モロッコで迎えるクリスマスはこれで3回目。相変わらず特にクリスマスらしさもないモロッコなので、特に驚くほどではない・・。
でもこの時期になると、協力隊員時代に住んでいたモロッコの田舎の町で毎年12月中旬〜末頃にある、オリーブの収穫が懐かしく感じる。そして、冬場ではかなり寒くなる砂漠地方にて、日中は日向ぼっこするためにクサル(ベルベル人の要塞化された村)の片隅にて丸くなっているジェラバ(モロッコのフード付き伝統的な服)のおじさんたちの姿が恋しくなる。
でもこの時期になると、協力隊員時代に住んでいたモロッコの田舎の町で毎年12月中旬〜末頃にある、オリーブの収穫が懐かしく感じる。そして、冬場ではかなり寒くなる砂漠地方にて、日中は日向ぼっこするためにクサル(ベルベル人の要塞化された村)の片隅にて丸くなっているジェラバ(モロッコのフード付き伝統的な服)のおじさんたちの姿が恋しくなる。
隊員時代の任地グルミマのオリーブ(2014年12月撮影) |
クサルの片隅にて日向ぼっこするジェラバ姿のおじさんと子ども (2015年1月頃、グルミマにて) |
写真を振り返ってみると、なんて平和で幸せな日々だったんだろう〜と思う。それに比べて、都会のラバトでは別にオリーブの収穫なんて関係ないし、クリスマスも関係ないので、特に普通の日々を送る人々・・・。昨日クリスマスの日には、天気がとても良かったので、久しぶりに散歩がてらにラバトの海へ行ってみた。
この時間はマジックアワー |
奥に見えるのはウダイヤ・カスバ(要塞) |
魚を待つ漁師さんたち(・・・と猫) |
何度もラバトの海岸は来ているけど、やっぱり夕暮れ時の海は最高に綺麗(寒かったけど・・・)。ラバトで住む家を決める時に、あえて海とメディナ(旧市街)にわりと近い地区に決めた甲斐がやっぱりあった。
ここ1〜2か月はブログを書く時間や心の余裕がないほど結構忙しかった。仕事も徐々に忙しくなってきたし、週に2回とっているフランス語の授業、そして自主的に取組んでいるオンラインのコースとかがあって、なんだかんだ言ってあまり家でゆっくりとする時間がなかった。
10月頃からは仕事でジェンダー関係の仕事を任されるようになって、UNDP内部の各国のオフィスのジェンダー平等に向けた取り組みの進捗状況のモニタリング評価をする制度があり、それに関する仕事を任せられたり、12月にはヨルダンで行われたアラブ諸国のUNDP事務所スタッフを対象とする女性のリーダーシップに関するワークショップに、モロッコ事務所から選出されて参加させてもらったりと、もともと興味があったジェンダー関係の仕事をさせてもらえるのはとても嬉しい。
あとは、11月にUNDPモルドバ事務所の試みで、モロッコの移民と地域開発プロジェクトの視察に来た21人のモルドバ人御一行が、ラバトにある関係政府機関や地方自治体を訪問する際のコーディネートや同行する仕事を引き受け、モロッコ南部(アガディール、ティズニット)まで出張する機会ももらえた。久しぶりに少しだけだけど、現場の様子を見ることができて嬉しかったのと、前職NGOピースボート時代に培った団体コーディネートの力がすごく役に立った(笑)。
アルガンオイルを作るコーペラティブ(組合) |
道中、アトラス山脈には雪が積もっていた |
そして、11月にマラケシュであったCOP22では、ピースボートの元同僚たちにも会えたいし、元モロッコ隊員で今もモロッコ関係の仕事をしている友人もも会えて、やはり人とのつながりの大切さを実感。
一方で、仕事(や時々日常生活)では苦労することも絶えない。なんといってもフランス語。やはり、私のような中途半端なレベルのフランス語では、まだまだ国連のような国際機関でスムーズに仕事を進めていくには足りなくって、よく会議とかでもわからないこともある。フランス語の授業を週2回とっているけれども、モロッコ人ばかりのクラスの中で、おそらく一番できないのは私で、授業が終わるたびにほぼ毎回暗い気分で帰宅する(もちろん、レベル分けテスト受けてクラスは決められるから、一応的確なレベルのクラスには入れてもらっているらしいけど、モロッコ人は何しろ小学生からフランス語勉強しているから、特に話すのは皆とても流暢)。
そんなわけで、時々職場や友達の間で英語を使ったりすると、すごく解放されたような気分になる。というのは、やはりフランス語ではまだ自分が話したいことが完全にスラスラ出てこない時があって、難しいことを説明する時などはどうしてもうまく言葉が出てこなくて、つっかえてしまうのだ。これが英語だったらどんなに楽か・・・、と時々思う。
よく振り返るのが、1999年に15歳でイギリスに単身留学し始めた時のこと。当時は中3レベルの英語で現地に飛び込んだから、特にイギリス人ばかりの寮生学校に入った時は、授業や日常生活でもコミュニケーションにはかなり苦労した。その時の英語に比べたら、おそらく今の自分のフランス語の方が多少はできているとは思うけど、当時味わったもどかしさは今でも忘れない。それに、大人になってから勉強しているフランス語がなかなか伸びないこのもどかしさといったら、今の方がよっぽど強く実感しているのかもしれない。
職場ではフランス語がメインだけど、日常生活はアラビア語モロッコ方言。隊員時代は、フランス語がほぼ通じない地域にいたから、活動はほぼ全部アラビア語でやっていた。でも今は職場でほとんどフランス語だから、アラビア語能力は低下する一方。アラビア語でコミュニケーションとるのは、タクシーの運転手と話す時か市場で買い物する時くらい。ラバトでは友人と会う時も、モロッコ人はアラビア語以外にもフランス語や英語(中には日本語も)ができる人たちなので、アラビア語でコミュニケーションとる機会がほとんどないのだ。
この前の出張で思ったけど、ヨルダンなど中東ではモロッコのアラビア語よりはもっと正則(スタンダード)アラビア語に近い方言で話すので、モロッコのアラビア語ではあまり通じない。せっかくアラビア語圏に住んでいるのだから、正則アラビア語も勉強して、他のアラブ圏にいってもコミュニケーション取れるようになりたいなあと思う。
ローマ遺跡の劇場のてっぺんから見下ろしたアンマン市内。寒かった。 |
ヨルダンでは、シーシャ(水タバコ)を吸っている人がたくさん。 モロッコではあまり見かけないのです。 |
ちなみにヨルダンでは、ピースボート勤務時代に一緒のクルーズに乗り合わせた日本人が偶然にも同時期にヨルダン旅行中だったので会うことになったり、アンマン在住のヨルダン人の知り合いにも会えて、嬉しかった。
というわけで、引き続きこれからも、もがきながらも頑張りたいと思います。
年末年始はセネガルで過ごします。友人が何人もセネガルにいるので会いに行くのと、もっと他のアフリカの国を見てみたいと思って。今から楽しみです!
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