2016/12/26

振り返る / Reflection

モロッコで迎えるクリスマスはこれで3回目。相変わらず特にクリスマスらしさもないモロッコなので、特に驚くほどではない・・。

でもこの時期になると、協力隊員時代に住んでいたモロッコの田舎の町で毎年12月中旬〜末頃にある、オリーブの収穫が懐かしく感じる。そして、冬場ではかなり寒くなる砂漠地方にて、日中は日向ぼっこするためにクサル(ベルベル人の要塞化された村)の片隅にて丸くなっているジェラバ(モロッコのフード付き伝統的な服)のおじさんたちの姿が恋しくなる。
隊員時代の任地グルミマのオリーブ(2014年12月撮影)

クサルの片隅にて日向ぼっこするジェラバ姿のおじさんと子ども
(2015年1月頃、グルミマにて)

写真を振り返ってみると、なんて平和で幸せな日々だったんだろう〜と思う。それに比べて、都会のラバトでは別にオリーブの収穫なんて関係ないし、クリスマスも関係ないので、特に普通の日々を送る人々・・・。昨日クリスマスの日には、天気がとても良かったので、久しぶりに散歩がてらにラバトの海へ行ってみた。

この時間はマジックアワー

奥に見えるのはウダイヤ・カスバ(要塞)

魚を待つ漁師さんたち(・・・と猫)















何度もラバトの海岸は来ているけど、やっぱり夕暮れ時の海は最高に綺麗(寒かったけど・・・)。ラバトで住む家を決める時に、あえて海とメディナ(旧市街)にわりと近い地区に決めた甲斐がやっぱりあった。

ここ1〜2か月はブログを書く時間や心の余裕がないほど結構忙しかった。仕事も徐々に忙しくなってきたし、週に2回とっているフランス語の授業、そして自主的に取組んでいるオンラインのコースとかがあって、なんだかんだ言ってあまり家でゆっくりとする時間がなかった。

10月頃からは仕事でジェンダー関係の仕事を任されるようになって、UNDP内部の各国のオフィスのジェンダー平等に向けた取り組みの進捗状況のモニタリング評価をする制度があり、それに関する仕事を任せられたり、12月にはヨルダンで行われたアラブ諸国のUNDP事務所スタッフを対象とする女性のリーダーシップに関するワークショップに、モロッコ事務所から選出されて参加させてもらったりと、もともと興味があったジェンダー関係の仕事をさせてもらえるのはとても嬉しい。

あとは、11月にUNDPモルドバ事務所の試みで、モロッコの移民と地域開発プロジェクトの視察に来た21人のモルドバ人御一行が、ラバトにある関係政府機関や地方自治体を訪問する際のコーディネートや同行する仕事を引き受け、モロッコ南部(アガディール、ティズニット)まで出張する機会ももらえた。久しぶりに少しだけだけど、現場の様子を見ることができて嬉しかったのと、前職NGOピースボート時代に培った団体コーディネートの力がすごく役に立った(笑)。
アルガンオイルを作るコーペラティブ(組合)

道中、アトラス山脈には雪が積もっていた
そして、11月にマラケシュであったCOP22では、ピースボートの元同僚たちにも会えたいし、元モロッコ隊員で今もモロッコ関係の仕事をしている友人もも会えて、やはり人とのつながりの大切さを実感。

一方で、仕事(や時々日常生活)では苦労することも絶えない。なんといってもフランス語。やはり、私のような中途半端なレベルのフランス語では、まだまだ国連のような国際機関でスムーズに仕事を進めていくには足りなくって、よく会議とかでもわからないこともある。フランス語の授業を週2回とっているけれども、モロッコ人ばかりのクラスの中で、おそらく一番できないのは私で、授業が終わるたびにほぼ毎回暗い気分で帰宅する(もちろん、レベル分けテスト受けてクラスは決められるから、一応的確なレベルのクラスには入れてもらっているらしいけど、モロッコ人は何しろ小学生からフランス語勉強しているから、特に話すのは皆とても流暢)。

そんなわけで、時々職場や友達の間で英語を使ったりすると、すごく解放されたような気分になる。というのは、やはりフランス語ではまだ自分が話したいことが完全にスラスラ出てこない時があって、難しいことを説明する時などはどうしてもうまく言葉が出てこなくて、つっかえてしまうのだ。これが英語だったらどんなに楽か・・・、と時々思う。

よく振り返るのが、1999年に15歳でイギリスに単身留学し始めた時のこと。当時は中3レベルの英語で現地に飛び込んだから、特にイギリス人ばかりの寮生学校に入った時は、授業や日常生活でもコミュニケーションにはかなり苦労した。その時の英語に比べたら、おそらく今の自分のフランス語の方が多少はできているとは思うけど、当時味わったもどかしさは今でも忘れない。それに、大人になってから勉強しているフランス語がなかなか伸びないこのもどかしさといったら、今の方がよっぽど強く実感しているのかもしれない。

職場ではフランス語がメインだけど、日常生活はアラビア語モロッコ方言。隊員時代は、フランス語がほぼ通じない地域にいたから、活動はほぼ全部アラビア語でやっていた。でも今は職場でほとんどフランス語だから、アラビア語能力は低下する一方。アラビア語でコミュニケーションとるのは、タクシーの運転手と話す時か市場で買い物する時くらい。ラバトでは友人と会う時も、モロッコ人はアラビア語以外にもフランス語や英語(中には日本語も)ができる人たちなので、アラビア語でコミュニケーションとる機会がほとんどないのだ。

この前の出張で思ったけど、ヨルダンなど中東ではモロッコのアラビア語よりはもっと正則(スタンダード)アラビア語に近い方言で話すので、モロッコのアラビア語ではあまり通じない。せっかくアラビア語圏に住んでいるのだから、正則アラビア語も勉強して、他のアラブ圏にいってもコミュニケーション取れるようになりたいなあと思う。
ローマ遺跡の劇場のてっぺんから見下ろしたアンマン市内。寒かった。

ヨルダンでは、シーシャ(水タバコ)を吸っている人がたくさん。
モロッコではあまり見かけないのです。

ちなみにヨルダンでは、ピースボート勤務時代に一緒のクルーズに乗り合わせた日本人が偶然にも同時期にヨルダン旅行中だったので会うことになったり、アンマン在住のヨルダン人の知り合いにも会えて、嬉しかった。

というわけで、引き続きこれからも、もがきながらも頑張りたいと思います。

年末年始はセネガルで過ごします。友人が何人もセネガルにいるので会いに行くのと、もっと他のアフリカの国を見てみたいと思って。今から楽しみです!

2016/11/13

モロッコ・再発見 / Re-discovering Morocco

数週間前に誕生日を迎えたのですが、ちょうど偶然にもそのタイミングで、イギリスの大学院時代の友人がモロッコに遊びに来てくれました。私と一緒に通訳翻訳の修士を専攻していた彼女は、卒業後数年日本で翻訳系の仕事をした後、インドで翻訳の仕事を見つけて、もうインド生活も3年を超えるところ。

一週間遊びに来てくれたんだけど、さすがに私は彼女の旅行に一週間同行するわけにはいかなかったので、週末と有休を利用して、フェズに行ってきました。

フェズは前にも既に3度ほど訪問しているけど、まだ行ってみたことがないところがあったりするし、今回彼女はリヤド(昔のお金持ちの家族が住んでいた家を改装したホテル)に泊まってみたいと言っていたので、せっかくの機会にちょっと奮発してリヤドに泊まってみることに。今回泊まったところはおそらく今までモロッコで泊まった宿で一番いいところだったので、それなりにやっぱりゴージャスでした。こういった機会がないと、自分一人では安宿にしかとまらないので、友人が来てもらえたことに感謝☆
リヤドから中庭(パティオ)を見る

私たちが泊まった部屋。家具も可愛い。

ちなみにこれはうちらが泊まったリアドじゃないけど、夕食だけ食べさせてもらったリアド。
パティオだけでもかなりゴージャス!

フェズはマラケシュに比べて商人も押し売りがしつこくないし、喧騒な雰囲気があまりないので、わりと落ち着いてぶらぶらできるのが好き。フェズでは、2日間滞在して、旧市街(メディナ)を友人に案内し、お買い物したりして、友人もモロッコの可愛い雑貨を楽しみ大量買いし(笑)、やっぱりモロッコの良さが再確認できる訪問でした。

ネジャリン広場。左奥が木工職人の博物館で右が水場。
よく見ると中央の猫がすごい格好している。
モロッコは猫天国。街中にたっくさんいる。

タイルワークが見事。今でも公共水場として使われている。

何気ないこの店の雰囲気も絵になる

照明器具もかなり可愛い。。これ、全部職人さんによる手作り。

カラウインモスクと大学

ムーレイ・イドリス廟

ほらね、子どもたちもこの水場を使っている

フェズブルーと呼ばれる白地に青の模様を施したと陶器が有名なフェズ。
これは元リヤドを陶器屋さんに改造した店。
陶器に見とれてて、店の人に「上見てごらん」って言われて、
初めてこの壮大さに気づいた。

「フェズ刺繍」という種類の刺繍があるくらいモロッコでは知られる、フェズ刺繍。
これは1.5mx3mくらいはある大きい布に施された刺繍の練習(数十年前)。
フェズ刺繍の店に飾ってあって、すごく素敵だったから写真だけ撮らせてもらった。
値段聞いたら、3800DH(約38000円)だって。
でもそれくらいの価値はある。


フェズブルーの陶器を作るおじさん。

「ゼリージュ」というモロッコのいたるところ(特にモスクや水場)にある、
幾何学模様のタイルを作っているところ。粘土を近くの山から持ってきて、
水で溶かして、焼いて、タイルの形に割って、パズルのようにはめていく。

模様をパズルのようにはめたところ。でも、これは裏返しの状態。
職人さんは、表の色を見なくても経験でどのタイルをどこにはめるのかわかるらしい。
すごすぎる。これにセメントを流し込み、固まったら表に返すと彩どりのタイルワークの出来上がり。

タイル職人たちと、タイル(右)。ちょっと見にくいけど、仕上がりがこのようになる。

フェズの旧市街(メディナ)を一望する

ということで、2日間と短い滞在期間だったけど、久しぶりに首都ラバトから出て、古き良きモロッコの伝統が残るフェズに大満足させられました。

友人はその後一人でシェフシャウエン(青の街として有名)に行って、その後またラバトに戻ってきて、無事に出国していきました。彼女はモロッコには大満足だったようで、絶対にまた来る!と意気込んでいました(笑)。今回はモロッコ北部が中心だったので、次はマラケシュとか砂漠とか南部の方に行きたいとのこと。そうなんです、モロッコは到底1週間では見尽くすことができないほど、見所がたくさんです。おまけに行くところ行くところで雰囲気が全然違うし。なので、モロッコに来たいと思っている皆さんは、最低2週間の日程を確保することをオススメします!

2016/10/03

グルミマへの里帰り / Return to Goulmima - Eid Al Adha 2016

モロッコの首都ラバトに赴任して、もう3ヶ月が経ってしまいました。最初の1、2か月は職場に慣れることや家の引越し、引越し後の家の改造(主に剥がれていたペンキ塗りや家の装飾品を揃えたりすること)におわれていましたが、最近になってやっと落ち着いてきました。

そんな中、9月の10日〜15日まで、協力隊時代に活動していた任地、グルミマに里帰りしてきました。ちょうど9月13日が今年の羊の犠牲祭(イスラム教徒にとっての大きな宗教的お祭り)で、このお祭りの期間は、日本の年末年始のように、多くのモロッコ人が故郷に帰省します。私も、祭日と有休を組み合わせて、グルミマに帰省したのです。

グルミマに行く前に、私の活動先アソシエーションの女性たちが、商品を納品させてもらっている、トドラ渓谷にある日本人宿のノリコさんのところへ立ち寄って、納品状況を確認させてもらったり、トドラ渓谷でお昼を食べたりゆっくりさせてもらいました。
トドラ渓谷への道
この茶色と緑の景色が懐かしかった

グルミマでは、4日間、元同僚の家に泊まらせてもらいました。いつも私がどの家に泊まるか取り合いになるので、一人の家に4日間となるのではなくて、親しい元同僚の家に、一泊ずつ泊まらせてもらいました(それでも、「なんでうちには泊まっていかないの!?」という他の元同僚もいるんですが・・・笑)。

滞在期間にできるだけお世話になった人たちみんなに挨拶にまわりたいので、友人からチャリンコを借りて主に活動先だった集落2つや、グルミマ中心地を行ったり来たりして、おそらく合計で25軒くらい訪問したのでは・・・というくらい忙しかった・・・。でも、どの人の家に行っても、みんな「アイシャ!(⇦私のアラビア語名)よく来たね!」と言って、甘いアタイ(お茶)と、犠牲祭の時に犠牲になった羊や牛の肉の串焼き、お菓子などを、食べきれないほど出して、もてなしてくれました。最後は時間切れで訪問できなかったお家もあったくらいに忙しかったんですが、改めてグルミマの人々の温かさや、田舎の質素な生活の良さを実感しました。
グルミマの集落の朝の典型的な風景。
女性たちは陽が高く上がる前に、家畜の餌となる草を刈りに行く。
隊員だった頃に通っていた通勤路。相変わらずこの景色が好き。
クサル・グルミマの屋上から見た景色。
クサル(ベルベルじんが築いた要塞化した村)を歩いていたら、
住人が家の中に招待してくれた。
活動先だった村の風景。
もうすぐナツメヤシの収穫の季節。
集落の典型的な景色。
ラバトにいるとこんな景色が本当に恋しくなる。

こちらは犠牲祭の時に犠牲になった羊の脳みそが入ったクスクス。
犠牲祭の2日目の朝食あるいは昼食として食べるのが伝統。

もちろん、活動先だったアソシエーションにも訪れました。私が隊員としてグルミマを去った2015年6月から、約1年ほど経っていたけど、女性たちはきちんと私と一緒に築き上げた手工芸活動を続けているのを確認できました。
活動先アソシエーション①
ベルベル刺繍の巾着とボシャルウィット(ラグ)
活動先アソシエーション②
ベルベル刺繍のポーチ
活動先アソシエーション②
ボシャルウィット(ラグ)

4日間グルミマに滞在して、元同僚や友人と再会して色々話をしていて強く感じたのは、やはり私は開発の現場で活動することに意義を感じるんだなあということでした。私が隊員としてグルミマを去ってから1年しかまだ経っていないから記憶が比較的新しいのかもしれないけど、一緒に働いた人たちは、私の活動のことを高く評価してくれていて、そんなフィードバックを聞くと、自分は現場の受益者と近いほどやりがいを感じるし、自分の強みを発揮できるのかなと思いました。

一方で、今の仕事は同じモロッコでの開発業界だとはいえど、現場からはかなり遠くてオフィスワークばかり。日頃、プロジェクトの企画書を書いたり、リサーチをしたり、予算の計算をしたりという仕事が多いです。接する相手も主に政府(省庁)関係者。もちろん、政府レベルでどのように開発プロジェクトが運営されて、どのように資金が集められて使われていくのかを理解することもとても大事なので、いい勉強になると思って毎日仕事に励んでますが、あまりにも私が隊員時代に勤めていたような貧しい集落の現場と国連のオフィスで働く環境にギャップがありすぎて、戸惑うことも多いです。

モロッコの現場で見たこと、感じたことを忘れずに、今後の仕事にも活かしていこうと思います。

2016/08/21

2ヶ月が経って・・・/ 2 months on...

国連ボランティア(UNV)としてモロッコに赴任してから、早いことにもう2ヶ月が経ちました。

首都ラバトの生活はかなり快適です。以前私が協力隊時代に住んでいた砂漠地方の小さな町に比べて気候的にも過ごしやすいし、食べ物も基本ほとんどのものが手に入ります。レストランも色々もあるし、そして以前に増して日本食というか寿司を扱うお店が増えています。
これ、Sushi Houseというレストランにあるサーモンのタルト風の食事。
私は結構美味しいと思う。

ラバトの生活は本当に快適だけど、時々やたりに元任地のグルミマの田舎生活が恋しくなります・・・。そりゃ、砂漠の田舎町で生活していた時は、砂埃、暑さ、時々ある断水・停電、ベルベル語やアラビア語のみのコミュニケーションなどで苦労はしたけど、でも、あの素朴な田舎生活は、本当に地元の人たちと一緒に生活しながら地域に溶け込んで過ごせた貴重な時間だったんだなあと改めて思います。

仕事は、赴任して一ヶ月目くらいになってやっと仕事が回ってきたって感じです(笑)。(↑私のフランス語能力が他の同僚に比べると明らかに低いせいもあるのかもしれませんが・・・)最近はUNDP事務所が実施している(あるいは実施する予定の)ガバナンス関係のプロジェクトの企画書を書く補佐をしたり(英語・フランス語)、広報の仕事を少し手伝ったりしてます。いずれにせよ、通常の事務所のコミュニケーション言語はフランス語だし、扱う書類もほとんどフランス語なんで、かなり仏語にはどっぷり浸かっているはずなんだけど、なかなか上達しないのがもどかしいところです・・・。
事務所の庭によく立ち寄る猫ちゃん。妊娠してました。

昔モロッコで協力隊員だったこともあって、まだ知っている隊員さんや職員さんが残っていたりして、おかげさまで何か集まりがあったりすると呼んでいただけるので、ありがたいです。おかげさまでこちらでは特に寂しい想いをすることなくやってます。

家は、結局元ラバト隊員が住んでいたところを借りて、一人暮らしを始めました。ボロアパートだけど、窓から大西洋が見えます。もともとNGOスタッフだった頃は船乗りだったので、やはり海が見えるところにいると落ち着きます。
こんな感じで、遠くにだけど海(大西洋)が見えます!

家から5分以内のところに世界遺産の旧市街(メディナ)があるんで、よく週末には遊びに行きます。マラケシュとかフェズとか他の世界遺産の街のメディナと比べると全然大したことないんだけど、あの下町な感じが好きなんです。ずっとモロッコの田舎に住んでいた私にとって、ラバトの新市街は綺麗でヨーロッパ風でいいけどあまり肌に合わず、もっと旧市街に近くって下町っぽい地区で暮らす方が自分には合っています。
こんな青の地区もわりとすぐ近くにある
旧市街の横にある要塞の壁沿いを歩く


旧市街の近くに住むようになってからは、新市街で仮住まいにいた頃よりも職場には遠いんで、毎日トラム(路面電車)とタクシーを乗り継いで通ってます。トラムは通勤時間帯は結構混む時もあって、一度、東京の満員電車に近いくらいに人がいっぱいでびっくりしました。まさかラバトに来てまで満員電車を味わうとは・・・。(苦笑)

という感じで、グルミマにいた頃に比べて、写真をたくさん使って田舎の生活を伝えるようなブログ内容が書けるほどネタがあまりないんですが、こんな感じでボチボチブログも更新していこうと思います。

では、引き続きよろしくお願いします。

2016/06/26

モロッコに再び赴任しました! / Returned to Morocco!

6月20日に、無事にモロッコに再赴任しました!
(なんのために?などの詳細は1つ前の投稿を参照)
もともとは6月13日の予定だったのだけど、エールフランスのストにもろかぶりしてしまい、一週間日程を延期させた上での赴任でした。

モロッコに来るのは去年11月に休暇で訪れた5ヶ月ほどぶり。そもそも去年の今頃まではまだモロッコにいたこともあって、首都ラバトの空港についても、ラバトの街中を歩いても、全く違和感というか異国間なし・・・(笑)。むしろ、私は一度この国を本当に出たんだろうか、と思ってしまう。

到着初日は協力隊員時代にもよく使っていたラバト市内のホテルに泊まったけど、それ以降は、同じく元モロッコ協力隊員で今は首都ラバトにある国連機関で勤めている先輩隊員の同僚のお家に一時的に居候させてもらっています。その間に、できれば自分のアパートを探したいと思っています。

初出勤となる今週一週間は、ラマダン中ということもあって、物事もわりとゆっくりだし、勤務時間も通常よりも短いので、業務に慣れるにはちょうどいいタイミングでした。銀行口座も開設して、携帯も買ったし、長期滞在者申請も済ませたし、手続き的にはまずまず順調に進んでます。とりあえず今週は、手続き的なことやUNDP(国連開発計画)モロッコ事務所の取り組んでいるプロジェクトなどを知ることから始めています。

あと、まずはオフィスにいる人たちの名前や担当業務を覚えること。オフィスにいる人には(休暇で不在の人以外)みんなに紹介してもらったので、あとは彼らがどんな業務しているのかを、これから関連業務を一緒にする人たちに少しずつ時間をとってもらって紹介してもらっています。

同僚はほとんどがモロッコ人。モロッコ人以外だと、UNDPには私以外に同じく国連ボランティア(皆ヨーロッパ出身)が約4人います。モロッコ人の国連ボランティアも首都ラバト事務所にいて、それ以外にも地方都市(タンジェ、テトゥアン、アガディール)に10人ほどのモロッコ人ボランティアがいます。ちょうど私が赴任した週には、モロッコの国連組織にいるすべての国連ボランティアを対象としたフトール(※)の会がありました。全員ではないけど多くのボランティアと話すことができて、ラッキーでした。
(※・・・ラマダン中の日没後最初に食べる食事)

職場での言葉はフランス語がメイン。事前からそれはわかっていたことだけど、改めて国連のような国際機関の業務で使うレベルのフランス語は、レベルが高い・・・。ミーティングとかで話すフランス語は、仏語を母国語とするフランス人やベルギー南部出身のベルギー人はもちろん、仏語を母国語としないが小学校から仏語を学校で身につけてきたモロッコ人も、かなり流暢で早口なフランス語を話します。まず、そのレベルについていくことが大変なのは、この一週間だけでもかなり身にしみて感じます。彼らほど仏語ができないと、私みたいな中途半端の仏語じゃ相手されなくなってしまう・・・。前々から自覚していたけれども、改めて本気で仏語上達には気合い入れて頑張らないといけないと思います。

でも、ちょっとした日常会話は、隊員時代に身につけたアラビア語モロッコ方言(ダリジャ)がかなり役立ってます。事務所内はほとんど仏語だけど、ちょっとした会話は時々ダリジャで話すと、やっぱりモロッコ人に対するウケはかなりいいです。街でもタクシーに乗ったり、市場で買い物したりする時は、ダリジャが喋れるのとそうでないのでは、相手のこちらに対する反応が違います。ダリジャが少しでも喋れるっていうだけで、値段交渉の時に、値段がより地元価格になるのは言うまでもなし。

同僚は皆すごく優しくって、「何かあればいつでも連絡・相談してね!」と言ってくれます。そして、みんなとっても優秀です。言葉も3、4言語話せるのはみんな当たり前。だから、彼ら・彼女らみたいに自分もできる人材になりたい!という刺激にかられます。まだ仕事っぽい仕事は始まっていないんですが、まずは良好な人間関係づくりが欠かせないと思うので、言葉も少しずつ上達させながら、徐々に仕事にも積極的に取り組んでいこうと思います。

あと、今週はモロッコにいるJICAボランティアの帰国隊員送別会があったので、OVとして参加させてもらいました。去年の今頃は自らが送別される立場であったのを思い出す・・・。もうあの頃から1年が経ってしまったのか。。。そしてまさか1年後にモロッコにまた戻ってくるとは、あの時は想像もしていなかったなあ・・・、と色々感慨深くなります。久しぶりに後輩隊員たちと再会したり、今回初めてお会いする隊員さんたちやスタッフさんたちもいて、とても有意義な時間を過ごさせていただきました。このようなつながりに感謝です。

ちなみに、ラバトは気候的にも、隊員時代に住んでいた砂漠地域よりも圧倒的に過ごしやすいし、いろんなものが簡単に手に入るのでありがたいんですが、隊員時代の任地グルミマでの生活が既に恋しいです。グルミマでは、ラマダン中は毎晩同僚などから家庭でのフトール(前述の※参照)への招待あったけど、ラバトではそういったことがないし、レストランでフトール食べてみたけど、味も全然違います。人の優しさも、圧倒的に違う。ラバトにいるだけでは絶対に本当のモロッコは理解することができないということを改めて感じます。私の同僚の非モロッコ人スタッフの中には、まだラバトからほとんど出たことがないと言っている人もいるので、是非首都以外で、もっと田舎の、特に村落地方の貧困層の実態を見て欲しいなあとか思いますが、仕事が忙しくて休暇が取れないなど状況が状況なので仕方ないのかもしれません・・・。そう意味では、私の場合既に2年3ヶ月、かなり濃い時間を地元の人たちと一緒に草の根の現場レベルで過ごすことができたという経験はかなり貴重なのかと改めて思います。

ということで、なんだかんだ言って結構忙しい一週間でした!
時差ぼけっぽい変な睡眠パターンもまだ若干残ってますが、とりあえず元気にやっています!来週も引き続き頑張ります!☆
ラバトにあるウダイヤカスバ(要塞)近くから、ブーレグレグ川を望んだ景色

2016/06/05

国連ボランティアとして派遣されます! / UNV Assignment

6月20日より、再びモロッコに戻ります!
国連ボランティア(UNV)として、UNDP(国連開発計画)モロッコ事務所で働くことになりました。任期は当初は1年間ですが、2年間まで延長可能なので、できるだけ2年間残れるように頑張りたいと思います。

業務内容としては、主にUNDPモロッコが行っている開発プログラムの管理やモニタリング・評価の補佐になると思いますが、また詳しくは現地について仕事を始めてから追々書きたいと思います。

ちょうど1年前にモロッコでの青年海外協力隊の活動を終えて帰国した時には、まさかその1年後にまたモロッコに戻るなんて全く想像していませんでした(笑)。

初めてモロッコに行ったのは、(このブログでも何度か書いているけど)ピースボート地球一周の船旅で2009年にカサブランカ港に寄港した時。その時には世界遺産の古都マラケシュに行くツアーにスタッフとして同行して、すっかりモロッコに魅せられてしまった。いつか協力隊でモロッコに戻りたいと思って、その願いが叶ったのが、2013年春。

その後、2015年7月まで、2年3カ月間協力隊として活動して、そしてまたもやモロッコに、今度はUNVとして戻るのが2016年6月。このブログのタイトルにもなっている通り、本当にこれは「点と点が繋がること(Connecting the dots)」なんだなあ〜と一人で感慨深くなってしてしまう・・・。

UNVの後は点が一体どのようにつながっていくのかわからないけど、まずはモロッコでのUNVとしてのミッションを精一杯頑張ってこようと思います。不安もたくさんあるけど、もうとりあえず行くのみです!

2013年春、モロッコに協力隊員として赴任して間もない頃に撮った写真。
このちょっと古めかしい雰囲気が好き。

2016/05/14

ピースボート春ショートクルーズに乗船しました!/ Peace Boat's East Asia Voyage 2016

以前投稿した、外務省委託「平和構築・開発におけるグローバル人材育成事業」の6週間の国内研修を終えて、その後UNV(国連ボランティア)として派遣されるまでに、選考手続きや出発前手続きなどを入れると数ヶ月は時間があるということなので、その間に何もしないのも嫌ってことで、協力隊に行く前に3年ほど働いていた、NGOピースボートにてアルバイトをさせてもらうことになりました。

実は広島で上記の研修を受けていた間(1月〜2月)に、ピースボートのスタッフの一人が広島に出張する機会があって、その際に食事を一緒にしたんですが、その時に、

私:「いやー、実は来月(3月)から数ヶ月は予定空いてるんですが、ピースボートでバイトとかできないですか・・・?」
スタッフ:「おお、3月、4月は仕事がたくさんあるからできることはたくさんあるよ。早速事務所に連絡してみるよ。」

ってな感じで話が進み、その数日後には東京の事務所からメールで連絡が来ました。
「じゃあ3月からよろしくー。ちなみに、3月31日〜4月8日まで、春ショートクルーズがあるんだけど、そのクルーズにスタッフとして乗船できる?」と。

なんと!てっきり東京事務所でのバイトかと思っていたら、クルーズ乗船を打診されるとは!(笑)春ショートとは、ここ何年かでピースボートが行っている、春休みの時期を利用した10日間〜2週間程のクルーズで、日本や韓国などアジアを中心に寄港する、通常の地球一周の船旅よりももっと短いクルーズ。
(※詳細はこちら

このクルーズでの私の業務の内容は、世界YMCA同盟と共同で取り組んでいる船内での教育プログラムがあって、そのプログラムのコーディネートなどを担当する仕事。ちょうど、東京の事務所は人手不足な事もあって、このクルーズにYMCA担当として乗船できるスタッフを必死に探していたそうで、そんなところにちょうど私が空いているという情報が入ってきたので、お互いにとって、とても好都合♡

私もまさかクルーズにもう一度乗船できるとは思っていなかったし、協力隊の経験を経て、教育や若者のエンパワーメントには一層関心を持つようになっていたので、今回ショートクルーズでYMCAプログラムの担当を担えるのはとても良い経験になると思ったのです。

早速、3月上旬から東京の事務所にほぼ毎日出勤して、3月下旬出航のクルーズに必要な事前準備から携わるようになった。協力隊時代には基本、現場での活動が中心で、オフィスワークなんて一切なかったので、事務所という環境でPCに向かって仕事をするというのはまさに3年ぶり。でも、もともと勤めていた職場なので、復活するのも割と早くスムーズにいきました。

ショートクルーズの場合、通常の3ヶ月間の地球一周の船旅よりも旅の日数も少ないし、準備時間も短いために、初めてショートクルーズに乗る私にとっては若干の戸惑いもあったけど、一緒に乗船するスタッフのサポートや東京事務所のスタッフなどのお陰で、準備もわりと順調に済みました。

そして、いよいよ出航!

久しぶりにクルーズに乗るので、出航式などすごく新鮮で、改めて船旅の感動と素晴らしさを思い出した感じでした。
出航式では必ず投げるカラフルなテープ 
横浜港がどんどん遠くなっていく〜

船内では、毎日あるYMCAプログラムがスムーズにいくようなサポートや、参加者への船内でのケアなどが中心なんだけど、その他国際部としてやるべき仕事としてある、船内新聞の英訳や、参加者への寄港地情報用紙の英訳などの校正も、他の国際部のスタッフと協力しながらやっていた。協力隊に行く前に、最後に2012年の夏に地球一周に国際部のディレクターとして乗っていた頃が懐かしい。。。

YMCA参加者は合計で13名で、6カ国からが参加。いろんなバックグランドの人たちが集まっていて面白い。前半は船酔いもあってか、参加者の半数以上がプログラムに参加できなかったり、言葉の壁などもあってちょっと大変な部分もあったけど、最終的にはみんなそれぞれに良い交流や思い出ができたようで、こちらも嬉しかったです。
(詳しいレポートはこちら

他にも、今回初めて一緒に乗船した国際部のスタッフたちや、日系ブラジル人の若者たちとも交流する機会があったり、寄港地の一つの済州島ではツアー中に乗客の方々と一緒にお風呂に入って裸の付き合いをしながら会話を交わしたりと(笑)、やっぱりピースボートならではの人との交流の楽しみっていうのが存在しているんだなあと、改めて思いました。
寄港地の一つの広島 
ちょうど広島(写真は宮島)では桜が満開だった!

クルーズが終わった後も、シンガポールでの初の船内見学会にスタッフとして入るために出張に行かせてもらったり、今ピースボートが取り組んでいるEcoship Projectの広報活動にも少しだけ携わったりして、とても充実した2ヶ月間のアルバイトを楽しませてもらいました。

結局、今後派遣予定の国連ボランティアの準備がある関係から、4月末でアルバイトは辞めさせてもらったのですが、草の根レベルの人と人とのつながりの大切さや、船旅の面白さ、NGOだからこそできる活動の意義、そして一緒に仕事をできる同僚スタッフのユニークさなどを、改めて感じることができた気がします。

突然、おまけに2ヶ月間だけという限定的な期間であったにも関わらず、快く私を再び迎え入れてくれたピースボートに感謝です。また機会があれば、是非活動に関わることができたらいいなあと思います。