2017年も明けて一ヶ月が経ってしまいましたが、明けましておめでとうございます。
年末年始は、モロッコではなくてセネガルで過ごしてきました。
私の周りの友人や同僚は、年末年始はそれぞれの実家で過ごしたり、モロッコから旅行でヨーロッパなどに行くなど、基本寒いところへ向かっている人が多い印象でしたが、私はその逆で、モロッコよりもあったかい南へ行くことにしました、笑。
前回の投稿にも書いた通り、セネガルには実は現在何人か駐在している知り合いがいたり、それからもう少しモロッコよりもアフリカらしい国を見たいってこともあって、今回、モロッコからわりと近場に行ってみることに。
|
地図では7時間となっているが、実際は直行便で3時間程度だった。
そしてラバト〜ダカール直行便はないので、
ラバトから1時間くらい離れたカサブランカから、
ダカールへ向かった。 |
|
ちなみに、カサブランカを出発して30分後くらいに上空を通過した、
モロッコのアトラス山脈が最高に綺麗だった |
なんと飛行機の中では、座席の一部不具合の関係から、いきなりビジネスクラスにアップグレードされてラッキー🎶 幸先いいスタート。
ラバトでは服の下にヒートテック着ていたけど、ダカールに着く前に全部ヒートテック脱ぐくらいに暑くって、ダカール着いたら案の定、気温は25度くらいと、モロッコよりもかなり暑かった。
今回行ったのは、首都ダカール、ゴレ島、ラックローズ、サンルイ、トゥーバ、カオラック、フィメラというところ。
|
赤いところが首都ダカール。国の全土が見えるようにあえてズームアウトして表示しているけど、
実際にダカール〜サンルイ間だけでも5〜6時間くらいはかかった |
|
ダカールの朝焼け |
|
ゴレ島の博物館。ここが奴隷貿易の起点となり、
多数の人々が見知らぬ土地へ連れて行かれた。 |
|
ここから、奴隷たちが船に乗せされて行ったという。
(現在はすぐ下がふさがれているが、
当時は下のコンクリートはなかったらしい。) |
|
解放された奴隷を表した碑 |
ゴレ島は以前から行ってみたいと思っていたところの一つ。奴隷貿易の歴史や当時の状況を説明した博物館では、係員の人がフランス語で簡単に説明してくれたが、あまりにもアクセントが強くって、ほとんどわからずにショック・・・。でも、偶然英語で観光客に説明してくれていたガイドの話を小耳にはさむと、「ここでは男性と女性、男児と女児が部屋ごとに分けられ、この部屋では女児の部屋だった。唯一女児の部屋にはトイレがあったが、その他の部屋にはなかった」、「奴隷たちはこの小さな部屋に詰められて、ろくな食事やトイレの場所も与えられず、汚物まみれで過ごすことを強いられた」などと説明していて、想像を絶するような生活状況だったことが伺えた。
|
バオバブの苗がたくさん売っていたので、
モロッコで育てようと思って、種だけ買ってみた。 |
|
育ったらこんなに立派なバオバブになるのかなあ・・。 |
お次はラックローズ。ラックローズはフランス語で「ピンクの湖」という意味を持つ通り、この湖は11月〜2月くらいの乾期には、この湖にある藻の影響で、水面がピンクになるという。
|
ラックローズの湖面にて。セネガルの旗が翻る。 |
|
午前中、この時間帯はまだそこまでピンクではなかった。 |
|
でも正午近くになったら、だんだん湖面が赤っぽくなってきた |
|
この湖では塩分が高くて、塩の産業も盛ん。
おじさんが顔まで塩まみれで、
必死に湖の底から塩を採取していた。 |
|
ラックローズを四駆で一周することにした。
そうしたら、ラックローズ自体よりも、その周りの村とか、
海(大西洋)が見えることに興奮!笑 |
|
こういう風景を見ると、
自分が2年間過ごしたモロッコの砂漠地方を思い出す。 |
そして、フランス植民地時代のコロニアル様式が残る、セネガルの北の都市、サンルイ。確かにコロニアル様式の建物が残り、コンパクトにまとまった街だけど、私が印象に残ったのは、この街の西側にある海岸で見た夕日の美しさと、その海岸で繰り広げられる、現地の人々の日常生活だった。
|
2017年の最初の夕陽 |
|
子ども、船、魚、大人、家畜、ゴミ、など、いろんなことが混沌としている海岸だったけど、
そんな生活の一部が見れて、そして素晴らしい夕陽が見れてよかった。 |
※ちなみに、この海岸は、サンルイでも比較的貧しいと思われるエリアにあるため、治安の関係上、女性が一人で行くことはお勧めできません。私はセネガル駐在の友人と一緒に行きましたが、カメラ以外の貴重品は全部ホテルに置いて行きました。
あと、サンルイの北部にある野鳥で知られる国立公園にも行ってみた。ここでは、大量のペリカンや鷺などの野鳥を見ることができる。
|
ペリカンがたっくさん。でもボートで湿地帯を2時間ほど一周すると、最初は物めずらしいものの、
そのうち途中で結構飽きてくる人、疲れてくる人多し。笑 |
|
セネガルの料理、チェブジェン。
ご飯と魚と野菜が入ってて、結構美味しい。
上の絵は、現地の隊員が活動の一環で作ったもので、
地元のレストランに置いてあった。 |
さて、これまでは一緒にダカールから一緒に同行してくれた友人も、仕事があるためにダカールへ帰り、私一人でセネガル内の旅行を続けることになる。流石に知らないアフリカの土地で、女性一人でバックパックを持って旅行するのはちょっと勇気がいるが、隊員時代に身についた、言葉が通じなくてもなんとかコミュニケーション取れる、そしてなんとかなると言う、よくわからない度胸と楽観的な気持ちで、一人でなんとか現地の人が使う交通手段を使って、次の目的地であるトゥーバに向かった。
トゥーバは、セネガルのイスラム教の巡礼の地であり、大きなモスクがある。モロッコも同じくイスラム教の国だけど、モスクは国によって建築様式が違ったりするために、セネガルのモスクはどんな様式なのか見てみたかった。
トゥーバのモスクの入り口では、案内人みたいな人がモスクの中と、古いコーランがたくさん所蔵されている図書館を案内してくれた。(終わった後には大分割高だったけど、チップを払った。)
|
改修中だったのが残念・・・ |
|
モスクの中には、モロッコ様式やトルコ様式など異なる様式の装飾があった |
ちなみに、トゥーバは聖地であるためにホテルやバーなどが一切ない。だから、郊外のホテル(と言っても、観光客が泊まれるようなところはほとんどネットに書いてなかった)に泊まる、あるいは日帰りで訪問するくらいしか選択肢がない。
トゥーバの後は、モロッコで隊員だった時に知り合って、その後2016年1~2月に受けた外務省委託の平和構築人材育成事業の運営スタッフをしていた友人が、現在セネガルで協力隊員として活動しているので、彼女の住むカオラックに行ってみた。
カオラックで無事に友人に合流できるまでちょっと手こずったけど、無事に友人にも会えて、一安心。彼女の活動先の様子を見せてもらったり、カオラックの街を一緒に見学させてもらったり、彼女の同僚と一緒に食事したりして、やっぱり隊員ならではの現地に馴染んだ生活を垣間見ることができたのは貴重だった。
|
日本のODA事業の支援を受けてできたカオラックの魚市場 |
|
人と魚がたっくさん |
|
協力隊員として活動する友人の活動先で見かけた
木工職人 |
|
モロッコのイスラム教とはまたちょっと違う雰囲気 |
|
カオラックはこのようなカラフルな布で有名らしい |
そして、次はカオラックからフィメラという、セネガルにおけるちょっとしたリゾート地へ足を伸ばしてみた。カオラックで活動する友人が、フィメラで活動している別の隊員に連絡してくれて、初対面の方だったけど快く一緒に食事をしてくださった。偶然にも、日本からの別の旅行者もいらしてて、3人ともほぼ初めましてだったけど、そんなことが感じないくらいにフレンドリーで、その翌日も一緒に3人で食事しちゃうくらいに接しやすい人たちだった。
フィメラはマングローブのある湿地帯として知られているところなので、とりあえずマングローブの湿地帯を一周するボートのツアーに一人で貸し切って乗ってみた(一人旅はこういう時に割高だし寂しい)。確かにマングローブはたくさんあったけど、マングローブよりも途中で上陸した小さな島にあった村の方が個人的には面白かった。
|
立派なバオバブの木。次はマダガスカルのバオバブ見たい。 |
この小さな島では、イスラム教徒もキリスト教徒も、その土着の宗教を信じる人たちも、皆が共存して住んでいた。特に宗教的な対立はないという(宗教の違いを理由に紛争や差別をしている人たちには見習って欲しいばかりである)。
そして、フィメラからダカールに戻ってきて、ダカールを最後に改めて見学。市場やアフリカ・ルネッサンスの像などを見学したり、平和構築人材育成事業(HPC)の同期で、セネガルの国連機関に国連ボランティア(UNV)として派遣されている同期の子との久しぶりの再会をしたりして、最後まで本当に充実した滞在を満喫することができた。
|
アフリカ・ルネッサンスの像。抱えられている子どもが差しているのは、
ニューヨークの自由の女神。女性が差しているのは、奴隷貿易やアパルトヘイトなど、
黒人への差別があった暗い過去を差しているという。 |
|
像の中に入って、男性の像の帽子からダカール市内(と女性の像の顔)を見渡せる。
こうやってみると、首だけどーんとあるように見えるけど、その下にはちゃんと胴体もある。 |
|
アフリカ最西端から東京は遠かった |
|
アフリカ最西端から眺めた夕陽 |
ということで、かなり充実した一週間をセネガルで過ごすことができました!
ダカールを飛行機で出発したのが1月7日早朝2時、そしてなんと6時間後の朝8時にはモロッコの自宅に到着するという、この近さ!是非また行きたい国となりました。