前回の投稿を見ると去年の10月に愛猫サミラをスーダンからコンゴ民へ連れてきた投稿が最後になって、それ以来ずっと更新していないことに気づきました・・・。
その投稿からすると、その次の投稿がブニアでの任期終了となって、え?!って感じですが、2021年5月31日を持って、UNHCRコンゴ民ブニアフィールド事務所での任務を終えて、6月1日より、隣国のウガンダのUNHCR事務所で働くことになりました。
元々ブニアのポストは、ブニアがあるイツリ州における国内避難民を迅速に支援するために緊急派遣の枠として作られたポストで、当初の契約は1年、そして予算とニーズがあれば2年目まで延長が可能というポストでした。2年目の延長も実は事務所から打診されてOKしたのですが、あまりにもその延長手続きが時間かかり、その間に延長の話が出る前から応募していた他のポスト(今回合格したウガンダのを含む)の選考審査がどんどん進んで、3月末にウガンダのポストの合格発表の通知が来てビックリしたのです(笑)。別の合格したからにはブニアの延長の話は自動的にキャンセルになるので、契約が終わる5月末をもってブニア事務所での任務を終えるということになりました。
この投稿ではブニアでの生活当初は記事を投稿していたのに、その後の生活や仕事に関してはほとんどアップしてなかったので、1年間のブニアでの勤務を通して気づいたことや感じたことをここでまとめたいと思います。
【生活面】
ブニアでは、UNHCRとか国連の寮ではなくて普通に借家に住めたので、事務所から徒歩10分ほどの街の中心地からわりと近い家に住んでた。寝室三つあって各部屋にトイレ・シャワー付きでそこそこ広かったけど、ブニアの街全体で頻繁に停電があることから、停電中によく冷蔵庫の中の食べ物が悪くなって、それを大丈夫だろうと甘くみて食べたらお腹痛くなって1週間以上体調壊したことがあった。電気ない=シャワーの水が温かくならないので、よく水シャワーを浴びることもあった。でも、他同僚2人が同じ建物に住んでて、時々仕事終わった後に家のバルコニーで一緒にお酒飲んだりする事もあって、わりと快適だった。
ブニアは人道支援関係者(国連、NGOなど)から国連平和維持軍(PKO)の人たちがたくさんいる任地だったので、そこそこ外国人も多く、中でも特にネパール軍のPKOの人たちとは仲良くなって、よく彼らのベースにお呼ばれされては、ネパール料理やお酒を振る舞ってもらった。同じアジア人ってこともあって親近感あるし、うちのお手伝いさんが作るコンゴ料理に飽きた時とかは特にネパール料理が美味しく感じた(笑)。本当に頻繁にパーティーとか食事会に呼んでくれて、他の国からの人とも会って交流する機会を提供してくれて、おそらく彼らがブニアにいなかったら、私のブニア生活は到底つまらないまま終わっていたと思う。
ただ、どこの社交場に行っても大体会うメンバーは同じなので、ちょっと飽きるという部分はあるかも。
あとはうちの近くに平和維持軍のためのバーがあって、国連関係者なら誰でも入れて、そこでは定期的にカラオケ・ナイトがあったり、ビリヤードで遊べるところがあったり、アジア風の料理が食べられたりしたので、それは本当に助かった。やっぱりアジア系の食事、食べたくなる。。。
結果、ブニアは思ったよりも生活面では悪くなかったかなと思う。ただ、これが2年間ずっと滞在しないといけないとなると、ちょっとそれは覚悟が必要かなー、、とは思う。そういう意味では、2年目の延長が最終確定する前に、ウガンダのポストに引っこ抜かれてそれはそれでよかったのかなと思う。
【仕事面】
ブニアはコンゴ民東部のイツリ州にあって、同州には2020年後半時点で約170万人の国内避難民がいると言われていた。UNHCRブニアフィールド事務所はこれら国内避難民の保護及び支援をすることが仕事で、その中でも私の業務は准プログラムオフィサーという仕事で、主に支援のために必要な予算の割振、計画、そして実施状況のモニタリングをリードすることだった。小さな事務所でスタッフは合計約13〜14人、うち国際スタッフは約6人〜7人で、コードジボワール、アルジェリア、フランス、カメルーン、チャド、ドイツ/スイス、そして日本(私)だった。
イツリ州を含むコンゴ民東部というのは、長年紛争が続き、現在でも民族間の争いや土地・資源を争った暴力(殺人、レイプ、誘拐など)が頻繁に起きている。なので、出張でフィールドに行くときは常に現地のセキュリティ状況を確認した上で出張に行く。でも出張中に、近くで武装勢力がコンゴ民軍の基地を襲い銃撃戦が起こって、近くの町で治るまでは退避し、結局状況が改善しなかったので、ブニアに引き返して出張をキャンセルせざるを得ないこともあった。
そしてインフラ整備が整っておらず、道はブニア町中でも中心地を走る目抜き通りのみが舗装されていて、その他の道は舗装されていない。なのでもちろんブニア郊外の道は全て舗装されておらず、フィールドに出張に行く時は数時間悪路を走ることになる。特に雨が降った後は泥だらけとなり、タンクローリーや物資を運ぶトラックが道でスリップ、横転し、道を塞いでしまい、その前後に車やトラックが長蛇の行列をなし、私も一度悪路に5時間立ち往生となったことがある(結局その日には目的地はもはや、中間地点にも到達できないことがわかったので、ブニアに引き返すことになった)。
悪路のために横転したガソリン輸送のタンクローリー。 転倒した時にタンクが破損してガソリンが漏れて、周辺住人が漏れたガソリンを汲みにきていた。 私たちが通過した1時間後くらいに爆発したそうで、翌日再び通ったらこんな感じで黒ゴケになってた。。。 |
8人乗りのプロペラ機 |
ブニアから40分程度のところ(約200キロ)にあるMahagiという地域の空港の滑走路。 パイロット曰く、数ヶ月前は草が茫々だったそうで、今はこれでもだいぶ良くなったそう・・。 |
このような状況の中、フィールドで仕事するのは簡単ではなかったけど、スーダンの首都ハルツームで2年間働いた時は9割以上がデスクワークで、もっと現場に近いところで仕事がしたいこともあってブニアのポストに応募したわけで、今回このポストではかなりフィールドに行く機会があったのはこの仕事での醍醐味の一つだった。プログラムの仕事だけでなく、現金支給支援のフォーカルポイントなども任されたり、小さい事務所だったために他の部署の人ともかなり密で仕事を共にできたことも自分にとってはいい勉強になった。
現金支給の様子 |
支援している国内避難民 (IDP)居住地の一つ |
写真から分かる通り、IDPの住んでいる環境はとても厳しい。UNHCRの予算も限られているために、必要とされる支援を全て届けられるわけでもない。 |
今回受かったウガンダのポストは、自分がここ3年間UNHCRでやってきたプログラムマネージメントではなくてフィールドというポストになる。プログラムと被る部分もあるけど、フィールドはより現場に出て、支援がきちんと届いているか確認したり、受益者のニーズを把握してそれを支援に反映させることが職務となり、これまでやってきたプログラム業務に含まれる予算管理などからは少し離れる。元々JPOに応募した時から私がやりたかったのは実はプログラムではなくてフィールドや難民保護の仕事だったので、今回フィールドのポストが得られたのは本当にラッキーだった。合格したポストの事務所は、コンゴ民東部からウガンダへ逃れた難民・庇護申請者への支援をしているところなので、おそらく私のコンゴ民での経験が優位に働いだのではないかと思う。このブログのタイトルにもある通り、これが点と点を繋ぐということなのかな。
コンゴ民の自然は本当に豊か |
ブニア〜アルは飛行機だったので、実際は17時間53分もかかってないけど、ルートは上記の通り。ちなみに地図上ではブニアからKyaka(ウガンダの任地)へアルバート湖南部から陸路で移動した方が早いように見えるが、そのあたりは武装勢力が活発に活動するする地域なので、陸路移動は難しい。 |
【まとめ】
こんな感じで、あっという間に過ぎたブニアでの1年間の任務でしたが、本当に色々と勉強となったし、なかなか他では(色んな意味でも)経験できないような経験をさせてもらいました。ブニアでやっていけたらほぼどこでもやっていけるような気がします(笑)。任期中はさっさとブニアを去りたい!と思う時期もたまーにありましたが、今振り返るとブニアでの経験は本当に貴重です。最初は相当ビビってたけど、このポストにつき、任務を全うした甲斐がありました。
次のウガンダのポストに関しては、また今後の投稿でもっと詳しく書いていきたいと思います!