2015/08/24

南米旅行① ペルー編 (2) / A trip to South America 1: Peru (2)

前回に続き、南米旅行①ペルー編第2弾。

ここまでのお話は前回の記事をご覧ください。
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無事にクスコに着いた私たちは、リマのモダンで西洋的な雰囲気とは一変して、私たちの想像していたアンデスの雰囲気により近いクスコに、着いた途端に魅了された(気がする)。

リマは旧市街は確かに古い建物もたくさんあったけど、クスコの場合はさらにたくさん古い建物や歴史的建造物などがあり、また周りにはアンデス山脈がそびえ立ち、とても風景が美しい。

クスコの空港で私たちを迎えてくれた、旅行会社の女性に案内されて、早速ホテルへ到着。すごく街の中心地から近いホテルで、部屋もきれいだし、雰囲気も良い!そして何と言っても、街の雰囲気が素敵!

荷物を降ろした後にメインの広場に行ってみると、観光客や地元の人で賑わっていて、広場に面したところにある古い教会や、広場の方へ突き出したバルコニーがあるレストランなどが印象的。そして、リマではあまり見ることがなかった、カラフルな風呂敷を背負って帽子をかぶった恰幅のいいおばちゃま達・・・。


そして、夕食時には、広場が一望できそうなバルコニー付きのちょっと高級そうなレストランに入ってみることに!高山病防止ってこともあって、3人ともスープとパンくらいしか食べなかったけど(標高が高いと、消化器官が鈍るらしく、普段よりも消化に時間がかかるらしい)、レストランではアンデスのフォルクローレが始まって、いかにもペルーに来た!という感じだった。


そして、翌日からは早速クスコ市内観光へ!
と思ってホテルを出たら、早速近くの道で、可愛いおばちゃんと子羊ちゃん達を発見・・・。モロッコでもあったけど、観光客向けに民族衣装とか着て、一緒に写真撮っていいからお金くれっていうパターン。でもあまりにも可愛かったし、まだこういう写真撮ってないから、まあお金払ってもいいか!と思って、少額のチップを渡して写真撮影させてもらうことに。


そして、クスコ市内にあるインカ博物館に立ち寄ってみた。
ここには、インカの歴史の説明や、衣服、食べ物、陶器、家、土地、人物などに関するいろんなものが展示されている。だけどその情報を一気に吸収するのも難しい・・・。
そんな中、私にはひときわ興味深かったのは、織物!
この博物館の中庭には、女性が織物を実際に作っていて、どうやって作るか見学することができる。モロッコでも織物の作り方を見てきた私にとっては、すごく興味深い・・・。
これは織物に詳しい人によると、腰織という織り方らしい。モロッコの場合は女性が織るのはだいたいがボシャルウィットなど、縦型の織り機を使って織るけど、ペルーのアンデス地方だと、この腰織が主流みたい。この色とりどりな織物、いかにも南米っぽくって、見ているだけでも楽しい・・・。

できた作品は、こんな感じで売っていました。

はてさて、街を散策し続けると、ちょくちょくこんなに可愛らしい人や動物に会って、その度に止まってしまう。


でも、教会の屋上まで息をゼイゼイ切らしながら登ってみたり、市場を見学したりして、

そして、広場まで戻ってきた。

午後は、ガイド付き半日ツアーで、市内の教会と郊外の遺跡などを見学。

遺跡の写真よりは、私が気に入ったのは、やはりカラフルな民族衣装を着たおばちゃん達・・・。観光客向けにやっているのはわかってるけど、どうしても壮大な景色とこのカラフルな衣装に惹かれてしまう。。。(そして動物も可愛い・・・)
こちらは、郊外にあるサクサイワマンという、インカの神殿である遺跡。この巨大の石を数キロ離れた石切場から運び、パズルのように当てはめていったと思うと、インカの人は本当にすごい・・・。



他の遺跡とかも行ったんですが、遺跡の凄さは実際に行ってみないとわからないし、説明がないとその歴史的価値もわからないと思うので、ここでは私が撮った写真で好きなものを中心にアップしてます(笑)。

 ツアーから帰ったらもう暗くなってて、広場に行ったら、なんとフォルクローレのショーみたいなのをやっていた。でも、この写真はショーにこれから出る人たちが影で練習している姿!素朴な若い男女が一緒に踊っていて、可愛かった!


そして高山病防止にコカ茶を飲んで、夕食を食べて、翌日からのマチュピチュツアーに控えたのでした。

マチュピチュへの旅に関しては、次回!

2015/08/22

南米旅行① ペルー編(1) / A trip to South America 1: Peru (1)

しばらくの間、ブログを更新できずにいました・・・。
協力隊生活が終わった今、果たして今だにこのブログを見ている人がどれだけいるのかは謎ですが、とりあえず記録に残すためにも続けたいと思います。

はてさて、帰国してから何をしているのかというと、
①就職活動
②友人たちと久しぶりの再会
③南米旅行
・・・ですかね。

①の就職活動は引き続きやっており、まだ具体的に進路が決まっていないので、
決まり次第また報告できればと思ってます。
②の友人との久しぶりの再会は、特に説明必要ないかと思うので、
今回は③の南米旅行について書きたいと思います。

モロッコは北アフリカに位置し、文化としてはアラブ、ベルベル、ヨーロッパの雰囲気が融合されているので、次の進路が決まるまでには、それと全く違う文化圏である南米に行きたいと前から思ってました。

偶然にも私が考えていた旅程の頃には、ピースボート時代に知り合い、ボリビアで以前協力隊員として活動していた友達も現地にいるから、一部案内してくれるということになったので、これは今しか行くチャンスがない!と思って行くことにしました!

行き先は、ペルーとボリビア!
旅には、モロッコで一緒に活動することもあった協力隊員の女の子が同行してくれることになりました。最初の1週間は彼女のお友達も一緒に参加することに。

ということで、ここから何回かの記事は、南米旅行シリーズになります。
言葉よりも写真をたくさん使った方が飽きないし、分かりやすいと思うので、たくさん写真を交えて書こうと思います。

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まず日程は、8月19日に成田を出発し、米国のヒューストンで乗り継ぎ、ペルーの首都リマへ。

リマに着いたのは23時頃。友人の知り合いであるタクシードライバーのパコさんという人が、到着ロビーで名札を持って待っていてくれると聞いていたので、急いでロビーに出てみると、なんとそれらしき人はいない・・・。私も同行した二人もスペイン語はほとんどわからないので困りながらウロウロしていると、優しい係員の人が声をかけてくれた。この人は英語も多少話せたので、事情を説明すると、自らの携帯でパコさんにスペイン語で電話してくれた。「日本人が3人待ってるぞー」「今から行く」みたいな会話だったので、待つこと1時間・・・。やっとパコさん到着!!

空港からパコさんのタクシーに乗り込み、もう深夜を過ぎていたリマの郊外から街中へ。元ボリビア隊員だった友人には、「リマは治安が悪いから本当に気をつけて!空港から市内へ移動する時は、タクシーの窓ガラスから荷物が見えないように足元に置くこと」など注意を受けていたので、その指示に従って、見た感じやっぱりちょっと治安の悪そうな郊外を通る。(ちなみに、空港のあるカヤオという町は、ピースボートでも過去に寄港したことがあり、港のゲートを出るとかなり治安が悪いので、絶対に歩かないこと、リマに行く場合は必ずゲートからすぐにタクシーに乗ること、と注意されていた。)

パコさんがホテルの位置をよくわからなかったので、多少迷ったけど、ホテルに無事に到着。この頃、既に夜2時くらい・・・。管理人のおじさんが眠そうに出てきたけど、すぐに部屋に通してくれて、一安心・・・。

翌日はリマの旧市街を歩いて、だいたいの見どころ(教会などを)を見て回った。
個人的に一番の見どころは、地下室に骸骨がたくさん置いてある、サンフランシスコ教会。

あとは、昼食に食べたシーフードが美味しかった!!3人でシェアしようと思って、友人から聞いていた「食べたほうがいいものリスト」のものをすべて頼んだら、かなりの量になってしまって、3人ともお腹いっぱい・・・・。

そして、街中を引き続き観光していたら、なんともう10年ほど前から使っていた私のリュックサックのファスナーがはずれた!!実はモロッコにいた頃から既にファスナーの調子が悪かったんだけど、あともうちょっと行けるかなと思って新しいリュックを買うのを躊躇していたら、こんなことに・・・。治安上ファスナーが閉まらないリュックを持ち歩くのは危険なので、速攻現地で新しいものを調達!

その他、幾つかの教会を見学したあとは、歩き疲れてしまったので、新市街のミラフローレス地区にあるショッピングモールへ移動。雨が降ってきてしまったので、本当は夕日が綺麗なスポットであるはずなのに、夕陽が沈むのは見れなかった・・・。



そして翌日は、インカ帝国首都のクスコへ移動する日。
でも、ホテルから割と近いところに民芸品市場があるということが分かったので、行ってみることに。

そこは、なんと、ピースボート時代に私がツアーや自由時間に来たことのある市場だった!そこにはいかにもペルーらしいお土産や手工芸品がたくさん並んでて、手工芸品好きの女子3人には、もうたまらない!!早速お土産買ってしまいました〜〜⭐︎

そして、いよいよクスコへ移動!!

国内線でリマ〜クスコは約2時間(だっけ?)
クスコの標高はなんと約3400m!リマから飛行機で飛ぶと、一気に標高が上がるので、友人からもらっていた高山病予防の薬を到着の1時間ほど前に飲む。

クスコに着くと、湿気がたくさんあった沿岸地区のリマとは違って、空気はたいぶ冷たく、乾燥している。景色も一気に山と成る!やっとアンデスっぽいところに来たー!!と一気に3人のテンションは上がり、空港で既に写真撮影(笑)。

ということで、次回の記事は、クスコでの滞在について書こうと思います。
乞うご期待!

2015/07/30

青年海外協力隊を終えて / Thoughts after finishing JOCV

もうすぐ青年海外協力隊の任務を終えて、日本に帰国してから1ヶ月が経つ。
そんな中、私が帰国したことを早速聞きつけて、「モロッコでの活動を報告して欲しい」と声を掛けてくれたのは、前職のNGOピースボート。

ピースボートでは定期的に、東京の事務所にて一般公開の勉強会を行っていて、扱われるテーマは様々。今回私が講師を務めて欲しいと言われた勉強会では、私が過去に乗船したピースボートでの体験が、どのように協力隊でモロッコにいくことにつながったのか、そしてモロッコではどんな活動をしたのかということを話して欲しいということだった。

実は、今回のピースボートでの勉強会が、モロッコから帰国して初めて自分の体験を公の場で話す機会だったので、モロッコや協力隊のことを知らない人に、どうやって自分の経験や思ったことをわかりやすく伝えればいいのか考えるいい機会となった。

勉強会には、過去乗船者やこれから乗船する若者、私の友人、それからどこからか聞きつけたのかわからないけど来てくださった初対面の方、そしてピースボートスタッフなど、合計13人程が来てくれた。講座の後の質疑応答では、いろんな質問が出て、協力隊であったり、現地の状況に関する関心が高いなーということを実感。

勉強会の準備には結構時間をかけたけど、結局自分が満足できるほどには気持ちを伝えきれなかった気がする。そして勉強会を終えて、ピースボートスタッフと話したりして、私は一体協力隊の経験から何を伝えたいんだろうってもう一度考えてみた。

勉強会の質疑応答の時間で、(外国や大都市への出稼ぎの人が地元の集落の家族に仕送りしているという話しの続きで)「村落開発普及員として、村落部での開発に関わった意義は何ですか?」というような質問があった。

私の活動先での経験から言えることは、出稼ぎに行ったり自分の村から外へ行ってお金を稼いだりすることが難しい女性たちでも、自分の住む集落で、自分たちの持つスキルを活用してお金を稼げるようになり、彼女たちの可能性が広がったという点かと思う。

私が一緒に活動していた女性たちは、識字能力がなかったり、まだ小さい子どもがいるため長時間留守できなかったり、そもそも集落の女性が自分の集落以外に出て行ってお金を稼ぐという考えもあまりないような地域だった。でも、彼女たちは手芸(編み物、ベルベル刺繍、裁縫など)のスキルは持っていて、私は自分の活動の一環として、彼女たちのそういったスキルを活用して、現金収入を支援する活動に従事した。

私が来る前は、この地域の女性たちは手工芸品での収入はほとんどなかった。というのも、作っても売れないから(みんな似たような物を作れるので地元で売っても買わない)、自分で使う分以外を作ってもあまり意味がなかったのだ。そのために、趣味程度にとどまっていた。

でも、2年間一緒に活動して、新しい商品の開発や制作、質の改善、会計管理、販路の確保などの補佐をした結果、生産者の女性たちの収入はかなり上がった。稼いだお金は、家計の足しにしたり、貯金して病気になった時に薬を買うお金に当てたり(モロッコで公立の病院に行けば医療費は安価あるいは無料(←あれ、誰か医療隊員の方、教えて!)だが、薬は自己負担で高い)、新しい洋服を調達したりするのに使うという。いつも稼いだお金をリーダーの女性がお給料としてみんなに渡す時は、女性たちも嬉しそうだった。

私のモロッコでの活動最終報告の時の述べたけど、活動の成果として一番大きかったのは、女性たちの収入がいくら上がったかっていうことよりも、それを超えて、女性たちがやる気になったことだった。私がモロッコにいる間にいくら頑張って商品を売ったとしても、生産者である女性たちが頑張ろうという気がなければ、私が帰った後は活動は続かないだろうし、それではあまり意味がない。

具体的な例を挙げると、ある一人の女性が、「私たちの会社を作るわ!」と意気込んで他の女性と話していたことだった。実際に会社を作る・作らないは別の話としても、以前はわりと内気な印象を与えていた彼女が、私の帰国数ヶ月前には生き生きとして大多数の女性メンバーの前で、堂々とそう発言していたのは、すごい嬉しかった。

他にも、小学校までしか通わずに、今でもアラビア語の識字能力がない生産者の女性たち(30代〜40代)が、アラビア文字およびローマ字を学ぶために、最近になって村で行われている識字教育に通い始めたことがあった。「どうして行くようになったの?」と聞いたら、「だって文字が書けるようになったら、Anou(※)で売れた商品を送る時に、宛先の住所を書けるようになるでしょ」と言っていたのだ。
(※モロッコの手工芸品生産者たちが商品をネット販売できるフェアトレードサイト。Anouで販売することになった経緯は、過去の私のブログ記事に詳細あり。)
郵便局で、発送先住所をローマ字で書く女性

また、生産者の女性たちが、PCを使いこなすことができる男性役員たちに、「私たちにPCの使い方を教えて欲しい」と自分たちから言い出し、最近になってパソコン教室をアソシエーションで実施し始めたのだ。これも、上記のAnouというサイトで商品を販売する際に、PCを使う必要があり、上手に使えるようになりたいという気持ちがあったからだ。(ちなみにAnouのコンセプトとしては、識字能力のない生産者でも、サイトを使って商品をアップロードできることであり、実際に生産者が商品をアップする際に使うアカウントには文字は一切なく、すべてが絵のアイコンになっている。)

私の活動の成果は、私の帰国後の生産者の女性たちの動向にかかっているなと思ってきた。もし女性たちが私と一緒に行った手工芸品を通した現金収入創出の活動を、私が帰国したからといって続けていなければ、私の活動は一時的な支援でしかなく、私はコミュニティにおける持続可能な開発にあまり貢献できなかったのだと思う。でも、逆にもし女性たちだけでも自発的に続けているのであれば、もしかするとある程度は彼女たちが続けることができる基盤作りに貢献できたのかなと思う。

嬉しいことに、女性たちは私が帰国した後も自発的に手工芸活動を続けており、定期的にAnouのサイトに商品をアップし続けている。
Association El Wifakのページ

Association Najahのページ

ちなみにAnou以外にも、私が帰国する前に開拓した販路(ホテルや日本のモロッコ雑貨を扱うサイトなど)があるのだが、そちらは今後どうなるか様子を見る必要がある。。。

ちょっと話が長くなったけど、結局村落開発普及員として、村落部コミュニティの開発に関わることができた意義って、こういうことなんじゃないかなと思う。ただ単に村に新しい道路を敷くとか、学校を造るとかだけでなくて、そこに住む人々と一緒に生活をして、彼ら・彼女らの文化とか考え方とかを学んで、そこから見えるやり方を元に、一緒に、何が必要で何をできるか考えて、一緒に取り組んでいく。そして、最終的には彼ら・彼女らだけでも続けていける何かを残せればいい・・・。私はあくまでもこの過程のカタリスト(触発者)であって、主役はコミュニティの人たち。彼ら・彼女らがやる気になって、何かに向かっていく、そして彼ら・彼女らの可能性が広がる・・・。そんなきっかけ作りができたのならばいいな、と思う。
自宅の裏庭でボシャルウィット(ラグ)を作る女性。
これまでにはボシャルウィットを商品化したことはなかったが、
商品化したら、海外にも発送するほどの人気商品となった。
彼女たちが作るボシャルウィットはこちらから購入可能。


質問のもう一つにあったのは、「協力隊で一番大事なのって何ですか?語学ですか?」という質問。私の場合は、フランス語、アラビア語、ベルベル語を学ばないといけないような任地だったこともあって、任期中の言語の習得には苦労したこともあって、今回の勉強会では言語における大変さが強調されてしまったのかもしれない。でも、質問に対する私の答えは、一番大事なのは言語ではないと思う、ということだった。

もちろん言語ができるに越したことはないし、実際に協力隊を受ける場合には、どの国に派遣されようが、TOEICで300点以上(?←今の状況は分からないので、知りたい人はwebにてチェック!)を取得していないといけないという現状もある。でも、派遣前訓練で2ヶ月間言語の勉強はあるし、派遣後も現地語訓練などのサポートはある。

一番大事なのは、途上国という現場でありうる大変さ(環境、人間関係、コミュニケーションなど)にも耐えられる忍耐力と適応力、そしてやる気なんじゃないかなーと思う。言葉はある程度頑張れば成果につながるし、できればそれは活動の一助にもなる。けど、忍耐力や適応力、そして本人のやる気というのは、早々変えられるものでもない。実際に、言語は苦手でTOEICの点数や訓練所時代の語学研修のテストもギリギリだったけど、現地では立派に活動し成果を残し、帰国した今でも今後バリバリ国際協力の道を進みます!っていう隊員だっている。

確かに誰でもできるというわけではないけど、もし興味があるのならば、是非いろんな人に協力隊はチャレンジしてもらったらいいと思う。「え、こんな職種もあるの!?」っていうくらいにいろんなタイプの職種があるし、職種によってはそこまで専門性や職務経験が必要でなかったりするものもある(特に、「コミュニティ開発」や「青少年活動」はそういう要請が多い)。

日本人を見たことがない(あるいは外国人を見たことがない)というコミュニティに入って行って、そこで2年間現地の人と時間をともにして活動するというのは、自分にも、現地の人たちにもインパクトがある。ボランティアは、専門家やコンサルタントほどの専門知識や経験もないけど、ボランティアだからこそできることってたくさんあると思う。何をするかは、人それぞれ。でも、できることって絶対に何かあると思う。

だから、帰国した今、日本の多くの人に協力隊は勧めたいし、いろんな人に協力隊の経験を伝えたいなって思う。
今回の勉強会では、うまく伝えられなかったこともたくさんあったので、今後はもっと改善するよう努力をせねば。。。
ということで、もし機会があればいくらでも自らの協力隊経験語ります!
興味ある方は連絡ください!(→ ブログ右手中央部分に「連絡フォーム」あります、笑。)

2015/07/05

さよなら、モロッコ&ただいま、日本 / Goodbye Morocco & hello again Japan

6月30日にモロッコを出国し、7月1日に無事パリ経由で東京羽田国際空港に到着しました。

今考えれば、長いようで短かった2年3ヶ月間のモロッコでの青年海外協力隊生活。

もともとモロッコに協力隊で(かつ村落開発普及員という職種)で行こうと決意したのは、ピースボートに通訳ボランティアとして乗船してモロッコを初めて訪問した、2009年の秋。偶然にも船で同室だったスペイン語の通訳ボランティアの子は、ボリビアで村落開発普及員として2年間活動して帰国したばかりで、彼女のボリビア生活の写真を見せてくれたり、現地での生活の様子、協力隊への応募などについて、色々教えてくれた。その時に、私もやってみたい!と思ったのを覚えている。その時のピースボートのクルーズでモロッコのカサブランカに寄港した時に、マラケシュ観光ツアーの通訳を担当して、モロッコがすごく気に入ったので、もし協力隊で来れるのであればモロッコを第一希望として応募しようと思ったのだった。

そんなこともあって、2012年春に協力隊を受けた時に一発で第一希望のモロッコの村落開発普及員の要請に合格した時は、ものすごく嬉しかった。派遣前もモロッコに再び行けることが楽しみだったし、派遣中にもモロッコかつグルミマという任地で良かった、と思うことは何度もあった。

帰国後、よく「モロッコ生活で何が一番大変だった?」と聞かれると、大体私が答えるのは「言語」。このブログにも何度か書いたけど、私は派遣前訓練で2ヶ月間フランス語の研修を受け、その後モロッコの首都ラバトでは3週間のアラビア語モロッコ方言(ダリジャ)の研修を受けてから、ベルベル語が話される任地へ配属となった。

現地語がベルベル語であるために、現地人同士の会話はほとんどがベルベル語。私と話すときは、ダリジャあるいは話せる人はフランス語。どの言語も習得しようと努力はして、フランス語は今年5月になんとかDELF(仏語能力試験)のB2(仏語検定の準一級くらいに相当)に合格し、ダリジャ習得も頑張ろうとはしたけど、結局は文法もめちゃくちゃなコミュニケーションレベルでずっと活動する程度に留まった。ベルベル語は結局単語レベルしか身につかず、「どうしてあなたはベルベル語話せないの?」と言われることもあった。悔しくて一人で泣くこともあった。

私が主に活動する同僚はフランス語はできなくて、ダリジャかベルベル語しか話せない女性たちが中心だったために、活動で本当に伝えたいこと(私の想いなど)や説明が難しいこと(会計管理など)を同僚にわかってもらうには苦労したし、ストレスがたまった。活動の最後の方でも自分の言語能力不足に悩まされることもあった。

でも、ベルベル語の話される任地だったからこそ、ベルベル人というモロッコでも一部の地域にしかいない民族の文化に馴染んだり、ベルベル刺繍を生かした手工芸品の開発に携わることができた。そして、田舎の町だったこともあってグルミマの人は本当に優しく、彼ら彼女らの優しさに救われることも何度もあった。だから、大変なこともあったけど、グルミマで2年3ヶ月間活動できて本当に良かったと思う。


このような背景もあって、いよいよモロッコでの生活を終えて日本に帰るということには寂しさもあったけど、とりあえず私がグルミマで出来ることはやったし、これまでに一生懸命活動してきた分、少しは日本でゆっくり休みたいなーという気持ちにもなっていたので、今は日本に無事に到着し、協力隊の生活を終えることが出来てほっとしています。

帰国後研修でJICAのスタッフが言っていたような、帰国後ショック(?)みたいなのも以外になく、わりとフツーに日本の生活にも順応できているような気もするけど、まだ帰国して一週間も経っていないので今はまだ何もかもが楽しい時期なのかな。とりあえずは、しばらく会っていなかった友人や家族とゆっくりしながら、少しずつ就活もしないといけないなーと言ったところです。

協力隊生活は終わりですが、このブログは引き続き時々更新しようかなと思っているので、モロッコにいた時程は面白い記事は書けないかもしれませんが、興味ある方は引き続きよろしくお願いします!

2015/06/24

さよなら&ありがとう、グルミマ / Goodbye and thank you, Goulmima

あまりにもグルミマでの活動や荷造り、挨拶周りなどで忙しすぎて、ブログがしばらく更新できずにいましたが、6月23日で無事にグルミマでの活動を終えて、任地にお別れをしてきました。

活動先のアソシエーションでは、ラマダン直前で忙しい時期であったにも関わらず、私のお別れパーティーを盛大に開いてくれて、配属先の教育省エルラシディア支局のボランティア担当者や、グルミマの郵便局長(アソシエーションの女性たちが商品を送る際や、私が日本に荷物郵送する際に大分お世話になった人!)など、これまでに関わったいろんな人たちが集まってくれました。2つのアソシエーションのパーティを合わせたら、おそらく計200人程の人たちが集まってくれて、スピーチやら歌、ダンス、劇などを披露してくれました!


おまけに、1人じゃ抱えきれない程の大量のプレゼントまで頂いたり、手作りのお菓子やケーキがたくさん出て来たりと、本当に盛りだくさんのパーティでした。

これだけのパーティを準備するには結構な時間と労力がかかっているだろうにと、逆に申し訳ない気分になったくらいですが、おかげさまで、笑いあり涙ありの思い出に残るパーティとなりました。

グルミマを去る一週間前からちょうどラマダン(断食の月)が始まったので、その一週間はずーっとフトール(日没後の最初の食事)をモロッコ人のお家で頂いて、挨拶周りも兼ねて最後のグルミマ滞在を楽しませてもらいました。もうお別れだよという時には、みんな涙目になって、「ここはあなたの家族だからね、また必ず戻ってくるんだよ」と言ってくれました。

最後にグルミマを離れた時は、バタバタで去って行ったので余韻に浸る心の余裕もあまりなくてタクシーに乗ってからはしばらく呆然としてました・・・・(笑)。

今考えてみると、2年3ヶ月間近くグルミマで暮らしてみて、言葉の壁や文化の違いなどもあって、イライラすることや大変な面もたくさんあったけど、グルミマの優しい人々や素敵な同僚たちに恵まれたおかげで、自分の任期を延長してまで活動を続け、そして最終的に全うすることができたんだなと思います。

グルミマで2年間3ヶ月生活・活動できて本当に良かった。
グルミマの人たち、本当にありがとう。あなたたちに出会えて、一緒に時間を共有することができて幸せです。いつかまた戻って来れる日まで、みんな元気でいて下さい。
活動先アソシエーション①の女性たちと

活動先アソシエーション②の女性たちと

2015/06/06

あと1ヶ月のモロッコ生活

しばらくブログ更新できずにいました・・・。

正直、4月末頃からかなり忙しくなって、5月もそのまま忙しいままで、とうとう6月に入ってしまったという感じです。

なんでそんなに忙しかったかというと、4月末は他の任地からの隊員や、既に帰国した同期隊員、そして日本から旅してきたピースボート時代の友達など立て続けに訪問者が来て(わざわざ来てくれてありがたい!)、その後5月は活動の報告書やら、就活やら、仏語試験準備やら、活動最終報告会やらであっという間に一ヶ月が過ぎて行ったのです・・・。

気がついたらもう6月上旬、任地グルミマで過ごすのもなんとあと2週間程・・・。
活動も仕上げの段階に入っているべきなんだけど、なかなか注文品を終わらせることで精一杯になっていたり、村の人たちは麦の収穫で忙しかったり、なかなか思うように進まないこともあって、イライラしたり・・・。
村のいたるところに刈った麦の山が置いてある

そんなストレスもあってか、なんと5月末には背中に大きな腫れ物が出来て、JICAの日本の顧問医からは「深在性皮膚感染症」と診断されてしまいました・・・。今は大分落ち着いて来ているけど、腫れがひどかった時は微熱が出たりして体調を崩し、このタイミングで活動を休まなければならなかったのは痛い・・・。

最近は少し体調も良くなってきたので、久しぶりに同僚のお家に泊まったりして、集落の生活を楽しんでます。でも、そんな生活もあとわずかだと思うと、まだあまり実感が湧かない、というか湧きたくないというのが正直なところもあって、自分がグルミマを去るんだ、みんなとお別れしないといけないんだ、ということを考えると悲しくなってくるので、あえて考えないようにしている部分があります。
相変わらず村の動物たちに癒される・・・


でも最近はかなり日本食が恋しくって、よくラーメンを食べる夢を見ます(笑)。さすがに2年2ヶ月も日本に帰っていないと、日本の生活が多少は恋しくなります。

活動に関することもいろいろ書きたいけど、時間がかかるので、とりあえず今回は生存確認ということも兼ねて、あえて短めの投稿に抑えておきます。

あとわずかなモロッコ生活、悔いのないように楽しんでから帰国したいところです。
7月1日には日本に着くので、それ以降で時間ある方は是非会ってやって下さい!

(あ、ちなみに5月にはカスバ街道沿いにあるバラで有名なKelaa Mgounaという街で毎年開かれる、バラ祭に行ってきました。)
この地の花嫁さんの恰好をした女性たちの踊り
バラ水を作る工場に搬入されたばかりの生のバラ
お祭りには欠かせない、アソシエーションなどのブース出展。
帰国前なのに、右下の小さい椅子を買ってしまった、笑
(40DH=約400円、安い!)


2015/04/19

グルミマの楽しみ方 / How to enjoy Goulmima

しばらくの間、活動やらその他のことで忙しくってブログを更新できずにいましたが、今週末は家のすぐ真後ろで結婚式をやっていて、連日夜遅い時間まで爆音で音楽流して踊っているので到底眠れないので、ずっと書こうと思っていた記事をこの際書いちゃおうと思います。

そのタイトルこそ、「グルミマの楽しみ方」!

グルミマは特に観光地でもないし、特にすごく特別に見所があるわけでもないので、一般の旅行客は普通はマラケシュ〜砂漠(メルズーガ)間の移動では通過するところですが、この2年間に、モロッコ隊員やら海外からの友人、そして何かしらのご縁でこのブログをたまたま見つけ、グルミマを訪問したいと連絡して実際に訪問した見ず知らずの旅行客の方々など、何気に結構多くの方々に訪問頂いてます!

私のグルミマでの滞在期間もあと2ヶ月だし、後任ボランティアも来る予定はないので、今後私がグルミマを去ったら、しばらくの間は日本人は不在になります。

ということで、2年間過ごして来たグルミマの魅力をここに残しておこうと思います。
暇つぶしにでもガイドブック感覚で読んでみて下さい(笑)。

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【グルミマ】
グルミマは、首都ラバトから約550km、モロッコ南東部エルラシディアとティネリールの間に位置する小さな町。人口は2万人に満たない程度で、北アフリカの先住民ベルベル人が多く住むために、住民の多くはアラビア語モロッコ方言に加えてベルベル語を話す。内陸型乾燥気候で、乾燥した荒野の中にナツメヤシとオリーブの木の緑のオアシスが広大に広がる。主な産業は農業。

グルミマの町(左の茶色部分と周囲に広がるオアシス)










観光地マラケシュ、フェズなどに比べたらこれといった見所はないが、見るとすれば、ベルベル人の要塞化された村「クサル」。ワルザザードにあるアイトベンハッドウ程の規模はないけど、あれよりももう少し小さい土壁の集落がグルミマには郊外に約15程点在する。中にはまだ住人が住んでいるクサルもあるし、もう誰も住んでおらず、廃墟となっているクサルもある。
集落「アイト・ヘヤ」のクサル
ここにはまだ人が住んでいる
集落「グルミマン」のクサル
このクサルがグルミマでは一番古いと言われている
同じクサルの夜版。
ちょっと肝試しみたいで夜の雰囲気もまた良い(笑)

クサルには共同の「駐ロバ場」/「駐牛場」がある。
荷物運びなどでロバが必要な場合は、
ロバを所有している人から借りれるとか。
集落「クリル」のクサル(私の活動先)
こちらは今は誰も住んでおらず廃墟となっている。
(ロバなどの家畜が飼育されているのみ)

複数のクサルが点在する中、中でも一番見所があるのは、最も古い「グルミマン」のクサル。まだ300程の世帯が住んでいて、保存状態も他のクサルより良い。グルミマ中心地から約1kmのところにある。
クサル・グルミマン
この2つの塔の間に門があって、そこを通ると中に入れる。中は全部土壁の迷路のようになっていて、1人で周るにはちょっと勇気がいるかもしれないけど、小さな道に入りさえしなければ、わりと簡単にぐるーっと一周することができる。

ちなみにこのクサルは以前は多くのユダヤ人が住んでいた。イスラエル建国後にはユダヤ人は皆この地を去ってしまって今はユダヤ人は住んでいないけど、「先祖がグルミマという場所に住んでいた」という情報のみを頼りにわざわざイスラエルからこの地を訪れるユダヤ人もたまにいるらしい。

クサルの中を進んで行くと、そのうち左側に謎のドアを目にするだろう。
このドアは、ここでギャラリーを運営するベルベル人アーティストのアッディさんによるもの。彼のギャラリーの入り口なのだ(このギャラリーはクサルの中の昔のユダヤ人街に位置する)。
アッディさんのギャラリーの入り口
このギャラリー、最近はほとんどやっているのを見たことがないくらいに営業していないのだけど、中に入るとアッディさんが作った、木にリサイクルのボトルなどを詰め込んで出来た絵(?)などユニークな作品などを見ることができる。

このドアをよく見ると、「こんにちは」と書いてある(ドアの左横には「こんにちは」を練習した跡も残っている、笑)。よく見るとこのドアは興味深く、ベルベル人の歴史や自然、文化、言語などを描いている(詳しく述べると長くなるので、詳細はここを実際に訪れたら説明します、笑)。

ちなみに、いかにも旅行客っぽい感じでクサルに恐る恐る入って行こうとすると、もしかすると自称ガイドの中年男が近寄ってきて、「案内する」と言ってくるかもしれない。この男、「ラシッド」と言い、私がグルミマに赴任して間もない頃にこのクサルの写真を撮っていた所、「僕が案内する。100DH(約1000円)だ」(←めちゃくちゃ高い!)とふっかけてきた。「いや、私2年間ここに住むから大丈夫」と言ったら、「じゃあ20DH(約200円)でいい」と言って来た。この時はクサルには入らずにこのぼったくり自称ガイドの名前を覚えて「こいつには絶対に案内させない」と思ったが、その後よく道で会って仲良しになった(そうしたら実は良いヤツだということが分かった)。最近では観光客からお金をとらずに案内するようになったようで、私の友人が訪れた時も、何度も無料でクサルを案内してくれた(笑)。
収穫の時期にはクサル前広場にナツメヤシが広がる
【見所① クサル(要塞化された村】
おススメ度:★★★★☆
アクセス容易度:★★★★☆
マニアック度:★★☆☆☆

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グルミマはエルラシディア方面から来ると良くわかるのだが、ちょっとした丘の麓に位置していて、この丘に上るとグルミマの町、周辺の集落、オアシスを一望することができる。もしこのグルミマの広大なパノラマビューを見たいのであれば、近い方の丘であれば1〜2時間もあれば余裕でこの丘に登ることができる(以下参照)。

登れる丘は主に2つあって、一つは電波等の立つわりと中心地から近い丘。グルミマ初心者にはこちらがおススメ。
グルミマを一望する

もう一つの丘は、中心地からだとちょっとだけ前者よりも遠いために、時間のある人にはおススメ。ルートによっては、グルミマを流れる川(普段は乾いているが、雨が降ると川となる)を越えないといけない場合もある。私はこの丘を勝手に「テーブルマウンテン」と呼んでいる(上が平でテーブルマウンテンみたいだから)。
偶然にもテーブルマウンテンにかかる虹を写真に収めることができた!
登る道はこんな感じ

ちなみにこのテーブルマウンテンの上には、ポルトガル人が建てた見張り塔(?)の廃墟のようなものがあったり、グルミマの景色を上から一望することができて、これまた綺麗。
登った時は天気がイマイチだったので写真も残念な感じに・・・。

【見所② グルミマを一望できる丘】
おススメ度:★★★☆☆
アクセス容易度:★★☆☆☆
マニアック度:★★★☆☆

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これまでの写真などを見ると、グルミマは乾いた荒野・砂漠というイメージが強いかもしれないが、実は郊外には「ティフナシン」と言う泉がある。「ティフナシン」とはベルベル語で「牛」(の複数形)を意味し、過去に家畜の牛がここで飼育されていたことから由来する(?)などと聞いたことがある。

ティフナシンは、娯楽の少ないグルミマ住民にとっては貴重(?)な憩いの場。春や夏にかけてはピクニックに来るモロッコ人も多い。先輩隊員の話だと、ここは地元の若者のデートスポットでもあるとか?!
ティフナシン。
天気が良いと遠くに山が見えて綺麗。
乾いたオアシスの中を水が潤す
なんか宮殿の支柱のような岩もある

天気が良ければ、おにぎりとか持ってピクニックすると気持ちいいかも!
ただ、あー水が湧き出てる!って感じの泉とはちょっとイメージが違うかもなので、あまり期待しない方がいいかも?

ちなみにティフナシンはグルミマ中心地から約10km程離れているので、車や自転車などの移動手段がないと行くのが難しいです。

【見所③ ティフナシン】
おススメ度:★★☆☆☆
アクセス容易度:★☆☆☆☆
マニアック度:★★★★☆

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グルミマを歩くと目に留まるのが、女性たちがまとう黒地に蛍光色の刺繍が施されたベルベルマント。これは「タハルート」と呼び、この地の多くのベルベル人女性が外出する時に使うもの。「タハルート」の詳細は別の記事を見てほしいのだけど、この手工芸品は全て女性たちの手作り。このようなベルベルの手工芸品を、女性たちは自宅(家族から)やアソシエーションと呼ばれる市民団体の施設などで他の女性から学んだりする。
伝統的なタハルート

私が青年海外協力隊の村落開発普及員として活動しているのも、まさにこのアソシエーション。活動先は2つあって、両方のアソシエーションにて手工芸品の開発、製作、販売を通して女性たちの現金収入向上の支援活動を2年間行ってきた。

グルミマを訪れるモロッコ隊員の多くは、グルミマに来る理由としてアソシエーションの商品を見たり、女性たちが製作する姿を見たいからということで訪問する。

ブログを通して連絡してきてくれる見ず知らずの旅行客の人たちも、私のブログを読んでかアソシエーションの活動の見学に連れてくると興味深く見学してくれる。
刺繍は全部一つ一つ手縫い
場合によっては、「ボシャルウィット」ラグの製作の
製作様子を見ることもできるかも?

私がグルミマでの任期を終えた後だと、アソシエーションへの訪問はちょっと難しくなる(グルミマの郊外、約3kmと7km離れた集落にあるためタクシーに乗る必要があるなど、案内がないと難しい)けど、私がいるうちならば案内できるので、興味ある人は是非ー。

【見所④ アソシエーション訪問】
おススメ度:★★★☆☆
アクセス容易度:★☆☆☆☆
マニアック度:★★★★☆

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グルミマにはホテルが数件あるけど、旅行客はモロッコ滞在中は普通はホテル泊まりばかりだろうから、海外から友人が来たりすると、モロッコ人家庭にてお昼ご飯をごちそうになったりする。

実際にオランダ在中の日本人の友人夫妻がグルミマまでわざわざ来てくれた時には、グルミマの(特に何の特別でもない)レストランに案内するよりは、モロッコ人家庭の料理を味わってもらえた方が喜ぶだろうと思って、外国人の受入にも慣れている気さくなモロッコ人女性の友達の家族にお昼ご飯をごちそうになった。そうしたら2人とも「モロッコ人家庭を訪問するだなんて貴重な経験をさせてもらった!」、「交流ができて楽しかった!」と喜んでくれていた。

この家庭は中心地から1km程離れた郊外に住んでいて、周りにはナツメヤシのオアシスが広がる素敵な場所。可愛らしいベルベル人おばあちゃんが笑顔で迎え入れてくれる。

ちなみにこのお宅には、もう100歳程になる人間国宝級のベルベル人おばあちゃん(ひいおばあちゃん)も住んでいる。実際に人間国宝ではないけど、なぜ私がそう呼ぶかは本人に会ってから納得するだろう(?)

このお宅以外にも、モロッコ人は基本ホスピタリティー豊富な人たちなので、いつでもみな「うちに泊まって行きなさい!」と言ってくれる。もし私の同僚などのお宅に泊まる勇気のある人は、絶対に普通では体験できないくらい、素朴で素敵なベルベル人風カントリーライフをちょっとだけ味わえるだろう。
集落の家庭では必ず家の釜戸でパンを焼く

例えば女性が釜戸でパンを焼く姿とか、朝早い時間からオアシスにロバに乗って出かけて畑仕事をするとか・・・。



そして集落のお家にはほぼ必ずといっていいほど、牛、羊、ロバなどたくさんの家畜がいる。家で出されるミルクは、家畜の牛の絞りたての乳だったりする。


【見所/体験⑤ ベルベル人家庭訪問】
おススメ度:★★★★☆
アクセス容易度:★★★☆☆(家庭による)
マニアック度:★★☆☆☆

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グルミマには、他の町に比べて謎のイベントが多い気がする。そのうちの一つは、なんといっても、B級祭りの「アショーラ祭り」。アショーラ祭りに関しては、過去2年とも詳細に渡って記事を書いているので、そちらを見て頂きたい。

上の記事にある写真とかぶるけど、簡単にアショーラの様子の写真をアップすると、こんな感じ。



・・・・・・・・えっとー、ええ、大分シュールで謎ですよね(笑)。でもそれが面白いんです。私はグルミマである行事の中で、アショーラ祭が一番好きと言っても良いくらいに、このお祭りが何気に好きなのだ。なんでそんなに好きなのかっていうのは、自分で体験して頂かないとわからないかと思う・・・。

ちなみにこのお祭りはイスラム暦に基づいて開催時期が決まるために、毎年直前にならないと分からない。場所はこのブログ記事の一番上にも書いた、「クサル・グルミマン」の前の広場。

【見所/体験⑥ アショーラ祭(お祭り期間のみの限定)】
おススメ度:★★★★☆
アクセス容易度:★★★★☆
マニアック度:★★★★☆

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いかがでしたでしょうか?
大分長い記事になってしまいましたが、以上が私が2年間で知り尽くした(?)グルミマの魅力的な見所や体験です。

この地をあと2ヶ月で去ると思うと名残惜しい部分もありますが、あとで振り返ってみると「いいところだったなー」と思えることは間違いないと思います。地味なところだけど、任地がグルミマで良かった。
大好きなロバとテーブルマウンテンの写真。
グルミマ滞在中のお気に入りの写真の一つ。


(ちなみに、この記事の冒頭で書いた近所の結婚式は、現在午前4時近いというのに未だに大音量で盛り上がっている。これじゃあ絶対に寝れない・・・。)