチボチやっております。今のところ、田舎で不便な面もありますが、幸いとてもいい同僚たちに恵まれて、元気にやってます。