かなり久しぶりの投稿になりました。
ここ数ヶ月は仕事などで結構忙しくて、いつの間にかもう2022年の年末となってしまっています。。。9月下旬には、私が住む隣の県でエボラ出血熱が発生し、あっという間に私の住む県でも4件の出血熱が確定されました。私の活動するチャカ難民居住地が出血熱が最初に見つかった県から約60キロほどしか離れておらず、この県と居住地の難民の人たちもよく行き来することから、うちの居住地は「Very High Risk(非常に危険度が高い)」と国連機関内でも認定されるほどとなってしまいました。難民居住地内でもウガンダ政府とUNHCRが指揮をとり、居住地で活動するNGOなどを含むパートナーなどと協力してタスクフォースが立ち上がり、その共同議長に私が任命されることもあって、ミーティングなどの対応でバタバタしました。
また9月にはUNHCR内部である緊急支援制度の元、緊急支援対応チームのロスター登録募集があり、その募集に応募してみたところ、見事合格!ロスター登録の条件としてある緊急支援マネージメントの(Workshop on Emergency Management)研修で、ドイツに1週間行ってきました。この研修はそれだけでブログの記事が一つ書けるくらい濃い内容だったのですが、今回のブログ投稿の理由はこの研修内容について話すわけではないので、この辺で止めておきます。
年末は日本に帰るのですが、あとウガンダでの任期も残すところ6ヶ月ということもあって、ウガンダを去る前に絶対に行っておきたいと前から思っていたのが、野生のゴリラを見学できる、ブウィンディ国立公園です。この国立公園は世界遺産にも認められており、ウガンダの南西部、コンゴ民主共和国とルワンダとの国境に近い地域に位置します。
左下にあるのがBwindi国立公園の位置。ちなみに私が2020年から2021までいたコンゴ民の任地のブニアは左上の黄色い星(N27の近く)、そして現在の任地は地図中央付近にある黄色い星(Mubendeと書いてある横)。 |
野生のゴリラが生息するのは、アフリカではウガンダ、コンゴ民主共和国、ルワンダのみで、そのうちの半数のゴリラがウガンダ側に生息していると言われています。この三国の中で、ウガンダは治安的にも金銭的にも他の2国よりも行きやすいということから、絶対にウガンダにいる間に行った方がいい、と日本人の友人からも勧められていました。
今回は偶然にもクリスマス時期にウガンダに居残ると言っていた、別の国連機関の日本人職員の女性との予定が合い、二人で一緒に行くことになりました。
首都カンパラから車で行くと約9時間以上の道のり。出発は朝7時にしたにも関わらず、クリスマス前の帰省(日本で言うとお盆や年末時期の帰省)のせいか渋滞していて、カンパラ郊外の幹線道路にて3時間以上ノロノロ運転状態・・・。国立公園に行く途中に通過する、赤道直下(緯度0度)のちょっとした観光地で写真ストップをした頃には既に正午を回っていました。
赤の文字Uganda Equatorの横にあるピンが地図上でのその位置 |
ウガンダは世界でも有数の赤道直下にある国の一つで、首都カンパラから車で3時間ほど南下したところ、ちょうどMasakaという街の少し手前くらいに、緯度0度の記念碑のようなところがあります。ここで写真ストップをしたのですが、結構面白かったのが、水の渦が回るのが南半球と北半球、そして緯度0度で異なるということを見せるデモンストレーションでした。
かなり観光客向けのぼったくりの値段(1グループ3ドルほど)でしたが、個人的にはこのデモは勉強になりました。以下のビデオにある通り、水をたらいのようなものに注ぎ、花びらを置き、北半球では右回り(時計周り)に、南半球では左回り(反時計回り)に水の渦(花びら)が回転し、緯度0度ではこれがどちらにも回転しない、ということがデモからわかるのです。
このたらい、それぞれ2メートルほどしか離れていないのですが、確かに水の渦の動きが北緯か南緯かによって変わるのです。
さて、このデモの場所を去り、途中Mbararaにてランチ休憩をとったのですが、その後はひたすら目的地まで車で進みます。途中、Rukungiriという街からオフロードになり、砂利道を3時間ほど進み、山の中のようなところも通りました。結局、国立公園付近にあるホテルに到着したのが、夜の21時半頃でした・・・。
国立公園は、地図からでも分かるとおりかなりコンゴ民主共和国との国境に近く、ホテルに向かう途中の道で、何度も国境から2キロほどしか離れていないところを通ったりもしました。いくら去年までコンゴ民東部に住んでいたとはいえど、今でも武装勢力が130以上いて、最近までも武装勢力の一部の活動が続けられている地域なので、夜の鬱蒼とした森の中を車で走るのは少し怖かったです。
無事にホテルに着いたのは夜の9時半過ぎで、到着後にすぐ夜ご飯を食べて翌朝はスタートが早いのですぐに寝ました。ちなみに、泊まったホテルはRide 4 a Womanという地元NGOが経営しているホテルで、DVや貧困に苦しむ地元の女性たちを雇用したり、彼女たちに手工芸品製作のスキル構築の訓練を提供するなど、職業訓練的な活動を行うことによって女性たちのエンパワーメントにつながるような活動をしているところです。女性たちが作った手工芸品を販売するスペースがあり、ちょっとお値段は張るけど質の高い商品を作っており、私もいくつか買ってしまいました(私がJICA協力隊時代に行っていた女性たちとの手工芸品開発・販売にとても似通っていたので、ついついテンションが上がりました!)
さて翌朝は早起きし、ゴリラ見学ツアーが始まる国立公園の入り口へ集合。私たち以外にも、多くの欧米観光客が集まっていました。出発前にゴリラ見学ツアーの注意事項や地元の女性たちによるダンスや音楽の披露があり、その後、体力や年齢などをもとに、センターの人たちが4つのグループに観光客を分けて、それぞれのグループがゴリラ1家族を追跡することになります。私たちのグループは私たちを入れて8人で、私たちと同じくらいの年齢のケニアから来たカップル以外は皆私たちよりも歳上の欧米系の夫婦でした。
午前8時頃にいよいよゴリラ追跡開始!渡された杖を持って、いざ木々が生い茂った森へ入り、緩やかな斜面を登って約3時間。ガイドさんが、先行でゴリラ一家を追跡しているアドバンスチームの人たちと無線でゴリラの位置情報を確認していたのですが、追跡するのに手こずっているようで、とりあえず森の中で30分ほど休憩。引き続き追跡を1時間ほどしたのですが、ガイドさんが私たちグループに向かって、「ずっと先行チームとゴリラの居場所を確認して追っているのだが、苦戦していて、このままだと会うことができずに帰る羽目になるかもしれない。」と言いました。
・・・・え、会えないってこともあるんですか・・・!? 500ドル(←ウガンダ駐在の外国人のゴリラ見学許可料金)も払っておいて、見れないことってあるんですか??
と思ったのですが、ガイドさんがすぐに続けます。
「でも、見れないで引き返すのは皆さんがっかりすると思うので、予定を変えて、他のグループが追跡した別の一家を追跡しようと思いますが、それでもいいですか?」
と私たちに確認してくれました。
満場一致で、私たちはそれでも構わないと答え、ルートを変えて、引き続き木々が生い茂る斜面を上ったり下ったりと更に45分ほど進むと、先行チームが待ち構えるところに合流。ガイドさんが1箇所に皆を集め、「やっと一家族を見つけることができました。これから1時間与えるので、その間に写真を撮ったり見学をしてください。そして1時間が経ったらきっちりとこの場を離れます。いいですね?それでは、これから行きます。」と私たちに伝えました。
私たちも、ついにこの時がやってきたと思い、まだ姿が見えないゴリラ家族がどこにいるのかわからずに、ガイドさんについて行きました。私たちと同じくらいの背丈の草が生い茂る茂みを掻き分けて数メートル斜面を更に進むと、なんと茂みの間、右手約10メートルほど先に真っ黒なゴリラが座って、モリモリと草を食べているではないですか!
思わず息を呑んで、そしてみな静かにカメラのシャッターを切りました。私たちの存在を気にしないかのように、ゴリラはずっと草をむしゃむしゃと食べているだけ。。。ガイドさん曰く、これは雄のゴリラなようでした。そして、しばらくすると茂みの影から子どものゴリラがお父さんの方へ向かって歩いてきて、私たちの横を遮りました。
そして、そのお父さんの近くには、なんとお母さんと他の子どもたちもいて、お父さんゴリラがお母さんゴリラと子どもたちと一緒に食後ゆっくりする姿も見れました。
このタイプのマウンテンゴリラは、大人に成長した雄のみがシルバーバック(銀色の背中)の毛並みになるようで、お父さんが食後昼寝をする体勢になった時に、見事に立派なシルバーバックを拝見することができました。子どもたちやお母さんは確かに全身黒の毛皮をまとっており、体もお父さんに比べると小柄でした。
そしてあっという間に制限時間の1時間は過ぎ、「では時間です。最後の写真を撮ったらこの場を去ります。」とガイドさんから言われ、私たちは名残惜しくも、茂みの中で優雅に休憩するゴリラ一家を後にしたのでした。
そして、下山する時は、登山した時はそれほど急勾配でなかった斜面だったので、そこそこ楽勝だろうと思っていたら、なんと大間違い・・・。予定とは別のゴリラ一家を追跡したためか、登山したときとは違うルートを通り、かなり急斜面で水溜りが多く滑る斜面を下ったために、足がもうガクガク・・・。杖を使ってでもかなり下りるのが大変だった部分も多く、かなり汗だくになりました。そしてやっと下山した頃にはもう午後3時半。午前8時登山開始したので、合計で7時間半トレッキングしていたことになります(うち30分ほどの休憩と、1時間のゴリラ見学含む)。久しぶりにこんなにハードな山登りをしたので、足は絶対に筋肉痛になること間違いなし!と思っていたら、足だけではなくて、杖を持っていた腕の辺りまで筋肉痛になり、結局3日間はトイレ行くことでさえも苦痛なほどの全身の筋肉痛に見舞われました・・・。
それでも、やっぱり野生のゴリラを見れたことはとっても感動しました!グループによっては、結構すぐに追跡ができて、午前中に帰ってきたグループもあったそうなので、私たちのグループは結構長時間歩いたグループになるかと思います。過去に行ったことがある友人などからは、結構大変だと言われていたのですが、やはりその通りでぬかるんだり急斜面の森を長時間歩くのは簡単ではなかったですが、それだけの長時間を歩いてまでも、野生のゴリラを至近距離で見学する価値はあると思います。
もうこのトレッキングでヘトヘトだったのですが、国立公園の周辺には、世界一背が小さいと言われるバトゥワ族(←現地語の言い方で、一般的な俗語ではピグミーと呼ばれる)のコミュニティが存在しており、このコミュニティの生活を見学できるプログラムがあるので、せっかくなのでそれに短時間参加することにしました。コンゴ民に住んでいた時にも、このような民族が同国東部に存在しており、残念ながら彼らの背の小さいことや狩猟生活などを理由に、他のコミュニティから疎外されたり馬鹿にされたりすることがあるのは知っていました。ウガンダでは、Bwindi国立公園周辺で元々狩猟生活を続けていたそうですが、国立公園においてのゴリラ見学が観光地化されて、国立公園に生息する動物を保護する観点から、このコミュニティをウガンダ政府が1991年に国立公園から公園外の周辺地域に住むように命令を下したそうで、それ以来、彼らは国立公園のすぐ近くの村に住んでいるそうです。
しかし、元々狩猟生活をしていた彼らはすぐに新しい生活スタイルに慣れるのは難しく、また他のコミュニティからの偏見などもあるために、多くの支援団体が立ち上がり、現在では彼らのコミュニティを支援するための訪問プログラムなどが出来上がっているとのことです。
このコミュニティを訪問するプログラム、現地の物価からするとかなり割高(外国人観光客向け)の値段の一人あたり40ドルでしたが、見応えはそこそこあったと思います。このコミュニティを支援する現地のNGOのスタッフが同行し、コミュニティの長老が長い槍を持ち裸足で迎えてくれて、そして村では彼の家族や他のメンバーが狩猟方法や、生活スタイルなどをデモンストレーションしてくれたり見学できるというプログラムでした。
長老が迎えてくれる |
狩の仕方をデモンストレーションしているところ |
現地の女性たちもダンスや音楽を披露してくれて、そして訪問者も最終的には一緒に踊ろうと招待され、そして最後はみんなで一緒に踊るという感じでした(←超観光者向け)。
女性たちが作った手工芸品を見せてくれたり、これまでに訪れた欧米系観光客がスポンサーとなり、コミュニティの子どもたちが学校へ通えるように支援してくれている様子などを見せてくれましたが、支援するのは悪いことではないけど、一度このようなスポンサー支援が終わったらどうなるんだろうと、持続可能性において疑問を持ってしまうような部分もありました。
コンゴ民東部の同コミュニティと同じように、他のコミュニティから疎外や差別を受けたりすることもあるそうで、多くの人はコミュニティ内で結婚するようなことを話していました。また、ウガンダ政府は国立公園外に彼らを追放することには成功したものの、十分な土地を与えてはおらず、狩猟生活をしていた時には自分達で動物を狩って食していたものの、現在では農業や家畜を育てるなどをして十分な生計を立てられるほどの土地はもらっていないので、長老は元々の狩猟生活の方がいいと言っていました。
ゴリラなどBwindiの森に住む動物を保護するために、狩猟生活をしていたこのコミュニティに強制退去を命じたことによって、彼らの生活がより苦しくなるとは、なんと皮肉なことか。。。彼らと話した感触だと、政府からは十分な補償を受けていないような印象を受けました。
複雑な気持ちになりながらも、せっかく訪れたので女性たちが作った手工芸品の籠を一つ買って、そして無事にホテルに戻りました。
そして翌日はまた10時間ほどかけて、カンパラへ戻ったのでした。
野生のゴリラを間近で見れるのは本当に貴重な体験でしたので、ウガンダに来る機会があり、体力的にも平気な方には是非ゴリラトラッキングをお勧めします!