2013/10/31

30歳になりました! / I turned 30 years old!

2013年10月30日で、とうとう30歳になりました!

振り返ってみると、実は16歳〜30歳の誕生日(つまり人生の半分)を、日本の家族と離れて海外で迎えています。

16歳〜25歳の誕生日は留学先のイギリス(パリ、キプロスの年もあった)で、
26歳の誕生日は、ピースボート第67回クルーズがメキシコに寄港した日に、
27歳の誕生日は、ピースボート第71回クルーズが香港に寄港した日に、
28歳の誕生日は、ピースボート第74回クルーズが航行中の太平洋のど真ん中で、
29歳の誕生日は、ピースボート第77回クルーズがメキシコに寄港した日に、
そして、
30歳の誕生日は、青年海外協力隊で派遣されているモロッコ、グルミマにて。

31歳の誕生日も、任期短縮とかにならない限り、おそらくモロッコで迎えるでしょう。

ここまで毎年家族と離れて誕生日を迎えていると、ちょっとたまには日本の家族と迎えたいな・・・と思う今日この頃です(笑)。


今年の誕生日の朝は、普段から手工芸品開発を一緒に行っている女性の家で目を覚まし、
彼女が裏庭にある石窯でパンを焼く様子を見学したり、彼女の家族と一緒に、収穫の季節を迎えるナツメヤシを収穫するために、森に行ったりしました。
パンを焼きながら、横で水を熱する
朝ご飯はスパイスの入ったパンとモロッカンティー
ナツメヤシがとれるヤシの木がたくさん!
こうやってナツメヤシ(上のオレンジの枝)を収穫
森の中で食べるザクロは特別にうまい


私が自分の誕生日のことを周りの人にあまり告知していなかったせいか、モロッコではあまり誕生日を大々的にお祝いする習慣がないのか、よくわかりませんが、誕生日をお祝いするような何か特別なことはせずに、平和に終わりました(笑)。

何か特別なお祝いをしなくても、振り返ってみると、私がモロッコにこうして来れたこと、そして平和にここで暮らすことができていること自体が、ある意味「特別」なんだと思いました。

30年前に私が生まれて以降、ずっと私を健康に育ててくれた両親に感謝。
おかげで、協力隊の厳しい健康診断もパスし、モロッコに派遣されることができました。
モロッコでも今のところ、体調崩すことなく元気にやってます。

そして、今までに私のことを支えて来てくれた多くの友人たちにも感謝です。

誕生日前後は、Facebookやメールなどを通して、世界中の友達100人以上から誕生日メッセージをもらいました。

本当にみんなに支えられてここまで30年間やってこれたのだと思います!どうもありがとうございます!そして、これからもよろしくお願いします!

2013/10/26

コミュニティ開発視察団&グループ型派遣ミーティング / Community development delegation & group volunteer dispatch meeting

10月末になったというのに、モロッコの砂漠地帯ではまだまだ日中は日差しが強い日が続いてます。

さて、今週は日本からモロッコに来た「コミュニティ開発巡回調査団」の方々が、私の任地での活動を視察に来ました。

【注】私の協力隊の職種は「村落開発普及員」ですが、私の隊次以降この名前が改名されて「コミュニティ開発」という職種になりました。

隊員たちはそれぞれの職種ごとに、技術補完研修を派遣前に受けることになっています。私の場合、日本で派遣前にコミュニティ開発に関する2つの技術補完研修を受けました。研修では、主にそれぞれの技術顧問の先生たちが、隊員たちが現場で必要あるいは有用と思われる技術や理論を教えてくれます。

実は、その技術補完研修でお世話になった技術顧問の先生の1人が、今回なんとこの視察団の一員としてモロッコに来ました!!

JICA側からは事前に、「コミュニティ開発巡回調査団視察があなたの活動を視察に来ます」と聞いていたので、どんな調査なんだ・・・、どんなことを指摘されるんだろう・・・とちょっとびくびくしていました(汗)。。。

そして調査団には、顧問の先生と共にJICA本部のモロッコ担当者の方も一緒にいらしていました。

私の任地に視察が入る前日には、エルラシディア(任地から1時間の県庁所在地の町)の県で活動する協力隊員たち10名と、調査団の方々、JICAスタッフなど、総勢15人程の人たちとの夕食会があったので、エルラシディアに向かいました。

そして、8ヶ月ぶりに技術顧問の先生と再会することができました!
この先生は協力隊受験時の面接官でもあった先生だし、2つ受けた技術補完研修のうち1つの最終発表の時に審査に来ていた先生でもあったので、とても思い出深い先生です。

いつも辛辣なコメントが多い先生なので、最初は緊張しましたが、お酒が大好きなこの先生は私が着いたころには既にほろ酔い気分だったようで、どんどんいろんな話が出てきました(笑)。

ネタがつきない先生の話を一生懸命聞き入ってたら、食事が全然進みませんでしたが(笑)、技術顧問の先生が自分の任期中に自分の任国、ましてや任地まで来るなんてチャンスはめったにないので、必死に話に聞き入ってしまいました。


そして、翌日はエルラシディア県庁にて、グループ型派遣による開発計画支援のミーティングがありました。最近、エルラシディア県庁とJICAの間で、エルラシディア県にて活動する隊員たちが「エルラシディア地域の人々の生活向上」という大きな共通の目的を持って、それぞれの分野にて活動しつつも、普段の活動の延長線上で隊員たちが一緒に活動するような、グループ派遣形態が認められたのです。

この日のミーティングは、県庁側とJICA、そして対象となる隊員たちとの一回目の顔合わせでした。日本から来ていたコミュニティ開発調査団の方々も参加して下さいました。

ミーティングでは、今後の活動計画についてや県庁側のニーズを確認したりして終わりました。今後は隊員たちが活動計画を県庁に持って来て、県庁側の意見も盛り込みながら具体的な活動を行っていくことになりそうです。


そして午後はいよいよコミュニティ開発調査団の方々が私の活動を視察に来る番!
一足先に任地グルミマに戻り、調査団の方々が着くのを待ちました。

調査団と最初に訪問したのは、私が1ヶ月程前から活動し始めたアソシエーション(女性団体)。グルミマ中心地から7kmくらい離れたところにあるということや、設立してまだ3年しか経っていないということもあって、色んな資材や資金が不足していて、色々試行錯誤しながら活動している団体です。商品開発したいけど、ミシンがなかったり、女性たちの手工芸スキルが商品化するにはまだまだだったりして、私も今後どういった活動したらいいか悩んでます。

アソシエーションに着いたら、いつもいるメンバーがずらっと並んで私たちを迎えてくれました。こういったJICAの正式な訪問があるとどうやらアソシエーション側も構えてしまうようで、いつもよりみんなこぎれいな格好してました(笑)。

調査団の方はアソシエーションの会長や副会長に運営方法や資金源のことを聞いたりして、私自身もまだまだ知らない情報もたくさん引き出してくれたので、ぶっちゃけ私にとっても勉強になりました(笑)。



そして、次は赴任当初から活動しているもう1つのアソシエーションの視察。こちらの団体は設立が1998年で、資金も経験もある程度ある団体で、女性たちの手芸スキルも高いので、わりと商品開発がスムーズに行っている団体です。

こちらも、「JICAから視察団が来る!」ということで大分構えてしまったようでで、いつもは不在の会長やら副会長、会計担当者まで、いろんな役員やメンバーが勢揃いでした!

会長が視察団の方々に、アソシエーション内の案内や活動の説明などをしてくれて、私も少しだけここの団体で行っている活動を説明し、質疑応答があった後に、集合写真を撮って、視察は終わりました。


せっかく来た調査団の方々やボランティア調整員たちが来ていたのに、開発した新商品の在庫がなかったので実物を見せられなかったのがとても残念でしたが、商品の一部は見てコメントを頂くことができました。

技術顧問の先生からは、「手工芸=女性、だけじゃなくて、男性も巻き込むような手工芸品も面白いかもよ」など私では考えつかないようなアイディアやコメントを頂いたり、今後の進路のことまでアドバイスを下さいました。

こんな風に、技術顧問の先生や国担当者の方が、自分の任期中に任国に来て、任地での活動も見てもらって、コメントを頂けるなんて多分滅多にないチャンスだと思うので、本当にこういった機会に恵まれてラッキーだなと思いました!また、普段は滅多に任地まで視察に来ることがないボランティア調整員の方々も調査団と一緒に任地まで来て下さったでの、これも実はとてもラッキーなことだと思います。

本当はこの日の晩にあった第2回目の夕食会にも行ってもっと顧問の先生や他の方とも話したかったけど、明日の活動の準備が終わってないし、またエルラシディアまで出て戻ってくるのが大変なので、仕方なく任地にて1人で夕食を食べました・・・(涙)。

もうグルミマでの活動を始めて6ヶ月が経つので、そろそろ本腰を入れないといけない頃・・・。明日からはアソシエーションで英語の補習授業も始める予定なので、手工芸品開発以外にも、教育分野などにも活動を広げていこうと思ってます。

2013/10/22

結婚式の舞台裏 / Backstage of the wedding ceremony

モロッコでは、犠牲祭の後の結婚式ラッシュが続いています。
ラマダン(断食の月)の後の結婚式ラッシュ程ではないですが、連日家の近くやら活動先の集落でも結婚式が続いてます。

前にも書きましたが、モロッコの結婚式は通常3日間続きます。家族や親戚、友人、近所の人などを新郎・新婦の家に招いて、食事を招待客にたらふく食べてもらいます。そして、裏庭に結婚式用のテントを張って、そこで夜は招待客が音楽に合わせて踊りを楽しんだりするようです。
まだ招待客が来ていない時のテント内

犠牲祭の後に、活動先の女性たちに招待されて、私も村であった結婚式に行ってきました。でも、今回行ったのは、結婚式と言っても、華やかなドレスを着飾って招待客として行くというよりは、結婚式に来る招待客のために食事を用意する「舞台裏」の女性たちの様子を見て来た、と言った方が正しいかと思います。

今回行ったのは、活動先の女性たちの家族の結婚式でした。モロッコの結婚式は、スペースのたくさんある田舎の家では通常新郎・新婦の家で行われ、家族が招待客のために食事を全て作るために、親族は大忙し!私の同僚の女性たちも、今回は準備をする側だったので、私も結婚式に招待されたものの、招待客たちと一緒に時間を過ごすよりも、彼女たちに寄り添って準備の様子を見学させてもらいました。

土曜日のお昼過ぎに会場に着いたのですが、その頃は女性たちが大忙しで招待客に出す食事の準備をしていました。メニューは、お茶(アタイ)とお菓子から始まって、その後はチキンのクスクス → 牛肉のタジン&パン → フルーツ といった感じでした。

メニュー自体は、結婚式や日常生活でもよく食べられる食事なので、おそらく女性たちにとっても料理するのは難しくないのでしょうが、何しろ招待客の数が多い(多分男女合わせて100人くらい!)ので、15〜20人くらいの女性たちが協力して食事を準備していました。

例えば、チキンのクスクスを作ると言っても、クスクス、チキン、ソースは全て別々に調理し、最後にお皿に盛る時に1つの料理として出来上がります。
クスクスを蒸す
蒸して出来上がったクスクスを一時的に大皿に保管
クスクスの上からかけるソースを調理
チキンを油に入れて調理。
全部で20匹くらいを交代で焼いていた。
クスクス、ソース、チキンが全て調理し終わったら、
お皿に分けて、招待客に持って行く

そして、いくつものお皿に分けられたクスクスは、どんどん招待客のいるテーブルに運ばれて行きます。招待客たちは8人〜10人くらいで1つのテーブルを囲み、1皿に盛られたクスクスをみんなでシェアして食べます。ちなみに、この時に男性と女性は違う会場または違うフロアで食事をします。
子どもたちは大人と別のテーブルで食べる
クスクス独り占め(笑)

同じように、牛肉のタジンも大量に作るために、複数の鍋に分けて調理していました。
牛肉が調理されている様子
出来上がりはこんな感じ。
(あ、でもこれはまだソースがかかっていない状態。)
写真撮るの忘れたけど、
上に乗っているプルーンも牛肉とは別にあらかじめ準備される。

でも、何しろ招待客は100人程いたので、空になったお皿は洗剤を使って綺麗に洗って、また別の招待客に食べ物を出すために使われます。

このような流れ作業が手際よく女性たちによって進められ、どんどん食事が招待客のもとへ届きます。

結局、「舞台裏」の女性たちが食事にありつけたのは、午後6時頃でした。昼ご飯とはいえど、日本ではほぼ夜ご飯と同じような時間帯ですね(笑)。

この日は結婚式の1日目だったのですが、3日目の今日も同じ結婚式に行ってみたら、やはり同じメンバーの女性たちが食事を用意していました。ちなみにメニューは1日目と全く同じでした(笑)。同じ食べ物ばっかり食べて、飽きないんだろうか・・・と不思議に思いますが、モロッコ人はやはりクスクスとタジンが好きなようです。

ちなみに、同じカップルの結婚式でも、3日間続く結婚式のうちのどの部分に行くかによっても経験できることは全然違います。例えば、日中や夜に親族や友人、近所の人たちが大勢集まって食事をするような会の日もあれば、夜通し招待客が踊り続ける会、新郎・新婦が数回お色直しをして招待客を楽しませる夜などもあるようです。食事会の時は、新郎・新婦がそもそもその会場にいないことは結構当たり前なようで、結婚式に行ったのはいいけど、結局誰が新郎・新婦だかよくわからなかった、なんてことも良くあります(今回もそうでした、笑)。

今夜は、ここに書いた結婚式とは全く別のカップルの結婚式にちょこっと顔を出したのですが、どうやらこの日は招待客が食事をする会だったようで、新郎新婦のお披露目はありませんでした。男女別に部屋に通されて、食事が出てくる前の待ち時間に、女性の部屋は音楽とダンスで盛り上がっていたのですが、一緒に結婚式に行ったピースコーの男性ボランティア2人は、「男性の部屋では、髭を長く生やした中年男性たちが静かにコーラン(イスラム教の聖典)を読み上げていただけだった」と言っていました。このように、男性と女性の部屋でも雰囲気に差があったりするんですね・・・。

結婚式と言っても、国が違えばやり方も全く違うのが面白いなと思いました。

日頃は招待客として結婚式へ行って、出てくる食事を待つだけの立場でしたが、今回は女性たちが招待客に出す食事を一生懸命準備するという貴重な「舞台裏」の様子を見させてもらいました。これもなかなかできる体験ではないので、今回シェアしようと思いました。最後まで読んでくれた方、どうもありがとうございました。

2013/10/18

羊の犠牲祭 / The Feast of the Sacrifice (Eid ul-Adha)

昨日と今日は、モロッコでは「イード・アル=アドハー」と呼ばれるイスラム教で定められた宗教的な祝日でした。

イスラム教聖典のコーランに出てくる預言者イブラヒームが、神(アッラー)への信仰心を表すために自らの息子のイスマイールを神への生贄として捧げようとした時、神はその信仰心を称えて、代わりに羊を捧げるようにイブラヒームに告げたということから、「羊の犠牲祭」とも言われるようです。このことにちなんで、イスラム教徒たちは毎年犠牲祭になると、羊などの動物の命を神に捧げ、動物はその後食肉として家族に分け与えるという伝統があるようです。
(※犠牲祭に関する更なる解説に興味のある方は、以下のサイトもご覧下さい。)
http://www12.ocn.ne.jp/~tunisia/giseisai.htm
http://www.isuramu.com/questions/Q8.htm

犠牲祭の数週間前から、市場では犠牲祭用の雄羊たちが売られ始め、グルミマでもトラックの荷台や手押し車に羊を乗せた人や、商店の前に立つ店の看板などに足を繋がれて留守番中(?)の羊の姿を見たりしました。羊以外にも、牛やヤギなども犠牲にする場合もあるそうです。大きな都市では、なんとらくだが売っていたところもあったようです!
家の窓から見えた羊さんの姿。
連日、この看板に足を紐で結ばれた羊が耐えなかった・・・。
(なぜよりによってこの看板・・・?)
グルミマで普段は野菜が売られている市場も、
犠牲祭の前は、羊やらヤギやらが売られていた

グルミマでは、自分の家で牛や羊などの家畜を飼っている家も多いですが、飼っていない家庭は、このような羊の市場に行って羊を調達します。そして、犠牲祭当日になるまで、家の裏庭やらテラスなどに羊を繋いで、餌をやってキープするようです。私が、日頃は家畜を飼っていないモロッコ人家庭を訪問した時も、やはり犠牲祭の前には羊が裏庭で飼われていました。

今年ラマダン(断食)を25日間遂行した私に対して、モロッコ人のおじいちゃんは、「AICHA、君はラマダンもやったんだから、羊も買いなさい。」としつこく言っていましたが、どうしても羊を殺すという行為には私にはすごく抵抗があり、さすがに買いたいとは思いませんでした・・・。

そして、犠牲祭の当日。
この日の朝は、まずはモロッコ国王がはじめに祈りをささげて羊を捌き、その後に国民が一斉に羊を捌くと聞いていたので、その一連の儀式は一体何時頃始まるのかと思い、なんだかソワソワして何度も目が覚めてしまいました。

この日は前々から同僚の女性の1人に「犠牲祭の日の朝は、うちにいらっしゃい」と呼ばれていたので、彼女の家に行くために朝家を出る準備をしていました。ただ、私は動物が捌かれる瞬間を見たくなかったので、できるだけ捌く儀式が終わってから家を出ようと思っていました。

家で支度をしていると、近所の住宅街から、もうすぐ捌かれるんだろうと思われる羊の声がメエメエと聞こえている・・・。「そうか、まだ捌かれていないんだ・・・。でも、もすぐなんだろうな・・・。」と、なんだか憂鬱な気分になりました。

そのうち、さっきまで鳴いていた羊の声がだんだん聞こえなくなってきたので、嫌な予感がしたら、やはり案の定・・・。私のアパートの向かいの家の角の路上で、どうやら羊が捌かれたようでした・・・。羊の姿は角度的に見えないのだけど、大人の男性が何人かたまっていて、道を通る人も「何か」を見ながら通り過ぎて行く・・・。よーく見ると、道に血と思われる赤い液体が流れていて、一気に外に出たくない気分が倍増・・・。いよいよ、犠牲祭が始まった、と思う瞬間でした。

でもいつまでたっても家で閉じこもっているわけにはいかないので、恐る恐る家から出て、お呼ばれしていた女性の家庭に自転車で向かいました。途中、まだ捌いていない生きている羊がいる家があったりして、どうやら羊を捌くタイミングも家庭によって多少違うようだということがわかりました。

もう少しで女性の家に着くというところでは、集落の中ではわりと裕福な家庭があり、その家の脇には、既に捌かれた羊が二頭逆さまになって、紐で吊るされていました・・・。男性たちが数人かかりで、羊の革を剥ぐところでした。あたりには、血が流れていたりして、血を見るのが苦手な私にとっては、「もう勘弁してくれ〜」という感じでしたが、一応これもモロッコ(イスラム)文化を理解するためだ、と思い、その様子を少しだけ見学して写真に撮りました。
男性たちが、羊の皮を剥ぐ作業をしていた。


そんなことをしていたら、グルミマの反対側にある村で以前グルミマで手工芸隊員として活動していた元隊員から電話が入ったので、羊の犠牲の儀式の真横で自転車を止めて会話をしていました。そうしたら、なんともう一頭まだ捌かれていない羊が同じ家から連れ出される姿が見えました。「ああ・・・、この羊くんももうすぐ捌かれてしまうんだ・・・」と思いながら、電話で会話を続けていたら、なんと私の真後ろで羊を捌いているじゃないですかーー(ぎゃー!!)!!!その様子は極力見たくなかったけど、ちょっとだけ後ろを振り返って見たら、地面に押さえつけられた羊が両足をバタバタさせながら苦しんでいるところでした・・・。おそらく、動脈を切られた後の最後の命乞いだったのだと思います。電話での会話が終わった頃に羊を見たら、もう命が絶たれた後だったようで、ちょうど男性の1人が羊の頭部を体から切り離すところでした・・・。

そんな様子を目にして、ちょっと精神的なショックが大きかったのですが、目的地である女性の家に無事辿り着きました。彼女の家ではもともと羊を何頭か飼っていたので、そのうちの一頭を捌いたようでした。私が着いた頃には、羊の頭を焼いて、その後に水で綺麗に洗う作業に取り組んでいるところでした。

そして、その横にあったのは、羊を解体して体の中から取り出した臓器諸々・・・。それらも綺麗に水で洗って、焼いて食べれるようにするようです。

羊の犠牲祭は、日本で言うお正月のように、家族や親戚と一緒に過ごす時間です。祝日の間は親戚や友人を訪れて挨拶をし、お祝いする行事であるので、私もできるだけ日頃からお世話になっている同僚たちを訪れようと思って、女性の家のすぐ向かいに住むカウンターパートのアリの家に行きました。

そうしたら、ちょうど彼の家では羊を捌いたばかりだったようで、まだ毛皮がついた状態で逆さまに吊るされた羊を男性たちが囲み、毛皮を剥ぐところでした。カウンターパートのアリは、皮が肉からはがれやすくなるように、羊の体に口をつけて、風船に空気を吹き込むようにして、「フー、フー」と空気を送っていました。

ちょっとグロテスクだけど、なるほど、こうやって羊を解体していくんだなと納得しながら、その様子を伺っていました。
どうやら羊の命を絶った後は、
はしごに吊るして肉を捌くのが主流なよう

そして、私が赴任した当初からお世話になっている、友人で同僚で、カウンターパートの1人であるリタの家にも挨拶に行きました。彼女の家で家族と少し話していたら昼食の時間になり、本当は一件目に訪れた女性の家で昼食を食べる約束をしていたのに、「いいからここで食べて行きなさい!」という押しに負け、リタの家で昼食を頂くことに。この時は羊の肉ではなくて、確か牛肉のタジンだったと思います。

結局、約束していた女性の家に戻った頃には、彼女の家の食事はほとんど終わっていたのですが、元々約束していたのにそこで昼食を食べれなかったちょっとした罪悪感もあったので、ちょっとだけ肉を出してもらい、頂きました。お腹いっぱいって言っているのに、「じゃあこれ持って帰りなさい」と言われ、パンの中にBBQのように焼かれた肉がたくさん詰められたお持ち帰り用の食事まで持たされてしまいました・・・。モロッコ人のホスピタリティーには毎回頭が下がると同時に、時々困るくらいに食事をたくさん頂きます(笑)。

そして、午後は活動先の団体の手工芸グループで働いている女性たち(計7人)で、まだ犠牲祭中に訪問していない女性の家を全部挨拶して廻ろうと思い、一軒一軒寄ることに。家自体はそれぞれそこまで離れていないので移動時間は短いのだけど、一軒一軒寄る度に、アタイ(お茶、モロッコのお茶は甘い)とガトー(ビスケットやクッキーなど)が出てくるから、毎回これらを頂いて、雑談して、を繰り返しているうちに午後の時間があっという間に過ぎていきました。しまいには、大家さんにも道で偶然会って、「うちにも来なさい」と呼ばれたので、彼の家にも顔を出すことに。

他にも村で寄りたい家がいくつかあったけれども、手工芸隊員だった元隊員にも会いたかったので、村から一旦グルミマ中心地に戻り、元隊員の方が遊びに来ている別の村にも行って、活動のことやグルミマでの生活のことなどを色々話すことができました。

この日最後に訪問した家庭では、キッチンに解体した羊の死体が逆さまになって吊るしてあってビックリ・・・。そして、調理台には羊の臓器や乾燥した脂肪などが乗っかったお皿がありました。ビックリしたのは、羊の体の中にある脂肪までも使うということ。なんと、肉を焼く時にこの脂肪を肉に巻き付けて、油として使って良く焼けるようにするんですね。
羊さん、無惨な姿に・・・。
左の白いのが、乾燥した脂肪のかたまり
脂肪を肉に巻いて、焼きます

そしてさらにビックリしたのは、羊の睾丸までも食べるということ!この家庭では、お昼に既に睾丸の1つを食べたようで、夕食にもう1つを食べるために調理していたところでした。私はあまりにもいろんな家庭でお菓子やら何やら食べ過ぎてお腹いっぱいだったので、睾丸はどんな味か試しませんでしたが、彼女曰くとても美味しいそうです。
これが羊の睾丸だそう・・・。タジンにして食べたりもするんだって。

あと、羊の腸(?)も串刺しになっておいてあり、これはちょうど犠牲祭から1ヶ月後にある、アショーラ祭りというまた別のお祭りの時まで乾燥させてとっておくそうです。アショーラ祭りに関してはその時にまた詳しく書きます。


このようにして、羊の皮と骨以外は全部無駄なく食べるんですね。ちなみに、毛皮は食しませんが、裏返しにしてしばらく乾燥させて、絨毯として使ったり、毛を紡いで毛糸にしたりと、これもきちんと使うんですね。

結局、数えてみると犠牲祭の祝日の1日目に訪問した家庭の数は、なんと13軒でした!
温かく迎え入れてくれたモロッコ人の皆さんに感謝・・・。


そして、祝日の2日目。
朝は家でゆっくりし、お昼ご飯は以前から何度も食事に招待してくれたこともあるモロッコ人の家庭に行くことにしました。アポなしで行ったけれども、なんともない顔して「ようこそ!」といった感じで迎えてくれました。昼食は、ケフタ(ひき肉)と角肉のブロシェット(BBQのような串焼き)でした。

その後は、昨日行けなかった日頃からお世話になっているモロッコ人家庭を引き続き訪問し、再び行く家庭ごとに甘いお茶とお菓子が出てくるから、それを食べては次の家に行って・・・、という感じで、結局今日は5軒廻りました。

そして締めくくりは、日頃からお世話になっていて、昨日の夜訪問した際に「明日の夕食を食べに来なさい」と呼ばれていたアフメッドじいさんの家に行きました。相変わらずモロッコ人家庭では夕食が出るのは遅い(23時半頃とかは、わりと普通)ので、22時半頃に行ったら食事の準備中でした。アフメッドの奥さんに挨拶しにキッチンに行ったら、なんと羊の頭が調理台の上にど〜んと置いてあってちょっとビックリ・・・。どうやら、毛を焼いて、そして骨を割って、そして脳みそを食べるようです・・・。アフメッドの娘さん曰く、これもとても美味しいとか・・・。

夕食は、羊のもも肉や肝臓(多分)の串焼きや、もも肉の入ったスープでした。私は個人的に肝臓があまり好きじゃなかったのと、本当にお腹いっぱい過ぎてもう食べれなかったので、少量しか食べませんでした。

結局アフメッドの家で夕食が終わったのが深夜1時頃(相変わらず遅い・・・)。

犠牲祭の休暇は公式にはこれで終わりですが、翌日が金曜日で、もともとイスラム教にとって金曜日は聖なる日なので、この日もお休みにしちゃおうというモロッコの会社や機関も多いようです(笑)。

そして、ラマダン後と同じく、連休ということもあるせいか、プチ結婚式ラッシュの時期でもあるようです。近所では2軒結婚式があるようで、夜遅くまで音楽が流れています。


今回、初めてイスラム圏で迎えた犠牲祭ですが、羊を生きたまま捌き、解体し、全てをを食す・・・という文化には、やはり慣れていない私にとっては結構衝撃的でした。

日本では消費者が、食肉がどのように捌かれて、スーパーや肉屋で売られて、食卓に届くかまでのプロセスを知る機会があまりない気がしますが、モロッコでは自分の家の目の前に鶏肉屋があって、毎朝生きた鶏が運び込まれる姿を目にしたりすることが多かったりすします。そうすると、今まであまり考えてこなかった、動物たちが食肉としてどのようにして命を奪われているかというのを目の当たりにするようになり、少し肉を食べることにためらいを感じるようになりました。

でも、一度頂いた羊の命は大切にされ、ほぼ全ての羊の体が食されたり、毛皮や毛糸として使われたりして、一頭の羊がフルに活用されることは素晴らしいなと思いました。

まだまだこの羊の犠牲祭のちょっとした衝撃には慣れることはできない部分もありますが、今までほどんと知らなかったイスラム文化の一面を垣間みることができたと思います。

そして、イスラム文化の考え方を理解しようとすると同時に、動物の命の大切さというのも自分なりに考えていきたいなと思いました。

※犠牲祭の様子の詳細は、以下のサイトにも分かりやすく書いてあります。興味ある方は参考までにどうぞ。
http://www.mayoikata.com/M_BUNKA/life/04_gisei.html

2013/10/15

トドラ渓谷とアイト・ベン・ハッドウ / Todra Gorges & Ksar of Ait-Ben-Haddou

前回、メルズーガに行った時のことを書いて満足したままで、実はその後に訪れたトドラ渓谷とアイト・ベン・ハッドウ、そして途中で立ち寄った任地グルミマでのことを書くのを完全に忘れてました・・・。

イギリスからモロッコに遊びに来てくれた私の親友Jayと一緒に、メルズーガに行った後は、とりあえず私の任地であるグルミマに一日だけ立ち寄りました。そこまで見所が多いわけではないのだけど、私が活動している場所だということで、どうしてもグルミマも見たかったようです。

まずはちょっとだけグルミマ市内を散策して、その後は私の通勤路にあるクサル(要塞化された村)の1つであり、この近辺では一番最近修復されたクサル(グルミマクサル)に寄って、Jayにクサルの様子などを私が知る範囲で説明。そうしたら、いつも私が通勤路で会うRachid(自称クサルのガイド)が、「外国人観光客がやってきてガイドとしてクサルを案内すれば、良い金儲けのチャンス」と思ったのか、私たちのところにとことこっとやってきました。でも、私がいる姿を発見したら、「なんだ〜、Aichaじゃないかー。君がいるなら僕の案内は必要ないねー」みたいなことを言ってました(笑)。

でも、なんだかんだ言って堪能なフランス語でJayにクサルの説明をたくさんしてくれて(Jayもフランス語はペラペラ)、私も知らなかった情報が結構盛りだくさんで聞けました。Jayも満足したようで、Rachidにお金を払っても良いくらいだ、と言っていたけど、さすがにRachidも私の前でJayにお金を要求するのは気が引けたようで、「お金は必要ないよ〜」と笑顔で言ってくれました(私がグルミマに来て初めてRachidに会った時は、「案内料金は20~100DH(約200〜1000円)だよ」とか言っていたくせに・・・笑)。
クサルの一角にあるドア。
一見ちょっと派手なドアだけど、
実はこの地域の歴史や文化の様子が詰まって
描かれている。
クサルの裏庭にある、住民たちの共有の駐「ロバ」場。
いつもはロバしかいないのに、なぜかこの日は牛もいた・・・。
収穫の時期を迎えたツマル(ナツメヤシ)を
たくさん背負ったロバくんと
グルミマのランドマーク的なテーブルマウンテン
(私の勝手な命名)


そして、私の活動する女性団体を訪問したり、同僚の女性の家にお邪魔して、お昼ご飯をごちそうになったりして、グルミマの様子をある程度満喫してもらった後には、グルミマから西に向かい、トドラ渓谷へ。


トドラでは、以前からお世話になっている日本人女性のり子さんが経営するオーベルジュに一泊させていただきました。渓谷についた頃には日が暮れかけていたので、ちょっとだけ渓谷の方まで散歩して、その日は美味しい日本食(親子丼)を頂いてゆっくりしました。同じオーベルジュに泊まっていた日本人バックパッカーの1人が、なんと過去にジブチで協力隊員だったということがわかり、おまけに彼女がスーダンに最近行ったときには、なんと私の同期のスーダン隊員と偶然出会っていたことが発覚して、びっくり!世界は狭いものですな・・・。
渓谷のすぐ近くで夕暮れ時にサッカーしている子どもたち


翌日は、オーベルジュの間下に住む羊さんの鳴く声で起こされましたが(笑)、窓を開けると目の前に広がるトドラ渓谷と、空気の新鮮さに改めて感動・・・。美味しい朝食後は渓谷まで歩いて行って、あたりの景色を楽しみました。



そして、バスに乗ってカスバ街道沿いを更に西へ進んだところにあるワルザザードという町へ向かいました。ワルザザードの郊外には、映画「アラビアのロレンス」や「ハムナプトラ」など多数の映画のロケ地となった世界遺産のクサル、アイト・ベン・ハッドウがあります。

ワルザザードに着いて、ホテルにチェックインして、日が暮れる前にアイト・ベン・ハッドウに行かなければならなかったので、思いきってタクシーをチャーターして、ワルザザード市内からアイト・ベン・ハッドウへ。途中、別のクサルで写真ストップをしてもらったりして、約30分程かけてやっと目的地へ到着!























クサルに着いた頃には、写真で分かる通り、もう既にちょっと日が陰って来てしまい、あまりいい写真に収められなかったのが残念ですが、その代わり、クサルのてっぺんまで登って見渡した辺りの景色と夕焼けはとても綺麗でした!


ここにはもともといくつもの家族が住んでいたそうですが、今はこのクサルも世界遺産となり観光地化していることや、老朽化が進んでいることもあってか、5家族しか住んでいないようです。偶然、そのうちの一家族のお家に招待され、お茶を頂く機会がありました。グルミマでボランティアとして活動していることなどを話したり、片言のベルベル語を話したら喜んでくれて、「今度こっちの方に遊びに来ることがあれば、また寄って行きなさい」とお父さんが言ってくれました。

クサルの猫

まだここに住んでいるベルベル人家族の家の入り口

ベルベル絨毯を作っている途中の様子

ちなみに、クサルのてっぺんで夕焼けを見て、もう辺りの景色も暗闇に包まれ始めた頃に、再びこの家族の家の横を通ったら、彼らの家には電気が通っていないようで、ガス燃料を使ったランプで家の中を照らしていました。「不便じゃないの?」と聞いたら、「特に問題ないよ」とお父さんが語っていました。

電気がないし、しょっちゅう観光客が自分の家の横を行き来するような場所に住んでいるこのベルベル家族の一家。それでも、ここに住み続けることには何かしらの意義を感じて暮らしているようです。そんな一家が住むアイト・ベン・ハッドウは、なんだかとても不思議な魅力を持っているように思えました。

私の任地を含む、エルラシディア〜ワルザザード間のカスバ街道沿いには、アイト・ベン・ハッドウのような、ベルベル人が築いた日干しレンガ造りの要塞化した村がたくさんあります。もっとベルベル人の文化や歴史を理解して、彼らの生活をもっとたくさん垣間みてみたいなと思いました。

そんなことを感じながら、アイト・ベン・ハッドウを後にし、ワルザザードの町に着いてから町を簡単に散策して、Jayと一緒に最後の晩餐。次の日には彼はマラケシュ経由でカサブランカに、そして私はまた元来た道をカスバ街道沿いに戻って、任地グルミマへ帰ることが決まっていたので、長々といろんなことを話しました。

翌日は無事にJayはマラケシュ経由でカサブランカに到着し、私も任地グルミマに無事到着。

1週間と短い期間ではあったけど、わざわざイギリスからモロッコまで会いに来てくれた親友のJayに感謝!こういった機会がないと、私自身もモロッコ国内を旅行する機会がなかったりするし、こういった旅行を通してモロッコの魅力を色々見つけることができるので、本当に良い経験となりました。

ということで、今後は年末までは任地を離れる予定はしばらくないので、本業である活動に専念して参ります!

2013/10/10

サハラ砂漠、メルズーガへ / A trip to Merzouga, Sahara Desert

またもや、ちょっとしたモロッコ国内旅行に行ってきました!
(※配属先の許可をちゃんととって、年間に使えるお休みの範囲内でお休みとってます。)

今回はなんと、私がイギリスの大学に留学していた時に仲良くなった親友のJayが、モロッコに一週間遊びに来てくれたので、彼と一緒にちょっとした国内旅行に行くことなりました。彼とはかれこれ10年間も仲良しで、大学時代には彼や他の友人とシェアハウスに住んでいたこともある友達。日本にも遊びに来てくれたことがあります。

Jayはカサブランカに到着し、翌日首都ラバトに居た私とバスで合流し、一緒に私の任地の近くの都市、エルラシディアへ。3年ぶりくらいの再会だったけど、全然変わってませんでした(笑)。

エルラシディアへ向かう途中の景色は相変わらず綺麗で、Jayも感激!モロッコの自然の多様性には毎回感動させられます。

エルラシディアでは、隊員のお宅に一泊泊まらせてもらって(美味しい食事まで作ってもらって・・・)、そして翌日、砂漠をめがけてメルズーガへ。

メルズーガに行く目的は、なんといっても砂漠ツアー!らくだに乗ってサハラ砂漠の中を歩き、砂漠に沈む夕日を見て、夜は満点の星空を見上げ、そして砂漠の中でキャンプ・・・。

砂漠ツアーの出発は午後5時頃なので、それに間に合うように無事メルズーガに到着。なんと砂漠ツアーに一緒に参加することになったのは、偶然にも全員日本人旅行客でした!

天候にも人にも恵まれて、私たちツアーご一行(計5名&案内人のブラヒムさん)は夕方5時過ぎにホテルを出発。なんとホテルの裏はすぐに砂丘が広がっているので、ホテルの裏からすぐにらくだに乗っちゃうんですね。


らくだは立ち上がるとかなり背が高いし、歩くたびに前後に多少揺れるので、最初はちょっと怖かったのですが、そのうち慣れてきて、両手をハンドルから離して写真を撮れるくらいになりました。


砂漠をゆっくり歩いてどんどん砂丘の奥まで進んで行くと、メルズーガの村も大分遠くに見えるようになってきて、そのうち私たちの乗っているらくだが砂を「ぎゅ、ぎゅ」と踏む音しか聞こえないくらいに静かになりました。そして、周りに広がるのは果てしなく続く砂丘のみ・・・。




そして、ここに来るまでは写真の世界でしか存在しないと思っていた、オレンジ色の砂漠に長〜く写るらくだのキャラバンの黒い影・・・。

ずーっとこのような景色が続いて、ある意味この世のものとは思えない程綺麗で、静かで、穏やかでした。

でもさすがに2時間程らくだの背中で揺られていると、結構しんどい・・・。らくだはわりと穏やかだけど、何しろ砂丘のアップダウンが激しいところでは結構揺れるので、振り落とされないように捕まっているだけで必死な部分も・・・。おかげで、らくだから降りた時は既に筋肉痛でした・・・。

ちょうど夕日が砂丘に落ちる頃に、私たちが今夜泊まるキャンプの近くに到着。私たちが夕日の写真で夢中になっている間に、案内人のブラヒムさんと、後からやってきたもう1人のスタッフのアリさんが、キャンプで手際よく夕飯のタジン料理やミントティーを作ってくれました。
私たちが泊まった砂漠の中のキャンプ
テントはこんな感じ
アリさん、アタイ(お茶)を注ぐ

そして食後は、何しろ周りには電気も何もないので、星空タイム!キャンプの裏にあった大きな砂丘にみんなで登って(これがめちゃくちゃ大変だった!)、満点の星空を砂漠に寝転がって見上げました。みんな流れ星をいくつか見つけたようだけど、私は日頃の行いが良くないのか、最後に一個だけ大きな流れ星を見つけただけでした(苦笑)。

深夜12時頃には大分肌寒くなったので、テントに入っておやすみなさ〜い☆

翌朝は6時頃にはキャンプを出発し、朝日を見ると聞いていたので、目覚ましをかけて早起きしたのですが、案内人のブラヒムさんも、一緒にツアーに参加していた人たちも誰も起きてない・・・。しょうがないから、キャンプの周りをウロウロしてみたら、もうすぐ朝日が登りそうな夜明けの空に浮かぶ月が見えて、なんて美しい夜明けなんだろう・・・と1人で感動してました。

そして、やっとブラヒムさんや他の参加者も起きてきて、キャンプを出発。もうすぐ朝日が登りそうだったので、急いで砂丘のてっぺんまで登って、朝日を待ちました。

果てしなく広がる砂漠にのぼる朝日は、最高に綺麗!もともと黄色/オレンジ色で色鮮やかな砂漠の色も、朝日に照らされて更にカラーが増します。

もう日本に帰りたくなくなってしまうくらいに、最高に綺麗な景色!

もっと朝日の様子をゆっくり楽しみたいところでしたが、日が出て暑くなる前にまたらくだに乗って砂漠を横断してホテルに戻らなければならないので、ここで朝日の写真はおしまい。

再びらくだに乗って、時々振り落とされそうになりながらも、砂漠をゆっくりゆっくりと進み、メルズーガの村の方へ戻って行きます。



そして、ついに前日に出発したホテルまで戻り、ツアーはここでおしまい。
いや〜、本当に貴重な体験をさせてもらいました。
お世話になったらくだくんとブラヒムさん

ここで、ちょっとだけ砂漠の素晴らしい雰囲気を味わいたい人用に、ムービーを作成しました。ノイズが随分入ってたり、 ムービー編集の雑さにはツッコミどころ満載ですが(汗)、なんとなくその場の雰囲気は分かると思うので、興味ある方はご覧ください☆



ツアーにはホテルでの朝食代金も含まれているので、モロッコ式の朝食を頂き、シャワーで砂まみれの体を清潔にし、そしてメルズーガを後にしました。


エルラシディアまで一旦戻り、一時的に置かせてもらっていた荷物をピックアップし、そしてJayと一緒に任地グルミマへ。グルミマでの出来事は次回の記事に書きます。

今回は、天候にも人にも恵まれて本当に素晴らしい砂漠ツアーでした。色々と事前に情報を提供してくれたトドラ渓谷ののり子さんや、偶然一緒にツアーに参加して良い思い出作りに貢献してくれたKちゃんや、Tさん&Hさんにも感謝です。そして、元々砂漠ツアーに行くきっかけとなったのは、なんといってもJayのモロッコ訪問だったので、わざわざイギリスから遊びに来てくれた彼にも感謝ですね。

メルズーガは私の任地グルミマと同じ県に位置し、約3〜4時間で行ける距離にあるので、是非また行きたいと思いました。いや、また絶対に行きます!