2017/01/31

年越し@セネガル / New Year at Senegal

2017年も明けて一ヶ月が経ってしまいましたが、明けましておめでとうございます。

年末年始は、モロッコではなくてセネガルで過ごしてきました。

私の周りの友人や同僚は、年末年始はそれぞれの実家で過ごしたり、モロッコから旅行でヨーロッパなどに行くなど、基本寒いところへ向かっている人が多い印象でしたが、私はその逆で、モロッコよりもあったかい南へ行くことにしました、笑。

前回の投稿にも書いた通り、セネガルには実は現在何人か駐在している知り合いがいたり、それからもう少しモロッコよりもアフリカらしい国を見たいってこともあって、今回、モロッコからわりと近場に行ってみることに。
地図では7時間となっているが、実際は直行便で3時間程度だった。
そしてラバト〜ダカール直行便はないので、
ラバトから1時間くらい離れたカサブランカから、
ダカールへ向かった。

ちなみに、カサブランカを出発して30分後くらいに上空を通過した、
モロッコのアトラス山脈が最高に綺麗だった

なんと飛行機の中では、座席の一部不具合の関係から、いきなりビジネスクラスにアップグレードされてラッキー🎶 幸先いいスタート。

ラバトでは服の下にヒートテック着ていたけど、ダカールに着く前に全部ヒートテック脱ぐくらいに暑くって、ダカール着いたら案の定、気温は25度くらいと、モロッコよりもかなり暑かった。 

今回行ったのは、首都ダカール、ゴレ島、ラックローズ、サンルイ、トゥーバ、カオラック、フィメラというところ。
赤いところが首都ダカール。国の全土が見えるようにあえてズームアウトして表示しているけど、
実際にダカール〜サンルイ間だけでも5〜6時間くらいはかかった























ダカールの朝焼け

ゴレ島の博物館。ここが奴隷貿易の起点となり、
多数の人々が見知らぬ土地へ連れて行かれた。

ここから、奴隷たちが船に乗せされて行ったという。
(現在はすぐ下がふさがれているが、
当時は下のコンクリートはなかったらしい。)
解放された奴隷を表した碑

ゴレ島は以前から行ってみたいと思っていたところの一つ。奴隷貿易の歴史や当時の状況を説明した博物館では、係員の人がフランス語で簡単に説明してくれたが、あまりにもアクセントが強くって、ほとんどわからずにショック・・・。でも、偶然英語で観光客に説明してくれていたガイドの話を小耳にはさむと、「ここでは男性と女性、男児と女児が部屋ごとに分けられ、この部屋では女児の部屋だった。唯一女児の部屋にはトイレがあったが、その他の部屋にはなかった」、「奴隷たちはこの小さな部屋に詰められて、ろくな食事やトイレの場所も与えられず、汚物まみれで過ごすことを強いられた」などと説明していて、想像を絶するような生活状況だったことが伺えた。


バオバブの苗がたくさん売っていたので、
モロッコで育てようと思って、種だけ買ってみた。

育ったらこんなに立派なバオバブになるのかなあ・・。




                                                                                                                     


お次はラックローズ。ラックローズはフランス語で「ピンクの湖」という意味を持つ通り、この湖は11月〜2月くらいの乾期には、この湖にある藻の影響で、水面がピンクになるという。
ラックローズの湖面にて。セネガルの旗が翻る。

午前中、この時間帯はまだそこまでピンクではなかった。

でも正午近くになったら、だんだん湖面が赤っぽくなってきた

この湖では塩分が高くて、塩の産業も盛ん。
おじさんが顔まで塩まみれで、
必死に湖の底から塩を採取していた。

ラックローズを四駆で一周することにした。
そうしたら、ラックローズ自体よりも、その周りの村とか、
海(大西洋)が見えることに興奮!笑

こういう風景を見ると、
自分が2年間過ごしたモロッコの砂漠地方を思い出す。





































                                        
そして、フランス植民地時代のコロニアル様式が残る、セネガルの北の都市、サンルイ。確かにコロニアル様式の建物が残り、コンパクトにまとまった街だけど、私が印象に残ったのは、この街の西側にある海岸で見た夕日の美しさと、その海岸で繰り広げられる、現地の人々の日常生活だった。










2017年の最初の夕陽





















子ども、船、魚、大人、家畜、ゴミ、など、いろんなことが混沌としている海岸だったけど、
そんな生活の一部が見れて、そして素晴らしい夕陽が見れてよかった。

※ちなみに、この海岸は、サンルイでも比較的貧しいと思われるエリアにあるため、治安の関係上、女性が一人で行くことはお勧めできません。私はセネガル駐在の友人と一緒に行きましたが、カメラ以外の貴重品は全部ホテルに置いて行きました。

あと、サンルイの北部にある野鳥で知られる国立公園にも行ってみた。ここでは、大量のペリカンや鷺などの野鳥を見ることができる。
ペリカンがたっくさん。でもボートで湿地帯を2時間ほど一周すると、最初は物めずらしいものの、
そのうち途中で結構飽きてくる人、疲れてくる人多し。笑




セネガルの料理、チェブジェン。
ご飯と魚と野菜が入ってて、結構美味しい。
上の絵は、現地の隊員が活動の一環で作ったもので、
地元のレストランに置いてあった。

さて、これまでは一緒にダカールから一緒に同行してくれた友人も、仕事があるためにダカールへ帰り、私一人でセネガル内の旅行を続けることになる。流石に知らないアフリカの土地で、女性一人でバックパックを持って旅行するのはちょっと勇気がいるが、隊員時代に身についた、言葉が通じなくてもなんとかコミュニケーション取れる、そしてなんとかなると言う、よくわからない度胸と楽観的な気持ちで、一人でなんとか現地の人が使う交通手段を使って、次の目的地であるトゥーバに向かった。


トゥーバは、セネガルのイスラム教の巡礼の地であり、大きなモスクがある。モロッコも同じくイスラム教の国だけど、モスクは国によって建築様式が違ったりするために、セネガルのモスクはどんな様式なのか見てみたかった。

トゥーバのモスクの入り口では、案内人みたいな人がモスクの中と、古いコーランがたくさん所蔵されている図書館を案内してくれた。(終わった後には大分割高だったけど、チップを払った。)
改修中だったのが残念・・・






モスクの中には、モロッコ様式やトルコ様式など異なる様式の装飾があった


ちなみに、トゥーバは聖地であるためにホテルやバーなどが一切ない。だから、郊外のホテル(と言っても、観光客が泊まれるようなところはほとんどネットに書いてなかった)に泊まる、あるいは日帰りで訪問するくらいしか選択肢がない。

トゥーバの後は、モロッコで隊員だった時に知り合って、その後2016年1~2月に受けた外務省委託の平和構築人材育成事業の運営スタッフをしていた友人が、現在セネガルで協力隊員として活動しているので、彼女の住むカオラックに行ってみた。

カオラックで無事に友人に合流できるまでちょっと手こずったけど、無事に友人にも会えて、一安心。彼女の活動先の様子を見せてもらったり、カオラックの街を一緒に見学させてもらったり、彼女の同僚と一緒に食事したりして、やっぱり隊員ならではの現地に馴染んだ生活を垣間見ることができたのは貴重だった。
日本のODA事業の支援を受けてできたカオラックの魚市場

人と魚がたっくさん

協力隊員として活動する友人の活動先で見かけた
木工職人

モロッコのイスラム教とはまたちょっと違う雰囲気 

カオラックはこのようなカラフルな布で有名らしい


そして、次はカオラックからフィメラという、セネガルにおけるちょっとしたリゾート地へ足を伸ばしてみた。カオラックで活動する友人が、フィメラで活動している別の隊員に連絡してくれて、初対面の方だったけど快く一緒に食事をしてくださった。偶然にも、日本からの別の旅行者もいらしてて、3人ともほぼ初めましてだったけど、そんなことが感じないくらいにフレンドリーで、その翌日も一緒に3人で食事しちゃうくらいに接しやすい人たちだった。

フィメラはマングローブのある湿地帯として知られているところなので、とりあえずマングローブの湿地帯を一周するボートのツアーに一人で貸し切って乗ってみた(一人旅はこういう時に割高だし寂しい)。確かにマングローブはたくさんあったけど、マングローブよりも途中で上陸した小さな島にあった村の方が個人的には面白かった。
立派なバオバブの木。次はマダガスカルのバオバブ見たい。



この小さな島では、イスラム教徒もキリスト教徒も、その土着の宗教を信じる人たちも、皆が共存して住んでいた。特に宗教的な対立はないという(宗教の違いを理由に紛争や差別をしている人たちには見習って欲しいばかりである)。

そして、フィメラからダカールに戻ってきて、ダカールを最後に改めて見学。市場やアフリカ・ルネッサンスの像などを見学したり、平和構築人材育成事業(HPC)の同期で、セネガルの国連機関に国連ボランティア(UNV)として派遣されている同期の子との久しぶりの再会をしたりして、最後まで本当に充実した滞在を満喫することができた。
アフリカ・ルネッサンスの像。抱えられている子どもが差しているのは、
ニューヨークの自由の女神。女性が差しているのは、奴隷貿易やアパルトヘイトなど、
黒人への差別があった暗い過去を差しているという。

像の中に入って、男性の像の帽子からダカール市内(と女性の像の顔)を見渡せる。
こうやってみると、首だけどーんとあるように見えるけど、その下にはちゃんと胴体もある。

アフリカ最西端から東京は遠かった


アフリカ最西端から眺めた夕陽


ということで、かなり充実した一週間をセネガルで過ごすことができました!

ダカールを飛行機で出発したのが1月7日早朝2時、そしてなんと6時間後の朝8時にはモロッコの自宅に到着するという、この近さ!是非また行きたい国となりました。

2016/12/26

振り返る / Reflection

モロッコで迎えるクリスマスはこれで3回目。相変わらず特にクリスマスらしさもないモロッコなので、特に驚くほどではない・・。

でもこの時期になると、協力隊員時代に住んでいたモロッコの田舎の町で毎年12月中旬〜末頃にある、オリーブの収穫が懐かしく感じる。そして、冬場ではかなり寒くなる砂漠地方にて、日中は日向ぼっこするためにクサル(ベルベル人の要塞化された村)の片隅にて丸くなっているジェラバ(モロッコのフード付き伝統的な服)のおじさんたちの姿が恋しくなる。
隊員時代の任地グルミマのオリーブ(2014年12月撮影)

クサルの片隅にて日向ぼっこするジェラバ姿のおじさんと子ども
(2015年1月頃、グルミマにて)

写真を振り返ってみると、なんて平和で幸せな日々だったんだろう〜と思う。それに比べて、都会のラバトでは別にオリーブの収穫なんて関係ないし、クリスマスも関係ないので、特に普通の日々を送る人々・・・。昨日クリスマスの日には、天気がとても良かったので、久しぶりに散歩がてらにラバトの海へ行ってみた。

この時間はマジックアワー

奥に見えるのはウダイヤ・カスバ(要塞)

魚を待つ漁師さんたち(・・・と猫)















何度もラバトの海岸は来ているけど、やっぱり夕暮れ時の海は最高に綺麗(寒かったけど・・・)。ラバトで住む家を決める時に、あえて海とメディナ(旧市街)にわりと近い地区に決めた甲斐がやっぱりあった。

ここ1〜2か月はブログを書く時間や心の余裕がないほど結構忙しかった。仕事も徐々に忙しくなってきたし、週に2回とっているフランス語の授業、そして自主的に取組んでいるオンラインのコースとかがあって、なんだかんだ言ってあまり家でゆっくりとする時間がなかった。

10月頃からは仕事でジェンダー関係の仕事を任されるようになって、UNDP内部の各国のオフィスのジェンダー平等に向けた取り組みの進捗状況のモニタリング評価をする制度があり、それに関する仕事を任せられたり、12月にはヨルダンで行われたアラブ諸国のUNDP事務所スタッフを対象とする女性のリーダーシップに関するワークショップに、モロッコ事務所から選出されて参加させてもらったりと、もともと興味があったジェンダー関係の仕事をさせてもらえるのはとても嬉しい。

あとは、11月にUNDPモルドバ事務所の試みで、モロッコの移民と地域開発プロジェクトの視察に来た21人のモルドバ人御一行が、ラバトにある関係政府機関や地方自治体を訪問する際のコーディネートや同行する仕事を引き受け、モロッコ南部(アガディール、ティズニット)まで出張する機会ももらえた。久しぶりに少しだけだけど、現場の様子を見ることができて嬉しかったのと、前職NGOピースボート時代に培った団体コーディネートの力がすごく役に立った(笑)。
アルガンオイルを作るコーペラティブ(組合)

道中、アトラス山脈には雪が積もっていた
そして、11月にマラケシュであったCOP22では、ピースボートの元同僚たちにも会えたいし、元モロッコ隊員で今もモロッコ関係の仕事をしている友人もも会えて、やはり人とのつながりの大切さを実感。

一方で、仕事(や時々日常生活)では苦労することも絶えない。なんといってもフランス語。やはり、私のような中途半端なレベルのフランス語では、まだまだ国連のような国際機関でスムーズに仕事を進めていくには足りなくって、よく会議とかでもわからないこともある。フランス語の授業を週2回とっているけれども、モロッコ人ばかりのクラスの中で、おそらく一番できないのは私で、授業が終わるたびにほぼ毎回暗い気分で帰宅する(もちろん、レベル分けテスト受けてクラスは決められるから、一応的確なレベルのクラスには入れてもらっているらしいけど、モロッコ人は何しろ小学生からフランス語勉強しているから、特に話すのは皆とても流暢)。

そんなわけで、時々職場や友達の間で英語を使ったりすると、すごく解放されたような気分になる。というのは、やはりフランス語ではまだ自分が話したいことが完全にスラスラ出てこない時があって、難しいことを説明する時などはどうしてもうまく言葉が出てこなくて、つっかえてしまうのだ。これが英語だったらどんなに楽か・・・、と時々思う。

よく振り返るのが、1999年に15歳でイギリスに単身留学し始めた時のこと。当時は中3レベルの英語で現地に飛び込んだから、特にイギリス人ばかりの寮生学校に入った時は、授業や日常生活でもコミュニケーションにはかなり苦労した。その時の英語に比べたら、おそらく今の自分のフランス語の方が多少はできているとは思うけど、当時味わったもどかしさは今でも忘れない。それに、大人になってから勉強しているフランス語がなかなか伸びないこのもどかしさといったら、今の方がよっぽど強く実感しているのかもしれない。

職場ではフランス語がメインだけど、日常生活はアラビア語モロッコ方言。隊員時代は、フランス語がほぼ通じない地域にいたから、活動はほぼ全部アラビア語でやっていた。でも今は職場でほとんどフランス語だから、アラビア語能力は低下する一方。アラビア語でコミュニケーションとるのは、タクシーの運転手と話す時か市場で買い物する時くらい。ラバトでは友人と会う時も、モロッコ人はアラビア語以外にもフランス語や英語(中には日本語も)ができる人たちなので、アラビア語でコミュニケーションとる機会がほとんどないのだ。

この前の出張で思ったけど、ヨルダンなど中東ではモロッコのアラビア語よりはもっと正則(スタンダード)アラビア語に近い方言で話すので、モロッコのアラビア語ではあまり通じない。せっかくアラビア語圏に住んでいるのだから、正則アラビア語も勉強して、他のアラブ圏にいってもコミュニケーション取れるようになりたいなあと思う。
ローマ遺跡の劇場のてっぺんから見下ろしたアンマン市内。寒かった。

ヨルダンでは、シーシャ(水タバコ)を吸っている人がたくさん。
モロッコではあまり見かけないのです。

ちなみにヨルダンでは、ピースボート勤務時代に一緒のクルーズに乗り合わせた日本人が偶然にも同時期にヨルダン旅行中だったので会うことになったり、アンマン在住のヨルダン人の知り合いにも会えて、嬉しかった。

というわけで、引き続きこれからも、もがきながらも頑張りたいと思います。

年末年始はセネガルで過ごします。友人が何人もセネガルにいるので会いに行くのと、もっと他のアフリカの国を見てみたいと思って。今から楽しみです!

2016/11/13

モロッコ・再発見 / Re-discovering Morocco

数週間前に誕生日を迎えたのですが、ちょうど偶然にもそのタイミングで、イギリスの大学院時代の友人がモロッコに遊びに来てくれました。私と一緒に通訳翻訳の修士を専攻していた彼女は、卒業後数年日本で翻訳系の仕事をした後、インドで翻訳の仕事を見つけて、もうインド生活も3年を超えるところ。

一週間遊びに来てくれたんだけど、さすがに私は彼女の旅行に一週間同行するわけにはいかなかったので、週末と有休を利用して、フェズに行ってきました。

フェズは前にも既に3度ほど訪問しているけど、まだ行ってみたことがないところがあったりするし、今回彼女はリヤド(昔のお金持ちの家族が住んでいた家を改装したホテル)に泊まってみたいと言っていたので、せっかくの機会にちょっと奮発してリヤドに泊まってみることに。今回泊まったところはおそらく今までモロッコで泊まった宿で一番いいところだったので、それなりにやっぱりゴージャスでした。こういった機会がないと、自分一人では安宿にしかとまらないので、友人が来てもらえたことに感謝☆
リヤドから中庭(パティオ)を見る

私たちが泊まった部屋。家具も可愛い。

ちなみにこれはうちらが泊まったリアドじゃないけど、夕食だけ食べさせてもらったリアド。
パティオだけでもかなりゴージャス!

フェズはマラケシュに比べて商人も押し売りがしつこくないし、喧騒な雰囲気があまりないので、わりと落ち着いてぶらぶらできるのが好き。フェズでは、2日間滞在して、旧市街(メディナ)を友人に案内し、お買い物したりして、友人もモロッコの可愛い雑貨を楽しみ大量買いし(笑)、やっぱりモロッコの良さが再確認できる訪問でした。

ネジャリン広場。左奥が木工職人の博物館で右が水場。
よく見ると中央の猫がすごい格好している。
モロッコは猫天国。街中にたっくさんいる。

タイルワークが見事。今でも公共水場として使われている。

何気ないこの店の雰囲気も絵になる

照明器具もかなり可愛い。。これ、全部職人さんによる手作り。

カラウインモスクと大学

ムーレイ・イドリス廟

ほらね、子どもたちもこの水場を使っている

フェズブルーと呼ばれる白地に青の模様を施したと陶器が有名なフェズ。
これは元リヤドを陶器屋さんに改造した店。
陶器に見とれてて、店の人に「上見てごらん」って言われて、
初めてこの壮大さに気づいた。

「フェズ刺繍」という種類の刺繍があるくらいモロッコでは知られる、フェズ刺繍。
これは1.5mx3mくらいはある大きい布に施された刺繍の練習(数十年前)。
フェズ刺繍の店に飾ってあって、すごく素敵だったから写真だけ撮らせてもらった。
値段聞いたら、3800DH(約38000円)だって。
でもそれくらいの価値はある。


フェズブルーの陶器を作るおじさん。

「ゼリージュ」というモロッコのいたるところ(特にモスクや水場)にある、
幾何学模様のタイルを作っているところ。粘土を近くの山から持ってきて、
水で溶かして、焼いて、タイルの形に割って、パズルのようにはめていく。

模様をパズルのようにはめたところ。でも、これは裏返しの状態。
職人さんは、表の色を見なくても経験でどのタイルをどこにはめるのかわかるらしい。
すごすぎる。これにセメントを流し込み、固まったら表に返すと彩どりのタイルワークの出来上がり。

タイル職人たちと、タイル(右)。ちょっと見にくいけど、仕上がりがこのようになる。

フェズの旧市街(メディナ)を一望する

ということで、2日間と短い滞在期間だったけど、久しぶりに首都ラバトから出て、古き良きモロッコの伝統が残るフェズに大満足させられました。

友人はその後一人でシェフシャウエン(青の街として有名)に行って、その後またラバトに戻ってきて、無事に出国していきました。彼女はモロッコには大満足だったようで、絶対にまた来る!と意気込んでいました(笑)。今回はモロッコ北部が中心だったので、次はマラケシュとか砂漠とか南部の方に行きたいとのこと。そうなんです、モロッコは到底1週間では見尽くすことができないほど、見所がたくさんです。おまけに行くところ行くところで雰囲気が全然違うし。なので、モロッコに来たいと思っている皆さんは、最低2週間の日程を確保することをオススメします!

2016/10/03

グルミマへの里帰り / Return to Goulmima - Eid Al Adha 2016

モロッコの首都ラバトに赴任して、もう3ヶ月が経ってしまいました。最初の1、2か月は職場に慣れることや家の引越し、引越し後の家の改造(主に剥がれていたペンキ塗りや家の装飾品を揃えたりすること)におわれていましたが、最近になってやっと落ち着いてきました。

そんな中、9月の10日〜15日まで、協力隊時代に活動していた任地、グルミマに里帰りしてきました。ちょうど9月13日が今年の羊の犠牲祭(イスラム教徒にとっての大きな宗教的お祭り)で、このお祭りの期間は、日本の年末年始のように、多くのモロッコ人が故郷に帰省します。私も、祭日と有休を組み合わせて、グルミマに帰省したのです。

グルミマに行く前に、私の活動先アソシエーションの女性たちが、商品を納品させてもらっている、トドラ渓谷にある日本人宿のノリコさんのところへ立ち寄って、納品状況を確認させてもらったり、トドラ渓谷でお昼を食べたりゆっくりさせてもらいました。
トドラ渓谷への道
この茶色と緑の景色が懐かしかった

グルミマでは、4日間、元同僚の家に泊まらせてもらいました。いつも私がどの家に泊まるか取り合いになるので、一人の家に4日間となるのではなくて、親しい元同僚の家に、一泊ずつ泊まらせてもらいました(それでも、「なんでうちには泊まっていかないの!?」という他の元同僚もいるんですが・・・笑)。

滞在期間にできるだけお世話になった人たちみんなに挨拶にまわりたいので、友人からチャリンコを借りて主に活動先だった集落2つや、グルミマ中心地を行ったり来たりして、おそらく合計で25軒くらい訪問したのでは・・・というくらい忙しかった・・・。でも、どの人の家に行っても、みんな「アイシャ!(⇦私のアラビア語名)よく来たね!」と言って、甘いアタイ(お茶)と、犠牲祭の時に犠牲になった羊や牛の肉の串焼き、お菓子などを、食べきれないほど出して、もてなしてくれました。最後は時間切れで訪問できなかったお家もあったくらいに忙しかったんですが、改めてグルミマの人々の温かさや、田舎の質素な生活の良さを実感しました。
グルミマの集落の朝の典型的な風景。
女性たちは陽が高く上がる前に、家畜の餌となる草を刈りに行く。
隊員だった頃に通っていた通勤路。相変わらずこの景色が好き。
クサル・グルミマの屋上から見た景色。
クサル(ベルベルじんが築いた要塞化した村)を歩いていたら、
住人が家の中に招待してくれた。
活動先だった村の風景。
もうすぐナツメヤシの収穫の季節。
集落の典型的な景色。
ラバトにいるとこんな景色が本当に恋しくなる。

こちらは犠牲祭の時に犠牲になった羊の脳みそが入ったクスクス。
犠牲祭の2日目の朝食あるいは昼食として食べるのが伝統。

もちろん、活動先だったアソシエーションにも訪れました。私が隊員としてグルミマを去った2015年6月から、約1年ほど経っていたけど、女性たちはきちんと私と一緒に築き上げた手工芸活動を続けているのを確認できました。
活動先アソシエーション①
ベルベル刺繍の巾着とボシャルウィット(ラグ)
活動先アソシエーション②
ベルベル刺繍のポーチ
活動先アソシエーション②
ボシャルウィット(ラグ)

4日間グルミマに滞在して、元同僚や友人と再会して色々話をしていて強く感じたのは、やはり私は開発の現場で活動することに意義を感じるんだなあということでした。私が隊員としてグルミマを去ってから1年しかまだ経っていないから記憶が比較的新しいのかもしれないけど、一緒に働いた人たちは、私の活動のことを高く評価してくれていて、そんなフィードバックを聞くと、自分は現場の受益者と近いほどやりがいを感じるし、自分の強みを発揮できるのかなと思いました。

一方で、今の仕事は同じモロッコでの開発業界だとはいえど、現場からはかなり遠くてオフィスワークばかり。日頃、プロジェクトの企画書を書いたり、リサーチをしたり、予算の計算をしたりという仕事が多いです。接する相手も主に政府(省庁)関係者。もちろん、政府レベルでどのように開発プロジェクトが運営されて、どのように資金が集められて使われていくのかを理解することもとても大事なので、いい勉強になると思って毎日仕事に励んでますが、あまりにも私が隊員時代に勤めていたような貧しい集落の現場と国連のオフィスで働く環境にギャップがありすぎて、戸惑うことも多いです。

モロッコの現場で見たこと、感じたことを忘れずに、今後の仕事にも活かしていこうと思います。