2024/02/06

トルコ南東部に異動しました!/ Reassignment to the South East Türkiye

2023年の11月に投稿したブログの記事(ジブチとエチオピア旅行)で、その時の旅は「アフリカ卒業旅行」と書きましたが、その理由を述べると、この度2023年12月からトルコ南東部にあるシャンルウルファという都市にあるUNHCR事務所に、フィールドオフィサーおよび事務所長として着任したからです。

着任当初は、新しい事務所のチームやオペレーション内容に関して学んだり、家探しなどでかなりバタバタして、あっという間に2が月が過ぎてしまいましたが、2月に入って少し落ち着いてきたところなので、やっとこうしてブログの記事をアップする時間や余裕が取れました。

任地のシャンルウルファはトルコ南東部に位置し、シリアと国境を接する県にあります。今は新規のシリア難民がトルコへ入国する数は少なくなっていますが、シリア難民危機が始まった頃以降、数百万人の難民がトルコに入国し、今でもシャンルウルファ県のみでも300万人以上のシリア難民が暮らしている県です。私の事務所は、シャンルウルファ県とその他周辺の2県(アディヤマン県とマルディン県)を管轄し、管轄下には合計約400万人のシリア難民が暮らしています。

なお今日2月6日は、去年2023年にトルコとシリアを襲った地震が起こった日です。私が管轄する県の一つのアディヤマン県も、甚大な被害を受けた県の一つで、今でも倒壊した建物の瓦礫や、コンテナーの仮設住宅がたくさん並んでいます。

赤字に囲ったのが、 Sanliurfa(シャンルウルファ)











シャンルウルファは主要都市のイスタンブールからは国内線で約2時間、首都のアンカラからは約1時間半ほどで着く距離で、国内線の本数も1日に2、3本あるので、国内移動もわりとしやすいところです。なおトルコ人からしたら、シャンルウルファは田舎で保守的なところという印象が強く、なぜそんなところに日本人がいるのかと不思議に思うようなところらしいのですが、アフリカで10年生活をして、直近の勤務地はウガンダのど田舎にある難民居住地だった私からすると、シャンルウルファは大都市で、街並みも綺麗だし、一部は高層ビルが並んだりと、アフリカの任地と比べると生活水準はかなりのアップグレードに感じています(笑)。

ここ2ヶ月ほどでシャンルウルファ市内および郊外を少し廻ってみたのですが、郊外には世界遺産の遺跡のギョべクリテぺがあったり、旧市街には中世のような街並みやお城、バザールが広がったりと、歴史的建造物が好きな私にはたまらない任地です。

聖なる魚の池(夜も公園がオープンしていて、ライトアップされた姿は日中とはまた違う雰囲気を醸し出している)

シャンルウルファの郊外、車で約45分ほどシリア国境方面に行ったところにあるハランの伝統的な住宅

世界遺産の遺跡、ギョべクリテぺ

シャンルウルファ城を登ったところから見渡したシャンルウルファの景色








































トルコは食事が美味しいことで割と世界的にも知られていると思いますが、その中でも特に南東部にあるあるガジアンテップやシャンルウルファは美味しいとされているようです。実際に、どこのレストランで食べても美味しいと感じるし、割と安いので、任期中に太らないようにするのが大変そうです。

偶然クリスマスの日に注文した食事がクリスマスカラーだった

朝食のみを出す「朝食レストラン」がトルコにはあるのにびっくり。
どこの朝食メニューも、このように中皿にいろんな食材が乗っている。
どこで食べた朝食もかなり美味しくで感激!


2023年を振り返ると、激動とまでは言えないかもしれないけど、ケニアに緊急支援のために3ヶ月ミッションに行ったり、7月には過去4年飼っていた愛猫を失う、そして8月には今回着任したポストの合格通知が来て、12月にはトルコに異動と、結構色んなことがあった一年でした。2024年はトルコ南東部という新天地で、より充実した生活を送っていきたいと思います。

トルコは見どころが多いので、このブログもここ数年よりは頻繁に更新していきたいなと思います!

2023/11/30

ダナキル(エチオピア)に行ってきました!/My trip to Danakil (Ethiopia)

前回ジブチに関する旅録をかなり詳細に渡ってブログに投稿しましたが、実はジブチに渡航する前に、ジブチに行く際の経由地であるエチオピアにも4日ほど立ち寄っていました。実は2019年に当時私が勤務していたスーダンで情勢が悪化して緊急退避が必要となり、その際にエチオピアに1ヶ月滞在していたことがあります。滞在していた1ヶ月の間、基本は首都のアディスアベバに滞在して仕事をリモートでしていましたが、週末を利用して世界遺産の岩窟教会があるラリベラを旅行したこともありました。当時、退避中だったこともあり、あまり大々的に国内旅行はできなかったのですが、いつかエチオピア東部にあるダナキル盆地という、火山活動からなる硫黄やその他成分の影響で真っ黄色や緑の大地が広がり地熱が出ているところに行ってみたいと思っていました(結局、退避中には日程的にも無理で行けませんでした)。

エチオピアやダナキルに関しては、ジブチと比べるとまだもう少し情報があるし、旅行に来る方も多いと思うので(もちろん、ヨーロッパとかに比べるともっと少ないだろうけど)、ジブチの旅録ほどは今回ここに詳しく書きません。とにかく景色がすごく綺麗だったので写真中心にダナキル編旅録をここに記録しますが、結構体力的にもタフな旅だったので(笑)、心の準備がある程度ある方でないと(特にこれまでにアフリカ経験なく日本から直接来る方にとっては)体力的にも辛い旅になる可能性もあるかもしれません。そのためにも旅路や泊まったところに関して、今後ダナキルツアーに興味ある方に参考になるように記録を残したいと思います。

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エチオピアは観光ビザがオンライン(E-VISA)あるいはアライバルで取得可能(2023年11月時点)。空港で並んだりするのが嫌だったので、オンラインで申請(ちなみに、偽のウェブサイトがいくつかある。正規のエチオピア政府のVISA申請のウェブサイトであることを確認しましょう)。基本手続きに関しては他の国のE-VISA申請と変わり無いので、ここでは端折ります。

今回私はダナキルに行くためだけにエチオピアに立ち寄っているので、滞在期間は移動日を含めて5日間(うち丸3日間が観光のための日程)。ダナキル以外にも見どころがエチオピアはたくさんあるので、他のところも観光することを検討している方はもちろんもっと日程が必要。ただ、現在情勢が不安定な地域もあるので、その都度現地の情勢や治安は外務省の渡航情報などを確認する必要がある。

エチオピア在住の友人が現地で信頼できるツアー会社と連絡してツアー詳細や安全性などを確認してくれて、支払いは現地通貨ですることとなった(私はPayPalでドルで支払おうとしたがうまくいかなくて、結局現地駐在中の友人にドルで銀行口座に振り込み、現地通貨でツアー会社に支払うという手続きとなった)。ちなみに、一緒の日程でツアーに参加したオランダ人旅行客は、ツアーが終了してからガイドさん経由でドル払いをしていたので、事前に国外から払うのが難しい場合は、現地でも柔軟に対応してくれるという印象を受けた。

ツアー出発地は、エチオピア東部のSemeraという地方都市。そこまで行くための移動(エチオピア航空の国内線)の手配は各自が行い、私は同社のShebaMiles(マイル)が十分に溜まっていたために、その一部のマイルを使って航空券を手配(なので、空港税などを除けばタダだった)。ツアー開始日の早朝の便に間に合うように、前日夜にウガンダからアディスに到着した私は空港のすぐ近くのホテルに泊まり、翌朝空港にまたすぐに出れるように、ホテルの無料シャトルバスを手配していた。指定されたシャトル出発時間に間に合うように、朝ごはんをめっちゃ急いで食べたにも関わらず、他の客も一緒にシャトルを利用するということで、彼らが来るのを待って約30分・・・。飛行機の時間が迫ってるんですけど・・・、とホテルの人に催促し、やっとシャトルが空港に向けて出発して、大急ぎでチェックインデスクに駆け込む。

朝早い便なのに結構国内線のチェックインデスク(全てのエチオピア航空の国内線のチェックインを対応している模様)が混んでいて、「私の便はもうすぐ出発するから!」と言って列に並ぶ人を飛ばして駆け込むエチオピア人・・・。周りの人も急ぐ他の便の客に同情してか、時間が迫っている旅行客を優先していた。「私の飛行機も時間が迫っているんですけど・・・・!」と思いながらも、辺りを見回してもエチオピア人ばっかりで、空港のスタッフに「私の飛行機の時間ももうすぐなんですけど」と言ったら、ここで並びなさい、的な感じのことを言われ、列も意外と早く動いていたので、ヒヤヒヤしながらも列に並び続け、なんとか無事にチェックイン終了!

Semera行きの飛行機は、見渡す限り大多数がエチオピア人だったが、15人ほどはおそらく外国人観光客。移動時間は1時間ちょい。アディスを出発すると、大都市を超えて、緑の大自然が広がるが、30分ほどするとそれが徐々に乾燥した茶色の大地に変わっていく。Semeraに着く20分ほど前から上空から見ても明らかにわかるような荒野が広がる。着陸直前には、地上に現地の遊牧民が作ったと見られる簡易的なドーム型の鎌倉のような形をした住居がいくつかみえ、今年3月から6月までに出張先で行った、ケニア北西部のTurkana地方の人たちの住居とそっくりだと思った。飛行機を降りると、どうやら同じ飛行機にVIPが乗っていたのか、滑走路から飛行場の建物に入るところに現地の民族衣装をまとった男性と女性が数名左右両側に並び、ダンスと歌を披露していた。もちろん私たちのために披露しているわけではないのはわかっているが、ラッキーと思いながら写真やビデオを撮って、パフォーマンスを思い出に残す。



チェックイン荷物を受け取って空港から出ると、ツアー会社の運転手兼ガイドさんが待っていて、外国人旅行客が次々に駐車場に並んでいた四駆車に分かれて乗っていく。私たちの車を担当する運転手・ガイドさんと、同じツアーに参加するもう一人の単身観光客(オランダ人女性、おそらく50代くらいで、旦那さんが来るはずだったが仕事の都合で来れなくて一人で来たという地質学者)と合流し、いざ出発!

ツアーの日程としては、1日目は陸路でひたすら北上し、エリトリア国境付近にあるエチオピア北東部にあるダナキルに向かう。道はきちんと舗装されていて、ウガンダのボコボコで穴だらけの道よりもかなり快適。渓谷などを通って綺麗な景色を眺めながら、途中塩湖が見えたのでそこで写真ストップをし、小さな町(名前忘れた・・・)でランチ休憩。その後、渓谷の景色が徐々に噴火したマグマが固まったような黒い表面の地形に変わっていき、この地域で過去に火山が噴火したことが明らかにわかるような景色が広がる。あまりにもすごいので一旦車を止めて写真ストップ。
















そして、夕方日没の1時間ほど前に、地図上ではカルム湖(地元名はアッサル湖らしいがジブチのアッサル湖とはまた違う)と呼ばれる塩湖があるところに到着。まるでボリビアのウユニ塩湖みたいに辺りは真っ白で、一部水が塩湖の表面に溜まっている。運転手兼ガイドさんが、車の上に乗っていいよというので、私たちは自分たちが乗ってきた四駆の天井部分に登って、より高いところから数センチの水がはった塩湖をゆっくりと走る!本当に辺りの景色は素晴らしくって、感動!夕日が落ちるまでは写真撮影とのことだったので、かなりインスタ映えしそうな風景を目の前に、色んな写真を撮る。ガイドさんが気を利かせてなんとエチオピアのビールを差し出してくれて、最高の景色の中ビールを飲みながら、夕日が塩湖の遠くに見える山の頂に落ちるまで待つ・・・。あまりの景色の綺麗さと、やっとここまで来れたことに大満足で、思わず「生きてて良かった~~・・・。」と一言が自然に出るほど(笑)・・・。


















夕日が沈むと、近くにある岩山が少し並ぶところにある塩湖の下に流れる地下水で泳げるところがあり、そこに連れて行ってもらったけど、もう陽が暮れてきていたので、足湯のように足だけつけて少しゆっくり。その日泊まるところに行く途中に、塩湖で塩を採掘する労働者たちのところに立ち寄って、彼らの作業を少しだけ見学。ボリビアのポトシの鉱山で、コカ(コカインの元)の葉っぱをほっぺたいっぱいに入れて噛んで、疲労や食欲を感じにくくなるった状態で8時間以上鉱石を採掘する労働者と同じように、地球の反対側のエチオピアの塩湖でも、同じようにKhatと呼ばれる麻薬のような効果がある葉っぱを噛みながら塩採掘の労働者が塩湖の塩を削っている。日中は暑すぎるために、作業は夕暮れから始まり、日の出と共に終了するようだった。いずれにしても、かなり過酷な作業であるのは間違いなく、おまけに貰える給料も金額は覚えていないが、かなり少額なようだ。

塩の労働者を見学した後にやっと塩湖の近くにある村に辿り着く。今日泊まるのはここだという。とは言っても、別にホテルがあるわけでもなく、地元遊牧民であるアファール族のかなり簡易的な住まいがある程度。どうやら寝るのは外に並べられた木製のベッド(プラス車に積んでいた厚さが10cmほどのマットレス)のようだ。トイレもなくて、大自然の中用を足す感じだ。モロッコの砂漠ツアーに行った時には、一応砂漠のど真ん中にあるが現地式のテントが用意されていて、風や砂を凌げたのだが、今回本当に外で寝るのは初めてかも・・・。まあ暑いところだし、別に外でも寒くはないだろうと思って半袖で寝ようとしたものの、その日は風がかなり強く吹いていて、半袖では寒くなってきた・・・。途中、上着やショールを巻いたのだけど、それでも若干肌寒い・・・。木製のオンボロのベッドから空を見上げるとかなり星や天の川も見えて素敵だったのだけど、風と、実は長時間の移動のためにトイレを我慢していたせいで膀胱炎っぽくなり、全然眠れない羽目に・・・。結局、その日の晩はほとんど眠れずに朝を迎えたのだった・・・。
我々の寝床。せめてテントのような風よけがあるところかと思ったけど、まさかの野宿だった(笑)




















朝は日の出の後に朝食を済ませて、いよいよダナキルツアーの一番の見どころと言ってもいいほどの、Dallolと呼ばれる黄色や緑の地形が広がる大地が広がるところに向けて出発。途中、塩湖の広がる広大な景色を眺めながら、車で30分ほど移動すると、Dallolに到着。塩湖の延長線上に位置して、少し丘のように盛り上がったところにあり、車を止めて、ごつごつと火山岩がある丘を登ると、少しずつ岩肌が硫黄などの成分の影響を受けて、黄色や緑色になっているのが見える。辺りは地下からの地熱と強い太陽の日差しを受けて、上からと下からでダブルで暑い。 世界で一番暑い場所と言われるこの場所。一応12月頃がこの辺りは気温が年内では一番低く訪れやすい時期と言われているのだが、それでもかなり暑い・・・。どんどん岩肌の色がこの世のものとは思えないほどに色んな色に変わってきて、水が張ったところでは地下から出てくる熱湯をぐつぐつと言いながら吹き出している。規模は全く違うが、少し箱根の大涌谷を思いおこさせるような景色だ。旅行客は少し前のグループと時差があったせいか、私たちのみで、この広いカラフルな景色を独り占め(笑)。もっと観光客が来ていてもおかしくないのだが、近年のティグレイ地域の紛争があったせいか、治安を懸念してあまりまだ観光客が戻ってきていないのだろうか。。。






























写真撮影にたっぷりと時間を使わせてもらって、そしてこの奇妙な地形を後にすると、車に戻って、今度はそこから5キロも離れていないところまで、ゆっくりと車を進めていくと、遠くから見るとギリシャ文明の神殿が並ぶかのような風景が広がる。そこまで辿り着くまでには塩湖の湖面に水が張った場所を進むのだが、その景色がまたとても神秘的・・・。まるで海を車で進んでいるかのように、水面に太陽光がキラキラ光る中、ギリシャ神殿に向かっていくような感じ・・・。あたりには水の侵食でおそらく切り離されたのであろう岩の一角などが並んで、なんとも不思議な光景だ。車を降りて、少しグランドキャニオンやディズニーランドのビッグサンダーマウンテンの風景を思い起こさせるような風景を堪能して、また車で水の張った塩湖を進んでいく。途中、塩湖のボッコボコな道を30分ほど通過し、あまりにも車が上下左右に動くもんで、私が頭を天井にぶつけるほど動いたが、途中でむしろ揺れがシミュレーションのアトラクションみたいで面白くなってきて、笑うしかなかった(笑)。






















この上を車で30分ほど走った


ここの水は含まれる成分のせいか、触ると肌がぬるっとした

















そして塩湖とDallolを後にして、今後は次の見どころの活火山のErta Aleに向かう。途中、ずっと広大なマグマの固まった真っ黒な大地などを横目にして、夕方頃にErta Aleの麓に到着。今夜宿泊する予定のキャンプ場に一旦荷物を下ろして、日没前にErta Ale山のカルデラの淵まで登り、カルデラを上から一望する。2週間前に噴火したばかりらしく、その直後はこのカルデラに赤いマグマが広がっていたという。カルデラの淵から急な斜面を降りてカルデラ内に足を踏み入れると、真っ黒で光沢を持ったマグマの固まった大地が広がる。この頃にはもう陽が落ちる頃で辺りは薄暗くなり、二つの尖った岩からはなんと火を吹き出してこの火山が活動している姿を目の当たりにすることができた。おまけに、私たちが歩いたカルデラの一部はまだ熱く煙が出ているところもあり、もし今噴火したら・・・とか、私たちの足元の地下にはマグマが流れているんだろうか・・とか考えると少しゾッとする。でもこんな風景は日本では滅多に見れない(というかそもそも立ち入り禁止になっているだろう)と思って、この生きた大地の姿を写真とビデオに収める。
カルデラの中から覗いた風景。辺りは2週間前に噴火した時に流れたと思われるマグマが固まったもの






カルデラから出る頃にはもう辺りは真っ暗で、持ってきたヘッドライトで足元を照らしながら、カルデラの淵まで急斜面を登り、キャンプ場へ戻る。ツアー会社の先遣隊が作ってくれていた夜ご飯をいただき、そして寝る準備をして、前夜よりはしっかりとした寝床(このキャンプ上では少なくとも岩で作られたTukulと呼ばれる地元のシェルターがあった)で風を凌ぐことができたので、前夜よりは落ち着いて寝ることができた。
二日目のシェルター。1日目は野晒しだったけど、二日目はまだ風を凌げたのは救い。
















翌朝、朝ごはんをいただいて、2日前にSemera空港から来た道を戻り、途中別の塩湖を見学し、そして夕方のSemera発アディス行きのフライトに間に合うための時間にはSemeraに無事到着。そして無事にアディスへ国内線で戻ったのは日が暮れた後。途中飛行機で夕日が沈む時間帯だったために、夕焼けが空から綺麗に見えたのが印象的だった。こうして無事に三日間のダナキルツアーは終わったのだった。


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以上、ダナキルツアーはこんな感じで結構ハードでした。ハードだけど、景色はもの凄く綺麗で感動的なので、現地の人たちの生活も垣間見ながら、三日間ならばまあ我慢できるかなという人には是非おすすめです。いうまでもなくシャワーもないような場所なので、ツアーから帰ってきたらしっかりとシャワーを浴びてリフレッシュすることをオススメします(笑)。私はこのツアーの翌日にジブチに行きましたが、午後の便を取っておいて正解でした(午前の便ではゆっくりツアーの疲れを取れないだろうと思ったため)。ただ、再度書きますが、エチオピアの国としては地域によって不安定なところもあるので、訪問する際はその都度治安や政治的な状況を事前に確認してから、本当に行くかどうか検討することが大事です。

2023/11/24

ジブチに行ってきました!/My trip to Djibouti

もうすぐアフリカも卒業(詳細は後日書きます)の予定の2023年11月。実は自分の中の目標として、「一年に最低1カ国、自分が行ったことのない国を訪れる」というのがあり、今年ももう終わろうとしている中、今年はどこにも新しい国に行けてないではないかということに気付き、1週間しか休暇を取れないので、どこに行こうと考えた時に、1)自分が行ったことがなく、2)ウガンダからわりと近い、3)治安的にも比較的問題ないところ、と考えると、ジブチが思い浮かんだ。実は、2013年にJICA協力隊でモロッコの案件を第一希望で志願したが、私の第二希望の案件はジブチであったのだ。その時に少しだけジブチってどんな国だろうと調べたくらいで、それ以外はほとんど何も知らないジブチ(最終的に、JICA協力隊で合格したのは第一希望のモロッコの案件だった)・・・。

ジブチは日本から観光に行く人はあまりいないために、情報も少ないために、覚書も兼ねて、今後ジブチに観光しに行くことに興味がある人に向けて、ここに残しておきたいと思います。























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【ビザ】
E-VISAの申請が可能ために、ウェブサイトを利用して申請。ビザの申請に関しては、過去にジブチを旅行したことがある方のウェブサイトを参考にしながら、自分で自分に対する招待状を準備。最終的には、E-VISAページには、ホテルの予約あるいは招待状を提出すればいいとのことだったので、ホテルの予約の記録だけでも十分だったのかもしれない。申請とビザ料金を支払って、二日ほどでビザが降りた。

【入国】
割とスムーズ。私が乗っていたエチオピア航空の便の利用客しかいなかったために、イミグレは割と空いてた。事前に降りていたビザを証明する書類を見せて、パスポートにスタンプを押されて、スムーズに入国完了。荷物のベルトコンベアーのあたりに、ポーターさん(荷物を運ぶ係)が数人いて、チップ稼ぎのために無理やり強引に荷物を持とうとするので頑なに拒否(笑)。

閑散とした空港ロビーを出たらすぐに駐車場があるが、事前に頼んでおいたホテルの出迎えの車が来ていない。幸い空港の建物の外に出てもまだ空港のWifiがつながっていたので、Skypeを利用してホテルに電話。フロントの人が、「今運転手が迎えに行くためにホテルを出た。」と言っている。「いや、既に飛行機の到着時間伝えてあるのに、今出たじゃ遅いでしょ。あとどれくらいかかるんですか?」と聞くと、「渋滞があるから30分くらいです」と言う。「そんなにかかるならばタクシーに乗ったほうがよっぽど早い。旅の疲れがあるから早くチェックインしたいのに」と文句言いながらも、タクシーだと元々ホテルのサービスに含まれている無料の送迎サービスに比べて余計な出費になる上に、どこのアフリカでもあるが空港タクシーは必ずと言っていいほど通常料金を知らない旅行客を利用して料金をふっかけてくるので、結局駐車場で待つことに。ちょうど夕方のアザーン(イスラム教のお祈りに来いよーの呼びかけ)が、あたたかな潮風に乗って心地よく流れるのを聞きながら、またイスラム教の国に来たんだなあと感じる。

結局、20分ほどでホテルの車が到着し、ジブチ市内の中を走って無事にホテル到着。


【ホテル】
ホテルは、Les Acacias Hotelという、海沿いに面した4つ星ホテル。どの国にもセキュリティ上の観点から指定の基準を満たしたホテルが、国連治安局(UNDSS)の推薦ホテルリストとして存在するが、その中にもあったこのホテルは、その立地(紅海の真横)とプールがあるということに惹かれて予約した。アラブ風の建造物がモロッコを思い出させる。合計3日間使ってみたこのホテルの感想は、割と良い。ジブチは全体的に他のアフリカの国よりも物価がかなり高いとこの旅行を通して感じるが、ホテルもこの値段なのにここは壊れてるの?と思うような部分はあったが(例えばバスルームの扉が閉まらない、一人だからまあいいけど)、雰囲気や場所、そしてレストランでの食事は良かった。レストランは室内以外にも、屋外(ホテルの中庭みたいなところ)が海とプールに面していて、そこの雰囲気や景色は私はいいと思ったし、何しろ食事が結構美味しいと思った(私が普段ウガンダの田舎に住んでいるからというのもあるかもしれないが。。。)スタッフもフレンドリーだった。ちなみに、ホテルのスタッフによるとここのホテルはジブチに駐屯中の日本の自衛隊の方が何名か利用しているらしく、確かに滞在中に何人かの日本人(皆男性)を目にした。
ホテルのロビー

レストランの屋外

レストランの端っこが紅海に突き出している

ホテルのプール



【観光】
ジブチに旅行に行こうかと考えていた時に、過去に2年間ジブチにて活動していた元JICA協力隊の友人に尋ねたところ、「ジブチは3日間あれば十分と言われてるくらい、観光地ってほとんどないんですよね、笑」と言われたが、ネットで調べる限り、アッサル湖という塩湖や、アベ湖という映画「猿の惑星」のロケ地となった不思議な風景が広がるところが見どころ、と読んでいたので、この二つの観光地は必ず抑えたいなと思っていた。元ジブチ隊員だった友人がジブチに10年ほど前にいた時は、観光ツアーを実施するような旅行会社はほとんどなく、人づてでいい運転手さんを紹介してもらったりして観光地などに連れて行って貰っていたらしい。彼女の紹介で、現在ジブチに駐在する日本人に連絡を取ることができ、彼女から教えて貰った情報を元に、今回利用した旅行会社は以下。なお、11月から2月ほどはジンベイザメが見られるという情報も友人から得たので、日程が合えばジンベイザメを見るツアーにも参加してみようと思った。


Trip2Djib
最初はこちらの会社にメールしてみたものの、返信が3日ほど経っても何も来ない。そのために、ウェブサイトにあったWhatsAppの連絡先に連絡してみたら、「後で希望のツアーの詳細を送る」と返信が1日以内に来たものの、結局ツアーの詳細や見積もりは1週間ほど来なかった(苦笑)。仕方ないので、上記の日本人に教えて貰った以下のもう一社にも、同じツアーの詳細に関して問い合わせてみた。結局この会社からも最終的には二つの湖ツアーの見積もりも来たが、既にDolphin社の方で参加すると決めてしまったので、これは断った。ただ、グループでのジブチ市内ツアー(午後3-6時)やジンベイザメのツアーも私の希望する日に参加可能と言われたので、参加することに。現金払いのみ(米ドル、現地通貨)。

Dolphin Excursion
ウェブサイトを見る限り、どちらかというとダイビングやシュノーケリングを専門に扱っている会社っぽいが、私が見たかった観光地2箇所をまわる陸のツアーも実施しているようだったので、こちらにも問い合わせてみたところ、3日ほど経って返信が来た。二つの湖を訪れるツアーは他に誰も私の希望する日は参加者がいないが、一人でもツアーは企画できるとのこと。ジンベイザメ見学のツアーは、今月は11月10日と24日しかないと言われたので、今回の旅では無理かなと思って、とりあえず二つの湖ツアーにのみ申し込むことに。現金払いのみ(米ドル、現地通貨)。

【市内ツアー】
正直、見どころはほとんどないと言ってもいいほどに、あまり見どころはなかったが(笑)、土地勘がない旅行客にとっては、ガイドがつき一緒に回ってくれる人がいるのは心強い。ミニバスみたいなのでぐるーっと市内を回るので、暑い中あまり歩きたくない人とかには都合がいいかもしれない。ちょうど午後3時頃に市内の中心地の市場のようなところに行ったのだが、お祈りの時間と被り、お店が結構閉まっており、私がどこの国に行っても集めているその国の国旗ピンバッジを売っているお店も残念ながら閉まっていた。。。ツアー会社の人が気を利かせて、「後でスタッフが戻ってきて買っておき、後でホテルに届けるから!」と言ってくれて、その日には届かなかったが(←アフリカあるある)、1日後には2つもジブチ国旗のピンバッジをホテルに届けてくれていたので、これはありがたい。。。(しかし、実は心の隅でやっぱり来なかったらどうしようと思っていたので、その翌日2つの湖ツアーに行く途中に前日閉まっていたバッジを売っているお店の近くを通ったので、車を止めてバッジを自分で買うことができた、笑)。



【2つの湖ツアー(アッサル湖アベ湖、一泊二日)】
Dolphin社を通して申し込んだこのツアー。朝、ツアー代金を払うために事務所に行ってから市内を出発。ちなみに、普通はパッケージ代金(一人参加は980ドル)に加えてガイド料(英語は一日車一台当たり55ドル、仏語は45ドル)が発生するようだが、私がツアーに一人参加だったのと仏語が話せたということもあって、仏語ができ土地勘のある運転手さんがガイドも兼ねて同行することになり、ガイドの追加料金は請求されなかった。

この日は前日夜から朝にかけて雨が降ったようで、市内の至る所で洪水かのような水の溜まり具合。よくカンパラ(ウガンダ首都)やハルツーム(スーダン首都)でも似たような状況になっているのを見たことがあるので、「ここでもそうなのか」と思いながら、市外へ向かう。ツアー1日目はほぼ移動のみ。ジブチ市内から3時間ほど舗装された道を進んだところにあるディキルという小さな街で昼食休憩。ツアー会社の系列らしいわりとこの街では良さそうなホテルで1時間ほど休み、午後は道のない道(オフロード)をひたすら進む。途中で見える広大な景色は、私が2年間3ヶ月JICA協力隊時代に活動したモロッコ南東部にもよく見られる岩がゴツゴツとした渓谷のような風景が広がる。その中に時々見える質素な村や小さな学校、点々と見える遊牧された動物たち(羊、山羊、ラクダなど)。ガイド兼ドライバーさんは、「これらの村には、ソマリア系民族とアファー民族とアラブ系民族が共生している」と説明してくれる。彼もこの付近の村で育ったようで、これらの民族が話す言語を複数話すことができるらしい。





























どんどん険しい道になってきて、ちょっとした渓谷のようなところを抜けると、遠くに奇岩の群れが見えてきた!奇岩の群れを通って、夕暮れの前にこの日泊まるところ(キャンプ上)に荷物を置き、寝るところを選んで、夕陽が見える高台のようなところに行くが、荒野に吹く風が強い・・・!陽が落ちるまで1時間ほど待つ間、ガイド・運転手さんは、「あの奇岩群には悪魔が住んでいて、陽が落ちるまでに皆あそこから出ていかなければいけない。(本当にあるのかわからないが)外部からダイアモンドなどを盗もうとやってくる人間を寄せ付けない。過去にヘリでやってきた人たちがいたが、着陸できなかった。」と語る。確かに、地平線に黒いシルエットが浮かび上がる石柱を遠くから眺めると、悪魔なり何かがこの場を守っているような逸話が存在してもおかしくないような雰囲気だ。奇岩群をバックに真っ赤な陽が当たりを照らすところをカメラと眼中に収め、キャンプ場に戻って夕食。
































































夕食にはパスタやサラダなども出て美味しく、遠くに石柱群を眺めながら、この地へこれたことに感謝。この日は私しか観光客はおらず、キャンプ場を完全独り占め(笑)。なんと、このキャンプ場、エチオピアのダナキルツアーで利用したキャンプ場よりもスタンダードが高く、太陽光パネルを利用した電気があったり、水洗トイレがあったり、風よけがしっかりとできる石造りのTukulがあり、おまけにその中には簡易ベッドや蚊帳、天井に設置された扇風機まであった!扇風機や電気が通ってない簡易Tukulもあってそちらの方が風通しが良さそうだったけど、ダナキルツアーで泊まった時に夜風が強くで少し肌寒かったので、風除けがしっかりされている石造りのTukulで寝ることにした。案の定風通しが悪いために途中で蒸し暑くなったが、ダナキルのツアーの時よりはよく眠れたと思う。
貸切状態だったキャンプ場


わりとしっかりとした造りだったTukul


翌朝は、日の出より前に起きて、まだ暗い中、石柱群の中を車で進み、車を降りて辺りをガイドさんと一緒に歩く。途中で、温泉のように地下から湧く熱湯が出る部分があったりして、この大地が生きていることがわかる。前日はほとんど見なかったのでわからなかったが、よく見ると石の外側は白く、中は黒くて、自分にはこの地がどのような歴史を歩んでこのような地形が生まれたのかきちんとわからなかったが、ガイド兼運転手さん曰く、以前ここには海があったが、火山の噴火によって溶岩が流れ、海と隔てられた湖が残ったとのこと。いずれにしても、ゴツゴツとした岩肌が煙突のように立ち並ぶ風景には圧巻。徐々にお日様が登るが、あいにくこの日は曇りで、朝日ははっきりと見えなかった。それでも、周辺を2時間近く歩いて写真撮影をして、7時過ぎにはキャンプ場に戻り、朝ごはん。朝食後には、荷物をまとめ、アッサル湖へ向けて出発。



















途中、行きにも通ったディキルを通り、アッサル湖へ行く途中には高台から紅海が見えるところで写真ストップなどがあり、ジブチには国土は狭いけど広大な渓谷や山があることを実感。あいにく曇りであまり良い海の景色は高台からは見えなかったけど、海沿いに向かってどんどん高度を下げていくと、さっきまで曇っていたのは嘘だったかのように晴れ間がのぞき、アッサル湖周辺は晴天。塩湖の部分は、ボリビアのウユニ塩湖を思い出させるような白さ。ウユニも行ったことがあるけど、今回アッサル湖で面白いなと思ったのは、アッサル湖に黄海からくる海水の部分と塩の部分が分かれていて、これらが交わるところまで歩いて行けること。真っ白で表面が硬い塩湖と、青い海水の部分のコントラストが印象的だった。
ディキルの役所前


あいにく天気がイマイチだったけど、広大な渓谷景色が広がってた




アッサル湖の塩の部分と海水の部分が交わるところ

















アッサル湖からまっすぐジブチ市内に向けて進み、予定時間よりも早い午後3時ごろにはホテルに到着。ちょうど夜6時半から、ホテルの近くにある高級チェーンホテルのKempinskiのスパでマッサージを予約していたので、ホテルでまずはシャワーを浴びて着替えてゆっくりして、5つ星のホテルのスパで贅沢マッサージを受けたのでした。今回のアフリカ卒業旅行終盤のマッサージで、ジブチの前に行ったエチオピアからの疲れも溜まっていたのもあってか、マッサージ中はほぼ寝てしまい、思ったほど記憶にないけど、脚がパンパンだったのでほぐしてもらって気持ち良かったー!


【ジンベイザメツアー】
ジブチ滞在最後の日、朝8時半頃にツアーのお迎えが来るということなので、少し早めに目が覚めて朝ごはん食べた後、部屋で準備していたら、ホテルのフロントから8時ごろ連絡があり、「ツアー会社の人が迎えにきている」と言われる。「いや、迎えは8時半に来ると言われているので、まだ時間あるはずだけど」というと、ツアー会社の人にかわり、「今日は雨が降ってて波が高いから、ボートではなくて車で行く。そのために少し早く出る。他の参加者も既にバスで待っている」と言っている。なぜWhatsAppとか使ってもっと早く連絡してくれなかったのか・・・。まあいい、そんなこともあろうか、元々早めに荷物も準備していたので、「わかった、じゃあ今荷物まとめて行きます」と言って、5分程度で荷物を全部まとめて、ホテルでチェックアウト。

ツアー参加者は私以外に一人参加のアメリカ人女性と、おそらく現地人の若い女性とそのボーイフレンドのちょっと年上そうな中東系っぽい男性。アメリカ人女性は出張でジブチに来ていて、週末を利用してツアーに参加しているそう。良かった、こうやって偶然日程が合った人たちがいたおかげで、当初言われていた一人のみの参加の450ドルが掛からなくて。。。ジブチ市内を出てから40分ほどで、Artaと呼ばれる海岸沿いの急斜面から紅海を見下ろせるような高台にて写真ストップを経て、シュノーケリング予定の海岸へ向かう。高台の斜面を一気に降りる際に途中、渓谷の中にフランス軍やジブチ軍の訓練所がところどころに見えたりする。

そして斜面を下るところ約30分で、フランス軍の施設があるすぐ横にある寂れたところに漁師用のモーター付きボートが数艘並んでいる。風がそこそこあり、少し雨が降ったり止んだりだったけど、海はそこまで荒れてはないために船は出せそうで、早速ボートに乗り換える。沖に進んで15分ほどのところで、同行していた漁師さんがジンベイザメを発見!急いでサメの方へ向かっていくと、確かにサメのヒレが水面の上に見えて泳いでいるのがわかるではないですか!ボートをサメのかなり近くまで寄せてくれて、「行け行け!」と合図を受けて、海中に入る。水が天候の影響もあってか少し濁っていたこともあってか、最初は水中ではよく見えなかったが、水面に度々見えるヒレを追って必死に追いかける。一応水泳は小学校の時に6年近く習ったし、最近は泳げる時はカンパラのホテルの25メートルプールで最低40本(合計1キロ)を泳ぐようにしているので、泳ぎにはそこそこ自信があるのだが、波の動きやサメの動きの速さには到底勝てない・・・。すぐに近くにいたと思っても、遠くに行ってしまう。。。そして再度サメに近づくためにボートに戻ってまた近づいてはを何度か繰り返して、やっとサメのかなり近い距離(1メートル以内)で、ジンベイサメの姿をはっきりと水中で見ることができた!ツアー参加前にネットで見ていた写真の通り、平ったいボディに白い点々のようなものがあり、大きさは3メートルほど。ちょうどサメのお腹の下あたりに、イワシくらいの大きさの細長い魚が数匹、母親に守られながら泳ぐかのように一緒に泳いていて可愛かった。
















この一回しか結局水中ではここまで近くは見れなかったが、何度もボートに海中から上がっては降りて、海中を踠きながらサメを探すという動きは結構体力を要し、もう一度あれだけ近くで見れたのだから、結構満足してしまった。他の参加者も満足したのと、少し探してみても見えなくなってしまったので、結局これで見学はおしまい、ボートは陸に向けて戻っていった。陸に戻る際、結構波があって途中若干ジェットコースターのように船が波にぶち当たって突き上げられては海面に落ちて叩くというような動きがあり、カップルの二人は若干参っている様子だったけど、私は結構こういうのが好きなので、一人でゲラゲラ笑っていた(笑)。雨が降ってきたこともあって、着替えて車に乗って、ジブチ市内に戻って、ツアー終了予定時間よりも2時間も早くホテルに戻ってきたのだった。

※ちなみに、ツアー会社によって貸し出されると思っていたシュノーケリング用のゴーグルはボートにはなかったために、自分が元々持っていたゴーグルを使った(←これって本来ならダメじゃない?)ぶっちゃけサメはその場にじっとしているわけではないし、波があったので、ずっと顔を水中につけている必要はなく、私はゴーグルでも大丈夫だったけど、持ってない人は困るよな・・・。ライフジャケットも半分機能していなく、本来2つあるバックルが一つ閉じない、一応水中では浮くけど、ボートに上がる時には水を含んでとても重くなり、ボートにいる人の手を借りないと到底自分一人では這い上がれないほど重い、など安全面の管理はかなり疑問な感じだった・・・。

この日の夜の便でウガンダに帰る予定だったために、その後数時間ホテルのプールでゆっくりしたりすることもできた。

【余談】
エチオピアでも見たが、ジブチでもKhatと呼ばれる麻薬っぽい葉っぱを噛んでいる人が日常的にいる。これは南米ボリビアやペルーに旅行に行った時に炭鉱夫たちがコカの葉っぱを噛んで、鉱山で作業をする際に食事を取らずに数時間ずっとハイな状態でいられるのと似たような効果があるようで、数日間しかいなかったジブチでも、あちこちいろんなところでKhatが売られているのに気づいた。ガイドさん曰く、ジブチの港からエチオピアまで陸路で物資を運ぶためのタンクローリーの運転手さんなどは日常的にこのKhatを噛んでいるらしい。ガイドさんも長時間の運転の時などはよく噛むという。(ちなみに、私も味見程度で一枚だけ試してみたけど、ぶっちゃけ苦くって何にも美味しいとも思えない。。。)
Khatを売っている露天の看板。中央にあるのが、Khatの絵。
左右はジブチの国旗。

Khatはこのようにして束で売られている。
日本では違法なので持って帰らないように。


最後、ウガンダに戻るためにジブチの空港でのチェックインした時に、地上係員から「ジブチへの復路のチケットは?」と言われ、「いや、ウガンダで働いているので今からウガンダに戻るんです。だからジブチに戻る復路のチケットはないです。」と説明しているのに、なぜか話が通らず、他の係員にも何か確認している様子。「ウガンダで国連で働いているんです」と言って国連のパスポートを見せたら割とあっさり話が通って、無事にチェックインが完了したが、余裕を持って空港についたはずなのに、チェックイン終わる頃にはほぼ搭乗時刻に・・・。あやくジブチから出国する飛行機を逃すところだった。。。

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こんな感じで、最後まで油断できない旅でしたが、無事にエチオピア経由でウガンダに戻ってくることができました。ちょっとアドベンチャラスなジブチの旅、私は個人的に結構楽しむことができました⭐️。