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2021/10/21

ウガンダからコンゴ民を知る / Finding out DR Congo from Uganda

コンゴ民での業務を終えて、ウガンダのUNHCRチャカ事務所に着任してから4ヶ月以上が経ちますが、ここ4ヶ月ほどで思ったのは、ウガンダにきてからもコンゴ民主共和国(特に東部)に関して触れることが多いということです。

まず一つ目は音楽。ウガンダの同僚が流す音楽がかなりの割合でコンゴ民の音楽であることが多く、ぶっちゃけウガンダに来てからの方が、コンゴ民の音楽を聞くことが多い気がします(笑)。ちなみに、コンゴ民の音楽は結構世界的にも有名らしく、去年同国に着任する前に、誰からから、「コンゴ民のBMW」を楽しんできなさいと言われました。思わず「何それ?車のこと?」と答えたところ、「B = Beer(ビール)、M = Music(音楽)、W = Women(女性)」だよ、と言われました。つまり、コンゴ民ではこれらが有名らしく、これらが同国流のBMWということだったのです(笑)。まあ確かにビールは自国で作ってる割と美味しいブランドがいくつもあるし、音楽はノリがよく踊りたくなるような明るい曲想で私も結構好きだし、女性に関してはまあ結構恰幅のいい元気なおばちゃんたちが印象的だけど。。。

二つ目は紛争などを含む歴史。私がいるチャカ難民居住区は、約12万6000人ほどの難民を抱え、そのうち9割近くがコンゴ民東部からやってきた難民。最近は仕事上、直接的な対話あるいはレポートなどを通して難民個人やその家族が経験した内容(なかには想像もしたくないような酷い目に遭って逃げてきた人も多数)に接することが多く、改めてコンゴ民東部において長年にわたって続く紛争の根強さや、市民が置かれる状況の厳しさを噛み締めることが多々ある。

あと、個人的に興味深いと思ったのは、コンゴ民東部の北キブ州とその州都のゴマ市にしか存在しない木製自転車のChukudu(チュクドゥ)が、チャカ難民居住区内でも多数存在すること。このチュクドゥは私が2020年にコンゴ民東部のブニアに着任する時に経由地であったゴマ市内でたくさん使われているのを初めてみて、事務所の運転手さんが「これはゴマ特有のチュクドゥだよ。」と紹介してくれたのが印象的だった。確かに、ゴマがある北キブ州では目にしたことがあるが、私の任地ブニアがあって北キブ州のお隣のイツリ州ではチュクドゥは目にしたことがない(一部、州境の地域では目にしたことがあるが)。チャカに住むコンゴ民の難民の多数は、このチュクドゥの生産地であるゴマ(あるいは北キブ州)から来ているので、国境を超えてウガンダ南西部に来てからも、自分たちが持っている知識やスキル、生活習慣をそのまま生かしているのだ。

難民が住む住居の前に駐輪してあったチュクドゥ


ちなみにこのチュクドゥ、サイズも色々あり、子どもサイズから大人サイズまであって、よく子どもも荷物を運んだり、ただ遊んだりするのに三輪車より少し大きくしたサイズのものを転がしている姿を何度も見た頃がある。とある旅行Youtuberのビデオによると、一つのチュクドゥを作るには100ドル(約11000円)ほどかかるとか。


ちなみに、チャカ難民居住区の中心地には木材を販売することろがあり、その周辺にはコンゴ民の旗が描かれた白の特別なチュクドゥがあって(普通は何も色付けがされてない木材そのままの色)、私はこのチュクドゥを見る度になぜか嬉しくなる。というか、居住区のどこでもチュクドゥを見かけると、なぜか嬉しくなる。

コンゴ民の国旗が掲げられたチュクドゥ


私がコンゴ民東部にいたのはわずか1年弱で、かなり広大な国土や長く濃い歴史や文化の一部しか垣間見てない訳だけれども、人生の一部を過ごした国としては変わりないわけだし、コンゴ人にはみんなに親切にしてもらった。もちろん、任期中に大変なことや不便なこともたくさんあったけれども、それらを忘れてしまうくらいに、なぜかコンゴ民東部地域には思い入れがある。今は物理的には同国にはいないけど、国境を挟んで反対側からコンゴ民東部から逃れてきた難民たちを受け入れることによって、コンゴ民の人たちへの支援やつながりは継続していきたいなと思う。

ちなみに、同国東部の情勢は私がいた頃から改善することもなく、引き続き国内避難民や国境を超えた難民が発生していて、チャカ難民居住区はもうキャパオーバーということで新規難民を受け入れることを2020年からストップしていたのだが、他の受入先居住区において土地の問題などがあることから、ウガンダの大統領命令の元、チャカで急遽数百人の難民を受け入れることになった。そのために、受入の準備などで先週から今週はかなりバタバタしているところ。先週到着した数家族の中には、私がいたブニア周辺地域から2週間ほど前に避難してきた難民もいて、そのうちの多数が女性や女児、そしてまだ小さな子どもや赤ちゃんたちということもあって、バスで到着したばかりの彼女たちの疲れ切った姿を夜の受入センターで目の当たりにした時は、とても悲しい気分になった。でも、受入センターに到着したばかりのバスのドアを真っ先に開けて、カタコトのスワヒリ語で「ジャンボ!(こんにちは)」、そして「チャカへようこそ!」などとフランス語で挨拶をしたら、明らかに外国人である私がいきなり現れたのが珍しかったのが、大ウケした(笑)。

上記の内容と日にちは違うが、まさに今日チャカに到着したコンゴ民の難民を受け入れるUNHCRやウガンダ政府、そしてNGOのスタッフ。
この日は400人以上の難民を受け入れた。












一人の外国人の私が大したことができるわけでもないけど、難民の人たちにとってUNHCRやそのスタッフたちが限られた命綱の一つであることを胸に留めて、これからも現場での支援を頑張っていきたいと思います。


2021/06/20

ブニアでの任務を終えて / End of my assignment in Bunia

前回の投稿を見ると去年の10月に愛猫サミラをスーダンからコンゴ民へ連れてきた投稿が最後になって、それ以来ずっと更新していないことに気づきました・・・。

その投稿からすると、その次の投稿がブニアでの任期終了となって、え?!って感じですが、2021年5月31日を持って、UNHCRコンゴ民ブニアフィールド事務所での任務を終えて、6月1日より、隣国のウガンダのUNHCR事務所で働くことになりました。

元々ブニアのポストは、ブニアがあるイツリ州における国内避難民を迅速に支援するために緊急派遣の枠として作られたポストで、当初の契約は1年、そして予算とニーズがあれば2年目まで延長が可能というポストでした。2年目の延長も実は事務所から打診されてOKしたのですが、あまりにもその延長手続きが時間かかり、その間に延長の話が出る前から応募していた他のポスト(今回合格したウガンダのを含む)の選考審査がどんどん進んで、3月末にウガンダのポストの合格発表の通知が来てビックリしたのです(笑)。別の合格したからにはブニアの延長の話は自動的にキャンセルになるので、契約が終わる5月末をもってブニア事務所での任務を終えるということになりました。

この投稿ではブニアでの生活当初は記事を投稿していたのに、その後の生活や仕事に関してはほとんどアップしてなかったので、1年間のブニアでの勤務を通して気づいたことや感じたことをここでまとめたいと思います。


【生活面】

ブニアでは、UNHCRとか国連の寮ではなくて普通に借家に住めたので、事務所から徒歩10分ほどの街の中心地からわりと近い家に住んでた。寝室三つあって各部屋にトイレ・シャワー付きでそこそこ広かったけど、ブニアの街全体で頻繁に停電があることから、停電中によく冷蔵庫の中の食べ物が悪くなって、それを大丈夫だろうと甘くみて食べたらお腹痛くなって1週間以上体調壊したことがあった。電気ない=シャワーの水が温かくならないので、よく水シャワーを浴びることもあった。でも、他同僚2人が同じ建物に住んでて、時々仕事終わった後に家のバルコニーで一緒にお酒飲んだりする事もあって、わりと快適だった。

ブニアは人道支援関係者(国連、NGOなど)から国連平和維持軍(PKO)の人たちがたくさんいる任地だったので、そこそこ外国人も多く、中でも特にネパール軍のPKOの人たちとは仲良くなって、よく彼らのベースにお呼ばれされては、ネパール料理やお酒を振る舞ってもらった。同じアジア人ってこともあって親近感あるし、うちのお手伝いさんが作るコンゴ料理に飽きた時とかは特にネパール料理が美味しく感じた(笑)。本当に頻繁にパーティーとか食事会に呼んでくれて、他の国からの人とも会って交流する機会を提供してくれて、おそらく彼らがブニアにいなかったら、私のブニア生活は到底つまらないまま終わっていたと思う。

ただ、どこの社交場に行っても大体会うメンバーは同じなので、ちょっと飽きるという部分はあるかも。

あとはうちの近くに平和維持軍のためのバーがあって、国連関係者なら誰でも入れて、そこでは定期的にカラオケ・ナイトがあったり、ビリヤードで遊べるところがあったり、アジア風の料理が食べられたりしたので、それは本当に助かった。やっぱりアジア系の食事、食べたくなる。。。

結果、ブニアは思ったよりも生活面では悪くなかったかなと思う。ただ、これが2年間ずっと滞在しないといけないとなると、ちょっとそれは覚悟が必要かなー、、とは思う。そういう意味では、2年目の延長が最終確定する前に、ウガンダのポストに引っこ抜かれてそれはそれでよかったのかなと思う。


【仕事面】

ブニアはコンゴ民東部のイツリ州にあって、同州には2020年後半時点で約170万人の国内避難民がいると言われていた。UNHCRブニアフィールド事務所はこれら国内避難民の保護及び支援をすることが仕事で、その中でも私の業務は准プログラムオフィサーという仕事で、主に支援のために必要な予算の割振、計画、そして実施状況のモニタリングをリードすることだった。小さな事務所でスタッフは合計約13〜14人、うち国際スタッフは約6人〜7人で、コードジボワール、アルジェリア、フランス、カメルーン、チャド、ドイツ/スイス、そして日本(私)だった。


イツリ州を含むコンゴ民東部というのは、長年紛争が続き、現在でも民族間の争いや土地・資源を争った暴力(殺人、レイプ、誘拐など)が頻繁に起きている。なので、出張でフィールドに行くときは常に現地のセキュリティ状況を確認した上で出張に行く。でも出張中に、近くで武装勢力がコンゴ民軍の基地を襲い銃撃戦が起こって、近くの町で治るまでは退避し、結局状況が改善しなかったので、ブニアに引き返して出張をキャンセルせざるを得ないこともあった。

そしてインフラ整備が整っておらず、道はブニア町中でも中心地を走る目抜き通りのみが舗装されていて、その他の道は舗装されていない。なのでもちろんブニア郊外の道は全て舗装されておらず、フィールドに出張に行く時は数時間悪路を走ることになる。特に雨が降った後は泥だらけとなり、タンクローリーや物資を運ぶトラックが道でスリップ、横転し、道を塞いでしまい、その前後に車やトラックが長蛇の行列をなし、私も一度悪路に5時間立ち往生となったことがある(結局その日には目的地はもはや、中間地点にも到達できないことがわかったので、ブニアに引き返すことになった)。

雨が降ると泥だらけとなる道


悪路のために横転したガソリン輸送のタンクローリー。
転倒した時にタンクが破損してガソリンが漏れて、周辺住人が漏れたガソリンを汲みにきていた。
私たちが通過した1時間後くらいに爆発したそうで、翌日再び通ったらこんな感じで黒ゴケになってた。。。



























悪路ばっかりなためにどこに行くにも大変なので、200kmくらいの距離でも国連人道航空サービス (UNHAS)が飛行機をいろんなところへ運航していて、出張に行く時や休暇の時などに何度も利用した。小さいものは8人乗り程度の小さなプロペラ機のもある。

8人乗りのプロペラ機





ブニアから40分程度のところ(約200キロ)にあるMahagiという地域の空港の滑走路。
パイロット曰く、数ヶ月前は草が茫々だったそうで、今はこれでもだいぶ良くなったそう・・。
















このような状況の中、フィールドで仕事するのは簡単ではなかったけど、スーダンの首都ハルツームで2年間働いた時は9割以上がデスクワークで、もっと現場に近いところで仕事がしたいこともあってブニアのポストに応募したわけで、今回このポストではかなりフィールドに行く機会があったのはこの仕事での醍醐味の一つだった。プログラムの仕事だけでなく、現金支給支援のフォーカルポイントなども任されたり、小さい事務所だったために他の部署の人ともかなり密で仕事を共にできたことも自分にとってはいい勉強になった。

現金支給の様子

支援している国内避難民 (IDP)居住地の一つ














写真から分かる通り、IDPの住んでいる環境はとても厳しい。UNHCRの予算も限られているために、必要とされる支援を全て届けられるわけでもない。













今回受かったウガンダのポストは、自分がここ3年間UNHCRでやってきたプログラムマネージメントではなくてフィールドというポストになる。プログラムと被る部分もあるけど、フィールドはより現場に出て、支援がきちんと届いているか確認したり、受益者のニーズを把握してそれを支援に反映させることが職務となり、これまでやってきたプログラム業務に含まれる予算管理などからは少し離れる。元々JPOに応募した時から私がやりたかったのは実はプログラムではなくてフィールドや難民保護の仕事だったので、今回フィールドのポストが得られたのは本当にラッキーだった。合格したポストの事務所は、コンゴ民東部からウガンダへ逃れた難民・庇護申請者への支援をしているところなので、おそらく私のコンゴ民での経験が優位に働いだのではないかと思う。このブログのタイトルにもある通り、これが点と点を繋ぐということなのかな。

コンゴ民の自然は本当に豊か



離任する1週間程前の5月22日に、コンゴ民東部ゴマ市内に位置する火山が噴火し、空港が一時的に閉鎖となり、5月31日〜6月1日にゴマ経由でウガンダへ移動する予定だった私の旅程は全部崩れ、2度3度旅程を変更しては、結局ブニア〜アルは国連人道航空サービス(UNHAS)で国内移動して、コンゴ民とウガンダの国境付近にあるアル(コンゴ側)からアルア(ウガンダ側)へ陸路で入国することになった。厄介なのは、このルートの唯一の移動手段であるUNHASは通常猫の乗せることを許可してくれない。最悪、愛猫サミラはブニアにいる同僚にしばらく預ける羽目になるかと思った時期もあったけど、結局ブニア〜アル間で支援物資輸送のためにプロペラ機を運航しているキリスト教系のミッションの飛行機にサミラだけタダで乗せてもらい、アルへそれぞれ別々の飛行機でほぼ同時に移動し、アルの飛行場で合流することになった。最後まで本当に何があるかわからないのが、コンゴ民の醍醐味である(苦笑)。
ブニア〜アルは飛行機だったので、実際は17時間53分もかかってないけど、ルートは上記の通り。ちなみに地図上ではブニアからKyaka(ウガンダの任地)へアルバート湖南部から陸路で移動した方が早いように見えるが、そのあたりは武装勢力が活発に活動するする地域なので、陸路移動は難しい。























【まとめ】

こんな感じで、あっという間に過ぎたブニアでの1年間の任務でしたが、本当に色々と勉強となったし、なかなか他では(色んな意味でも)経験できないような経験をさせてもらいました。ブニアでやっていけたらほぼどこでもやっていけるような気がします(笑)。任期中はさっさとブニアを去りたい!と思う時期もたまーにありましたが、今振り返るとブニアでの経験は本当に貴重です。最初は相当ビビってたけど、このポストにつき、任務を全うした甲斐がありました。

次のウガンダのポストに関しては、また今後の投稿でもっと詳しく書いていきたいと思います!

2020/10/25

サミラのお引っ越し / Samira moves house

以前ブログにも書きましたが、私はスーダンで仕事をしていた2018年に、事務所に住みついて出産までしてしまった雌猫を家に迎え入れることにしました。事務所のセキュリティの人に、「この猫は事務所の猫?名前は?」と聞くと、「うーん、サミラだ」と言っていたので、そのままサミラという名前をつけました。後から知ったことですが、サミラというのはスーダンでは日本で犬にポチと名前をつけるように、猫につける典型的な名前だそうで、猫のサミラという歌があるくらいだそうです(笑)。


そんなサミラですが、私が2020年5月でスーダンでの仕事を終えたあとは、スーダンで同僚の家に一時的に預かってもらい、私が現在の任地コンゴ民のブニアにて落ち着き現地の様子や猫の輸出入の手続きがわかるまではずっとスーダンで預かってもらっていました。そして、現地の様子やスーダンからコンゴ民への輸入手段が分かった頃、R&R休暇のタイミングと合わせてスーダンへ行ってサミラをブニアまで連れてくることに成功しました!

往路のブニア〜ゴマ、ゴマ〜アディス経由〜ハルツームはスムーズで、特に問題なく無事にスーダンに入国することができました。ちなみに、ブニアからきた人間からすると、エチオピア航空の機内食も、ハルツームでの品物やレストランの豊富さに感動するほどでした(笑)。ハルツームでは一応自主隔離をしなければいけないとのこともあって、事務所には行かず、特定の人のみと会ったり、サミラの輸出手続きを進めたり、あとは仕事をする程度でしたが、短い間だったけど久しぶりに友人・同僚とあったり、思わぬところで再びサルサ踊ったり卓球することもできて、リフレッシュすることができました。

復路経路としては、ハルツーム(スーダン)〜アディスアベバ(経由)〜ゴマ(コンゴ民)はエチオピア航空(待ち時間を入れると合計12時間)、そしてゴマ〜ブニアはUNHAS(国連人道支援サービスの飛行機)が動物の輸送の許可をくれなかったために民間機のCongo Airways(飛行時間1時間)を利用。今回これだけの長距離の移動はサミラも初めてだったためにかなり心配で、行きのエコノミークラスがかなり混んでたことも鑑みて、思い切ってハルツーム〜ゴマまでは人生初めてビジネスクラスにアップグレードしました。

飛行機に乗っている間は割と大人しくしていたものの、空港内で歩いて移動する時などは私がケージを背負って歩くために揺れるのがいやなのか、キューン、キューンと鳴いていてかわいそうでした・・・。乗り継ぎの時に一緒にトイレに入って用足しさせようとしても、自分がどこにいるかわからないために不安でトイレの中をキョロキョロして用足しはせずに、12時間ずっとトイレを我慢していました。

ゴマの空港ではあっけないほど輸入するのは簡単で、空港内の税関(らしき)デスクで「猫を持っているんですけど」と猫を見せても、「いいよ、出ていい」と荷物受け取りカウンターの方を指す。指示に従い、荷物受け取りカウンター(カオス)のところに出たら結構すぐに自分のスーツが出てきたのでピックアップし、もうこのまま空港から出れる状態に。でも、何も申告せずに出るのはまずいんでないかと思い、近くにいる空港係員に、「猫を輸入するんですけどどうしたらいいですか?」と聞いたら、やっと担当(らしき)係員が出てきて、狂犬病注射の記録と動物健康証明書・輸入許可証をチラッと確認して、30ドル払って、おしまい(笑)。あっけなさすぎる。。。

途中、週末を過ごしたゴマでは、ペットもOKな湖の真横にあるホテル(ロッジ)に泊まって、普段ブニア(そしてハルツームでも!)では食べれないような美味しいリゾットやワインを飲んで、ちょっとしたリゾート気分を味わうことができました。マッサージも受けることができ、ゴマ最高!って感じでした(笑)。
(※ちなみに、ゴマがある北キブ州(そして私が住むブニアがあるイツリ州も)は、州内で武装勢力が複数活動するために、外務省渡航安全情報ウェブサイトでは危険度4(渡航禁止地域)になっています。でも、ゴマとブニアの町中は現時点では比較的安全です。)

Lac Kivu Lodgeホテルのレストランからの眺め。
見えるのはキブ湖。ゴマのすぐ東はルワンダ。

ホテルの隣にあるお洒落なレストラン・カフェ・バー、Chalet

ホテルのレストランで食べた、
エビのリゾットと白ワイン、美味しかった!

意外なことにコンゴ民産チョコレートも美味しい!

ここのホテルはインテリアも素敵

サミラもここのホテルにご満足の様子

余談だけど、コンゴ民(少なくともブニアやゴマ)では日本の中古車が多く走っており、
町中で結構日本語が書かれた車をみる。
ゴマで見たのは、「高野ふとん店」の車。
住所と電話番号までが残っているので、ここの店電話したらまだ繋がるのかな?笑。
「お宅の車、コンゴ民でまだ使われていますよ」
って言ったらどれだけびっくりするんだろう、笑。

ゴマ〜ブニアに戻る時は、民間機のCongo Airwaysを使ったのだけど、猫の輸送のために追加料金30ドルを払って、無事にサミラを機内に持ち込むことができました。ゴマ〜ブニア間は1時間と飛行時間は短いので、あっという間にブニアに着いたのですが、荷物を受け取るにもカオスで、空港から出るまでに時間がかかりました。無事に家に着き、あと荷物を下ろすだけという時に、どうやらサミラは緊張がマックスに達していたのか、事務所の車の中(ケージの中)でおしっこをしてしまいましたが(汗)、無事にブニアの家に到達することができました!
このケージに入ってお利口さんにしてました。えらい。

家に着いてからも1〜2日は落ち着かなかったけど、一週間近く経ってからはだいぶ慣れてきた様子です。
同僚の家にいた時はずっと屋内にいたので、
ちょっとふくよかになったサミラ

蚊帳に絡まって出れなくなっている・・笑

無事に到着してよかったね〜。よくできました⭐️


2020/08/16

ブニアでの暮らし / Life in Bunia

私の新しい任地、コンゴ民東部にある町ブニアでの生活も、あと数日で1ヶ月が経ちます。

最初は頻繁な停電や家のベッドの大量のダニ問題などもあって若干苦労しましたが、先週末には新しい家に引越し、やっと落ち着いた生活ができそうな気がしてきました。停電はブニア全体のことなので、引っ越しても停電の頻度は変わりませんが、最近じゃむしろ家で数時間連続で電気があれば珍しいと思ってくるようになりました(苦笑)。

新居の建物の屋上に行くと、ブニア郊外まで見渡せる


ただ、仕事はすごく忙しく、ただでさえ忙しい時期なのに、いきなり首都のカントリーオフィスやDRC東部を管轄するサブオフィスから全く予告なしに、「至急!●●に関する報告書、明日までに提出求む!」、「今日の17時までにXXを至急提出するように!」(そしてそのメールが送信された時間見ると、同日14時(怒!)みたいなメールが立て続けにきたりして、その度に上司と相談して、大急ぎでうちの事務所のインプットを書き上げ、依頼主の同僚に提出するといったことがここ2週間で何度もありました。。。


そんなバタバタな中、ここ1週間でブニア近郊にある国内避難民(IDP)の居住地区三箇所に急遽視察に行くことができました。ブニアがあるイツリ州は、以前から民族間の争いによる暴力が続き、また反政府武装勢力とコンゴ民政府軍の間での暴力などもあり、国内避難民(IDP)が県内だけで170万人程います。暴力が続くイツリ州北部から主に逃れてきた避難民たちは、ブニア周辺やその他の村の土地に自ら藁や土を使って畳4畳ほどもない小さな丸い小屋を作り、そこで1家族平均5人が暮らしています(少ないところは2人、多いところは8人ほど)。


私が今回訪問した3箇所では、一つ目は約4000人が、二つ目は約13000人、そして三つ目は約3000人が住んでいるとのことでした。特に二つ目のところはブニア中心地からもそこまで離れておらず、家と家の間がかなり密集していて、子どもたちは泥だらけの中靴も履かず走り回り、生活環境は最悪でした。ここにいる人たちは既に2年間ほどそこで住んでいると同僚が言っていました。三つ目のところは、2019年秋ごろに移動してきた避難民が住んでおり、まだ藁と土壁の家を作る前の段階で、UNHCRのロゴが入った、よく難民キャンプで見るビニールシートでできた簡易的な緊急シェルターの家が区画通りに並んでいました。

1箇所目の居住地区。中央の建物は、避難民コミュニティの管理所。
2箇所目と3箇所目のところはあまりにも環境が酷かったのと、
夕暮れ時で薄暗くなっていたので写真は撮れませんでした。


COVID-19の予防対策の一環で、コミュニティに簡易手洗い用バケツと石鹸を配布


同僚たちは、みんな難民キャンプの方がよっぽど居住環境がいいと口を揃えていうくらい、ブニア周辺のIDPの居住地というのは酷いものでした。


スーダンのハルツーム事務所で勤務していた時は、過去のブログにも書いた通り現場に行く機会が少なく、難民や国内避難民の人たちがどういった環境で生活をしているかがなかなか想像しにくかったのですが、「百聞は一見に如かず」という通り、やはり自分の目で現場の様子を見るのはとても大事だと思いました。

自分の職務の性質上、プロジェクトの予算管理や進捗状況の報告など、事務作業だけで追われていっぱいいっぱいになってしまいがちなのですが、現場の視点も持ちながら職務に取り組まないといけませんね。


ちょっと暗い話になってしまったので、最後はちょっとだけ明るい(?)話を。

新居に引越して1週間しか経ってないのですが、どうやら近所にいる野良猫がうちが気になったのか、気づかないうちに2度もドアから家の中に入ってきてました(笑)。わりと人を恐れていない子だったので、撫で撫でして持ち上げてみたら、どうやら授乳中のお母さんなのか、おっぱいが大きくなっていました(体はわりと小さいし細いのでまだ若い猫?)。食べ物が欲しくてうちに入ってきたのかと思われます。


どこにいっても猫には寄ってこられるようで、癒されます❤️。職場以外ではまだ誰とも友達になれてないので、この子とまずは仲良くなろうかな(笑)。ハルツームで同僚の家で今もお留守番している我が子サミラも早く連れてきたいところです🐈。

2020/07/30

ブニア(コンゴ民主共和国)に着任しました! / Reassignment to Bunia (DR Congo)

前回のブログ投稿では、スーダンでの任務を終えて日本に帰国したことをお伝えしましたが、今回は着任したばかりの国、コンゴ民主共和国での最初の1週間の生活をお伝えしようと思います。

ということで、今更ですが、実は今年6月からコンゴ民主共和国の北東部にあるブニアという町にあるUNHCRの事務所の仕事に着任しました。新型コロナルイスの影響で、6月には物理的に着任することができなかったので、6月1日からテレワークで遠隔でスーダンと日本から仕事させてもらってました。7月に入ってやっとコンゴ民への渡航ができそうな目処が立ってきたので、やっと7月22日にブニアに到着することができました。
コンゴ民はアフリカのほぼど真ん中にあって、
アフリカ大陸の中ではアルジェリアに続いて第二番目に国土が広い。


ブニアへの道のりはとっても長く、7月20日夜に日本を出発し、エチオピアのアディスアベバに21日早朝に到着し、その後すぐに国連人道支援サービス(UNHAS)の飛行機でコンゴ民東部の主要都市ゴマへ行き、ゴマで一泊した翌朝22日に、ゴマ〜ブニアの国内線(UNHAS)で1時間の乗り継いだところにあるので、時差のことを鑑みて計算しても、実家(東京)からブニアまでは計3日近くかかったことになります。
ブニアはウガンダとの国境から40kmくらいのところにある

ゴマでブニアに向かうUNHASの飛行機にチェックインする時、事前に申請がないと荷物制限の25kg以上は乗せられないと言われ、そんなこと何も事前に知らせれてなかったので、仕方なく至急必要な荷物25kgのみを優先し、他の荷物(約50kg分)はあとから貨物で送ってもらうことになりました(っていうかそういうことなら事務所から事前に教えて欲しかった)。翌々日には次の便があるからと聞いていたので、まあ二日程度なら我慢できるかと思っていたけど、結局翌々日の便では既に搭乗者の荷物のみでいっぱいで貨物に乗せらえなかったらしく、結局スーツケースが手元に入ったのは、ブニア到着後ほぼ1週間後でした(苦笑)。

今回着任したポストに応募した時は、前回のブログでもちょこっと触れた通りダメもとで応募して、実はあまり受かって欲しくないなって思っていたポストでした(苦笑)。なぜから、他にも受けていたポストよりも大変な環境そうだったし、治安・セキュリティ面などでも諸々不安だったからです。受けた時点で、内部応募者が何人既に応募しているかシステム上で見れるのですが、応募締め切り1時間前の時点で既に20人応募者がいたので、どうせ私なんか合格しないだろうと思っていました。

このポストは、2019年後半からコンゴ民東部で発生している多数の国内避難民(IDP)への支援を緊急で行うために迅速に人材を派遣する、UNHCRのFast Trackと呼ばれる制度の元で募集されたポストで、早く人を採用・派遣したいために、普段の採用試験よりも簡易的です。なので、普通は面接や場合によっては筆記試験などがあるのに、今回はなんと面接も全くなく突然合格発表がきて、そのメールがきた時にあまりにもビビったのと不安で、しばらくの間体がずっと震えていたのを覚えています。Fast Trackは合格者決定後原則2週間以内に着任しないといけないというルールもあって、飼っている猫のことはどうしようとか色々考えてしまい、その日の晩も不安でろくに眠れなかったのですが、既にコンゴ民にいる知り合いが3人いることがわかって、その人たちに情報収集のために連絡したところ、意外とブニアはコンゴ民のスタンダードでは悪くないということで(笑)、少しは安心したのでした・・・。

しかしコロナの影響で、着任は合格発表後2週間どころか数ヶ月後になり、その間に少しは心や引越しなどの準備をすることができたのはちょっと救いでした。


さて、ブニアに到着してちょうど1週間経つので、現地の様子も少しお伝えしようと思います。

ブニアはWikipediaによると36万人ほどの人口だそうですが、町の中心地の商業施設は限られていて、国道27号線に沿ってお店が0.5km程並んでいる程度で、裏道にも露天や店は並んでいるけど、売っている物はかなり限られてます。道も舗装されいてるのは、国道のみで、UNHCR事務所がある道も舗装されていません。
ブニア事務所はこちら→

事務所入り口

ブニアの町並み
普段はかなりたくさんバイクが走ってる
(タクシーとして)


週末には1人で町の中を歩いて家に必要な物を買い出しに行ったりできます。町の人はフレンドリーで、Bonjourと声をかけてくる人、アジア系女性を珍しがってジロジロ見てくる人や、「シノワ(仏語で中国人という意味)」と言ってくる人もよくいますが、まあそれはこれまでにもよくあったことなのでスルーしてます。コロナの影響でアジア人=ウイルス持っている、と勘違いされるのではないかという不安もありますが、今のところ何か嫌な思いをする扱いは受けていません。

町の規模から言って、協力隊時代に2年間住んでいたモロッコ南東部のグルミマに似ているなーと思いながら、町を散策してます。余談ですが、今日町を歩いてたら、明日の羊の犠牲祭に備えて包丁を探すモロッコ人の平和維持軍の人たちに会いました。久しぶりに懐かしいダリジャ(アラビア語モロッコ方言)が聞こえてきたので、思わずダリジャで話しかけたらびっくりしてました。今住んでるところの隣人もモロッコ人だし、どこにいってもモロッコとは縁があります、笑。

2020年6月までいたスーダンでは、街中でお酒を売っていることは絶対になかったし飲酒も禁止されていたので、町中の小さなお店でも簡単にビールやその他アルコールが手に入ることが新鮮です!笑
コンゴ民のビール
あまり苦味がなくて飲みやすい!
ビールの瓶を返しに店に戻ったら、
店にいた警察に、
「俺にもビール買ってくれ、買うお金がないんだ」
と言われたので、
「あなたの仕事は市民を守ることでしょう。
お酒で酔っ払っていたらその仕事は務まらないでしょう」
と言い返した。

ブニアでは、ハルツームと同じあるいはそれ以上によく停電があり、今住んでいる家には、どの部屋にもスイッチが二つあります。一つは普通の電気スイッチ、そしてもう一つは前者(電流)が停電した時に太陽光で蓄電しておいた電気を使うスイッチです。ただ、太陽光で蓄電した電気の方は普通の電気程明るなくて(電球が悪いのか?)、今も停電中なのですごく薄暗い部屋でブログ書いてます。日本から持ってきた、PCにUSBで繋げるポケットライトを持ってきていたのが大活躍です!

ちなみに昨日の晩から電流があるうちにと思って、電流コンセントのところにアダプターを介してPC、携帯、ポケットwifiをチャージしていたのですが、今朝突然電流が走るかのようにピカッと光って、すごい焦げ臭いにおいがしてきました。急いでコンセントからアダプターを外したんですが、まだ日本から持ってきて1週間しか使ってなかった新品のマルチソケットアダプター(USB4つとC-typeのケーブルが挿せて、違うコンセントの形でも使えるやつ)が早速壊れてしまいました(涙・・・)。スーダンでも、以前同じやつ使ってたら雨の日にコンセントから水が出てきて壊れたんだよな。。。日本じゃ絶対にありえないことが起こるのがアフリカ。。。。
住んでる家がある集合住宅。
一見良さそうに見えるけど、結構不便なこと多し。


電気がこれだけ不安定なので、もちろん洗濯機なんか使えないし、冷蔵庫の中の物も長持ちしないので、色々不便です。スーダンでは家の掃除だけお手伝いさんにやってもらってたけど、ここでは家の掃除以外にも、調理と洗濯(手洗い)も毎日やってもらわないと自分の手では到底できないです。その他家電(レンジとか電気ポットとか)も普通に使えないので、お湯や食べ物を温めるとかも全部鍋を使ってガスコンロで火にかけるといった具合です。

あと一点気づいたのが、こちらの(洗濯用)石鹸はなぜか青い!お手伝いさんが買ってきた固形石鹸(最初は棒かと思った、笑)は真っ青だし(この石鹸、意外とシミ抜きに効果的!)、パウダーの洗濯用石鹸も中を開けてみたら真っ青だった・・・!白い服が全部青くなるんじゃないかと不安だったけど、どうやら大丈夫みたいです。。。

夜は停電になると道路も真っ暗になるので、事務所での残業はせずに日が出ているうちに歩いて帰るか、事務所の運転手に家まで送ってもらってます。車の免許があればもう少し自由に動けるようになるので、機会があれば免許取ろうか検討中です。

気候は一年中通して15~30度程度で、現在は毎日23度〜25度程度。かなり暑い季節(40〜45度)が半年以上続くハルツームよりは大分過ごしやすいですが、時々あのカラッと晴れたハルツームの陽気が恋しくなります。

とりあえず1週間はこんな感じでした。任期が終わる来年5月末までこんな感じでやっていけるのか若干不安ですが(笑)、まあ無理はせずにボチボチやっていこうと思います。