2019/07/05

エチオピアへの国外退避🇪🇹 / Evacuation to Ethiopia

前回4月にブログを更新した時は、ちょうどスーダンの元大統領のオマール・バシールが退陣した頃でしたが、その後も国内では軍の暫定政府に反対し、民主主義に基づいた文民による国の統治を求めてデモが続いていました。4月下旬頃には、市民が首都ハルツームにある軍本部の前で座り込みを始め、ラマダン(断食の月)だというのにも関わらず、炎天下の中座り込みを続ける人は多数に増え、座り込みの人たちに水や薬までを手渡すボランティア、お茶屋さんを開く女性たち、グラフィティを壁に描くアーティストたちや音楽隊の演奏などで、まるでお祭りのような雰囲気に変わっていました。しかし、ラマダンが終わる1日前である6月3日の早朝、座り込みをする人たちを強制排除するために、政府の軍が座り込みをする人たちに発砲し多数が亡くなったり、負傷しました

その日は早朝から事務所から全スタッフにメールが来ており、「軍による発砲があったためにスタッフは外出を控え、自宅で勤務するように」という指示がありました。昼間には、家のベランダから、遠くから真っ黒な黒煙が見えたり(軍の暫定政府に反対するためにタイヤを燃やしている)して、物騒な雰囲気になってきました。その日の夜から実は私はウガンダに休暇に行く予定でしたが、昼になる頃にはスーダンの空港や港が閉鎖されたなどの情報が入ってきていました。午後3時くらいからは、政府によってインターネットが遮断され、何も情報が入ってこなくなりました。同日、スーダンにおける国連機関内の緊急会議が開かれ、オペレーションを継続するために最低限必要なスタッフ以外を除いて、インターナショナルスタッフを全て国外退避させる決定が下されました。しかし、ネットが遮断されたために、事務所から全スタッフに送られていた退避決定のメールを私は読むことができず、国外退避を知らされたのは翌日4日でした。

3日の晩、自分が搭乗予定だったフライトが飛んでいるかもわからず、ダメもと空港へ向かってみたのですが、やっぱりフライトは欠航。空港会社に、「あなたの便は24時間後の便に延期となった」と言われたので、仕方なく自宅へ真夜中戻ってきました(実はこの日は皆、軍による更なる襲撃を恐れたり、道が封鎖されていたこともあって、道にもほとんど人も車もおらず、空港へ行くのも自宅へ帰るのも大変だった)。

4日の日中にやっと事務所の総務スタッフから連絡があり、国外退避の対象になるために、退避のための荷物を準備するようにと告げられました。私はその日の晩に延期になった前日のフライトに乗って出国し、元々休暇を取る予定だったウガンダで数日過ごし、その後退避先であるエチオピアの首都アディスアベバに合流すると伝えました。シリアなどから国外退避を数回経験したことがあるとある同僚は、「私は過去にシリアから退避した時に、一時的退避だと思って荷物を持って出国したけど、後になって戻れなくなったから、退避の荷物以外に置いていく荷物も出来るだけ箱やスーツケースにまとめて一つの場所に置いておくことをおすすめする」と言われ、急遽ウガンダに休暇で持っていく以外の、アパートにあるほぼ全部の荷物もまとめることに。急に、もしかするとスーダンにもうすぐには戻ってこれないのかもしれないと思うと、自分の住み慣れたアパートの荷物をまとめるのはとても切ない気持ちになりました。

ちなみにこの日は日中には私の自宅のすぐ近くでも銃を発砲する音が聞こえ、生まれて初めて銃声を聞いて床に伏せました。

結局、その日4日の晩のフライトも欠航になったことが判明し、翌日5日の午後の便に振り替えることになりました。何人ものタクシー運転手に電話し、やっとこさ空港に連れて行ってくれるタクシー運転手を見つけ、無事に5日の午後にウガンダへ出国することができました。ウガンダに着いたのは日を超えて6日の深夜。ウガンダに住む友人が手配してくれたタクシー運転手が空港まで迎えに来てくれており、無事に運転手と合流し、友人の家まで向かう深夜の道で、まだ若干興奮気味に運転手にスーダンの状況ややっとのこさ出国してきたことを伝えたのを今でもよく覚えています。そして深夜3時近くにやっと首都カンパラにある友人宅へ到着。その時にどれだけホッとしたことか。。。。(遅くまで仮眠しながら私の到着を待っていてくれたK夫妻には本当に感謝です)。

本当は友人たちとウガンダでラフティングに行くことを予定していたのですが、上記の通り、元々乗る予定だったフライトは欠航になったので、もちろんラフティングは行けず(涙)、その代わり1日だけ休暇を延長し、首都カンパラで4日間過ごしました。滞在期間は短かったけど、ウガンダ人の友人や、カンパラで働く日本人友人などと会うことができました。でも頭の中は、置いてきた家の愛猫のことや、休暇の後に退避中の同僚と合流する予定のエチオピアへ行くための手続きなどで頭がいっぱいで、正直100%楽しむことができませんでした。でも、そんな中美味しい手料理を作ってくれたり、カンパラの素敵なお店などを案内してくれたK夫妻、そして1日中カンパラ散策に付き合ってくれたウガンダ人の友人のおかげで、充実した滞在を過ごすことができました。



カンパラ・セントラル・モスクのタワーから見た眺め

幾何学模様がとても綺麗












































そして、カンパラでの滞在もあっという間に過ぎ、退避した同僚がいるエチオピアの首都アディスアベバへ。同僚が滞在するホテルに到着した頃は、数日前に既にチャーター便でスーダンからアディスへ退避した同僚は既に殆どが自国へ一時帰国しており、残っていたのは4人くらいしかいませんでした(スーダンから指定先のアディスまでは退避手続きの対象となるが、その後退避が解除になるまでの期間は、自国へ戻って遠隔で仕事をするか、アディスに残るか選ぶことができる)。

私は当初は国外退避は2週間の予定だと事務所から聞いていたので、日本に帰るには期間が短すぎるし、どうせ近いうちにエチオピアに旅行に来たいと思っていたので、退避中にエチオピアから遠隔で勤務するのは悪くないと思い、エチオピアに残ることに決めました。

アディスにあるUNHCR事務所に翌日から他の同僚3人と出勤し、幸い空いているパソコンと机を借りることができたので、スーダンから持ってきた仕事はそこから遠隔で行なっていました。エチオピア国内だけでもかなり見所があることがわかり、週末にはラリベラという岩に掘った教会がある地域まで旅行することができました。本当はもっと国内旅行したいくらいだったけど、標高が2400mほどあるので体が標高に慣れるまで時間がかかったり、一緒に旅行した同僚3人が旅行先のラリベラで食中毒になり、アディスに戻ってからダウンしたりと(私のみ無事だった、苦笑)、思ったよりも国内旅行はできなかったけど、アディス市内の観光したりと、わりとアディス滞在も楽しむことができました。
キリストの教えを宣教する神父と、それを繰り返し唱える若者の信者たち

この日は日曜日(キリスト教の聖なる日)だったために、白い衣を羽織った人たちがたくさんお祈りに来ていた。






教会の周りにある岩穴の中には、神父たちが住んでいたとか。
一部の穴には実際にミイラ化した神父の姿があった。


コーヒーで有名なエチオピア。コーヒーを右のポットで沸かし、中央の小さなカップに入れて振る舞う。
ちなみに、左側にある籠がモロッコにある籠ととっても似ていて、
国は離れているのに同じような手工芸品があるのは興味深い。













エチオピアで見つけた籠。
モロッコでもスーダンでも似たような籠が売っている。

モロッコでも似たようなショールがたくさん売っている。
モロッコではサブラというサボテンの繊維からなる光沢のある糸を
使っているけど、エチオピアのは何でできているのだろう。。


ディナーショーで見たエチオピアの各地の民族ダンス。
いろんな衣装やダンスがあって、面白い。




しかし、私たちが滞在中になんと全国規模の高校試験でのカンニングを防止するために、政府がネットを遮断したり、アディスとアムハラ地域におけるクーデター未遂が起こって要人が殺害されたために再びネットが遮断されたりと、スーダンからやっとの思いで脱出したうちらにも関わらず、エチオピアでも不自由な生活を過ごす羽目になりました(苦笑)。おまけに、クーデター未遂が起こった翌日は、スーダン事務所から安否確認の連絡があり、「状況によってはケニアのナイロビへの退避も検討しろ」という提案まであり、もう勘弁してくれよという感じでした(最終的には情勢悪化はなかったためにナイロビへの退避の案は却下になりましたが)。

そして元々2週間のみと言われていた退避期間は1ヶ月に延長となり、合計1ヶ月間アディスに滞在することになりました。その間、偶然にも日本UNHCR協会のエチオピア出張が私の滞在と重なり、それに同行することとなっていたUNHCR駐日事務所で働く私の大学院時代の先輩となんとアディスで再会!世界は狭いものです(笑)。幸い、UNHCR協会の御一行さんがアディス市内での難民を支援する団体を視察する際に私も一部同行させていただくことができ、南スーダンやソマリア、エリトリアから逃れてきた難民の証言を一緒に聞かせて頂くことができました。普段の仕事であまり直接難民と接する機会がないので、このような機会を得られたのは不幸中の幸いでした。

そして無事に7月5日はスーダンに戻れることが決まり、自分の住む首都ハルツームに到着した時はすごく嬉しい気持ちになりました(普段はスーダンに戻ってくる時は休暇のあととかであまり嬉しい気分じゃないけど、今回は本当に故郷に戻ってきたかのようで嬉しかった!)家に置いてきた愛猫のサミラにもやっと会えてほっとしました。



今後は情勢が落ち着いて、国民が願う民主的政治や経済成長が果たせることを祈っています。