エチオピアやダナキルに関しては、ジブチと比べるとまだもう少し情報があるし、旅行に来る方も多いと思うので(もちろん、ヨーロッパとかに比べるともっと少ないだろうけど)、ジブチの旅録ほどは今回ここに詳しく書きません。とにかく景色がすごく綺麗だったので写真中心にダナキル編旅録をここに記録しますが、結構体力的にもタフな旅だったので(笑)、心の準備がある程度ある方でないと(特にこれまでにアフリカ経験なく日本から直接来る方にとっては)体力的にも辛い旅になる可能性もあるかもしれません。そのためにも旅路や泊まったところに関して、今後ダナキルツアーに興味ある方に参考になるように記録を残したいと思います。
~~~~~~~
エチオピアは観光ビザがオンライン(E-VISA)あるいはアライバルで取得可能(2023年11月時点)。空港で並んだりするのが嫌だったので、オンラインで申請(ちなみに、偽のウェブサイトがいくつかある。正規のエチオピア政府のVISA申請のウェブサイトであることを確認しましょう)。基本手続きに関しては他の国のE-VISA申請と変わり無いので、ここでは端折ります。
今回私はダナキルに行くためだけにエチオピアに立ち寄っているので、滞在期間は移動日を含めて5日間(うち丸3日間が観光のための日程)。ダナキル以外にも見どころがエチオピアはたくさんあるので、他のところも観光することを検討している方はもちろんもっと日程が必要。ただ、現在情勢が不安定な地域もあるので、その都度現地の情勢や治安は外務省の渡航情報などを確認する必要がある。
エチオピア在住の友人が現地で信頼できるツアー会社と連絡してツアー詳細や安全性などを確認してくれて、支払いは現地通貨ですることとなった(私はPayPalでドルで支払おうとしたがうまくいかなくて、結局現地駐在中の友人にドルで銀行口座に振り込み、現地通貨でツアー会社に支払うという手続きとなった)。ちなみに、一緒の日程でツアーに参加したオランダ人旅行客は、ツアーが終了してからガイドさん経由でドル払いをしていたので、事前に国外から払うのが難しい場合は、現地でも柔軟に対応してくれるという印象を受けた。
ツアー出発地は、エチオピア東部のSemeraという地方都市。そこまで行くための移動(エチオピア航空の国内線)の手配は各自が行い、私は同社のShebaMiles(マイル)が十分に溜まっていたために、その一部のマイルを使って航空券を手配(なので、空港税などを除けばタダだった)。ツアー開始日の早朝の便に間に合うように、前日夜にウガンダからアディスに到着した私は空港のすぐ近くのホテルに泊まり、翌朝空港にまたすぐに出れるように、ホテルの無料シャトルバスを手配していた。指定されたシャトル出発時間に間に合うように、朝ごはんをめっちゃ急いで食べたにも関わらず、他の客も一緒にシャトルを利用するということで、彼らが来るのを待って約30分・・・。飛行機の時間が迫ってるんですけど・・・、とホテルの人に催促し、やっとシャトルが空港に向けて出発して、大急ぎでチェックインデスクに駆け込む。
朝早い便なのに結構国内線のチェックインデスク(全てのエチオピア航空の国内線のチェックインを対応している模様)が混んでいて、「私の便はもうすぐ出発するから!」と言って列に並ぶ人を飛ばして駆け込むエチオピア人・・・。周りの人も急ぐ他の便の客に同情してか、時間が迫っている旅行客を優先していた。「私の飛行機も時間が迫っているんですけど・・・・!」と思いながらも、辺りを見回してもエチオピア人ばっかりで、空港のスタッフに「私の飛行機の時間ももうすぐなんですけど」と言ったら、ここで並びなさい、的な感じのことを言われ、列も意外と早く動いていたので、ヒヤヒヤしながらも列に並び続け、なんとか無事にチェックイン終了!
Semera行きの飛行機は、見渡す限り大多数がエチオピア人だったが、15人ほどはおそらく外国人観光客。移動時間は1時間ちょい。アディスを出発すると、大都市を超えて、緑の大自然が広がるが、30分ほどするとそれが徐々に乾燥した茶色の大地に変わっていく。Semeraに着く20分ほど前から上空から見ても明らかにわかるような荒野が広がる。着陸直前には、地上に現地の遊牧民が作ったと見られる簡易的なドーム型の鎌倉のような形をした住居がいくつかみえ、今年3月から6月までに出張先で行った、ケニア北西部のTurkana地方の人たちの住居とそっくりだと思った。飛行機を降りると、どうやら同じ飛行機にVIPが乗っていたのか、滑走路から飛行場の建物に入るところに現地の民族衣装をまとった男性と女性が数名左右両側に並び、ダンスと歌を披露していた。もちろん私たちのために披露しているわけではないのはわかっているが、ラッキーと思いながら写真やビデオを撮って、パフォーマンスを思い出に残す。
Semera行きの飛行機は、見渡す限り大多数がエチオピア人だったが、15人ほどはおそらく外国人観光客。移動時間は1時間ちょい。アディスを出発すると、大都市を超えて、緑の大自然が広がるが、30分ほどするとそれが徐々に乾燥した茶色の大地に変わっていく。Semeraに着く20分ほど前から上空から見ても明らかにわかるような荒野が広がる。着陸直前には、地上に現地の遊牧民が作ったと見られる簡易的なドーム型の鎌倉のような形をした住居がいくつかみえ、今年3月から6月までに出張先で行った、ケニア北西部のTurkana地方の人たちの住居とそっくりだと思った。飛行機を降りると、どうやら同じ飛行機にVIPが乗っていたのか、滑走路から飛行場の建物に入るところに現地の民族衣装をまとった男性と女性が数名左右両側に並び、ダンスと歌を披露していた。もちろん私たちのために披露しているわけではないのはわかっているが、ラッキーと思いながら写真やビデオを撮って、パフォーマンスを思い出に残す。
チェックイン荷物を受け取って空港から出ると、ツアー会社の運転手兼ガイドさんが待っていて、外国人旅行客が次々に駐車場に並んでいた四駆車に分かれて乗っていく。私たちの車を担当する運転手・ガイドさんと、同じツアーに参加するもう一人の単身観光客(オランダ人女性、おそらく50代くらいで、旦那さんが来るはずだったが仕事の都合で来れなくて一人で来たという地質学者)と合流し、いざ出発!
ツアーの日程としては、1日目は陸路でひたすら北上し、エリトリア国境付近にあるエチオピア北東部にあるダナキルに向かう。道はきちんと舗装されていて、ウガンダのボコボコで穴だらけの道よりもかなり快適。渓谷などを通って綺麗な景色を眺めながら、途中塩湖が見えたのでそこで写真ストップをし、小さな町(名前忘れた・・・)でランチ休憩。その後、渓谷の景色が徐々に噴火したマグマが固まったような黒い表面の地形に変わっていき、この地域で過去に火山が噴火したことが明らかにわかるような景色が広がる。あまりにもすごいので一旦車を止めて写真ストップ。
ツアーの日程としては、1日目は陸路でひたすら北上し、エリトリア国境付近にあるエチオピア北東部にあるダナキルに向かう。道はきちんと舗装されていて、ウガンダのボコボコで穴だらけの道よりもかなり快適。渓谷などを通って綺麗な景色を眺めながら、途中塩湖が見えたのでそこで写真ストップをし、小さな町(名前忘れた・・・)でランチ休憩。その後、渓谷の景色が徐々に噴火したマグマが固まったような黒い表面の地形に変わっていき、この地域で過去に火山が噴火したことが明らかにわかるような景色が広がる。あまりにもすごいので一旦車を止めて写真ストップ。
そして、夕方日没の1時間ほど前に、地図上ではカルム湖(地元名はアッサル湖らしいがジブチのアッサル湖とはまた違う)と呼ばれる塩湖があるところに到着。まるでボリビアのウユニ塩湖みたいに辺りは真っ白で、一部水が塩湖の表面に溜まっている。運転手兼ガイドさんが、車の上に乗っていいよというので、私たちは自分たちが乗ってきた四駆の天井部分に登って、より高いところから数センチの水がはった塩湖をゆっくりと走る!本当に辺りの景色は素晴らしくって、感動!夕日が落ちるまでは写真撮影とのことだったので、かなりインスタ映えしそうな風景を目の前に、色んな写真を撮る。ガイドさんが気を利かせてなんとエチオピアのビールを差し出してくれて、最高の景色の中ビールを飲みながら、夕日が塩湖の遠くに見える山の頂に落ちるまで待つ・・・。あまりの景色の綺麗さと、やっとここまで来れたことに大満足で、思わず「生きてて良かった~~・・・。」と一言が自然に出るほど(笑)・・・。
夕日が沈むと、近くにある岩山が少し並ぶところにある塩湖の下に流れる地下水で泳げるところがあり、そこに連れて行ってもらったけど、もう陽が暮れてきていたので、足湯のように足だけつけて少しゆっくり。その日泊まるところに行く途中に、塩湖で塩を採掘する労働者たちのところに立ち寄って、彼らの作業を少しだけ見学。ボリビアのポトシの鉱山で、コカ(コカインの元)の葉っぱをほっぺたいっぱいに入れて噛んで、疲労や食欲を感じにくくなるった状態で8時間以上鉱石を採掘する労働者と同じように、地球の反対側のエチオピアの塩湖でも、同じようにKhatと呼ばれる麻薬のような効果がある葉っぱを噛みながら塩採掘の労働者が塩湖の塩を削っている。日中は暑すぎるために、作業は夕暮れから始まり、日の出と共に終了するようだった。いずれにしても、かなり過酷な作業であるのは間違いなく、おまけに貰える給料も金額は覚えていないが、かなり少額なようだ。
塩の労働者を見学した後にやっと塩湖の近くにある村に辿り着く。今日泊まるのはここだという。とは言っても、別にホテルがあるわけでもなく、地元遊牧民であるアファール族のかなり簡易的な住まいがある程度。どうやら寝るのは外に並べられた木製のベッド(プラス車に積んでいた厚さが10cmほどのマットレス)のようだ。トイレもなくて、大自然の中用を足す感じだ。モロッコの砂漠ツアーに行った時には、一応砂漠のど真ん中にあるが現地式のテントが用意されていて、風や砂を凌げたのだが、今回本当に外で寝るのは初めてかも・・・。まあ暑いところだし、別に外でも寒くはないだろうと思って半袖で寝ようとしたものの、その日は風がかなり強く吹いていて、半袖では寒くなってきた・・・。途中、上着やショールを巻いたのだけど、それでも若干肌寒い・・・。木製のオンボロのベッドから空を見上げるとかなり星や天の川も見えて素敵だったのだけど、風と、実は長時間の移動のためにトイレを我慢していたせいで膀胱炎っぽくなり、全然眠れない羽目に・・・。結局、その日の晩はほとんど眠れずに朝を迎えたのだった・・・。
塩の労働者を見学した後にやっと塩湖の近くにある村に辿り着く。今日泊まるのはここだという。とは言っても、別にホテルがあるわけでもなく、地元遊牧民であるアファール族のかなり簡易的な住まいがある程度。どうやら寝るのは外に並べられた木製のベッド(プラス車に積んでいた厚さが10cmほどのマットレス)のようだ。トイレもなくて、大自然の中用を足す感じだ。モロッコの砂漠ツアーに行った時には、一応砂漠のど真ん中にあるが現地式のテントが用意されていて、風や砂を凌げたのだが、今回本当に外で寝るのは初めてかも・・・。まあ暑いところだし、別に外でも寒くはないだろうと思って半袖で寝ようとしたものの、その日は風がかなり強く吹いていて、半袖では寒くなってきた・・・。途中、上着やショールを巻いたのだけど、それでも若干肌寒い・・・。木製のオンボロのベッドから空を見上げるとかなり星や天の川も見えて素敵だったのだけど、風と、実は長時間の移動のためにトイレを我慢していたせいで膀胱炎っぽくなり、全然眠れない羽目に・・・。結局、その日の晩はほとんど眠れずに朝を迎えたのだった・・・。
我々の寝床。せめてテントのような風よけがあるところかと思ったけど、まさかの野宿だった(笑) |
朝は日の出の後に朝食を済ませて、いよいよダナキルツアーの一番の見どころと言ってもいいほどの、Dallolと呼ばれる黄色や緑の地形が広がる大地が広がるところに向けて出発。途中、塩湖の広がる広大な景色を眺めながら、車で30分ほど移動すると、Dallolに到着。塩湖の延長線上に位置して、少し丘のように盛り上がったところにあり、車を止めて、ごつごつと火山岩がある丘を登ると、少しずつ岩肌が硫黄などの成分の影響を受けて、黄色や緑色になっているのが見える。辺りは地下からの地熱と強い太陽の日差しを受けて、上からと下からでダブルで暑い。 世界で一番暑い場所と言われるこの場所。一応12月頃がこの辺りは気温が年内では一番低く訪れやすい時期と言われているのだが、それでもかなり暑い・・・。どんどん岩肌の色がこの世のものとは思えないほどに色んな色に変わってきて、水が張ったところでは地下から出てくる熱湯をぐつぐつと言いながら吹き出している。規模は全く違うが、少し箱根の大涌谷を思いおこさせるような景色だ。旅行客は少し前のグループと時差があったせいか、私たちのみで、この広いカラフルな景色を独り占め(笑)。もっと観光客が来ていてもおかしくないのだが、近年のティグレイ地域の紛争があったせいか、治安を懸念してあまりまだ観光客が戻ってきていないのだろうか。。。
写真撮影にたっぷりと時間を使わせてもらって、そしてこの奇妙な地形を後にすると、車に戻って、今度はそこから5キロも離れていないところまで、ゆっくりと車を進めていくと、遠くから見るとギリシャ文明の神殿が並ぶかのような風景が広がる。そこまで辿り着くまでには塩湖の湖面に水が張った場所を進むのだが、その景色がまたとても神秘的・・・。まるで海を車で進んでいるかのように、水面に太陽光がキラキラ光る中、ギリシャ神殿に向かっていくような感じ・・・。あたりには水の侵食でおそらく切り離されたのであろう岩の一角などが並んで、なんとも不思議な光景だ。車を降りて、少しグランドキャニオンやディズニーランドのビッグサンダーマウンテンの風景を思い起こさせるような風景を堪能して、また車で水の張った塩湖を進んでいく。途中、塩湖のボッコボコな道を30分ほど通過し、あまりにも車が上下左右に動くもんで、私が頭を天井にぶつけるほど動いたが、途中でむしろ揺れがシミュレーションのアトラクションみたいで面白くなってきて、笑うしかなかった(笑)。
この上を車で30分ほど走った |
ここの水は含まれる成分のせいか、触ると肌がぬるっとした |
そして塩湖とDallolを後にして、今後は次の見どころの活火山のErta Aleに向かう。途中、ずっと広大なマグマの固まった真っ黒な大地などを横目にして、夕方頃にErta Aleの麓に到着。今夜宿泊する予定のキャンプ場に一旦荷物を下ろして、日没前にErta Ale山のカルデラの淵まで登り、カルデラを上から一望する。2週間前に噴火したばかりらしく、その直後はこのカルデラに赤いマグマが広がっていたという。カルデラの淵から急な斜面を降りてカルデラ内に足を踏み入れると、真っ黒で光沢を持ったマグマの固まった大地が広がる。この頃にはもう陽が落ちる頃で辺りは薄暗くなり、二つの尖った岩からはなんと火を吹き出してこの火山が活動している姿を目の当たりにすることができた。おまけに、私たちが歩いたカルデラの一部はまだ熱く煙が出ているところもあり、もし今噴火したら・・・とか、私たちの足元の地下にはマグマが流れているんだろうか・・とか考えると少しゾッとする。でもこんな風景は日本では滅多に見れない(というかそもそも立ち入り禁止になっているだろう)と思って、この生きた大地の姿を写真とビデオに収める。
カルデラの中から覗いた風景。辺りは2週間前に噴火した時に流れたと思われるマグマが固まったもの |
カルデラから出る頃にはもう辺りは真っ暗で、持ってきたヘッドライトで足元を照らしながら、カルデラの淵まで急斜面を登り、キャンプ場へ戻る。ツアー会社の先遣隊が作ってくれていた夜ご飯をいただき、そして寝る準備をして、前夜よりはしっかりとした寝床(このキャンプ上では少なくとも岩で作られたTukulと呼ばれる地元のシェルターがあった)で風を凌ぐことができたので、前夜よりは落ち着いて寝ることができた。
二日目のシェルター。1日目は野晒しだったけど、二日目はまだ風を凌げたのは救い。 |
翌朝、朝ごはんをいただいて、2日前にSemera空港から来た道を戻り、途中別の塩湖を見学し、そして夕方のSemera発アディス行きのフライトに間に合うための時間にはSemeraに無事到着。そして無事にアディスへ国内線で戻ったのは日が暮れた後。途中飛行機で夕日が沈む時間帯だったために、夕焼けが空から綺麗に見えたのが印象的だった。こうして無事に三日間のダナキルツアーは終わったのだった。
〜〜〜〜〜〜〜
以上、ダナキルツアーはこんな感じで結構ハードでした。ハードだけど、景色はもの凄く綺麗で感動的なので、現地の人たちの生活も垣間見ながら、三日間ならばまあ我慢できるかなという人には是非おすすめです。いうまでもなくシャワーもないような場所なので、ツアーから帰ってきたらしっかりとシャワーを浴びてリフレッシュすることをオススメします(笑)。私はこのツアーの翌日にジブチに行きましたが、午後の便を取っておいて正解でした(午前の便ではゆっくりツアーの疲れを取れないだろうと思ったため)。ただ、再度書きますが、エチオピアの国としては地域によって不安定なところもあるので、訪問する際はその都度治安や政治的な状況を事前に確認してから、本当に行くかどうか検討することが大事です。