2014/02/18

モロッコの教育について考える / My thoughts about education in Morocco

私は村落開発普及員という職種でモロッコの集落で活動していますが、実は配属先の省庁はモロッコの国家教育省エルラシディア支局という行政機関です。村落隊員はそれぞれの活動内容によって配属先が異なるので、同じ村落隊員でも村の役場に配属の人もいれば、私のように教育省配属の人もいるし、漁業組合での活動をする人は漁業省配属の人もいます。

私はなぜ教育省配属かというと、活動先のアソシエーション(女性団体)で非公式教育(のちに説明)や小学生の補習授業、女性たちの識字教育などの分野において教育省と協定を結んでいて、私の活動の柱の一つとして、教育面での支援が期待されているからです。私の場合、任地は支局から1時間離れたグルミマにあり、配属先の教育省エルラシディア支局には2ヶ月に1回くらい活動経過を報告しにいっていますが、日頃はそこで活動することはありません。

さて、最近学校保健の活動が始まったり、去年の10月頃から学校とアソシエーションで英語を教えたりと、なにかと学校やその他の教育現場に関わることが多かったので、今回モロッコにおける教育について考えてみることにしました。実際、私も教育に関してそこまで詳しいわけではないのですが、任地で聞いたことをできるだけ正確に書いてみます。


【教育全般に関して 〜グルミマの場合〜】
●学校での教育に関して
モロッコでは、小学校から大学まで、公立学校は無料(私立は有料)。小学校、中学校、高校、大学(専門学校もある)に分かれている。中学校、高校、大学の現場には行ったことがないのでここでは書かないが、小学校にならば活動として何度か行ったことがある。私が活動する集落の小学校には、教室が3つ程あって、一つの教室に大体30人くらいの生徒たちが勉強している。でも、教室の数が足りないので、学年ごとに教室を使う時間が決まっている。日本のように担任の先生が全ての科目を教えるみたい。ちなみに、体育や音楽、美術などの情操教育はあまり教えられていないそうで、小学校教諭や青少年活動の職種で活動している隊員たちは、情操教育の場を学校できちんと作るように働きかけている人が多いようだ。
私が学校保健の活動と英語の補習授業を行っている小学校にて

ちなみに、この前学校保健の活動をするために集落の小学校を訪れた時、生徒たちを一つの教室に集めて、これから手洗いの仕方を教えようってなった時に、学校の先生の1人が「朝ご飯だよ、まずは食べよう」と言い出して、生徒たちが待っているにも関わらず、先生たちだけが集まって、生徒がいない教室で朝ご飯を食べ始めてビックリ!私としては、そんな朝ご飯なんてどうだって良いから(っていうか、家で食べてくるものでしょう、普通は)、生徒たち待たせてるんだから早く始めようよって感じ。その間、生徒たちは大人しく静かに教室で待っていたみたいだけど、結局先生のそういう姿を見ながら生徒たちは育っていくのだから、大人になってもそれでいいんだって思ってしまう。実際、モロッコ人たちは全ての人ではないけど、平気で人を待たせたりする。

子どもは大人を見て育つ。大人が変わらなくちゃ、子どももなかなか変わらないのではないかと思う。

あと、幼児教育の隊員に聞いた話だと、幼稚園・保育園では先生が平気で棒を使うそう。実際に小学校では体罰を受けている生徒は見たことがないけど、確かに教室には大体棒が置いてある。もしかしたら黒板で遠いところを指すために使われているのかもしれないけど。。。

それと、話がちょっとズレるけど、モロッコの家庭では大人が普通に自分の子どもや人の家の子どもをこき使う。「スプーンもってきなさい」とか、「片付けなさい」、とか普通に命令し、そしてそれに対して子どもたちも普通に応じる。モロッコ人にとってはそれが当たり前なのかもしれないけど、私から見るとなんだか子どもは大人の召使いじゃないんだから・・・と感じる時もある。

●学校以外での教育に関して
以前はグルミマでは、学校に通えなかったり、通っていたけど通えなくなった(あるいは通わなくなった)子どもも結構いたそうで、集落の中年や年配の女性たちは、アラビア語やベルベル語は喋れるけど、読み書きはできない、という人も多い。そのために、集落のモスクやアソシエーション(女性団体)では識字教育が行われ、大人の女性たちに読み書きを教えている。また、学校に通えなくなった学生たちが、学校に通わなくても勉強を続けられるように行われる、非公式教育という仕組みがある。そして、学校の授業についていけない子どもたちのために、補習授業というのがある。これらの3つに関して少し詳しく書いてみる。

1)識字教育
識字教育とは、文字の通り読み書きの仕方を教えること。モロッコの場合、学校などで読み書きを習わずに大人になった成人(特に女性)を対象に、集落のモスクやアソシエーションにてアラビア語の読み書きの仕方を教えている。グルミマにおける非識字率はわからないけど、実際に喋ることはできても読み書きができない中年や年配の人に会ったことがある。(かと思ったら、中にはアラビア語やベルベル語はもちろん、フランス語も少しできる、なんていう中年女性もいたりするけど、それは珍しい。)

識字教育者のための訓練なんかも定期的に開かれるようで、一度参加させてもらった時は、そこに集まった教育者は30代〜50代くらいの人が多かった。

2)非公式教育
学校での教育が「公式」だとしたら、「非公式」教育というのは学校でないところで受けられる教育なのだろうか。非公式教育とは、何かしらの理由でこれ以上学校に通えなくなった若者たちを対象に、学校以外の場所で勉強の場を与え、学校に行ったと同じようなことを学べる教育制度のようだ。ただ私が思うに、学校に通っている子どもたちよりは圧倒的に学習時間は短いので、おそらく非公式教育の生徒たちは学力的には公式教育を受けた子どもたちよりも低いのではないかと察する。

私の活動先のアソシエーションでも、毎日この非公式教育の生徒たちが集まって勉強している。私の活動先の場合、この対象になっているのは集落の15〜19歳くらいの女の子たち。そして、先生は私のカウンターパートであり、アソシエーションの役員でもあるモロッコ人男性。毎日午後3時〜5時頃までアソシエーションにて授業を行っている。

授業の内容は、アラビア語、フランス語、理科全般、数学、社会、イスラム教などいくつかの科目があるみたい。日本の小学校のように、全科目を1人の先生が教えている。ある程度はカリキュラムが決まっているようで、それに沿った教科書もあるし、理解度を確認するための中間や期末試験もある。

私の活動先の場合、最初の1時間くらいは上記科目の座学、そして2時間目からは、私が一緒に商品開発と製作を行っている手芸グループの女性たちを先生として立てて、手芸を教わっている。
手芸グループの女性(中央)が先生となって、
非公式教育の生徒たち(両脇の女の子)に
編み物のやり方を教えているところ
フェズ刺繍のやり方を教わった子が練習中の刺繍
あと、時々手芸以外にもスポーツをやったりもしていて、毎週土曜日のクラスは外でサッカーをしにいったりしているみたい。座学におけるカリキュラムはある程度決まっていても、それ以外の授業でなにをやるかは、結構先生次第みたい。

ちなみに、先生のお給料は教育省から出るらしい。いくらかはわからないけど、先生を務めるカウンターパートに聞いたら、学校の先生よりもずっと安いらしい。

3)補習授業
上記の非公式教育の先生でもある私のカウンターパートは、実は学校の授業についていけない小学生を対象に、補習授業を行っている先生でもある。日本でいうならば、塾みたいなものだろうか。モロッコと日本で大きく違うのは、日本の塾は有料だけど、モロッコでの補習授業は無料。

先生は、地元に住む若者(10代後半〜20代前半)だったりして、教える科目はアラビア語やフランス語、算数、理科などのよう。若者が小さい子どもを教えるという意味では、これは日本の塾のバイトの先生にも似ている。

私が英語を教えている学校では、週に3回この補習授業が行われていて、私が英語を教えている土曜日には、いつも午後6時〜8時近くまで、この補習授業が小学校で行われている。土曜日の夜だというのに、そんなに遅い時間まで補習授業をやっているなんて、ビックリ!





【私の英語の授業に関して】
私は現在、2つのアソシエーションにて3つの英語の補習授業のクラスを受け持っている。対象は、英語を学校で学んでいる学生たち(16〜19歳くらい)で、毎回3〜10人くらいの生徒が各クラスに集まる。

みんないい生徒たちばかりで、学校での英語の授業が理解できない、あるいは理解していてもっと英語ができるようになりたい、という理由で来ているようだ。

中でも私から見ると興味深いのは、ほとんどの生徒が女の子ということ。私が女性だから、ということもあるのかもしれないけど、なんか同じ女性としては、女の子たちが自分で「学びたい」と思って、毎週私の授業に来てくれることはすごく嬉しい。その「学びたい」と思う気持ちが、彼女たちの未来を切り開くのではないかと思うから、その思いを大切にしたい。

教育を受けることは、エンパワーメントにつながると思う。知識があれば、将来の選択肢も増えるし、自分がやりたいことを遂行する力にもなる。実際、自分のこれまでの人生を振り返って、そう思う。

モロッコの田舎の方では、やはり女性は仕事には就かずに結婚し、家事を担い、それで一生を終える人も多い。実際に、「将来やりたいことは?」と10代後半や20代前半の女の子たちに聞くと、「結婚したい」という回答が返ってくることも多い。もし本人がそれでいいというのならば、それでいいと思うが、例えば「会計の仕事がしたい」という希望がある子がいたとしたら、そのためには会計の知識など必要となってくるだろう。

何か将来の夢を達成するために知識が必要なのであれば、その知識を得る機会があれば、その子の将来の可能性は広がるだろう。その可能性を広げるために、私の英語の補習授業や、手工芸の活動などが少しでも貢献できるならば、それに越したことはないなと思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿